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2023年5月14日 (日)

ありがとうございました

5月6日プリモ芸術工房での演奏会、多くの方々にお越し頂き、また、配信でも多くの方々にお聴き頂き、本当にありがとうございました。

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この1年も本当に多くの、主にオーケストラのレパートリーですが、曲を演奏しました。どの曲も高くそびえる山や、分け入っても分け入ってもまだ入り口でしかない深い森のようで、作曲という仕事のすごさに嘆息するばかりです。
作曲家はいったい何を書こうとしたのか、スコアを開き、足りない頭を使って、読み解こうとしてきました。

マーラー、ブルックナー、シェーンベルク、マデトヤ、シベリウス、シューマン、シュミット、ショーソン、ベルリオーズ、サン・サーンス、リャードフ、ストラヴィンスキー、バルトーク、ラヴェル、ドビュッシー、リゲティ、ブラームス、ルトスワフスキ、エルガー、・・・、様々な作品が自分の体を通り抜けた後、今年の4月久しぶりにメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲や交響曲第3番「スコットランド」を弾いた時、こんなに素晴らしい曲だった、と驚きました。
一つのフレーズを弾く度、一つの音から次の音へ移る度に、動きやその音の持つ強さ、必然性を感じ、メンデルスゾーンさん、まさにこれが音楽ですね、と心動かされました。
知っていたつもりの曲の素晴らしさに改めて気付く、演奏の仕事をしていて、本当に良かったと感じる瞬間です。

5月6日のプログラムも全て、過去に弾いたことがあり、どの作品にもその奥深さを初めて知るような感覚を持ちました。

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どれほど入念にその曲を準備しても、本番で弾いてみないとわからないことがあります。何十年もつきあってきた自分の体と心は、舞台の上でいったいどう振る舞うのか、実際に足を踏み出してみないとわからず、本当に興味深いです。

オーケストラの仕事をしていると、多くの演奏家の音に接します。その人の立ち居振る舞いと同じように、音にもその人そのものが現れます。楽器や体格も左右しますが、その人の体の使い方や使い方の癖(くせ)のようなものが音やフレージングに大きく影響している、と感じるようになりました。自分に対しても同様です。

演奏会の前、久しぶりにまとまった時間、自分が弾くということに真正面から向き合いました。
僕のチェロはストラディヴァリウスやゴフリラのような銘器ではないし、僕自身ももちろん超人的な演奏家ではない。重要なことは自分の中で体と心がどうつながっているのか、自分自身に耳を澄ませ、どう体と心を使えば、その音楽の表現にかなうのか、ということだと思います。

ちょっとした自分の癖があり、それが表現に大きく影響していることがある。癖、というのは無意識にしていることで本人は気付いていない。その気付いていないことが意図していない音を出す、表現をしている。思ったように弾けていない、上手くいっていない、漠然とは感じているのだけれど、原因がわからない。うまくいっていないことが習慣化し、癖が強化されてしまう。
一つの癖が他のことに影響することもあります。自分ではなぜそうなるのかわからず、頑張ってしまうとさらに悪くなる。
癖に気付き、癖だから変えるのは大変なのだけれど、気付くことによって一つ結び目をほどくことができる。すると次の結び目が見えてきて・・・、という時間を過ごしました。長い年月をかけて複雑に絡み合ってしまった糸を、辛抱強く丹念にほどいていくように。

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楽器を弾いてきて良かったことの一つは、自分の体と心が意識の表面で考えるようには動かない、と身にしみて知ることだと思います。(100メートルを10秒で走りたい、とどんなに強く念じても、それはほぼ不可能なことを考えて頂いたらよいでしょうか。)
その思い通りにならない体と心に、いったいどうやったらアクセスできるのか。今、初心者のような心持ちで、チェロを弾くことが楽しいです。

5月6日の公演、お聴き苦しいところがあったと思います。でもあの場を経ることで少し前に進むことができました。本当にありがとうございました。

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