とんかつ屋
昨年末、弦楽四重奏で2つの演奏旅行があり、その度に皆で撮った写真を共有した。
驚いたのは食べ物の写真が多かったこと。もう一つ、僕は食べ物の写真を撮らないことにも気付いた。
SNSに投稿する対象で、食べ物は多いと思う。僕は上げたことがない。さほど執着がないのかもしれないし、食べる、という人間の根本的な欲求に関わることだから、あるいは、アレルギーや体質、健康上の問題から、思想、信条の観点から、経済的な理由から、など様々な事情で、食べたくても食べることのできない人たちがいることを思ってしまうから、かもしれない。
最近、家の近くに小さなとんかつ屋があることに気付いた。
見過ごしてしまいそうな古い建物の引き戸を開けると、店内は10人も入ればいっぱいになるくらい。驚くほど清潔で、ご夫婦だろう、寡黙なお二人が厨房に立つ。インターネットの口コミを見なければ入らなかった。
ご飯がふっくら、丸くきれいに腕に盛り付けられ、他も万事同じように手を尽くされている。とんかつももちろん美味しく、値段を見て、もうけはないだろうと思う。
この店には休みの日の昼を食べに行く。長年、淡々と丁寧な仕事を積み重ねてこられたのだろうお二人の姿に心打たれ、清々しい気持ちになって帰ってくる。
以前住んだ町の、駅前のとんかつ屋にはよく通った。
熱烈なジャイアンツ・ファンのマスターと、いつも和服を着ている奥様が営まれていて、入るとすぐ、長くまっすぐなカウンターが目に入る。当時20代の僕には、背中を丸めては座れないような雰囲気があった。
巨人が負けた翌日店に行き、置いてあるスポーツ新聞を手に取ると、今日は読むところがない、とむすっとした声でマスターが言う。
昔、店内のテレビで巨人の旗色の良くない試合を映していたとき、ある著名なチェリストが巨人軍のことを悪く言ったら、マスターの逆鱗に触れ、出入り禁止になった、という伝説を聞いたことがある。
カツ丼はやらないのですか?、と尋ねたら、あれはそば屋とかうどん屋の範疇だから、とマスターがぶつぶつ言い、黙ってしまったので、これは聞いてはいけないことだったんだ、とその時思った。
あの頃、本当に朝起きられなくて、昼の12時半まで寝ていることがよくあった。
一度、夕方4時くらいに行ってとんかつを注文した時、マスターに、君それは何ご飯だ?、と聞かれたことを思い出す。
マスターも奥様も亡くなられ、今は息子さんが店を継いでいる。ずいぶん以前のことのはずなのに、昨日のことのように思い出す。
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