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2021年12月12日 (日)

秋の公演から

もともと昨年に予定されていたワーグナーのオペラ「ニュルンベルクのマイスタージンガー」、今年夏に延期された東京文化会館公演は直前でキャンセルになったのだけれど、11月から12月にかけての5公演は無事行われた。
僕ですらそれなりの時間とエネルギーを準備に費やしたのだから、多くの方々はさらに、と想像する。毎回熱心な聴衆が集まったことを思い起こしても、実現して本当に良かったと思う。

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上演時間4時間半を超えるこのオペラ、前奏曲が始まったら、もう第3幕の最後を弾いている、そんな感覚で弾きたいと思った。それはいったいどのようなことで、どのような準備が必要なのか。それを考えることから始まった。
仕事としてそつなく、最小限の労力でこのオペラを弾くことは充分ありうると思う。今回は手間を惜しまず、できるだけスコアを読み、音を聴き、歌詞を見、対訳を読んだ。全体の大きな流れを知ることも、ほんの数小節、音楽の構造や歌詞との関係を細部まできちんと知ることも、どちらも長い絵巻物の中にいる時に大切だった。
実際、大きな物語の中に入ってしまうと、それぞれの幕はあっという間に終わっていた。

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チェロのパート譜は79ページ、僕の持っているスコアは800ページ以上。時間をかけて読んでいくと少しずつ体に入ってくる。公演が始まる頃にはパート譜のどこかを見ると、そこがどんな音楽の流れなのか感じられるようになっていた。

5公演は、中2日あるいは3日で行われた。初日の公演が終わった後、自分は何もわかっていなかったと深く反省し、スコアを見返した。
驚くほど精密に書かれたオーケストラの音楽に、まったく違う形で舞台上の歌が関係してくる。普段の仕事よりはるかに情報量が多く、さらに、演技をする歌手、指揮者、いつもと違う並びのオーケストラ、など様々な要素が絡み合い、何が起きるのか実際やってみないとわからない。
そんな時、スコアをちらりと見ただけの生勉強では不十分だった。ほぼ自分たちの音符しか書いていないパート譜の背後に、できればオペラ全体が見えていることが理想だった。

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毎回、公演の翌日からスコアを開いて、自分の中に入りつつあるマイスタージンガーを新しくし、前とは少し違う自分でオーケストラピットに入った。スコアを見る度に発見がある。歌詞と音楽の絡みだったり、オーケストラ全体の動きだったり、ホルンの対旋律だったり、ファゴットだったり。一つのことに気付くとこれまでとは違う景色が見えるようになり、その奥にさらに新しい景色が現れ・・・。
全部で3幕あるこのオペラ、少なくとも普通の演奏会の3倍の分量はあると思う。なぜか公演は1日で全て弾いてしまうのだけれど、スコアをもう一度見るのにはどうしても2日かかった。
1カ月にわたって1つの演目に集中することはそうない。素晴らしい経験だった。

本番前の通し稽古を含めると、6回通して弾いた。長い演奏時間の間、毎回違う場所、思いもしないところに落とし穴が現れる。それはいったい何だったのか、何が起きていたのか、自分だったのか、他の何かだったのか、必ず検証し、同じことが2度起こらないようにしてオーケストラピットに入った。
うまくいかなかったことからは多くが学べる。自分にはどんな癖があるのか、どんな人間なのか、オーケストラはどのようなものなのか、頭ではなく体を通して知るようだった。

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スコアを見るときの驚きは、ワーグナーはこの言葉を、いったいどのように音楽と結びつけたのだろう、あるいは、言葉からどのように音楽を生み出したのだろう、というものだった。その驚きは何度見ても変わらなかった。
しばしば脚韻を踏む歌詞が、自在に伸び縮みし、意味によって様々な和音を呼び寄せ、ある時はオーケストラの強拍を外して歌い、ある音節はアウフタクトとして見事にオーケストラの音を引き出す・・・。自分がドイツ語の話者だったらどんなに深い世界を経験できただろう。
意味はわからなくても、歌詞の音節を追いかけるようにしていると、舞台上の歌手と、地下のオーケストラピットとの間で、どういう間合いで弾いたら良いのか、少しずつつかめるようだった。そのリズムはどのように、その音はどのような長さで弾くのが良いのか、一つ一つの言葉が教えてくれるようだった。

マイスタージンガーの第1幕、有名な前奏曲の後、合唱があり、オーケストラに音楽が渡されてから、騎士ワルター、エファ、マグダレーナが歌い始める。映画の冒頭でしばらく遠景が映し出された後、いきなり少人数のクローズアップに移行するような、見事な始まりだと思う。

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礼拝堂での合唱の後、ワルターが
 ”Verweilt! - Ein Wort! Ein einzig Wort!"
(”動かないで! 一つの言葉!たった一つの言葉!”)
と歌う。
僕は新約聖書、ヨハネによる福音書の最初の一節、
”はじめに言(ことば)あり、言は神とともにあり、言は神なりき。”
を思い出した。

前奏曲も合唱も4拍子の楷書体できちんと書いてあるのに、3人のやりとりの直前から速い3拍子になり、息もつかせぬ感じで飛ぶように話が進んでいく。オーケストラの編成が小さくなって響きが軽くなり、シンコペーションが多用され、裏打ちのリズムもあり、その繊細な書き方に毎回気を使ったけれど、劇の素晴らしい幕開けだった。

耳が開いてくると、ワルターが続いて
"Eines zu wissen, eines zu fragen,・・・"
と対になり、韻を踏んだ歌詞を歌うのが聞こえるようになる。そのことが心地よかった。

全曲を通して様々なモチーフが現れる。1幕や2幕で現れたモチーフが3幕では同時に重ねて使われる。とても自然に重なるので、ぼんやりしていると気付かないのだけれど、ワーグナーは最初からそういう使い方を意図して、同じ3拍子でモチーフを書いたのだろうか。

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第2幕では6回、シュテアホルンがF#(G♭)を吹く。特に2幕3幕ではこのF♯が重要な役割を担っているのではないか、と思うようになった。(写真は実際に今回の公演で使われた、島田俊雄氏製作のシュテアホルン。基音が求められるF♯で、トロンボーンのマウスピースでトロンボーン奏者が吹きます。思いの外、小さくて驚きました。)

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マイスタージンガーはハ長調で始まりハ長調で終わる。ドミソの存在感が圧倒的だ。その上で、ハ長調から遠い嬰ヘ長調を設定し、これが長大なオペラの、ハーモニーの上での大きな構造となっているのだろうか、と空想する。

夏のリハーサルの時、大野さんがR.シュトラウスがマイスタージンガーについて語ったエピソードを紹介して下さった。(9月1日の日記「マイスタージンガーについてのメモ」後半をご覧下さい。http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2021/09/post-e741e7.html
都響は10月終わりにR.シュトラウスの「ツァラトゥストラはかく語りき」を演奏した。有名な冒頭はドとソで始まり、第3音のミが、明るいミと暗いミを行き来する。ド(ミ)ソと並び、この曲で重要な響きはハ長調からとても遠いシ(レ)ファ。二つの響きは最後まで相容れず、平行線をたどったまま不思議な終わり方をする。
遠く離れた二つの響きが曲全体を構成するR.シュトラウスの手法は、もしかしてマイスタージンガーにならったのだろうか。

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ツァラトゥストラは大編成大音量の曲だけれど、一方とても繊細な面を持っている。例えば「科学について("Von der Wissenschaft")」、チェロとコントラバスの4プルト(後方の座席)のピアニシモで始まるフレーズは、低弦奏者にとって有名な場所だ。
一部の人の名人芸ではなく、オーケストラ全体の力が問われる。演奏会にあたって様々な録音を聴き、演奏だけでなく、録音や編集も大変だろうと思った。広大な音場の大音量と、繊細なソロや室内楽的要素を両立しなくてはならない。
昔からある有名な録音を聴くと、響きに紛れ、そこはいったいどうなっているのですか?という思うことがあった。僕が感心したのはブーレーズ指揮のシカゴ交響楽団とドゥダメル指揮ベルリン・フィル。ストリーミングサービスで聴いたのだけれど、演奏のクォリティは圧倒的で、すごい時代になったものだと思う。
例えば、低弦楽器に書かれた速く細かい動きは、かなり難しく、もし弾けても実際にはほとんど聞こえない気がしていた。でもそれらの録音は楽譜に書いてある通り聞こえる。本当にそうだろうか、とも思うけれど、ベルリンの人たちだったらできるのかもしれない。

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R.シュトラウスが生前、自分の管弦楽作品を聞いたとき、奏者が細かい音符まで弾いていることに驚き、そんなに全てを弾かなくても、と言った、という話を聞いたことがある。
演奏や録音の技術が進み、作曲から100年以上たってようやく、作曲家の書いたことが実際に音として実現できるようになった。R.シュトラウスが今の演奏を聞いたらどんなことを感じるだろう。そしてR.シュトラウスやマーラーの細かく、緻密な楽譜の書き方は、きっとワーグナーの影響を強く受けていると思う。
この秋、R.シュトラウスやワーグナーの作品を弾き、作曲という営みの大きさに圧倒されるようだった。

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