京都へ
仕事を終え、夕方の新幹線で名古屋へ。親に会い、翌朝、名古屋駅の新幹線ホームできしめんを食べてから京都へ。
蹴上で地下鉄を降り、南禅寺を通って泉屋博古館へ。中国の古い青銅器を見るために京都まで足を伸ばした。
三千年前、殷の時代に作られた青銅器。当時どのような人たちがいて、どのような社会があったのだろう。高度な技術で製作され、心をつかまれる何かがある。https://sen-oku.or.jp/program/20260404_bronzegallery/
人であふれる南禅寺界隈から静かな建物の中に入り、ガイドさんの丁寧な説明を聞き、質問し、青銅器に見入る時間は素晴らしかった。
久しぶりに訪れた古都京都で、紅葉の美しさ、建物のたたずまいに心動かされていたら、さらに古く深い世界があった。
泉屋博古館を出て哲学の道を歩き、法然院へ。
高校2年が終わる春、京都へ一人旅をし、その時初めて法然院に行った。人前で初めてコダーイの無伴奏を弾かせて頂いたのもここだった。様々なことを経て僕は30年、40年と年を重ね、もう若くはなくなったけれど、法然院は変わらず美しい場所のまま。
「きみに逢う以前のぼくにあいたくて 海へのバスに揺られていたり」(永田和宏さんの歌)
さっと強い風が吹いた時に木の葉が落ちてきて、境内にいた多くの人たちがいっせいにその様子に見入る時があった。こういう心の働きを表現する仏教の言葉はあるのだろうか。
20代の春は毎年、関西日仏学館で開かれていた京都フランス音楽アカデミーに通った。あの頃、観光客もそれほど多くなく、レッスンの合間に様々なお寺に行けたことは本当に良かったと思う。
これまで秋の京都はあまり訪れてこなかった。東山沿いを歩き、はっとするような紅葉の美しさを初めて知った。東京では経験できないものだと思う。
オーバーツーリズムが伝えられ、僕も観光客の一人だったのだけれど、人は驚くほど多かった。この地で日常生活を送ることは大変だろうと思う。一方、魅力的な街は国内外から多くの人を引き寄せてしまうことも感じた。
今年も演奏の仕事で各地に赴き、どれもが得がたい経験だった。でも仕事を離れた旅は今回が初めて。チェロはなく、決まった予定もなく、小さな鞄一つに小さなカメラ一台を持ち、身軽に動く時間は素晴らしかった。








