2023年の公演を振りかえって (2)
今年の印象深かった演奏会を振りかえってみる。(特に記していないものは都響の公演です)
9月23日東京芸術劇場、ローレンス・レネスさんの指揮でラフマニノフの2番など。
演奏機会の多いラフマニノフの2番、どうして皆演奏したがるのか、ずっと謎だった。この秋、教えている大学オーケストラが演奏することもあり、時間をかけてスコアを読んだ。冗長と思っていた様々なフレーズが違う姿で現れ、自分の浅はかさを知るばかりだった。
9月18日サントリーホール、9月23日東京芸術劇場のソリストはタベア・ツィンマーマンさん、10月14日東京芸術劇場のソリストはイザベル・ファウストさん。
お二人に共通するのは素敵な笑顔。リハーサル会場に現れるだけで、こちらも笑顔になってしまう。彼女たちが高い能力を持ち、多くの経験を積んだ結果なのかもしれないけれど、良い演奏をする秘訣と思う。
もう一つ、楽器を押さえつけず、倍音の豊かな表現をすることも共通していた。
アンコールを弾いている時、タベア・ツィンマーマンさんの左手指が自然な重さで指板に乗り、その指に柔らかくヴィブラートがかかっていく様は見事だった。能ある鷹は爪を隠す、という言葉がある。9月23日のアンコールではすさまじいヒンデミットを弾き、あなたは今までずっと爪を隠していましたね、と思った。
イザベル・ファウストさんのアンコールはヴェストホフ。強靱な演奏は、揺るがない見事な音程感覚に支えられている、と感じた。
10月7日サントリーホール、8日ホクト文化ホール、大野和士さん指揮でドヴォルザークの7番など。
奏者の自由度はほぼない、と思うくらい7番の交響曲は緻密に書かかれ、スラヴ的、宗教的な要素も強く感じられる曲だった。
プログラム前半は藤田真央さんのソロでブラームスの1番のピアノ協奏曲。静かな第2楽章では、彼の澄んだ音にオーケストラの音が寄り、整っていくようだった。そのようにすっと人の心に入っていく音があるのですね、と感じた。
10月30日東京文化会館、オスモ・ヴァンスカさんの指揮でシベリウスの5、6,7番。
ヴァンスカさんのリハーサルは的確だった。これほどよくオーケストラの音を聴いている人はあまり経験がない。どこかのパートの音程を1箇所指摘した時、それは音楽全体への理解と、その細部が全体の中でどれほどの重要性を持っているのか、多くのことを示しているようだった。気の抜けない時間を過ごした。
こういう表現をしてよいのかわからないけれど、ヴァンスカさんはハードボイルドだった。淡々と、しなくてはならないことを進めていく。奏者が抗っても、感情を表すことなく、ゆずらないところはゆずらない。ゲネプロの進め方まで、見事な手綱さばきだった。
そうしたリハーサルの結果は、温かい血の通う見事な音楽だった。オーケストラで弾いていて、あんなに心動かされたのは初めてだったかもしれない。
舞台から見て、東京文化会館の客席は音楽を愛する人たちで埋めつくされていると感じた。胸のつぶれるような報道が続く10月下旬、音楽に携わっていられることは、信じられないほど恵まれたことなのだと思った。
11月17,18,19日兵庫芸術文化センター、ポール・メイエさんのクラリネットと指揮で兵庫芸術文化センター管弦楽団(PAC)、エスケシュのクラリネット協奏曲(この曲のみ指揮は阿部加奈子さん)など。
初めて弾くエスケシュ、スコアを目で追うだけで大変なクラリネットパートは、超絶技巧と思う。でもポール・メイエさんはいつも穏やか。すごいな、と思った。どんなときも心と体が柔らかで、背中の感じが変わらない。
PACには世界中から若者が集まり、メンバーは毎年変わっていく。様々なことが確立していない場でどうふるまうのか、どんなことができるか、自分に問う毎日だった。
12月2日ミューザ川崎シンフォニーホール、再びポール・メイエさんの指揮とクラリネットで東京交響楽団のモーツァルトプログラム。
オーケストラが変わってもポール・メイエさんは変わらず、すぐに誰とでも打ち解ける。
リハーサルも優れた音響のミューザで行われ、快適だった。メイエさんの本番衣装は上着の裏地、靴の裏も赤い。そうしたことがさりげなく、お洒落でもありますね、と感心するばかりだった。
12月初旬は、まず富国生命の主催で沖縄の支援学校、特別支援学校へのアウトリーチ(弦楽四重奏のメンバーは大和加奈さん、竹原奈津さん、千原正裕さん)。帰宅した翌日、今度は都響の小規模公演で青ヶ島へ(やはり弦楽四重奏で大和加奈さん、吉岡麻貴子さん、村田恵子さん)。
支援学校に通う子供たちの中には、演奏会に行くことが困難な子供たちがいるかもしれない、と思い、何を聴いてもらうのが良いのか、プログラムを工夫した。
それなりに楽しく、こちらの負担の少ないプログラムはある。でも奏者が必死で弾く姿を見せることはきっと必要と思い、ベートーヴェンの初期の弦楽四重奏の一つの楽章を中心に据え、耳馴染みの良い曲からクラシック音楽の中心にあるレパートリーへ、聴く人の気持ちができるだけスムースに移っていくように組んだ。
どちらの学校でも子供たちと一緒に校歌を演奏し、それは素晴らしい時間だった。一つの学校の校歌には手拍子が入っていて、「言葉を発することのできない子供もいますから」という先生の言葉に、はっと胸をつかまれるようだった。
青ヶ島は八丈島のさらに南に位置する人口200人に満たない島。厳しく、豊かな自然や、島の人々の間に流れる濃密な時間にほんの少しだけ触れ、そのような中で演奏できたことは、得難い経験となった。
12月13日いわき芸術文化交流館アリオス、梅田俊明さんの指揮で、いわき市の小中学生を対象とした「ボクとわたしとオーケストラ」。
震災復興支援で始まった公演は毎年のものになっている。子供たちがオーケストラと一緒に歌う「ビリーブ」、いつも心洗われるのだけれど、その光景が4年ぶりに復活し、生き生きと歌う姿が嬉しかった。
公演の模様は来年1月28、29日に、FMいわきで放送されるそうです。
12月19日サントリーホール、アントニ・ヴィトさんの指揮でペンデレツキの交響曲第2番など。曲の重い雰囲気は、作曲者の生きた時代を反映しているように感じる。ペンデレツキと、目の前で指揮をするヴィトさんの存在が重なり、印象深い公演となった。
12月24日すみだトリフォニーホール、25日東京文化会館、26日サントリーホール、アラン・ギルバートさんの指揮で第九。
20年前、僕の新日フィル試用期間最初の演奏会がやはりアラン・ギルバートさんの指揮で、トリフォニーホールだった。
新日フィルにいた3年に満たない期間、右も左も分からずただ頑張っていた。誰かが頑張ってしまうと、時として演奏はスムースに運ばなくなる。当時そうしたことに考えが及ばなかった。あの振る舞いも、その振る舞いも、周りの人たちは仕事がしづらかっただろう、と思う。身にしみる経験ばかりだった。
第九は大きな曲で、どう捉えたらよいのか、途方に暮れる年がある。一生懸命強く弾けばよい、というものでもないと思う。
今年の都響3公演、どの公演も気が付くと最後のページを弾いていた。短く感じたのは、緩徐楽章が速めのテンポだったことだけではなかったと思う。こんな僕にも何か少し、つかむものがあったのかもしれない。
新しい年が少しでも平和な年でありますように。
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