指揮者の言葉
昨年12月の日経新聞連載「私の履歴書」はリッカルド・ムーティさん。毎朝、新聞を手に取ることが楽しみだった。とても興味深かった言葉を下記に。日付は掲載日です。
『私はというと次第に音楽に魅せられ、楽器の関心もヴァイオリンからピアノに移っていった。なぜピアノが面白いと感じたかというと、ピアノの場合、右と左でメロディーと伴奏両方を弾けるからで、子供心にはこちらの方がより完璧な楽器と思えた。』(12/7)
『ヴィターレ先生の教えはこうだった。楽譜の要点はフレーズにあり、フレーズには自然な決まりを含んでいるので、速度記号を参考にしながらどこに頂点があるのかを見いださなければならない。自分はこう感じるからと勝手に解釈し演奏することは御法度だった。』(12/9)
『偉大な指揮者アルトゥーロ・トスカニーニは「腕は頭脳の延長である」と言った。指揮者ミトロプーロスは、右腕はリズムをコントロールし左腕は「心」を表現する、つまり2本の腕が自立することが求められると語った。
指揮者はどうあるべきか、これは難しい問題だ。・・・体を大きく使って激しく感情豊かで情熱的に表現する指揮が素晴らしいと思われることがある。
私の場合、腕の振り方は最初から自然にできた。それより指揮者としての基礎をつくるうえで最も重要なのは作曲の勉強ではないだろうか。作曲家の視点からスコアを分析することにつながるからだ。』(12/9)
(音色、という言葉があるけれど、ムーティさんの指揮は色が見えるようだった。体の前で2本の腕が動いているだけなのに、どうして色が見えたのだろう。)
『ヴェルディ音楽院で師事することになったヴォット先生はよそよそしく、冷たい感じがした。・・・
ヴォットは、4分の4拍子はこのように振り、・・・と振り方の基礎を教えてくれた。そして笑いながら「これで授業はおしまいだ」と言った。「例えばブラームスの交響曲第4番のように、有名な出だしをどのように振ったらいいのか、どんな音色でどんな意味を持たせるのかなどは教えることはできない。自分で見つけ出さなければならないものだ」。
ヴォットの貴重な教えは指揮ではオーケストラに「対抗」してはならないということだ。指揮者はしっかりと稽古をして演奏準備をしたら、音楽の流れに逆らうような見直しはしてはいけないというのだ。』(12/10)
『フィレンツェでの演奏会を機に友人となったリヒテルは、私がヴォット先生の影響を受けて暗譜で指揮するのを見て「なぜ暗譜するのだい。目は使わないのか」と言ったことがある。この一言で私は必ずスコアを譜面台において演奏するようになった。スコアは何年読み続けていても本番に新たな発見をもたらしてくれることがある。』(12/13)
『ここでもう一人、指揮者の思い出を記そう。カルロス・クライバー。私の真の友人である。・・・私は彼ほど音楽に関する広い知識を持った指揮者を知らない。一度、彼はこう嘆いたことがある。「楽譜に書かれているものを音にすると、何か魔法が失われるような気がするね」。』(12/20)
『古典作品でも現代曲でも初めてスコアを開くのは、ラヴェンナの書斎にある長年愛用してきたシンメルのピアノの前だ。スコアを開くと新しい恋人にでも出会ったかのようにドキドキする。・・・冷静に曲の構造、ハーモニーなどをじっくり分析し、解釈が生まれる。それまでに通常数カ月はかかる。
次はオーケストラの前でそのアイデアを伝えるべく努める。テンポなどが正しいかチェックし、場合によっては変えるべきかどうかを判断する。同じ曲でも5年経つと解釈が変わるときもある。それは私という人間自身が変わっているからだ。』(12/25)
『・・・、フィラデルフィアにいた私に電話がかかってきた。
「マエストロ、私を探していると聞いたのですが」。その不思議な魅力を持つ声にしばし返事ができないでいると、「マリア・カラスです」。続けて「私のことを考えてくださってうれしいです」。さらにあの「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」のヴィオレッタのセリフそのままに「でも、もう遅いです」と言った・あの声音は今でも鮮明に耳に残っている。
彼女については多くが語られているが、私が強調したいのは歌手としての姿勢だ。彼女はオペラのリハーサル全てに立ち会ったという。自分の出番がないときでも劇場に顔を出し、オーケストラだけの練習も聴きに来ていた。スター性のある歌手は多忙のあまり、自分が歌うシーンがない稽古には来ない人が多い。』(12/26)
『オーケストラの奏者ほど練習、忍耐、献身と犠牲を求められる職業はないだろう。オーケストラというのは一つの社会であり、団員は互いに尊敬し合わなければ美しいハーモニーは生まれない。指揮者は絶えずそのことを念頭に置かなければならない。』(12/28)
『コレペティトールは伴奏者ではない。優秀なピアニストであるのみならず、全ての役柄と台本の言葉を理解し、歌手が指揮者の意図する表現で歌えるように準備をするのが仕事である。
・・・オペラの場合は音楽より先に言葉があり、単に発音が正しければいいというわけではない。台本の意味を奥深く理解し、指揮者として歌手とともに音楽にすることが大事なのだ。歌手と一緒にフレーズ作りをし、呼吸のメカニズムを勉強していくことが要求される。』(12/29)
『日本人演奏家はすでにベルリン、ウィーン、シカゴなどでめざましい活躍をしている。春祭オーケストラの奏者は皆、繊細な精神の持ち主で、私の言うことを真剣に聴き、理解するように努力しているのがわかる。かれらはドイツやフランス、イタリアの伝統を学ぶ必要もあるが、コピーではなく、彼らの道を見つけるべきなのだ。何より日本人の「詩的な世界」を大事にしてほしい。心からそう思っている。』(12/30)
『私の今までの人生は勉強の連続だった。毎日数時間はピアノに向かい、譜読みを繰り返してきた。知識を広めるための読書も欠かせない。・・・
22年も残りわずか。ウクライナ侵攻はますます深刻さを増している。新型コロナもいまだに収束していない。この困難な時期に心の拠り所となるのが芸術だ。私はこれからも自分が納得いくまで勉強し続けるつもりだ。』(12/31)
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