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2021年5月 9日 (日)

日記

疲れが抜けないまま次のリハーサルが始まったり、譜読みに追われたり、以前のような生活になりかけていたところに、再びいくつかの公演が中止となり、ぽっかり時間が空いた。

昨年、巣ごもりしていた頃の日記を出して見てみる。
家にいて毎日同じような生活をしていた時、日記をつけることは、見失いそうな現在位置を記しておく大切な行為だった。その日のことを淡々と短く書くのがいいと思う。思ったことや感情はあまり書かない。起きた時間や食べた物、話しをした人、見たテレビ番組、聴いたラジオ、壊れた家電、散歩した場所、・・・。当たり前過ぎて気にも留めないような日常の細部が、ある時輝きを持ったりする。

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先日初めてプーランクのピアノ協奏曲を弾いた。曲の存在も知らなかったけれど、予想に違わず、楽しくお洒落な曲だった。
同じ頃、何人かのチェリストとプーランクのチェロソナタの話をした。10年以上前に弾き、そのまま眠っていた楽譜を出してきた。素晴らしい曲、でもチェロで弾きやすい音の並びとは言えず、難しい。
久しぶりに見るチェロソナタの楽譜は、以前よりずっと、何が書いてあるのか見える気がする。どういうところが定型から外れていて、どこが彼らしくお洒落で、どのように弾くと音楽が生きてくるのか。よちよち弾き始めた。楽しい。
チェロのパート譜には作曲家とピエール・フルニエの共同作業による、とある。その指使いや弓使いで弾くと、フルニエのチェロや音楽に対する感覚に直に触れられる気がする。

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プーランクのピアノ曲と室内楽曲を収めた5枚組のCDがある。ピアノのソロやチェロソナタくらいしか聴いてこなかった。5枚組の5枚目には、ホルンとピアノのためのエレジー、2本のクラリネットのためのソナタ、クラリネットとバスーンのためのソナタ、ホルン、トランペットとトロンボーンのためのソナタ、などなかなか演奏を聴く機会のなさそうな曲もたくさん入っていて、どれも心が軽く、自由になるようだった。
世界にプーランクの音楽があって良かったと思う。

以前なら、例えば自分で企画する演奏会があって、この曲を入れようか、など空想をふくらませていたかもしれない。でもまだしばらく、自主公演をするには難しい状況が続きそうだ。

昨年上演されるはずだったワーグナーのオペラ、マイスタージンガーは今年7月に延期された。
今月から勉強を始めた。経験したことのない長さのオペラを、できることなら、有名な前奏曲を弾き始めてその世界に入ったら、もうオペラは最終盤に差しかかっている、という感じになりたいと思う。そうは言いながら、長大な第3幕はやはり長大で、毎日ほどほどの時間勉強しているのだけれど、1週間たっても全幕を聴けなかった。

聴いているのはサヴァリッシュ指揮、バイエルン国立歌劇場の録音。どの部分も高いクォリティで演奏されていることに驚く。指揮者が素晴らしいのか、歌手が素晴らしいのか、オーケストラが素晴らしいのか、スタッフが素晴らしいのか。きっと全てだ。名前も残っていない多くの人たちが、莫大なエネルギーを注いだのだろうと思う。
それにしても、ワーグナーはこのスコアを全て手で書いた。電気のない時代、夜を明るく照らす電灯も、もちろん便利なコンピュータもなかった。人間は技術の進歩とともに、自らの能力を失ってきたのだろうか。

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先月の日経新聞に興味深い記事が掲載された。

4月11日の朝刊に掲載されたマイケル・サンデルさんの記事から、
『カギは労働の尊厳の回復だろう。高い給料の仕事だけでなく、全ての仕事への尊厳を高めることが大切だ。・・・・・我々は学位の有無にかかわらず、よい生活が送れる社会をつくるべきなのだ。』

4月10日の朝刊に掲載された国際日本文化研究センター教授、磯田道史さんの記事から、
『ここから先は所得では測れない幸福度を作らないといけない。・・・』

日本は世界でも指折りの、安全で清潔な国だと思う。でも電車に乗ると、幸せを感じて生きている人はあまり多くないように見える。いろいろな組織の上にいる人が、そういう観点からこの国を見て、行動してくれたらいいのに、と時々思う。

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