世界はどのように 2
映画「This is it」は、マイケル・ジャクソンが世界ツアーに出る前に行った、リハーサルの記録。(https://www.sonypictures.jp/he/933764)
プロのダンサーが多く参加しているのに、どうしても彼一人の動きに目が行ってしまう。驚異的な身体能力だ。
そしてリハーサルの経過を見ていて、この人には広い舞台の上で自分がどう見えているのか、自分や周囲の人たちがどう動いたら効果的に見えるのか、冷静に俯瞰できているのでは、と思うようになった。
(マイケル・ジャクソンについては様々なことが伝えられるけれど、このツァーが実現しなかったことを、僕は残念に思う。)
以前、体操の内村航平さんを取り上げたテレビ番組が放映され、興味深かった。
鉄棒の、回転にひねりが加わった演技をする際、彼の額に小型カメラを取り付け、そこからの映像が画面に映し出された。それは猛烈なスピードで過ぎ去っていく光景で、僕には何のことかまったくわからなかった。
内村さんはその映像を見て、実際そう見えるし、その時の身体の状態もわかる、とのことだった。比較に別の体操選手で同じことをすると、彼は映像を見ても、何が起きているのかわからない、と言っていた。
空中で回った後、着地をぴたりと決めるためには、猛烈な速さで複雑な動きをする自分の身体を、常に的確に把握していることが大切なのだろうか。
プールに行く。僕がするのは水浴びみたいなのものだけれど、時々上手に泳ぐ人がいて、見とれる。波がたたず、水しぶきも少なく、滑るようにスムースに、速く進んでいく。一方、パワフルだけれど、大きな水音をたて、水しぶきを上げ、あまり進まない人もいる。いったい何が違うのだろう。
生まれつきの体型はきっとある。滑るように泳ぐ人は敏感に水を感じ取っていて、水の抵抗の少ない姿勢で、効率よく水を掴んでいるのだろうか。
今年、3人のクラリネット奏者の演奏を続けて聴く機会があった。音色はかなり違い、暗くこもった音色の人、明るく薄い音の人、その中間の人がいた。
てっきりその違いは楽器や、楽器の調整の問題だろうと思い、その場にいた他の複数のクラリネット奏者に尋ねると(チェロなら多分、楽器の性格や調整、弦の選択などでそうした変化が生まれる)皆、その人の持っている音、と言った。
マウスピースやリードが演奏者に直に接して、顔や頭に響き、「その人の音」がするのだろうか。自分の顔や頭蓋骨の形、大きさは選べないから、もしかして本人が意図しない音が出てしまっている、ということがあるかもしれない。
自分の声を録音して聴き、「こんな声!?」と驚く経験は、多くの人がすると思う。同じように、自分の演奏を録音して、驚く人も多いと思う。
どうしたら自分のことを正確に把握することができるだろうか。
手で何かを握るとき、親指と、親指の対面にある4本の指のうちどれが中心になりますか?、と二人のチェリストに聞いた。一人は小指、もう一人は中指や薬指だった。僕は人差し指が基準になる。
その人にとって自然な感覚は、特に意識することも、わざわざ表明することもないけれど、握るという感覚一つとってもこれほど違う。
チェロを弾くときの右手と左手の動きは、握るという動作に近いものもある。どのように弓を持つか(持たないか)、どのように指板にアプローチするか、ということを誰かに教えるとき、教える側と教えられる側の感覚が同じなら、おそらくスムースに進む。感覚が異なると、教える側には飲みこみの悪い生徒に見え、教わる側には、この人の言うことはなんだかよくわからない、ということになるかもしれない。
(映像を再確認した訳ではないけれど、ジャン・ギャン・ケラスさんは低いポジションから高いポジションに移動するとき、まず左手の人差し指でシフトし、それから中指や薬指で押さえていた、と記憶する。彼は人差し指が基準になっているのだろうか。)
自分のことばかり、一方的にしゃべる人がいる。あるいは、周囲に会話に関係ない人がいても、大きな声でしゃべる人がいる。どちらも素敵な話し相手、とは言えないかもしれない。
何かをするときに、どのようにするか、はよく問題にされる。
日経新聞に時々ゴルフの記事が載り、読むと、その人がどのようにするか、してきたか、彼の観点からの読者へのアドバイスなどが書かれている。
僕は長いこと、どうチェロを弾くか、ということにばかり注力してきた。僕が受けてきた教育もおおむねそうした面から行われていたと思う。オーケストラの同僚とも、どう弾くか、どういう姿勢で、どのように楽器を構え、どのように弓を持ち、どのような指使いで、ということを時々話題にする。
でもそれと同じくらい、周囲の環境をどのように、どのくらい正確に感じているか、そして自分の起こした行動が周囲にどのような影響を与えているか、どれだけ的確に把握し、いかに次の行動にフィードバックできるか、そうしたことが重要だと思う。
毎日よちよちピアノを練習している。弾き始める時、楽譜を見、鍵盤を見、指を所定の場所に置く。あるとき盲目のピアニストはどうやって弾いているのだろう、と思い、鍵盤を見ないようにした。見ると、聴くことが留守になりやすい。
チェロを弾いていても、何かの動作に気を取られると、その間演奏の流れが失われたりする。
(電車に乗ると、多くの人がスマートフォンの小さな画面に釘付けになっているのを見る。今や当たり前になった光景だけれど、それはほんのここ十数年のことだ。五感、あるいはそれ以上の感覚が人間にはあるのに、多くの人が視覚ばかりで生きているように見える。世界はこれからどうなるのだろう、と時々思う。)
優れた演奏をする人は自分とどう違うのか、そのことに興味を持って過ごしてきた。彼ら彼女たちは、どのような感覚でいるのだろうか。あるとき、そうした人たちにきっと世界は違って見えているのだろう、と思うようになった。
良い演奏をしたい。
それは単に上手に楽器を操る、ということではなく、どのように音楽全体をとらえ、聞き、認識し、その音楽にフィットするように次の行動をする、ということではないか、と思う。
良い演奏のためには様々な準備や、練習が必要となる。それだけでなく、どのように音楽と向き合っているのか、そして音楽から離れている時でも、どのような心と体の姿勢でいて、どのように周囲の世界を感じ、どのように心と体を使っているか。つまり、普段どのように生きているか、そのことがきっと大切なのだろう、と思う。