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2024年11月11日 (月)

音楽のたたずまい

10月13日の都響公演、プログラム前半はイモージェン・クーパーさんをソリストに迎えてモーツァルトのピアノ協奏曲イ長調K.488が組まれていた。
前日のリハーサルに彼女が現れ、最初の音が出た時、最初のフレーズが始まった時、あっ、と思った。

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僕は毎朝のようにクララ・ハスキルの弾くモーツァルトのピアノ協奏曲を聴いていた時期がある。クーパーさんの演奏を聴いて、実際に触れることはなかったハスキルの演奏はこんなだったかもしれない、と感じた。

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どうしてそう聞こえたのか、今も考えるのだけれど、わからない。音楽のたたずまいだろうか。クーパーさんの打鍵ははっきりしている、とは思ったけれど、特別な歌い回しやルバートのようなものはなかった。
数え切れないほど聴き、何度も演奏したはずのイ長調の協奏曲は、別の姿を見せ、彫りの深さに畏怖の念を抱くほどだった。リハーサルが終わり、僕は音楽のことを何も知りませんでした・・・、と悄然とした。

Sさんとも話したのだけれど、冒頭のオーケストラが演奏するテーマの、アーティキュレーションをはっきり弾いてほしい、と彼女が言ったことにヒントがあるのかもしれない。小さなことの積み重ねが、全体の印象に大きく関わっているのかもしれない。
本番の舞台では何が感じられるのだろう、と楽しみに帰宅した。

とても残念なことに彼女は降板となり、京都市交響楽団でこの曲を演奏したばかりのアンドリュー・フォン・オーエンさんが当日朝駆けつけ、見事な演奏をしてくださった。急な手配がスムースに行われ、何事もなかったように当日の舞台が進行したことは、きっと多くの方々の的確で迅速な働きのお陰と思う。
(協奏曲を弾き終わりほっとしている夜、明日の午後、別の場所で別のオーケストラともう一度弾いてもらえませんか?と尋ねられるのはどんな気持ちだろう、と同僚と話をした)

インターネット上にはすぐれた最新の演奏動画が数多くアップロードされ、簡単に見ることができる。どの演奏も美麗で音の粒がそろい、文句のつけようのないものだけれど、クーパーさんのピアノを聴き、その現代の音楽家たちが確実に失っているものがあることを感じた。

彼女がすっかり回復され、再び都響の舞台に来て下さることを願っています。

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その公演の翌々日は兵庫県立芸術文化センター管弦楽団(PAC)に。

マリオ・ブルネロさんが来演される演奏会に参加させてもらえることは本当に嬉しかった。リハーサル前に楽屋に会いに行くと、幸い覚えていてくださり、素朴で温かな人柄は、さらに温かくなっているようだった。

マエストロ・ブルネロにはイタリア、シエナの夏の講習で90年代後半、毎年習った。情熱的であると同時に、なぜそう弾くのかという音楽的な裏付けのある姿勢は、本当に素晴らしかった。

今回彼が弾くのはドヴォルザークの協奏曲。特に第2楽章は木管楽器とのアンサンブルが繊細な作品だと思う。PACのメンバーにはこの曲を初めて演奏する人たちも多く、マエストロ・ブルネロがかなり自由に弾くので、まとまっていくのに時間がかかった。

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先生、そんなに揺らすと離れた場所に座る木管楽器の若者たちはついて行けませんよ、と思ったけれど、リハーサルを重ねるうちに、なぜそう動かすのか感じられるようだった。音楽に生き生きとした動きがなくなり、固まることを避けようとしているのかもしれない。大人数で構成されるオーケストラで、一定のテンポは大切。でもそのことで大切な何かが失われることを嫌うのだと思う。

音楽とは何だろう、と時々考える。何が音楽の魅力ですか?あるいは、どんな瞬間に心動かされますか?という問いでも良いのかもしれない。
本番の舞台には、何も背負わず、ふわっと出ていきたい。何が音楽か、という問いはそうした時の自分の核になると思う。

PACでは金、土、日曜日の3公演あった。初日のゲネプロの後、マエストロ・ブルネロに、楽器の状態に確信が持てないから、舞台で音を聞いて欲しい、と言われた。
(彼は駒までの弦長を変えられるテールピースを使っていて、とても良いとのことだった。通常、上駒と駒の間の弦を調弦するけれど、駒とテールピースの間も調弦し、倍音が出やすくなるという理屈と思う。興味はあるけれど、高価。https://demenga-sound.ch/en/produkt/tailpiece/

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今の楽器の状態や、自分がどんな音と表現を求めているのか、を弾きながら示し、僕にも弾かせてくれた。想像していたのよりずっと強く、こういう楽器を弾いて、彼はあぁいう音を出しているんだ、と感じた。自分の楽器に戻った時、ではこのチェロと自分の体でどういう表現をするべきなのか、端的に教えてもらうようだった。

20代の頃、毎夏習いながら、受け取るべき一番大切なものを受け取っていなかった、という後悔がある。2日間のリハーサルと3日間の公演、彼の情熱と、柔らかく重さを使う姿に間近に接することができ、もう一度学ばせてもらう得難い時間だった。

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