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2021年1月24日 (日)

同じドレミファソでも

4本の弦の下がすっかり掘れてしまったチェロの指板を、3年ぶりに削って頂いた。
こんなことを書くのは恥ずかしいけれど、この1年、練習の中心にあったのは、どう音程を感じ、どう取るか、ということだった。変な音程の取り方をしていると、本来減らない位置の指板が減る。指が弦に触れる時のインパクトの度合い、押さえ方の加減やシフトの具合など、使い込まれた指板にはきっと、その人の技量が現れる。
魂柱も久しぶりに立て直し、ひどく汚れのこびりついた楽器の表面を綺麗にクリーニングして頂いた。指板の削れ具合や楽器の汚れ方にはっとする。この数年良い感じに弾けていなかったということだ。

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良く楽器を弾こう。一つ一つの音を弾く度に、少しずつそれが楽器や弓、心と体に刻み込まれていく。楽器も弓も、良い状態で弾くことが大切だと思う。良く使うと、きっとさらに良くなる。毎日朗らかでいると、ますます朗らかな気持ちになるように。

人前で演奏する、とはどういうことか、と考えた時、それは自分の能力をできるだけ発揮することではないか、と思った。何十年か生きてきて、自分がスーパーマンではないことはわかっている。大切なことは自分の持つ力を存分に発揮することだと思う。
今はまた出かけにくくなってしまったけれど、毎週プールに行っていた。最初に壁を蹴って泳ぎ始める、その時、体がよく水に馴染み、すっと進む時と、体が固くてごつごつし、どうも前に行かない時がある。本人は同じつもりでも違う結果になることが、いつもおもしろかった。
良い調子を実現するために、何かを食べたり飲んだり、柔軟体操をしたり、筋肉に負荷をかけたり、特別なことをしたり、誰かに特別な施術をしてもらったり、そうしたこともあるのかもしれない。でも今の僕には、毎日どのように生きているのかが最も大切なことに思える。日々どのように心と体を使うのか、そのことが体のスムースな動きや、舞台での緊張の仕方に密接に関係すると思う。
いい演奏をしている時はきっと、驚くほどスムースだ。努力、とか頑張る、強いるということからは遠い。

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もちろん、僕に眠ったままの力があり、それらをまったく使えていない、という可能性はある。あるいはすでに、限られた自分の資源をかなり使っていて、残念ながら伸びしろはあまりない、ということもあり得る。
自分の力を充分に作用させるために必要なのは、必死になることや、頑張ることではなく、心と体のつながりを妨げているものを減らすことかもしれない、とも思う。

昨年の大晦日、夕方に大きなボクシングの試合があり、普段あまり見ない僕も終盤を少し見た。ボクシングのことは良く知らないけれど、見事な試合で、この人たちにはこのスピードのパンチが見えているんだ、と驚いた。同時に、猫のようだ、とも感じた。鍛え抜かれたアスリートだからあの速さや強さが実現できるのだろうけれど、猫の喧嘩だってすごい。間合いの取り方、仕掛けるタイミング、猫パンチの目にもとまらぬ速さ、・・・。
背丈よりずっと高い壁をひょいと乗り越えたり、狭い塀の上をするする走ったり、高いところから音もなく着地したり、狭いすき間に躊躇なく入ったり、そうした猫のような身体能力持つ人がいたら、間違いなくスーパーマンだ。様々なことを考えたり、高度なコミュニケーションをしたりするようになった代償に、人間は素晴らしい身体能力を失ったのだろう。
時々走っている。どたどたと無様だ。子供の頃は飛ぶように走っていた気がするのに。

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またピアノ(家にあるのはクラビノーバ)をよちよち練習するようになった。練習する、といってもほんの少しなのだけれど、前の日にできなかったことが次の日何気なくできていたりしておもしろい。いったい何が起きているのだろう。
交響曲のスコアを見て、和声進行を弾いてみたり、チェロのレパートリーのピアノパートをちょっとだけ弾いてみたりする。チェロのパートを弾いてみると、拍子抜けするくらい易しくて、うーん、となる。

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楽器にはそれぞれ事情があり、得手不得手がある。例えばドレミファソ、というフレーズをピアノで弾くのとチェロで弾くのとでは、脳と体の働きはかなり違う。同じ楽譜を見ても、その人がどんな楽器を弾くのか弾かないのかで、心に思い描かれる景色はまったく違うと思う。でもドレミファソは同じドレミファソのまま。

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オーケストラには様々な発音原理の楽器があり、たとえ全員ユニゾンで同じ旋律を演奏しても、脳と体の動きはおそらく大きく違う。多くの人が、脳の中では違うことが起きているのに、同じ音型を演奏することができる。不思議だ。それでももし、同じ感覚のドレミファソを共有できていたら素晴らしい。

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ロストロポーヴィチは、歌手である夫人の伴奏をするためにピアノも演奏した。ヴァイオリンのユリア・フィッシャーは1つの演奏会でヴァイオリンとピアノを弾くことがあるそう。作曲家・クラリネット奏者のイェルク・ヴィトマンは1つの演奏会で自作曲や他の曲の指揮をし、クラリネットを吹いていた。傍で見ていて、作曲すること、クラリネットを吹くこと、指揮をすることの間にすき間がないようだった。ヴァイオリンの庄司紗矢香さんは、楽器を弾く自分を離れたところから客観視しているように見える。

楽器を扱うことはなかなか大変で、しかも魅力的だから、そのことにかまけてしまう可能性がある。でも少し距離を置き、まず音楽を感じてみることが大切なのかもしれない。

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