”Music from the ashes“
しばらく前、ラジオからチェロとピアノの現代曲が流れてきて、難しそうだけれど一体どうなっているんだろう、と思った。"Aschenmusik"というアルバムに入っているハインツ・ホリガー作曲のロマンセンドレ(Romancendres)という曲だった。
別の日に、Hさんとホリガーの話になり、オーボエ界はローター・コッホ派とハインツ・ホリガー派に分かれ、でもリードにこだわらない分、ホリガーの音楽の方が自由、と聞いた。
その後少しして、タワーレコードに注文した"Aschenmusik"が届いた。
"Aschenmusik"は作曲家、オーボエ奏者のホリガーが、ライフワークとして取り組んできたシューマンを軸にしたアルバム。目当てのロマンセンドレを挟むようにシューマンの作品、カノン形式の6つの小品、3つのロマンス、間奏曲、1番のヴァイオリン・ソナタが入っている。
3つのロマンスの、ホリガーの演奏を聴いたとき、あぁ、まさにこれがシューマンですね、と感じた。僕にとってシューマンは長いこと謎だった。でもホリガーの演奏に触れ、言葉でうまく説明することはできないけれど、こういうことなんだと感じた。
Aschenmusik、ライナーノーツの英訳ではMusic from the ashes。ash(灰)とは、シューマンが晩年、療養所に入る数ヶ月前に作曲したチェロのためのロマンスの楽譜が、本人の意志に反して出版されず、燃やされてしまったことを指している。
CDのライナーノーツに詳しく書かれているのだけれど、ブラームスは出版する価値がないと考え、シューマンの死後、クララ・シューマンの生前に楽譜が燃やされ、・・・。さらに、シューマンは友人のチェリストにこの楽譜をプレゼントしていて、その足跡をたどってスティーヴン・イッサーリスをはじめ何人かがオーストラリアまで行ったのだけれど。
ロマンセンドレは、失われてしまったこのロマンスに言及するように作曲された。
ライナーノーツには他にも、シューマンのレパートリーに関して興味深いことが書かれている。「ファウストの情景」の中でチェロ協奏曲とまったく同じモチーフをヴァイオリンが弾くこと、ホリガーは3つのロマンスをそれぞれ異なる詩のように演奏しようとしたこと、シューマンは構築的であると同時に無意識的であること、ヴァイオリン・ソナタの初稿の最後には「チェロでも」と書いてあること(このアルバムではチェロで演奏されている)、・・・。
「文學界」2019年12月号に掲載された村上春樹さんの短編「謝肉祭(Carnaval)」は、シューマンの「謝肉祭」が核になっている。
『・・・二人で総計四十二枚の『謝肉祭』を聴き終えた時点で、彼女のベストワンはアルトゥーロ・ミケランジェリの演奏(エンジェル盤)であり、僕のベストワンはアルトゥール・ルビンシュテインの演奏(RCA盤)だった。・・・。』
という箇所を読んで、記憶がよみがえった。シエナの講習で受けたマリオ・ブルネロの最初のレッスンがシューマンの協奏曲で、足が震えるほど素晴らしかったこと、ブルネロはドヴォルザークよりシューマンの協奏曲の方が好きだと言ったこと(シューマンは毎回何かが起こる、と言っていた)、シューマンの二面性を理解するために「謝肉祭」を聴くよう言われたこと。しばらくして「謝肉祭」のCDを買ったのだけれど、鈍感な僕は何も感じず、ほとんど聴かなかったこと、その長く眠ったままのCDがミケランジェリの演奏であること。
その短編の中に、こんな箇所がある。
『「ウラディミール・ホロヴィッツはあるとき、ラジオのためにシューマンのヘ短調のソナタを録音したの」と彼女は言った。「その話は聞いたことある?」
「いや、聞いたことはないと思う」と僕は言った。シューマンのその三番のソナタは聴く方も、演奏する方も(たぶん)相当に骨の折れる代物だ。
「彼はその自分の演奏をラジオで聴いて頭を抱え込み、意気消沈してしまった。これはひどい演奏だって」
彼女は赤ワインが半分ほど残ったワイン・グラスを手の中でまわしながら、しばらくじっと眺めていた。それから言った。
「そしてこう言ったの。『シューマンは気が狂っていたが、私はそれを台無しにしてしまった』って。・・・・・』
"Aschenmusik"のライナーノーツでホリガーはこんなことも語っている。クララとのロシア演奏旅行の後、シューマンは自分の存在意義を見失って厳しい状態に陥り、回復の足がかりをつかむためにバッハを深く学び、カノン形式の6つの小品や、2番の交響曲を書いた。(バーンスタインが札幌で開かれた第1回のPMFで、命を削るようにして、若者のオーケストラを指揮したのがシューマンの2番だった。)
昨晩のラジオからはシューマンのピアノ五重奏が聞こえてきた。今朝は幻想小曲集や民謡風の5つの小品の楽譜を見たり、アダージョとアレグロを久しぶりに弾いてみたりした。初めてピアノ五重奏を弾いたのは30年前、幻想小曲集は20年は触れていなかったと思う。シューマンの作品が、今は別の姿を見せている。
ミケランジェリの「謝肉祭」は、耳を澄ませると、鍵盤が動いて、それがハンマーを動かしていることや、ペダルを踏み替える様子まで聞こえてくるようだ。知らなかった作品を、知らなかった演奏家の演奏で初めて聴くように、聴いている。ライナーノーツには93年、ミケランジェリ最後の日本公演のことも書いてある。あの頃、僕と同じ年のてっちゃんやY先生が、この時のドビュッシーを絶賛していたことを思い出した。
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