新世界についてのメモ
数年前、オーケストラの同僚がベルリンのフィルハーモニーでベルリンフィルの演奏会を聴き、その時のプログラムがドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」で、終楽章の最後にホ長調の和音が鳴った時、涙が流れた、と教えてくれた。頻繁に演奏する曲で心動かされた、というのは、本当に素晴らしい演奏だったのだろうと思う。
久しぶりに新世界のスコアを開いた。
終楽章の最後でホ長調に転調する前は、単調に感じられるくらい長くホ短調の和音が続く。これまで何度も演奏してきた新世界を思い返すと、この明るい和音に入ったとき、オーケストラは何となく安堵し、指揮者も「皆さんご存じですよね」という感じで、流していることが多かった気がする。でも同僚の話しを聞き、この瞬間が非常に重要ということにようやく気が付いた。リズムはなく、オーケストラ全体がただホ長調の和音を強く演奏することを求められているのだけれど、まさにそのことに最大のエネルギーを費やさなくてはならない、と思う。
新世界は2、4、8、・・・など、2の倍数の小節数でフレーズが書いてあることが多い。けれど、最後にホ長調に転調した後、1箇所だけ3小節のフレーズがある。しかもそこは強拍と弱拍がひっくり返っているユニークな部分で、おそらく誰も気にしないで弾いているこの3小節という長さは、作曲の絶妙な塩梅なのだろうと思う。もしここを2小節や4小節で演奏すると、きっと具合が悪い。
第3楽章の冒頭の1拍目、木管楽器とホルンが吹く八分音符は、弦楽器とトライアングルの響きに埋もれがちな気がする。スコアを見ると、1拍目の八分音符と、2拍目にティンパニが受け持つ八分音符はリンクしていることがわかる。今度弾くときは注意深く聴いてみよう。
新世界ではチェロが和声のバスを弾き、コントラバスはその5度上に乗ることが時々ある。他にあまり例を見ないことなのだけれど、15年くらい前コントラバスのN君がそのことを指摘してくれた時、ぼんやりした僕は、ふーん、と聞いただけだった。今、彼は大切なことを言っていたことがよくわかる。
例えば第2楽章で嬰ハ短調に転調する直前、チェロが1オクターヴ下のレ♭に入るときに、コントラバスは第5音のラ♭を弾く。
やはり第2楽章の後半、だんだん弦楽器の人数が減っていくフレーズで、オーケストラ全体を支えるバスはチェロが受け持ち、一旦いなくなったコントラバスがチェロのソ♭の5度上にレ♭で乗る。かなり変わった書き方だと思う。配置を逆にして、通常のように書くことはできたはず。この特殊な配置に意図した響きがあったのだと思う。2楽章の最後にコントラバスだけで弾く和音を作曲者は書いているのだから、楽器による声部分けに細やかな配慮をしていたことは間違いない。
同じように興味深いのは、弦楽器の人数が減っていき、最後はヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、それぞれ1人ずつになるそのフレーズ。ヴィオラがレ♭を伸ばして支えとなり、チェロはヴァイオリンの旋律の3度下を弾く。ヴィオラとチェロを入れ替えたらどんな響きになるのだろう。今度この3本の楽器が揃うことがあったら是非試してみたいと思っている。
チェロは音域を広く使う楽器とはいえ、基本的にはヴィオラの音域の方が高い。でも様々な曲を見渡すとチェロが旋律を弾き、ヴィオラが下で支えていることが多い。
例えばブラームスの2番の交響曲の第1楽章、美しい第3主題はチェロが旋律でヴィオラが3度下を弾く。ドヴォルザークはブラームスの3番を聴いた後、7番の交響曲を書いたそうだから、おそらくブラームスの2番のこの書き方も知っていたのではないか、と思う。新世界の冒頭はチェロが旋律、ヴィオラはチェロの6度下を弾いている。ドヴォルザークはヴィオラの特性を熟知していたはずで、その上でこの書き方を選んだのだろう。
新世界から脱線するけれど、スメタナのモルダウの静かな部分(変イ長調)にコントラバスがいなくなって、代わりにチェロの下のパートがバスのラ♭を弾く数小節がある。おそらく客席で聴いていても何も変化は感じられないだろうけれど、どうしてスメタナがそのような書き方をしたのか、いつも不思議に思う。今度スコアを見てみよう。
ドヴォルザークの作品でヴィオラとチェロが絡む印象的なフレーズはチェロ協奏曲の第2楽章にもある。
独奏チェロがドヴォルザークの作品82-1の歌曲「ひとりにさせて」にちなんだ旋律を弾く間、バランスの問題もあって聴衆には届きにくいのだけれど、実はヴィオラが5連符を含む美しいオブリガートを弾いている。
マリオ・ブルネロに習った時、曲の背景にかなわぬ恋があることを教えてくれた。
ドヴォルザークが思いを寄せた女性はこの歌曲を気に入っていた。その旋律に対してドヴォルザークの楽器とも言いたくなるヴィオラが慎ましやかにオブリガートを弾く、それは何かを表している気がする。チェロ協奏曲の印象的な終止部が書かれたのは、その女性の悲しい知らせを受けてから、と言われている。後の人間が作曲家の気持ちを詮索するのは無粋なことと思うけれど、この心揺さぶられる曲に触れると、かなわなかったことに思いを馳せずにはいられない。
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