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2024年12月15日 (日)

シェーンベルク、長三和音、短三和音

11月20日の都響定期公演、後半はシェーンベルク:ペレアスとメリザンド作品5だった。
大編成のオーケストラ、40分を超える演奏時間、スコアにびっしりと書き込まれた無数の音符を見て、当時20代の作曲家が並々ならぬ意欲をもって書いたと想像する。
作品番号が1つ前の「浄夜」と同じように、耳当たりの良い旋律が展開されるロマンティックで官能的な作品と思う。

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ペレアスとメリザンドのリハーサルが始まる頃、翌12月に同じシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲を演奏するオーケストラのメンバーから、この(難しい)曲をどう捉えたらよいのか、と聞かれた。

僕にとっても印象深い曲だったので(2019年1月12日の日記「シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲」をご覧下さい。http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2019/01/post-6443.html)、久しぶりに聴き直してみると、冒頭が独奏ヴァイオリンとチェロの絡みで始まることは覚えていたのだけれど、他は見事に抜け落ちていた。

 

ペレアスとメリザンドからヴァイオリン協奏曲まで三十数年の月日があり、作品がこのように変化したことは興味深い。
ペレアスとメリザンド、浄夜はどちらもレの音を軸に書かれた、ある意味でわかりやすい調性音楽と思う。それが12音技法の、初めて聴くとまるでつかみどころのない音楽に変貌している。

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西洋音楽の重要な要素である和声が、制約の多いシンプルな形から、信じられないような能力を持った作曲家たちの、幾世代にもわたる音の冒険によって発展を続け、とうとう調性感をなくしてしまうところまで行き着いたのは、必然的な結果だろうか。

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1つの和音には少なくとも3つの音が必要。その和音は誰か偉い人、聖職者、学者、作曲家、・・・、そうした人たちが発明したものではなく、物理的な現象を基にしていることがおもしろいと思う。

チェロやコントラバスなどの、弦が長くて振動が見えやすいものが身近にあるとわかりやすいのだけれど、張られた弦の長さを1とした時、最初の倍音は弦長のちょうど半分、1/2のところにある。弦長が半分、振動数は倍、この音程間隔が1オクターヴ。
次の倍音は1/3のところで、基音がドだったら、5度上のソ。その次の倍音は1/4のところのド(基音から2オクターヴ上)、次は1/5でミ、次は1/6で再びソ、そして1/7のところにすごく低いシ♭(あるいはとても高いラ)が現れ、・・・。
ここまででド・ミ・ソ・シ♭が揃う。(奏法として、フラジオレット、あるいは自然ハーモニクスと言ったりする。弦をしっかり押さえずにその場所を触るだけでも、弾いたらその音が鳴る)

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このときに現れる第3音のミは1オクターヴを均等に割った音程より少し低く、第7音あるいはblue noteとも呼ばれるシ♭(またはラ)はかなり低く(高く)、同時に鳴らすと澄んだ響きになる。(純正調)
逆に言うと、一般的なピアノの調律では、弾き手の絶妙なコントロールがないと、様々な和音はきつい響きとなるかもしれない。

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振動数が倍になる音程間隔を1オクターヴとし、その次に現れる1/3の弦長の倍音が構成する5度音程を基として調性のシステムが作られていることは、本当に見事と思う。仰ぎ見るように巨大で奥深い、西洋音楽の森の秘密を垣間見るような気がする。
[ドに対してソ、ソに対してレ、レに対してラ、・・・。トニックとドミナント。
ハ長調、ト長調(♯1つ)、ニ長調(♯2つ)、・・・、♯が1つずつ増えていき、異名同音を読み替えて♭になり、♭が1つずつ減っていき、12の半音全てが現れて、ドに戻ってくる。
ド、ソ、レ、ラ、ミ、シ、ファ♯、ド♯(レ♭)、ラ♭、ミ♭、シ♭、ファ、ド。
それぞれの長調は平行調となる短調を持っているから、12×2で24の調性]
(こうした内容はL.Bermstein著"The Unanswered Question"で学んだ)

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ド・ミ・ソの和音、ハ長調の和音は明るいことになっていて、実際明るく聞こえる。ではどうして長三和音が明るく聞こえ、短三和音(例えばド・ミ♭・ソ)は暗く聞こえるのだろう。

人間の認知能力に関わる問題と思う。全ての人間が生まれつき長三和音を明るく感じるのか、あるいは文化的な背景によるのか。生まれてからまったく音楽を聞いたことがない人が、あるとき初めて長三和音を聞いたら明るいと感じるのか、それとも感じないのか・・・。

誰かに聞いてみたい。このことを研究している方はいないのだろうか。

 

前後の和声進行の兼ね合いで長三和音が明るく聞こえない時はある。でもそれなりに長く音楽に携わってきて、実は長三和音が暗く聞こえてしまうんだ・・・、という人には会ったことがない。

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和音の明るさを握るのは第3音だけれど(ド・ミ・ソだったらミが♮か♭か、その半音の違いが決定的に重要)、年の暮れの日本でよく演奏されるベートーヴェンの第九交響曲は、その第3音を欠いたラ・ミという響きで始まる。この色を持たない5度の響きだけで16小節続く冒頭は尋常ではない。

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今年の夏、ビートルズのイエスタディをチェロとピアノで弾くことがあった。この曲はFのキー(ヘ長調)で書かれていて、冒頭に"F5"というコードネームが書いてある。何だろう、と思ったら、どうやら第3音を欠くファ・ドということらしい。
これまで調性感を気にしたことはなかったけれど、

"Yesterday all my troubles seemed so far away"

と始まるこの歌は、あまり明るい感じは受けない。

明るいのか暗いのか、どちらともつかないイントロの後(ちょっと不安な気持ちになる)、メロディーは倚音のソで始まり、それに絡むEm7、A7、Dmというコード進行を見て(ポールさん、お見事です)、この歌が多くの人の心に入った理由がわかる気がした。

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毎週土曜日朝はNHK-FMのウィークエンドサンシャインという番組を聞く。この秋の放送では、ポール・マッカートニー&ウィングスのアルバム"One Hand Clapping"がひとしきり話題になった。

one hand clapping、つまり片手の拍手は、禅の公案「隻手音声」(せきしゅおんじょう)を連想させる。拍手は両手でするものだけれど、では片手の拍手はどのような音がするのか。

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時々、チェロを練習する手を止めて、隻手の声とは何だろう、白隠禅師はいったい何を問うたのだろう、と考える。

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