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2019年7月13日 (土)

ペンデレツキ

少し前のことになるけれど、6月25日の都響定期演奏会はクシシュトフ・ペンデレツキの指揮で、彼のヴァイオリン協奏曲第2番とベートーヴェンの交響曲第7番など。ソリストは庄司紗矢香さんだった。

前回ペンデレツキが都響に来たのはもうずいぶん前。笑顔を見せることはあまりなく、自作のチェロソロの作品の楽譜にサインを求めると、面倒くさそうにぐぎぐぎ、と書いてくれた。左手で指揮をするので、3拍子の2拍目や、4拍子の3拍目がいつもと逆向きに手が動いたことを覚えている。簡単に言うとあまりフレンドリーではなかった。

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今年86歳。アシスタントを連れてきていて、込み入った譜割りのヴァイオリン協奏曲の、何度やってもカオスになってしまうところは、彼が振ってくれたりした。(初日に彼がざっと交通整理をしてくれていたら、ずいぶん見通しのいい演奏会になっただろう、と思う)失礼を承知で言うと、特に早いテンポの時、指揮の動きと要求されるテンポ感に開きがあり、何度か練習してわかっているつもりでも、やはり難しかった。音量のバランスの指示も時々、はて?と思うことがあった。

そのような中、はっとさせられたのは、オーケストラがただ音符を弾いているような時は、もっと弾くように強く要求することが幾度もあったのに、その奏者が生き生きと音符を弾いている時は何も言わない。心の耳で聞いている、というのか、意志を感じているというのか、五感を超えたものを人間は感じる、と思わずにいられなかった。
ヴァイオリン協奏曲には様々な箇所で、半音進行の3連符が同じパートの様々な奏者で回るように書いてある。前回弾いた弦楽合奏の曲にも同じことが書いてあったから、これは彼の重要なモチーフなのだろう。スコアで見ると単純だけれど、実際に自分がその1部分となって弾くのは、テンポも早いし、けっこう難しい。その時に誰かが落ちると(僕も練習で1回やらかした)、大変なことになる。爆発してドイツ語で罵る。こういう時、頑固爺だなと思う。

本番当日、舞台上の人間はかなり善戦したと思うけれど、それでも予定外の事は起きた。そんな状況で強く集中し続けた庄司さんは見事だった。小柄な彼女のどこにそんなエネルギーがあるのだろう。一方、アンコールで弾いた無垢なバッハは、協奏曲の対極にある素晴らしさだった。

プログラムの後半はベートーヴェンの7番。こちらは最初からほとんど何も注文がなく、3日間のリハーサルでは終楽章が終わる度、ペンデレツキは'Ole!'と叫ぶのだった。それはサントリーホールの本番の舞台でも同じだった。作曲家ペンデレツキからベートーヴェンへの敬意の現れのようにも見え、とてもチャーミングな人と感じた。指揮台に立って特別なことをする訳ではないのに、彼がいなかったらオーケストラはあのようには弾かなかっただろうし、当然あのような音楽は出てこなかっただろう、と思う。人間は不思議だ。86歳の人が舞台に立つ。多くの聴衆とオーケストラに囲まれたあの場所には、何か特別な力が働くのかもしれない。

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