ショスタコーヴィチの8番
12月4、5日都響定期公演の後半はショスタコーヴィチの交響曲第8番だった。
有名な5番の交響曲のように低弦楽器が荒々しく弾く付点のリズムで始まり、ヴァイオリンが息をひそめるようにしてハ短調の主題を弾く。ドで始まった主題がソを通り、ラ♭に到着した時の響きにはっとする。この進行は、モーツァルトのハ短調のピアノ協奏曲の冒頭を思い起こさせる。
「レニングラード」という名前のついた有名な7番の交響曲の作曲が1941年、8番は1943年。7番も何度か弾いたことがあるけれど、いつも音符が僕の手をすり抜けていった。今回、8番の準備を始めた時から曲に絡めとられるようだった。曲を知るにつれ、その緻密な作りや見事な構成、規模の大きさに驚き、わずか2カ月で書いたとはとても信じられなかった。
マリス・ヤンソンスがピッツバーグ交響楽団を指揮した時のリハーサルを聞くことができる。
どちらも戦争中に書かれた2曲のうち、7番は戦争を描き("pictures of the war")、8番は行為ではなく、戦争に影響を受けた人間を描いている、という彼の言葉が印象的だった。
1楽章で金管楽器が担う「荒々しい行進曲」はモーツァルトのトルコ行進曲の引用だ、とも言っていた。
第1楽章の対位法的な部分を弾く時、ショスタコーヴィチがピアノのために書いた24のプレリュードとフーガを連想し、そしてその背後にあるバッハの2巻の平均律(前奏曲とフーガ)のことを思った。
第4楽章は、第1楽章の主題の変形で始まり、その音型が9小節フレーズとなって低弦楽器に受け継がれ、11回繰り返される。低弦の定型の上に様々な楽器の、意匠を凝らした見事な変奏が繰り広げられるのだけれど、この書法を見て、例えばコレッリのフォリア、バッハのシャコンヌ、ブラームスの交響曲第4番の終楽章パッサカリアといった、古くからの様式を連想した。
ショスタコーヴィチの8番は、彼独自の見事な世界を築いている。同時に先達の残した音楽を受け継いでいることも様々な箇所で感じた。
演奏時間1時間を超えるこの曲の5つの楽章をモチーフから考えると、1と4、2と5がそれぞれ関連を持ち、真ん中に第3楽章が置かれた、言わば変則的な対称配置に見える。
都響公演を指揮したロバート・トレヴィーノさんは、5拍子は不安定さを表す、と言っていた。この曲には5拍子が多く使われ、さらに5連符や、9あるいは11、13小節フレーズ、といった奇数が多い。
[西洋音楽は(2+2)、4、8、それらを基にした16小節フレーズを定型としている。賛美歌や、日本では多くの校歌、おそらく演歌も、8や16小節のフレーズで書かれていると思う。それらは安定した感じをもたらす]
ショスタコーヴィチ8番の第3楽章に変拍子はなく、速い2拍子で書かれている。1小節に4つの4分音符が、無窮動のようにひたすら続く。
冒頭のヴィオラこそ16(8+8)小節フレーズで始まるけれど、少し進むと奇数小節のフレーズになり、手に汗を握る展開になる。予測や記憶が難しいので、舞台にいるオーケストラはひたすら小節数を数えなくてはならず(飛び出したら大変だ)、緊張感は増す。きっとそれは客席にも伝わり、生演奏ならではの臨場感につながるのではないか、と思う。
西洋音楽で緊張感を高めていくとき、フレーズを縮めていく手法(ストレット、例えば8小節フレーズを4、2、1というように短縮していくと切迫感が増す)はよく使われる。
ショスタコーヴィチの見事なところは、この第3楽章でヴァイオリンが大きなクライマックスをもたらす際に、逆の手法を用いたこと。
ヴァイオリンの無窮動が始まると、他のパートは裏打ちに回り(必死に走る馬に、容赦なく鞭を入れるよう)、そのフレーズは9、11、13小節と広がっていく。常に予想を裏切った先に次のフレーズがあるので、どこまで広がるのか不安になる。そしてクライマックスで打楽器が圧倒的な音量をもたらし、第4楽章に入る。
この数十年の演奏技術向上は目をみはるものがあると思う。同時に、弦楽器で言えば新しい弦の登場など、技術的発展もあり、オーケストラの音はより大きく、なめらかに、耳当たりの良いものになっているのではないだろうか。
ムラヴィンスキーが指揮するレニングラード・フィルの、伝説的な演奏がある。指揮者とオーケストラの関係も変わり、現在このように強い緊張感をもった演奏は少なくなったかもしれない。
今回ショスタコーヴィチの8番を演奏するにあたり、様々な録音を聴いた。作曲家が生きていた時代の音を知る人は違和感を覚えるかもしれないけれど、現代の精度の高く、機能的なオーケストラから現れるショスタコーヴィチの音楽は、驚くほど豊潤で奥行きのあるもので、もしかしてこれまで感じられなかった世界を見ているのかもしれない、と思う。
ハ短調で始まった8番の交響曲は、ハ長調で静かに終わる。調性だけで見ると、「運命」と呼ばれるベートーヴェンの第5交響曲のようだし、静かに終わるということでは、例えばブラームスの3番のようだ。ハ長調で書かれた終楽章をヤンソンスは、抑圧の中の小さな希望(small hope)と言っていた。
ショスタコーヴィチは4番の交響曲を書いた後、危うい立場になり、それを回復するべく5番を書いたと言われる。作品の政治的な評価を厳しく問われる、とはいったいどんな時代だったのだろう。
西側に亡命したロストロポーヴィチは、ショスタコーヴィチを連れ出さなかったことを激しく悔いたそうだけれど(2018年4月3日の日記「ショスタコーヴィチ」をご覧下さいhttp://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-ecdc.html)、困難な状況に置かれた作曲家の残した仕事の凄まじさは、2024年が暮れようとする今でも、あるいは今だからこそ、強く感じられる。
24のプレリュードとフーガ作品87は、1950年にライプツィヒで開かれたバッハを祝う音楽祭、その中のコンクールで優勝したタチアナ・ニコラーエワの演奏に感銘を受けたショスタコーヴィチが作曲した、と伝えられる。すぐれたピアニストでもあった作曲家に曲を献呈される、とはいったいどんな気持ちがしたのだろう。
僕はこの曲の録音を3つ持っていて、ニコラーエワのCDを求めたのは最後だったかもしれない。
購入し、帰宅して封を開けて聴き始めると、ショスタコーヴィチでも何でもない、室内オーケストラの曲が流れてきてびっくりした。すぐ店頭で交換してもらったのだけれど、その顛末を当時僕が在籍していた新日フィルのAさんに話したら、何ともったいないことを、と怒られた。彼によると、盤面の印刷と中味が違うものはとても価値がある、とのことだった。
久しぶりにニコラーエワの演奏を聴きながら、少し前に亡くなられたAさんのことを思い出す。
この曲を聴くのは夜が多い。以前は目がさえて眠れなくなることがあった。
ハ長調で始まり、同主調のハ短調、半音上がって嬰ハ長調、嬰ハ短調と続くバッハのプレリュードとフーガより、ハ長調・イ短調、5度上のト長調・ホ短調とたどっていくショスタコーヴィチの方が、楽器を弾く身には、響きの変化をたどりやすい。
静かになった夜、この曲を聴いていると、ふと音楽と自分の境がなくなり、心の深いところに音が触れてくる感覚に満たされることがある。
« シェーンベルク、長三和音、短三和音 | トップページ | 明けましておめでとうございます »
「音楽」カテゴリの記事
- " the best thing in the world "(2025.02.01)
- ショスタコーヴィチの8番(2024.12.30)
- シェーンベルク、長三和音、短三和音(2024.12.15)
- 音楽のたたずまい(2024.11.11)
- 人懐こい猫がいたら(2024.09.20)
「楽器のこと」カテゴリの記事
- ショスタコーヴィチの8番(2024.12.30)
- 音楽のたたずまい(2024.11.11)
- 人懐こい猫がいたら(2024.09.20)
- ミュート、松脂、メトロノーム(2023.02.01)
- 新しい弦(2022.07.19)