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2024年5月17日 (金)

5月18日のプログラムノート

明日5月18日の演奏会のプログラムノートです。

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ヒンデミット:無伴奏チェロのためのソナタ opus25 No.3

演奏時間10分ほど。5つの楽章があり、次のように記されている。

Ⅰ  生き生きと、とてもはっきり 固い弓使いで
Ⅱ 中庸な速さで、のんびり 一貫してとても静かに
Ⅲ 遅く
Ⅳ 生き生きとした四分音符 表情なく、いつもピアニシモで
Ⅴ  中庸な速さで 鋭く、はっきりとした四分音符で

強い性格の第1,5楽章、真ん中に静かで長い第3楽章があり、その間に短く、ユーモアにあふれた第2,4楽章が置かれる対称的な楽章構成。(マーラーの7番や10番の交響曲を思い出す)

第2楽章はちょっとぎくしゃくした動きで、途中しゃっくりのようなフレーズもある。空想上の不思議な生き物のよう。速く短い第4楽章は静かに、表情なく弾くことを求められ、ヒンデミットの悪戯っぽい笑顔が浮かんでくる。

第1楽章はド・ソ・ミ♯・ド♯、というハ長調を否定するような不協和音で始まるのだけれど、どの楽章にも常にドとミとソがあり、いつもそこに近寄ろうとしているように見える。でも、直線的な動きの終楽章は、意外なことに、半音上の嬰ハ長調(ド♯・ミ♯・ソ♯)で終わる。

それぞれの楽章が固有の動きを持ち、手練れの筆遣いで躊躇なく書かれた、見事な作品と思う。

 

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バッハ:無伴奏チェロ組曲第1、2番  BWV1007、1008

子供の頃から親しみ、様々な機会に弾いてきた。でも再び一つ一つの音符を追っていくと、自分は何も知らなかったことに気付く。どの一つの音符も固有の性質や性格を持ち、その性質を生かすことしか、演奏の仕方は無いことに気が付いた。何かの音符をないがしろにしたり、自分勝手に弾いたりすると、おかしな具合になる。
いったいどんな人だったのだろう。ソナタ形式という便利なものができる前の時代に、信じられないほどの豊かさを持つフレーズを次々と書いた。こんな人は彼の前にも後にもいないのではないか。

残念なことにチェロ組曲には自筆譜が残っていない。妻アンナ・マクダレーナ・バッハの写譜の表紙には "Violoncello Solo senza Basso" とある。「バス無しで」とわざわざ記してあるのは、当時旋律には通奏低音が付くものだったからだろう。

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2番のメヌエットⅠにはバスが書いてある。他の曲でもバスを考えると、なるほど、と思うことがある。
5番の組曲にはリュート版もあり(BWV995 ト短調の組曲、こちらには自筆譜が)、チェロ組曲にはない声部があって、作曲家の頭の中ではこのようにも鳴っていたのですね、と思う。

 

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コダーイ:無伴奏チェロソナタ op.8

Ⅰ  速く、威厳をもって しかし情熱的に
Ⅱ ゆっくり
Ⅲ 速くとても快活に

下2本の弦を半音ずつ下げ、下からシ・ファ♯・レ・ラという調弦になる。下3本を開放弦で弾くと、ロ短調の暗く、強い和音が現れる。いつものド・ソ・レ・ラは和音を構成しないので、まずこの響きに心をつかまれてしまう。
どうしてロ短調の響きはこんなに強く感じられるのだろう。バッハのロ短調ミサ、シューベルトの未完成、チャイコフスキーの悲愴、ドヴォルザークのチェロ協奏曲、・・・。ロ短調には名曲が多い。

ドヴォルザークのチェロ協奏曲、ロ短調の主題はクラリネットで始まり、独奏チェロが登場する時は明るいロ長調になっている。協奏曲の最後でも、ロ短調とロ長調が交互に現れる。
この書き方コダーイの無伴奏でも同じ。もしかしてコダーイはドヴォルザークの協奏曲(1895年)を知っていてこう書いた(1915年)のだろうか。

今年の3月、ワーグナーのオペラ「トリスタンとイゾルデ」を弾いた。長大なオペラは最後、素晴らしいロ長調の響きに包まれて終わる。公演は6回あり、最後の和音を弾くといつも、ドヴォルザークの協奏曲やコダーイの無伴奏を思った。

第1楽章は輝かしく始まり、静かな旋律が現れ、主題が速い動きで再現し、静かな旋律で終わる。
第2楽章アダージオ、頭拍に強さをもつ旋律に、左手のピチカートによるオスティナートが寄り添う。激しい中間部、即興的な部分を経て、ファ♯のオスティナートで終わる。
第3楽章、速い2拍子で一気に心拍数が上がり、宙に放り出されるような感覚がある。民族楽器、ツィンバロンを連想させるようなフレーズ、いつもレの音が含まれるアルペジオで構成される部分、主題の素晴らしい再現を経て、交互に現れるロ短調とロ長調が5オクターヴを駈け上がる。演奏時間32分。

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