定点観測
毎年クリスマスを過ぎた頃、新宿と渋谷の決まった場所を、決まったアングルで撮ることにしていた。50ミリレンズをつけたカメラに白黒フィルムを入れて。
3月になり、テレビに渋谷のセンター街が映し出されるのを見ていた時、2020年はそれをしなかったことに気付いた。すっかり出かけなくなり、そしてフィルムの現像とプリントで長くお世話になったラボテイクが昨年秋に閉じられ、写真に気持ちが向かなくなっていた。
眠っていたカメラを虫干しし、あまり使わなくなっていたカメラやレンズをいくつも手放し(それでもまだ何台もある)、よく使うものに絞った。少し心が軽くなった。
旅行に行かなくなったことは、それほど残念に思わない。でも大学オーケストラの合宿がなくなり、避暑地の奥、山道を登り切った行き止まりにある宿に行かなくなったことは残念に思う。コンクリートとアスファルトとガラスに囲まれ、排気ガスの臭いのする東京に1年以上いて、山のひんやりとした空気が本当に懐かしい。
暮れに同じ場所で写真を撮るようにしたのは数年前のことで、定点観測と名付けていた。毎年同じ時期に同じ場所の写真を撮ると、景観はもちろん、人々のファッションや表情など、思いもしない変化が写るかもしれないと考えた。スマートフォンが普及する前に始めていたら、もっとおもしろかった可能性がある。10年前、人々はもう少し姿勢が良くて、表情もあったのではないだろうか。
2020年の定点観測をしていたら、ほとんど全ての人々がマスクをしている、という点で2019年と大きく違っていたはずだった。
定点観測と言えば、ほぼ毎日、チェロを弾くこともそうかもしれない。18歳、大学受験前の数ヶ月を除いて、何十年も弾き続けてきた。チェロをかまえることは同じでも、時期によって見えている景色はずいぶん違った。嫌だったことも、意欲に燃えていたことも、辛かったことも、もちろん嬉しかったこともある。今は、息をするように自然に、何の色も持たず、毎朝弾き始めたいと思う。
どんな演奏が、演奏家が素晴らしいのだろうか。年を取り経験を積み、人によっては立派な経歴がついているのかもしれない。でもその時出した音や音楽を、一点の曇りもなく、ありのままに聴くことができたら、と思う。録音するとよくわかるのだけれど、自分のしていることを客観的に捉えることは本当に難しい。素晴らしい演奏家は、自分を客観的に見る能力がきっと優れている。
自分の問題はもう一つ、弾いている自分の感覚が第一になってしまうこと。楽しみで弾くならそれでいいのかもしれない。どう聞こえているかが最重要、ということに今頃気がついた。
同じ匂いの中にいるとその匂いがわからなくなるように、毎日同じようにしていると鈍くなりそうなので、違う弓で弾いたり、違う楽器を弾いてみたり、違う弦を張ってみたりする。すると現在位置をよりとらえやすくなるような気がする。
最近発売された弦を2種類、張ってみた。今はラーセンのIl Cannoneを使っている。おもしろいのは音色が2種類用意されていること。同じ銘柄で張力違いを用意するのがこれまでの発想と思う。音色違いは初めてかもしれない。(テンションが高くなると音色は暗め、低くなると明るめ、と理解している。)"Direct&Focused"が標準で、"Warm&Broad"がオプション、ということらしい。
僕が求めたセットには、Direct&Focused4本に加え、お試しでWarm&BroadのA線C線が同梱されていた。名前の通り、DFは固め明るめの音色、WBは柔らかく暖かい。6本全て弾いてみて、A線はWB、他は全てDFにした。D線もWBを張ってみたいと思っている。楽器によってきっとかなり違う。
驚くほどスムース、というのが第1印象。僕は車に乗らないけれど、最新の高級車はこんな感じなのだろうと想像する。左手がシフトしても音がつながりやすい。張力は高いのに、響きが多いことはこれまでの弦にない特徴だと思う。そして、圧力の変化に対して音程が驚くほど安定している気がする。張ってすぐ使えるのも、現代風だ。
この高性能な弦には、どのような開発のプロセスがあり、どのような技術が使われたのか、興味深い。
もう少しA線D線の張力が低ければ、軟弱な僕にも使いやすいのだけれど。下から張り替えていったので、下2本がDF、上2本ヤーガーという組み合わせも意外に良かった。
ラーセンを使っているとだんだん楽器がこもるようになって結局外してしまう、というのがこれまでの経験だった。4本同じ銘柄を張ることはあまりない。この新しい弦をしばらく使ってみる。
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