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2020年1月22日 (水)

上を向いて

この前がいつだったか思い出せないくらい久しぶりに、サントリーホールに演奏会を聴きに出かけた。
客席にはこんなにたくさん人がいるんだな、と驚く間もなく、オーケストラが舞台に入り、スティーヴン・イッサーリスが現れて、エルガーの協奏曲が始まった。

ずいぶん以前、やはりサントリーホールでイッサーリスの弾くエルガーを聴いた。指揮は同じく尾高忠明さん、オーケストラはBBCウェールズだった。2階席にいた僕には、彼の透明な音はなかなか届かず、あぁガット弦の音色は、スチール弦を使うオーケストラに埋もれてしまう、と思った。ただ、あそこではどんな音がしているんだろう、と想像をかきたてられた。
昨日は最初の音からすぐひきこまれ、何かを早回ししているような不思議な感覚で、あっという間に終わっていた。30分かかるはずが、何分もたっていないようだった。
音は表情にあふれ、音楽は情熱的、大阪フィルと尾高さんのサポートも素晴らしく、曲の構造が浮き立ってくるようだった。1階の中ほどに座っていた僕には充分伝わってきたけれど、2階席の人は、耳が慣れてきたら・・・、と言っていたから、場所の影響はあるのかもしれない。

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日曜日にイッサーリスのレッスンが東京芸大であり、しきりに上を向けと言っていた、ということは聞いていた。彼がそう弾くのは知っていたけれど、やはりどんな音程の跳躍でも指板を見ることはなかった。心と体が開いていることがよくわかる。躊躇なく弾き始める感じもすごく好きだ。

聴衆にはエルガーの熱演より、アンコールの「鳥の歌」の方が喜ばれているようだった。鳥の歌はイ短調、と染みついているから、前奏がソで始まったとき、一瞬何が起きているのかわからなかった。確かにこの調性なら和音を付けやすい。
彼の音楽から受けたものを、そっくりそのまま持って帰りたいと思った。

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チェロや心、体にどのようにアプローチすることが、音楽の自然な流れを生むのか、今日は休みだけれど寝坊せず、午前中からいろいろ試してみた。まず上を向いて、指板を見ないで。

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