世界はどのように 1
ずいぶん前、ある方のオーディオを聴かせて頂くことがあり、この人はこういう音がいいんだ・・・、と驚いたことがある。かなり高価なシステムだった。
今回アンプを新しくするにあたって、雑誌やインターネットなど様々なレヴュー記事を読んだ。
その機器はどのような技術的特徴があり、どんな音がするか、は書いてある。でもその記事を書いた人は、どのように音楽を捉えていて、どのように音が聞こえているか、は問われていない。
少なくとも今のところ、誰も自分以外の人間になれない。ほとんど問題にされないし、多くの人は気にしていないように見えるけれど、おそらく人によって世界の感じ方は違う。場合によっては、驚くほど違うかもしれない。
「学びとは何か」という今井むつみさんの著作に、生まれたばかりの子供は、全ての言葉で使われる音素を聞き取ることができるけれど、周囲で話されている言葉で使われない音素、日本語の場合、英語のrとlに相当する音は聞き分ける必要がなく、1歳の誕生日を迎える頃には識別できなくなる、ということが書いてある。(同書43ページ)
また、ある優れた弦楽器奏者から、彼が中国語のネイティブスピーカーに中国語の異なる発音を実際に声に出してもらった時、どうしてもその違いが聞き分けられなかった、と聞いたことがある。
日本語、英語、中国語、それぞれの言葉の話者には、世界の音は違って聞こえていないだろうか?例えば、ドイツ語、イタリア語、日本語の話者がそれぞれ、ワーグナーのオペラ、プッチーニのオペラ、日本の秋の虫の声を聞く時、おそらく異なる世界を感じるだろうと想像する。
物心つくまでに、ほとんど音楽に触れてこなかった人、テレビやスマートフォンでばかり音楽を聞いてきた人、実際に楽器の音に触れてきた人では、きっと音楽の聞こえ方は違う。
そして自分の経験から言うと、歳を取ってからでも、訓練によって聞こえ方は変わる。どのくらい微妙な音程の違いを感じられるか、多くの声部が同時に鳴っている時に、どれだけ別々に追えるのか、その響きをどのように捉えるのか、・・・、そうした能力は変わる。
音楽は驚くほど、違って聞こえるようになる。
ピアノでもオーケストラでも、複数の音が同時に鳴る音楽を耳にした時、ある人にはただ一つの旋律線として聞こえ、ある人はいくつかの声部に分かれていることを自然に聞き分け、ある人は音名や和声の進行まで認識し、楽器の経験者だったら、自分の関わった楽器の音が浮き立って聞こえてくるかもしれない。
高齢の指揮者が、あるパートに、首をかしげたくなるほど強い音で演奏することを求めたことがあった。それは比較的高い音域だった。彼にその音域は聞こえにくかったのかもしれない。(つづく)
« 新しいアンプ | トップページ | 7月の日経新聞から »
「音楽」カテゴリの記事
- " the best thing in the world "(2025.02.01)
- ショスタコーヴィチの8番(2024.12.30)
- シェーンベルク、長三和音、短三和音(2024.12.15)
- 音楽のたたずまい(2024.11.11)
- 人懐こい猫がいたら(2024.09.20)