耳を開く
教えている大学オーケストラのチェロパート(いま夏休み中で、しばらくすると合宿があります)に向けて書いた文章を下記に。少し手を加えてあります。
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チェロの皆様
今回は少し専門的なことを書いてみたいと思います。興味の持てるところまで読んで頂けたら幸いです。
ご存じの通り、管弦楽作品には多くの楽器が使われ、多くの音があります。
同時に多くの音が鳴っている時、その多くの音をどうとらえて、どう聴いているのか、きっと人によって驚くほど、違うと思います。
ピアノの経験がある人は、より多くの音を同時に聴けているのではないか、と思います。あるいは、たくさんの楽器の中で1本の旋律線だけ、好きな楽器の音だけ、自分の楽器の音だけ、聴いているかもしれません。
音楽はどのように聴いても自由ですが、オーケストラの中でチェロを弾く時には、周りで起きていることをできるだけ正確に把握し、それに対して適確にふるまうことが大切と思います。
急にはできませんが、時間をかけてこつこつ続けると、少しずつ同時に耳に入る楽器の数が増え、同じ曲が違って聞こえてくるのではないか、と思います。是非それを経験して頂きたいです。
最初から耳だけで多くの音を聴き分けるのは難しいので、目の働きを借り、スコアを開いてみましょう。
楽器が多すぎず、少なすぎず、構成の見えやすい曲、例えばベートーヴェンの交響曲第5番(「運命」と呼ばれます)、ブラームスの1~4番、ドヴォルザークの8、9番、チャイコフスキーの5番などが良いのでは、と思います。
図書館などで借りるか、それほど高価なものではないので、好きな曲を見つけて買ってもよいかもしれません。知っているつもりの曲は、数年たってもう1度触れると、まるで違った顔で現れます。1冊のスコアは長い時間、輝きを保ち続けます。
交響曲1曲の中には本当に多くの音が書かれています。1度に全部を見るのはなかなか大変なので、まず一つの楽章を読んでみましょう。できるだけ丁寧に、時間をかけて。頭ではなく体に取り込むように。1日に一つのパートで充分かもしれません。
広く浅く、多くのことに触れるより、一つのことを徹底して身につける方が、結局早いと思います。
音を聴きながら、スコアを眺め、まず耳に入ってくる主要な動きを追いましょう。第1ヴァイオリンやオーボエ、フルート、といった楽器が担っていることが多いです。その主要な動き(旋律)は様々な楽器に移り変わっていきます。
その曲の外観を眺めたら、次は5部の弦楽器を見ましょう。
オーケストラは4つの楽器群、弦、木管、金管、打楽器に分かれていますね。人数の多い弦楽器は、オーケストラの母体を形成しています。まず弦楽器の中で主要な動きを担っているパートを追いましょう。根気と時間のある人は第1ヴァイオリンから順に、全てのパートを追うと、きっと様々な発見をするのでは、思います。
第1ヴァイオリンは何と言っても花形です。第2ヴァイオリンとヴィオラは旋律の3度音程下で支えたり、ハーモニーを構成したり、リズムを作ったり、フレーズの変わり目で次への橋渡しをしたり、目立ちませんが、とても興味深いパートです。作曲家の考えに触れられる気がします。
チェロを聴く時は同時に、コントラバスの動きも追いましょう。コントラバスと同じ動き(ユニゾン)の時は、オーケストラ全体のバス(低音)を担っています。その時はコントラバスの響きの中に入り、オーケストラを支えるイメージを持ちましょう。そうでない時は輝かしい高音で旋律を弾いたり、対旋律を弾いたり、ヴィオラのように中声部を担当したりしています。ドヴォルザークの「新世界より」ではコントラバスとチェロの役割が逆転しているフレーズがあります(珍しいケースと思います)。全体の中の、自分の立ち位置を把握してみましょう。
次は木管楽器を。
オーボエ、フルート、クラリネット、ファゴットの4つの楽器があります。音域で言うと、オーボエとフルートはヴァイオリン、クラリネットはヴィオラ、ファゴットはチェロに重なります。
弦楽器群と木管楽器群は似た使い方をされることも、違う使い方をされることもあります。同じ高音楽器のオーボエとフルートが、音色によってどう使い分けされているのか。ピッコロフルート、Esクラリネット、バスクラリネット、コントラファゴットといった高音、低音楽器がどのように使われているのか(重要な部分を強調しているかもしれません)も聴いてみましょう。
西洋音楽の重要な要素の一つに和音があります。
和音は3つ以上の音から構成されますが、基本となる三和音も、さらに一つの音を重ねて、4つの音で鳴らすと(例えば、ド・ミ・ソをド・ミ・ソ・ドに)、充実して安定した響きになります。
弦楽四重奏、混声四部合唱、4種類の木管楽器、ホルンも4本のことが多いです。
ホルンを聴いてみましょう。
4本の場合、この楽器の中でハーモニーが完結することがあるかもしれません。旋律や対旋律など重要な役割を担うことも多く、またチェロとユニゾンのこともあります。
トランペット、オーケストラの花形です。1番トランペットはよく聞こえます。2番3番が重要な働きをしていることがあります。注意深く聴いてみましょう。
トロンボーン、オーケストラで最も音の大きな楽器の一つと思います。大音量は自然と聞こえてきますが、例えばドヴォルザーク8番の冒頭のように、中声部で美しいハーモニーを作っていることもあります。表に出ていない時にも着目してみましょう。
ファゴット、ホルン、トロンボーンはチェロと音域が重なる楽器です。チェロと同じ動きをしているのか、違うのか、違う時はどう違うのか、そうしたことに興味を持って聴いても、楽しいかもしれません。
チューバ、ここぞという時に使われる印象があります。もちろん、静かな場面でも効果的に使われます。
例えば、「新世界より」では、静かな第2楽章にだけ、出番があります。また、ブラームスの2番の第1楽章、ヴァイオリンの主題で音楽が動き始める直前に、トロンボーン、バストロンボーン、チューバ、チェロで和音を構成します。その時のそれぞれの楽器の使われ方はとても興味深いです。
打楽器、ティンパニを始め、様々な楽器がありますね。
ティンパニが使われるのは、曲の鍵となる場面が多いです。大音量の時はもちろん、小さい音で使われている時にも着目しましょう。作曲家がその音楽をどうとらえているのか、骨組みが見えるようです。
例えばブラームスの4番ではトライアングルが絶妙な感じで使われます。作曲家の音のイメージが見えるようです。
「新世界より」やブルックナーの7番では、全曲中で1回だけシンバルの出番があります(版にもよります。ブルックナー8番では2回)。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番では、終楽章のシンバルの使われ方が印象的です。
打楽器の一音がオーケストラ全体の雰囲気を一変させることがあります。(チェロにはなかなかできないことです)
ハープが使われている時は、もちろん注意を向ける必要があります。
多くの人が参加し、多くの楽器から音が出るオーケストラでは、お互いの音をよく聴き、できるだけ速く、柔軟に反応することが必要と思います。
オーケストラを自動車に例えてみます。良い自動車とは何でしょうか。多くの部品で構成されていますが、全体が調和し、スムースに快適に動くものではないか、と思います。
他の楽器の人には怒られるかもしれませんが、チェロをエンジンに見立ててみましょう。自分の技術を磨き上手になることは、エンジンを高性能にすることに似ています。でもそのエンジンが周囲と調和していなければ迷惑にもなります。
雨や雪の日は、エンジンのパワーはゆっくり慎重に上げなくてはなりません。難しいカーブを曲がる時も、アクセルの繊細な操作はきっと重要です。一方、リスクを背負い先頭に立ち、全力でオーケストラを引っ張らなくてはならないときもあります。
チェロ、という楽器からの視点ではなく、離れたところからオーケストラ全体を見ると、今自分が何をしなくてはならないのか、見えやすくなると思います。
おそらく授業で習ったのでは、と思いますが、西洋音楽にはソナタ形式、という形式があります(乱暴に言うと起承転結のようなものです)。このことを理解しておくと、長大な交響曲でも、自分の現在位置がよりつかみやすくなります。
長くなりました、その話はまた別の機会にしましょう。
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