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2020年2月

2020年2月29日 (土)

椿姫

2月後半の都響は東京二期会のオペラ、椿姫。
指揮のG.サグリパンティ氏が話すイタリア語を聞いていると、そのまま歌になっていくようだった。歌うように話す。彼がそうなのか、イタリア語がそういう言葉なのか、心地よいリズムと抑揚のついた言葉を耳にすることは楽しかったし、そういう言葉で生きていることをうらやましく思った。

練習が進んで舞台稽古に字幕が入るようになると、断片的ではあるけれど歌詞のわかる時があり、なるほど、と思うことが幾度もあった。一つの言葉と一つの和音の組み合わせに始まり、ストーリー展開への音楽の合わせ方まで、全体像が見えかけてくると、勘所を押さえた書き方がしてあることがわかってくる。
ヴァイオリンで静かに始まる前奏曲は短調(オペラの結末を暗示している)、間もなく明るい旋律となり、舞台の幕が上がるといきなり賑やかな場面が現れる。見事なコントラストに、見る者はあっという間に劇中に導かれてしまう。

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東京文化会館のオーケストラピットの裏側には来演した団体の落書きがたくさんあり、それを見るのはピットに入るときの楽しみだ。今回、椿姫の時のものが多いことに気が付いた。なるほど、確かに人気演目なのでしょう。
あさはかな僕は、タイトルの"La Traviata"は椿を意味するものと思っていたけれど、プログラムの解説を読んで驚いた。椿はイタリア語で"camelia"、デュマ・フィスの書いた原作(フランス語)の題は"La Dame aux camelias"、直訳すると「椿の婦人」だろうか。"La Traviata"は道を誤った女、という意味だそう。初演から大成功という訳ではなかったらしい。

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ヴェルディの音楽はシンプル。2年前に弾いたワーグナーのローエングリンに比べると拍子抜けするくらいだ。
サグリパンティ氏が、この曲に3拍子が多いのは、当時のパリ(椿姫の主要な舞台)ではワルツが流行っていたから、と説明していた。幕が上がっている間、チェロとコントラバスは頭拍を刻み、ヴァイオリンやヴィオラはその間の拍を埋める、そんな時間がひたすら続く。でもそれは決して退屈ではなく、素材の良さ、素性の良さのようなものをいつも感じていた。サグリパンティ氏の指揮はその良さをよく引き出していたと思う。歌が始まった時の彼の集中は素晴らしかった。歌の世界に没入する、というのか。オーケストラに対してはあまり口を使わず、棒で示すタイプだった。
何年か前にムーティの指揮でヴェルディを弾いた時、彼が、ザルツブルク(きっと音楽祭のオーケストラのことを指していたのだと思う)ではシューベルトだと丁寧に弾くのに、ヴェルディは皆ぞんざいに弾く、と憤っていたことを思い出す。その時は、ムーティさん、お怒りはわかりますが、なぜここでシューベルトを引き合いに出すのでしょう、と思った。
今はよくわかる。シンプルな書法、自然な旋律線はこの二人に共通する美質だと思う。

パート譜には歌詞のガイドがかなり書いてあり、つい読もうとしてしまう。台詞がゆっくりな時は問題ないけれど、口が速く回る時の、サグリパンティ氏の合図の出し方が興味深かった。きっと言葉のどこかの音節をつかまえて拍を出している。
もし歌手が生まれた時からイタリア語を話していて、オーケストラのメンバーもそうだったら、歌詞とオーケストラが絡むところは絶妙な間合いでずばっと、あるいはスムースに入ったりするのだろうか、と想像した。

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オペラが始まってすぐ、有名な「乾杯の歌」が出てくる。その少し前、「アルフレードはいつも貴女のことを想っていますよ」、と言われたヴィオレッタは「ご冗談を」と返す、その時"Scherzate"という言葉が耳に入ってきて、あぁなるほど、楽譜でよく見かける"scherzo"とはこんな感じなんだな、と思った。

20代の後半、毎夏トスカーナ州、シエナの夏期講習に行った。行くと受付の女の子に、イチロー、毎年来るならイタリア語を勉強しろ!、と言われ、その時はうるさいことを言う、と思っていたのだけれど、今は話せるようになる貴重な機会だったのに、と思う。信じられないくらい浅はかなことに、当時の僕は英語がわかればイタリア語もなんとかなる、くらいに思っていた。
ある日、文化会館ピット裏の落書きを見ながら、もしかしてこの中に知った名前はないのか、と思った。探してみると、シエナのマリオ・ブルネロのクラスで一緒だったイタリア人の名前が二つもあった。日付は僕が都響に入った後だから、彼らとはニアミスしていたんだろうと思う。

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サラ・ナンニ。97年のクラスにいたフィレンツェ出身の小柄な女性。フィレンツェ訛り、というのだろうか、"c"を"h"のように発音して、クラスの親分格だったミラノ出身のルカのことを「ルハ!」と言っていた。あの年、クラスにサラは二人いて、もう一人は南のバーリから来た豪快なサラ・ジェンティーレ。二人とも気っ風のいい女性だった。

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ウンベルト・クレリチ。チェロが上手で実に楽しい若者だった。(どうしてこの落書きは目茶苦茶な綴りなのか)当時17歳くらいだったと思う。トリノ出身、お母さんが司法関係の仕事をしていたはず。そのお母さんが僕たちのアパートを尋ねてきたとき、イタリア語の罵り言葉を口にして、この言葉はこう使うんですね、と僕は驚いた。
秋葉原の電気街に行ったことのあるウンベルトは、高額商品が店員の目の届かないところに置いてあるのは不思議、と言ったり、確かキアーラという彼女とくっついたり離れたりしていたことや、ぐでんぐでんに酔っ払って、カンポ広場にいる大人を煙に巻いていたことや、ロンドンから来たパブロス(本当にいい奴だった。ギリシアとブラジルのハーフ)が「ウンベルトン!」と呼んでいたこと、・・・、思い出し始めると終わらなくなる。

あの頃皆若かった。ブルネロが30代後半、生徒たちは彼のことをアニキのように慕い、ジャズの講習を一緒に聴きに行ったり、徹夜で遊んだりした。今や先生はすっかり風格がつき、何者でもなかった生徒たちもきっと世間にもまれ、何かをまとうようになったのだろうか。

2020年2月21日 (金)

黄色と黒の鉛筆

初日のリハーサル、軸が黄色と黒に塗られた鉛筆を持って指揮するロトさんを見て、前回もそうだったことを思い出した。
彼が都響を振った最初の演奏会の1曲目がシュトラウスのメタモルフォーゼンで、ひどく緊張したことや、次のストラヴィンスキーを指揮した演奏会も素晴らしく、終演後、また是非来て下さい、と言いに行ったことを思い出す。不思議なことに、それから4年後の演奏会もあっという間に終わり、どんな時間だったのだろうと思う。

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フランソワ=グザヴィエ・ロトさんが指揮した2月2、3日の都響演奏会の前半にはジャン=フェリ・ルベルの「四大元素」があった。原始的で野蛮でむきだしで、痛快だった。他の木管が2本ずつのところをファゴットは4本、コントラバスも通常より1本多くして、しかも下のH線をAまで下げ、ロトさんは低音の存在感を求めてきた。
ルベルは1666年生まれ、少し下の世代のバッハやヴィヴァルディ、ヘンデルとはまったく違う。ルベルが特異なのか、フランス音楽界全体がそうだったのかはわからないのだけれど。その頃、フランスと他の国との実際の距離感はどのくらいあったのだろう。
「四大元素」は僕が慣れ親しんできた定型から外れることが度々あった。冒頭の響き(強く弾く不協和音。もし20世紀の音楽ならさほど驚かない)からそうだし、ファゴットがチェロやコントラバスから独立して、ヴィオラとユニゾンで動く箇所も印象的だった。こんな楽器の使い方があるんだ、と思った。そして、ヴィオラは全11曲中5曲しか弾かない・・・。一方、ヴァイオリンはいつも以上に忙しそうだった。ロトさんの説明によると、当時の弦楽器はちょっと違うものだったらしく、今の感覚で捉えない方がよいのかもしれない。

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後半はラヴェルの「ダフニスとクロエ」。1日目のサントリーホールより、2日目の東京文化会館の方が響きが少ない分、様々な楽器に振り分けられた多様なテクスチュア、と言うのか、肌触りの異なる細かい音符が、舞台の前後左右、あちらこちらから立体的に聞こえてきて、おもしろかった。
ラヴェルの前にドビュッシーという先駆者がいたけれど、「ダフニスとクロエ」を2台ピアノのスコアから合唱の入った大編成のオーケストラに拡げていく時、彼の頭の中にはどんな色彩感があったのだろう。そしてどのくらい、自分はこれまで世界に存在していなかったものを生み出している、という確信があったのだろう。
今回使ったパート譜には僕の筆跡の書き込みがあり、でも記憶はまったくなく、不思議な気がした。2009年に演奏したそう。前回、残念なことに僕はこうした素晴らしい音符の数々を弾き飛ばしていたのだろう。
例えばPPPでチェロ以上の弦楽器が美しい旋律をユニゾンで弾くところがある。ロトさんはまずそのフレーズを強く大きな音で弾かせ、次にそれと同じ感情の強さで、とても小さな音で弾くことを求めた。なるほど。しかもそこに合唱が被さってくる。ラヴェルの見事な発想だ。
曲中にはたくさんの5や7の変拍子と、素晴らしい3拍子の旋律が出てくる。それらを弾いていて、以前よく演奏したラヴェルのピアノ三重奏を思い出した。「ダフニスとクロエ」より後に書かれたこの三重奏曲にも、多くの変拍子と、緩徐楽章の素晴らしい3拍子がある。自然倍音を多用する奏法や、ピチカートで弾く和音、終楽章で使われるトリルなど、ロトさんと「ダフニスとクロエ」を弾いた今なら、以前とは比べものにならないくらい多くの動きや色彩を感じて弾ける、と思う。バッハがチェロ組曲の少ない音符で多くのことを現したように、ラヴェルは膨大な色のパレットをピアノ三重奏に凝縮したのではないだろうか。

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ロトさんと弾いていて楽しいのは、奏者に心を大きく開いて演奏するよう求めるところだ。時々子供のようにいたずらっぽく笑う。2日目のリハーサルが始まる前、昨日出かけた渋谷のフレンチが素晴らしかった、と言ってみたり。フランス人が絶賛するフランス料理はいったい、と思わずにいられなかった。
「ダフニスとクロエ」は素晴らしい時間だった。あの黄色と黒に塗られた鉛筆は魔法を生み出す棒のように見えたけれど、少し日がたった今、彼は丁寧にスコアを読み、それを自分の方法で忠実に再現しようとしていただけだったのでは、と思ったりする。

リハーサル中ずっと鉛筆で指揮をしているのを見て、はて、この人本番はどうしていたんだっけ、と思った。本番の舞台には何も持たずに現れた。

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