役所広司さん、シュタルケル、F.P.ツィンマーマン
第76回カンヌ国際映画祭で男優賞を受賞した役所広司さんについて、6月7日の読売新聞朝刊に映画監督黒沢清さんの記事が掲載された。その中から、
『それにしても役所広司は不思議なスターです。日本映画の歴代の男性スターを思い出してみると、高倉健にしろ三船敏郎にしろ笠智衆にしろ、どんな作品でもみな演じるキャラクターは同じで、彼らはそのただ一種類の強烈な個性で際立った印象を観客に与え、それがスターの資質と呼ばれるものでした。ところが役所広司はそれを根底からひっくり返したのです。サムライから清掃員まで難なくやってのける彼の役柄の多彩さは、もちろんその並外れた演技力からくるものなのですが、それは本来バイプレーヤーの資質というべきものです。
僕も役所さんの目つきが優しさから突然狂気に変わるところや、活力のある男が急に虚無の人へと豹変する瞬間を現場で何度も目の当たりにしていて、現代の日本人なら誰でも持つ弱さ、曖昧さ、不健全さといったものの的確な表現にいつも驚かされるのですが、そういったリアリティーはスターが演じる健全さや庶民性とは実は縁の無い要素のはずです。ところが役所さんは、複雑怪奇な人間の本性を、堂々たるスター性をもって体現することができてしまうのです。』
確かに、高倉健さん主演の映画を観ると、高倉さんの存在感がその映画を占めていることを強く感じる。そして、その高倉さんの魅力を他の映画でも感じたい、と思うかもしれない。
最近はあまり映画を観なくなったけれど、洋画を観ていると、しばらくしてから、この俳優はあの映画のあの役を演じていた人だ、と気付いて驚くことがある。その時とはまるで違う今回の役を見事に演じていて、ぼんやりした僕はなかなか気付かない。
以前、音楽プロデューサーの中野雄さんがラジオ番組でチェリスト、ヤーノシュ・シュタルケルを取り上げた時、ベートーヴェンやバッハや、様々なレパートリーを弾いても、演奏を聴くとすぐシュタルケルとわかる、と話され、印象的だった。彼独特の節回しにも言及されたと思う。
後に中野さんにお会いした際、そのラジオ番組のことを伺うと、何を演奏してもシュタルケルだとわからなければいけない、と本人が言ったことを教えてくださった。
シュタルケルに限らず、カザルス、フルニエ、トルトゥリエ、ロストロポーヴィチ、シャフラン・・・、そうした人たちの演奏を聴くと、一つのフレーズを聴くまでもなく、たった一音でその人と分かる時がある。
少し前にM君と話していた時、ヴァイオリンのフランク・ペーター・ツィンマーマンが、演奏家は演奏する曲によってカメレオンのように変化する必要がある、ということを言った、と教えてくれた。
演奏の仕事に携わっていると、様々な曲を演奏する。作品に触れるごとに、作曲という営みのすごさを感じ、圧倒される。
残された楽譜に対して、演奏家の個性や主張はさほど大きなことではなく、楽譜には何が書いてあるのか、どのようにしたら楽譜に書いてあることを実現できるのか、そうしたことが大切ではないか、と思うようになった。