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2020年8月27日 (木)

シューマン

多くの人は最初から、あるいはもっと早くに気付くのだろうけれど、そしてこんなことを言うのは恥ずかしいのだけれど、僕は今年の春、ようやくシューマンの音楽の素晴らしさに気付いた。

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ソロ、室内楽、オーケストラ・・・、少なくないシューマンの作品を弾いてきた。今、それらの作品はまったく違う姿を見せている。長い時間、彼の書いた音符に直に触れてきたのに、何も感じていなかった。大切なことは目の前にあった。
ピアノ四重奏なら、第3楽章の旋律をどう弾くか、とかチェロの4番線をいつ、どのようにB♭に下げるのか、そんなことばかり気にしていた。桐朋に入った年に弾いたチェロ協奏曲は、どうしてそうした音の並びになっているのか、今は本当にそうですね、と思う。そして他の多くの作品と同じように、シューマンがそのような音楽を残してくれたことに深く感謝したくなる。

もちろん僕の経験してきた音楽の範囲は知れているけれど、それでも西洋音楽の偉大な作曲家たちの世界をふり返った時、そこにシューマンの音楽がなかったら、世界は大切なものを欠いただろう、と思う。誰もが抱えているにもかかわらず、それらを初めて目に見えるように(耳に聞こえるように)表現したのがシューマンだった。

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ハインツ・ホリガーのアルバム "Aschenmusik"(https://www.ecmrecords.com/shop/143038752897)の核になっているのは、シューマンが晩年に書き、出版を望み、しかし失われてしまったチェロのためのロマンス。ホリガーのライナー・ノーツによると、そのことについてブラームスは1893年の手紙で以下のように書いている。(シューマンは1856年に亡くなった)

『シューマンは決して出版に値しない様々なものを残しました。ちょうど数週間前、シューマン夫人は、彼女の死後印刷され、世に出ることを恐れて、チェロの作品を燃やしました』

少ない資料から的確な判断をすることは難しく、また、ホリガーの文章を素直に信じてよいのかもわからないけれど、シューマンは生前、同時代の人々や、例えばクララ・シューマンやブラームスといった親しい人たちに、果たしてどのくらい共感をもって理解されていたのだろうか。

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10年以上前に求め、最初の数ページを読んだだけで本棚に眠っていたシューマン著「音楽と音楽家」の中にこんな文章があった。

『誰かが生涯を通じて、全く同じ眼で見てきたというような大家が果たしているだろうか。バッハを正当に評価するには、青年の持ち得ない数々の経験がいる。モーツァルトの太陽のような高さでさえ、彼らにはあまりに低く値踏みされる。ベートーヴェンに至っては、ただ音楽を勉強しただけではたりない。これはある年齢に達すると、同じベートーヴェンのものでも、ある作品が特に他の作品よりおもしろくなるということをみてもわかる。ただ青年の感激は主として青年によって理解され、男らしい大家の力を知るものは一人前の男子であるという風に、同じ年齢がいつも互に牽きあうということだけは確実にいえる。だからシューベルトは永久に青年の寵児として残るだろう。・・・』

この本ではメンデルスゾーン、ショパン、ベルリオーズ、ウェーバー、ブラームス、そうした人たちが同時代の人間として生き生きと描かれ、興味深い。リストがライプツィヒを訪れたときの演奏会について、こんな文章があった。

『リストの親切なはからいから、当夜の演奏会ではこの土地にいる3人の作曲家 ー メンデルスゾーンとヒラーと僕 ー の曲が演奏されることになった。メンデルスゾーンの曲は最も新しい協奏曲、ヒラーのは練習曲、僕のものは≪謝肉祭≫という大分前の曲の中のものを幾つかひいた。たいていの気の小さな名人ならびっくりするだろうが、リストはこれをみなほとんど初見同然でひいたのである。・・・・・
僕の≪謝肉祭≫については、元来が狂詩曲のようなものだから、大勢の人々に印象を与えられるかどうか、僕はやや疑問に思ったのだけれども、彼は固く主張して譲らず、どうしてもこれをひきたがった。僕は明らかに彼の思い違いだったと信じている。ここでこの曲のちょっとした由来について一言しておきたい。どうしたわけか、僕の音楽の上の知りあいの婦人が住んでいた小さな町の名が、音階に出てくる文字ばかりでできていて、しかもその文字は、僕の名で音階にでる文字とちょうど同じだった。そこで、僕はバッハ以来べつに目新しくもない例の遊戯をやってみた。・・・』

8月、バッハの2番のチェロ組曲とシューマンの協奏曲を練習している。
バッハが尽きることのない泉のように、生命感にあふれたフレーズを次々と生み出したのは本当に驚くべき事だった。ある時はゼクエンツになり、ある時は即興的なチェロ組曲の一つ一つのフレーズが、いったいどのように生まれたのか、たどりながら弾いていた時、その心の動きは、シューマンの様々なフレーズの生まれ方にとても近いような気がした。

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