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2021年3月17日 (水)

3月15日の演奏会

3月15日の都響演奏会は尾高忠明さんの指揮で、武満徹さんの「系図」とエルガーの交響曲第1番。
エルガーの1番は10年以上前に弾いた。むやみに高い音域が出てくること、弦楽器の後ろのプルトが独立して動くことしか覚えていなかった。あまりに多い音型を抱えきれず、収拾のつかない頭の中は散らかったまま終わった。どんな旋律も僕には残らなかった。

今回のリハーサルに先だって楽譜を開けてみると、見覚えのないモチーフが次から次へと現れた。パート譜には見慣れない音型がたくさん書かれていて、そこから曲の全体像を想像することは難しい。でもスコアを見て、主となる旋律は意外にシンプルで、対旋律のように絡む音型の方が独特、ということがだんだん分かってきた。チェロが弾く驚くほど高い音域のパッセージもそうしたものの1つと思う。残念ながらあまり効果的ではない、気がする。(エルガーのチェロ協奏曲だって、こんな高い音域は瞬間的にしか出てこない。)

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以前、尾高さんが別のオーケストラを指揮した時、エニグマ変奏曲の中の有名な「ニムロッド」について、エルガーの特徴の1つは7度音程の跳躍だけれど、この曲ではそれが上向きではなく下向き、と話され、なるほどと感心した。(チェロ協奏曲には上向きの7度跳躍が何度もあり、そこには強い感情がこもっている。)
1番の交響曲ではオクターヴの跳躍が、ということだった。確かに8度音程の跳躍で始まる素晴らしい旋律がいくつもあった。憧れをもって、と言われた。

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2分の1拍子(4分の2ではなく)で書かれた第2楽章は風変わりだと思う。最初の難所を過ぎるとヴィオラが旋律を受け持つ。それは一瞬、映画スターウォーズに出てくるダースベイダーのテーマ(「帝国のマーチ」)のように聞こえる。(4つ目の音が上に行くか下に行くかの違い。ジョン・ウィリアムズはエルガーを聴いていたのだろうか。)

ヴァイオリンが弾き始める冒頭の16分音符のフレーズは、後に他のパートにも回って何度も繰り返される。

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楽章の後半では四分音符に拡大され(チェロソロと木管楽器のユニゾン)、

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さらにリズムが変形されて、そのまま第3楽章の主題になる。

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同じ音の並びが形を変えて使い続けられると、それは聴いている人の意識の下に働きかけたりするのだろうか。それとも、ぼんやりした僕のように、何も残らないのだろうか。
第3楽章は大変に美しい。美しいまま終楽章に入ると、あっという間に曲は終わる。

エルガーの書き方は馴染みが薄く、なかなか体に入ってこなかった。でも少し慣れてくると、西洋音楽の主流であるドイツ音楽を、対岸のイギリスにいたエルガーの視点から眺められるようで、以前より捉えやすくなる気がした。

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ずいぶん前、ヴァイオリニストのレジス・パスキエにラヴェルのピアノ三重奏のレッスンを受けたことがある。
冒頭の八分音符にはスタッカートを示す点が付いている。作曲家はその八分音符を驚くほど短く弾くことを要求した、と教えてもらった。直接会ったことはなくても、彼の知る人がラヴェルやドビュッシーにきっと接していたんだろうと思うと、とてもうらやましかった。
(レジスの叔父エティエンヌ・パスキエはチェリストで、戦争中に収容所で作曲されたメシアンの「世の終わりのための四重奏曲」を、作曲家と共に初演している。)

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今回のリハーサルで尾高さんは、武満さんの様々なエピソードを話された。どれも興味深かかったのだけれど、聞きながらパスキエのレッスンを思い出し、得難い時間を過ごしていることに気付いた。作曲家の人となりを知っている人と一緒に演奏することは、実はそれほど多くない。
学生時代、カザルスホールや松本の演奏会で武満さんの作品が上演される機会が多く、ご本人もよくいらしていた。都響の若い楽員は武満さんに会ったことはなく、一方武満さんをよくご存じの方々もいる。
僕が初めてサイトウキネンに参加したのが96年、武満さんが亡くなられたのがその年の2月だった。あの夏、小澤さんをはじめ多くの方々が大きな喪失感を抱えていたのだろう、と今になって思う。もちろんその年も武満さんの作品(マイ・ウェイ・オブ・ライフ)が演奏された。

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「系図」は95年に初演された晩年の作品。谷川俊太郎さんの詩が入り、こういう言い方は適当ではないかもしれないけれど、美しくわかりやすい。(先日弾いた武満さんの「夢の時」は、僕の耳に残る旋律がなく、旋律というよりも、変ニ長調の和音が重要な役割を果たしている気がした。一体どう作曲したのだろう。)
詩に音楽がどのように対応しているのか、尾高さんの丁寧な説明があり、谷川さんの詩や武満さんの作曲技法の魅力がより感じられるようだった。

語りは田幡妃菜さん。彼女の声を聞き、この詩を語るには、もう子供ではなく、しかし大人でもないことが必要なのだと感じた。
本番の日が彼女の誕生日で、ゲネプロが始まる前にサプライズでオーケストラが"Happy Birthday"を演奏した。一瞬何が起きているのかわからない様子だったけれど、すぐ気が付き、驚き、涙ぐんでいた。その姿を見て、自分には年齢と共に様々なものが積もり、こびりつき、こわばって固くなってきている、と思った。そうしたものを、これから少しずつ落としていこう。

「系図」はアコーディオンの使い方も素晴らしい。
この楽器が重い、ということは何となく知っていたけれど、大田智美さんにその理由と、構造を教えて頂いた。音を出すのは金属製のリード、同じ音を出すのでもアコーディオンが伸びる時と縮む時では空気の流れる方向が違うので、まず2つのリードが必要で、同じ音程の違う音色にはさらに別のリード。多数のリードが内蔵されていて、しかも鍵盤や様々なボタンはすべて機械的につながっている・・・。内部に組み込まれた精密な機構を想像した。僕たちは弦楽器の信頼する職人なしに演奏することはできない。きっとアコーディオンにも素晴らしい職人がいるのだろう、と思った。

「系図」の後半、音楽がハ長調の響きに包まれてから、
『そのときひとりでいいからすきなひとがいるといいな
 そのひとはもうしんでてもいいから
 どうしてもわすれられないおもいでがあるといいな』
という言葉が入る。

3月半ばになって暖かくなり、サントリーホールの近くでも桜が咲き始めた。武満さんのこと、お世話になった方々のことを思い出す。

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