6月14日
6月14日
ホテルのベッドで目覚めた時、東京の自宅にいる気がした。荷造りをすませ朝食をとり、もう一度名残を惜しんで周辺を散歩する。最終日、あたたかく素晴らしい天気だ。お家の玄関に入るまでが旅行です、と気を引き締める。
ホテルで呼んでもらったタクシーがなかなか来ない。来たら小柄な東洋人の運転手だ。思わず前回7年前のことを思い出した。やはり呼んでもらった運転手は小柄で、車内はちらかり、シートベルトはできなかった。さて。車に乗り込むと、中国人か?と聞かれた後、フランス語と英語のまざった滅茶苦茶な会話が始まる。総合するとどうやら、高速道路で事故があり、迂回する、一時間で着くだろう、ということらしい。確かに来た時とは違うルートを取っていることがわかる。運転手はしきりに電話で話し、どうやら渋滞情報を同僚やタクシー会社に聞いているらしい。そんなところに若い女性らしい声で、「ご飯に連れてって」という電話がきたら「今忙しいから後にしてくれ」と切ったようだ。ふむ。
かなりの渋滞。ようやく中心部を抜けて高速に入ると、時々流れて、また止まる。まさか途中で降りる訳にもいかないし、観念して座席でじっとする。途中で最近起きたらしい別の事故を見る。皆があんなに積極的に運転したらそれはぶつかるでしょ、と思う。空港の看板が出てもじりじりとしか進まない。ようやく空港の敷地に入っても、ただでさえ狭いスペースに出る車と入る車が拮抗して収拾がつかないのに、手前の路上で人を降ろす車がいて、クラクションの応酬だ。結局一時間半かかって到着。とても丁寧な運転のタクシーだった。人を見かけで判断してはいけない。
飛行の2時間半前に航空会社のカウンターに行くと、混雑というより混乱だった。さぁ、もうひと頑張り。チェックイン自体は昨日すませてある。またあの自動券売機のような機械に行く。何台もあるそれは全て行列しているか、故障しているか。空いている機械を探し、手続きをすませ、荷物預けの列に並ぶと、成田行きはここじゃなくて端の10番だ、と言われ、急ぎ移動する。確かに日本人をほとんどみなかったものね。空港もスーパーマーケットのセルフレジのようになっている。自分で荷物を無人のカウンターのベルトに乗せ計量し、タグのバーコードを読むと、ベルトが勝手に動いて荷物はするするとあちらに行ってしまった。あらま。シャルル・ド・ゴール空港は荷物がなくなることで有名なところなのだけれど。
パスポートコントロールを過ぎ、珍しく免税で買い物をし、ほっとしてカフェに入る。パリの空港の、しかもエアフランスのカウンターがこんなに混雑しているとは。日本ではあまりない状況だと思う。2024年のパリオリンピックの時は大変なことになりそうだ。
乗り込んだ飛行機はほぼ満席。アナウンスがあり、直前で搭乗をやめた乗客の荷物を降ろすからしばらく待って、とのことだった。あのたくさんのコンテナから一つ二つの荷物を降ろすのか、僕の荷物は降ろさないように、と願った。
長い機中、今回の旅を思い返す。最大の収穫は、生き生きと生きている人たちに接したことだった。それに尽きる。写真を撮っていてこんなにわくわくし続けることは久しぶりだったし、美しい景色、物、素晴らしい天気、空気・・・。でもそんなことは全部二の次と言っていい。やっぱり人間はこうして生きることができるんだと思った。もう死んだように生きるのはやめよう。
そして、これほど英語が通じるようになっているとは思わなかった。7年前、ひどいフランス語でも口にすると皆、嬉しそうにフランス語で(しかも猛烈なスピードで)返してくれた。四半世紀前はまったく英語なんか喋ってくれなかった。それは本当に喋れないのか、嫌がらせか、勘ぐりたくなるくらいだった。今回、よちよちのフランス語で話しかけると、ほとんど英語で返ってきた。それはそれで傷つくし、その便利さは残念な感じがした。
飛行機が成田に着き、無事出てきた荷物を拾い上げる。雨に煙る田んぼの間を列車が進んでいく。この湿潤な国も美しいと思った。そして梅雨寒の今日、駅のそば屋で食べたかき揚げ天そばの味は、なんとも月並みだけれど、しみた。
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