ブルックナーの4番
7月24,25日の都響定期演奏会はアラン・ギルバート指揮でブルックナーの交響曲第4番など。
以前知人が、この交響曲の四分音符二つと三連音符からなる主題は、手稿譜では五連符で書いてある、と教えてくれたことがある。二連と三連のリズムをはっきり分けるのではなく、五連符のように、少し曖昧に感じることが作曲者の最初の意図に近いのだろうか。でもこの二連と三連の組み合わせは、性格は違うけれど、やはり一度聞いたら忘れられない第3楽章のホルンのモチーフを構成してもいる・・・。さらに言うと、この組み合わせは3番の交響曲にすでに使われていて、でも4番の方がはるかに伸びやかに感じられる。
4番の大きな特徴は、ヴィオラの活躍だ。金管楽器のコラールとヴィオラの四分音符が絡む部分はかなり長く続く。この交響曲の最も美しい箇所の一つだと思う(チェロはその間ずっと休み)。この仕事の期間中、折りにふれてスコアを見ていた。そのヴィオラの旋律は、時として下の音域はファゴット、上はクラリネットで補うように書いてある。そのことを知って、自分の席で改めて聞いても、木管がヴィオラを補強しているようには聞こえず、金管の響きの中に、ヴィオラの弦の倍音が浮き上がるようにしか聞こえない。ファゴットもクラリネットも金管のすぐ前で吹いているので、自然にブレンドされて、直接音としては聞こえてこないのだろうか。
そしてブルックナーと言えば何と言っても(弦楽器奏者にとって)、延々と続くトレモロだ。ただし、3番ではさほど使われておらず、本格的な使用は4番から。
新日フィルにいたとき、ハウシルトという職人肌の指揮者でブルックナーの7番を弾いた。ハウシルトはトレモロを、弦楽器奏者それぞれが違う弓のストローク、速さ、リズムで弾くよう求めた。人間は不思議なもので、隣の人と違うリズムで弾くことは難しいことがある(そうでないこともある)。トレモロのリズムが自然と同調するのはそういうことだろう、と思う。彼はあえてそうでないやり方を求めた。皆が同じようにきざむと十分にトレモロの効果が出ない、ということだ。
(ところで、職人肌と言ったら怒られるかもしれないけれど、しばらく前に放映された「N響伝説の名演」という番組の冒頭は、H.シュタインの指揮する運命だった。僕の興味はその後に放送されたガスパール・カサド(驚くほど情熱的で素晴らしいハイドンの協奏曲だった)やフルニエ、シェリングだったのだけれど、その運命が素晴らしくて耳と目を奪われた。90年代前半の収録。2019年現在、こういう熱さを僕たちは持っているだろうか。そのオーケストラの熱さを見事に引き出していたのはシュタインの、決して拍を直線的には強く出さない指揮だったと思う。あの曲はどうしてもオーケストラが硬くなるから、そこに硬い棒だとさらに両者硬くなってどうしようもなくなる。素晴らしいと思った。僕もこういう指揮で運命を弾いてみたいと思った。やわらかく、しかも音楽がこれから進む方向を見事に示していた)
20年くらい前、確かリンドベルイというフィンランドの作曲家の、同じ拍の中に様々な楽器で9連符、10連符、11連符、・・・、と異なる音価を重ねる曲を聞いたことがある。それはそれは不思議な、音のにじむような感じだった。
ブルックナーのトレモロは自然と16分音符、32分音符、・・・というように2の倍数で弾いてしまうと思う。ある程度の人数の奏者が3や5や7、11の倍数で弾いたら、どうなるのだろう。たとえピアニシモでも、ぶわっとふくらむような感じがより出るのではないだろうか。
2日目のサントリーホールでのゲネプロ、アランが冒頭のトレモロを始める前に大きく呼吸をとって、と言った。本番の舞台で音が出る前の、なんと言ったらいいのだろう、オーケストラ全体が音もなく呼吸する瞬間というのか、大きな船が静かに岸壁を離れて出航する瞬間のような、あの空気感は、もしかしてあの日の演奏会の中の白眉だったのかもしれない。
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