書籍・雑誌

2018年4月13日 (金)

最近の日経新聞から

4月12日の日経新聞朝刊に掲載された写真家、鋤田正義さんの文章から。(文中の「ボウイ」とはデヴィッド・ボウイのことです)

『実は僕は英語が話せない。聞く方はなんとかなるのだが、しゃべるのがダメだ。だからボウイとのコミュニケーションは専ら写真を通してだった。撮影前もほとんど話はしない。いきなり始まる。そして、撮影したものから20枚程度を選び送る。彼は気に入ったものを使いたいとリクエストする。お互いに深い信頼があったと思う。
 思い返せば、子供のころから話すより見ることを大切にしてきた。実家の化粧品店の店番をしながら、窓枠をフレームのようにして人の流れを観察した。映画も好きで、実家のある福岡県直方市から50キロ離れた福岡の映画館に自転車で通っていた。それが今に生きているのかもしれない。
 ボウイとの関係がうまくいったのも、英語が話せなかったからじゃないかと思う。しゃべらなくても、写真が代わりに語ってくれる。目の前に居る相手を尊重して、瞬間を記録していく。そうやって撮影を続けてきた。』

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先月の「私の履歴書」は宗教学者の山折哲雄さん。とても興味深く読んだ。今月はジャパネットたかたの高田明さんで、抜群におもしろい。商売をすることの大変さ、魅力が僕にもほんの少し見えるようだ。夕刊のエッセイは土曜日の望月京さんが楽しい。オーケストラの仕事で彼女の曲は弾いたことがあったけれど、難しいものを書く人、という印象だった。文章を読んで、題材が豊富だし、感覚にも考え方にも、なるほどと思うことがたくさんある。

金曜日夕刊の映画評ももちろん読む。でも鵜呑みにはしない。というのは以前この映画評で絶賛され、満点の星5つがついた映画を、どんなに素晴らしいのだろう、と楽しみに見に行ったら、僕にはさっぱり、ということがあった。初めて入った岩波ホールの、スクリーンが小さいことを知らずに後方に坐ったことがまず失敗。映画の間中ずっと、僕の右斜め前方に坐る男性がいびきをかいて寝ていて(そんなに眠いなら外で寝ればいいのに)、それに腹をたてた左斜め前方の男性が手元にあった紙をくしゃくしゃと丸めて投げつけたのだけれど、いびき男性には当たらず、いびきは収まらず。そうした一部始終がよく見えておかしかった。映画の内容は忘れてしまった。

2018年3月23日 (金)

アイデアについて

ルービンシュタイン自伝の後は、「ゾウの時間 ネズミの時間 - サイズの生物学」の著者、本川達夫さんが書いた「ウニはすごい バッタもすごい - デザインの生物学」を読んだ。ハチはどうしてあんなに速く羽ばたくことができるのか、アサリはどうして殻をしっかりと閉じ続けられるのか、ヒトデはどうして五角形なのか、バラの花弁はどうして5枚なのか、・・・。僕の頭できちんと理解できたかどうかははなはだ怪しいけれど、楽しかった。生き物たちがどうしてその形なのか、構造なのか、気にもしなかったことを考えてみることには大きな発見がある。動いたり、力がかかったりするもの、例えば自動車、飛行機、ロボット、楽器、レコードプレーヤー、家具、・・・、そうしたもののデザインを考える時、きっと多くのことに応用できるヒントがこの本の中にはある、と思った。

先日、東京ステーションギャラリーで開かれている「くまのもの 隈研吾とささやく物質、かたる物質」へ。(www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201803_kengo.html)
しばらく前の日経新聞日曜の別冊に隈さんの特集があり、興味を持っていた。建築に特別関心があった訳ではないけれど、素材ごとに分けられた展示にはすっかり見入ってしまった。それぞれの素材に対する、時間をかけて考えられた考えがあり、そこから様々なアイデアが生み出されていったことに心動かされた。
隈研吾著「小さな建築」の冒頭にこんな文章がある。

『建築をゼロから考え直してみようと思った。
 きっかけは東日本大震災である。あらためて歴史を振り返ると、今まで気がつかなかった、重要なことに気がついた。大きな災害が建築の世界を転換させてきたという事実である。・・・
 幸福なときの人間は、過去の行動を繰り返しているだけで先に進もうとしないが、災害に遭ったとき、悲劇にうちのめされたとき、人間は過去の自分を捨てて前へと歩き始める。』

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以前は7時のニュースを見ながら夕食をとっていた。今は国の内も外もひどい有様で、本当にうんざりする。だからもうテレビは消してしまった。いつからそうしているのか、この世界はいったいどうなっているのか。
久しぶりにブコウスキーを読んだ。最近ちくま文庫に入った「ブコウスキーの酔いどれ紀行」。その中から。

『・・・人は頂上まで上りつめると、後はもっと金を集めて、もっと権力を手に入れることぐらいしかやることがなくなってしまう。酒を飲んで、食べて、・・・』
『みんなが感心したりすることにわたしはまったく感心できず、ひとり取り残されてしまったりするのだ。例を挙げていってみると、次のようなことが含まれる。社交ダンス、ジェット・コースターに乗ること、動物園に行くこと、ピクニック、・・・
 ほとんどどんなことにも興味を引かれない人間が、どうしてものを書くことができるのか?どっこい、わたしは書いている。わたしは取り残されたものについて書いて書いて書きまくっている。通りをうろつく野良犬、・・・。』
『・・・、わたしたちと一緒にハイデルベルク城に出かけた。行く途中、わたしの著書がほとんど揃っている書店に連れていかれた。しかしその場に足を運んで、自分の本を見つめてみると、うれしいというよりも気恥しい気持ちのほうが先に立った。そんなことをしたいがために書いたわけではない。もちろん工場勤めから抜け出せてよかったが、そういうことは一人で、とりわけ朝ひどい気分で目が覚めた時などに、ベッドの中でひっそりと祝うものだ。』
『魚は彼の手に吊り下げられ、死んでわたしたちの前にその姿をさらしている。長くてぬめぬめとした元殺し屋は、死んでもなお見事で、見まがうことは決してなく、余分な脂肪もまったくついていず、まやかしとも無縁で、完璧な姿だ。突き進み、激しく動きまわり、あたりをきょろきょろと見回し、泳ぎ回る、ほとばしる生命の塊。道徳もなければ、信仰もなく、友だちもいない。』


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2018年3月12日 (月)

「ルービンシュタイン自伝」

アルトゥール・ルービンシュタインの自伝を読み終わった。(原題「MY MANY YEARS」、ルービンシュタイン自伝 神に愛されたピアニスト 上・下巻 木村博江訳 共同通信社)
おもしろい・・・、と感じる所に付箋を付けていったら、100ページ以上になってしまった。絶版になっていることを本当に残念に思う。できれば読みやすく活字を組み直して、どなたか再版してくださらないだろうか。書物にこれほど強く励まされたことはない。この本を図書館に返さなくてはならないことを僕はさみしく思う。

時々吐露されるルービンシュタインの率直な考えに加えて、あふれるように記される様々な人物のエピソードが魅力だ。多彩な、ほとんど歴史上の人物たちが生身の人間として、息づかいまで聞こえるように語られる。
信じられるだろうか、ミヨー、サン・サーンス、ヴィラ・ロボス、ストラヴィンスキー、ラフマニノフ、プロコフィエフ、ラヴェル、プーランク、サティ、シマノフスキ、ファリャ、シェーンベルク、指揮者ならトスカニーニ、バルビローリ、セル、クーセヴィツキー、オーマンディ、バーンスタイン、ビーチャム、バレンボイム、ウォーレンシュタイン、ピアニストはパデレフスキ、ホフマン、ラフマニノフ、コルトー、ギレリス、リヒテル、リパッティ、ホロヴィッツ、R.ゼルキン、弦楽器はイザイ、ハイフェッツ、クライスラー、ティボー、シェリング、ターティス、フォイヤマン、カザルス、ピアティゴルスキー、フルニエ、トルトゥリエ、・・・。美術や文学ではピカソ、キスリング、トーマス・マン、さらにワーグナーの娘、ココ・シャネル、キュリー夫人、パストゥールの孫、エドワード8世、チャップリン、グレゴリー・ペック、・・・。
こうした話があまりにおもしろいので、僕は人の迷惑も考えず、誰かに会うと前夜に読んだエピソードを話したりした。

プロコフィエフの2番のヴァイオリン協奏曲の初演に立ち会った時のこと。
『ヴァイオリニストが現れた。どう表現したらいいか難しいが、銀行でよく見かける、小切手を現金化するのを待っている男、とでもいう感じだった。しかし協奏曲をしっかり自分のものにしていた。美しいテーマを確固として弾き始め、巧みに展開し、オーケストラはその展開部を明確に気高く際立たせる。これこそ偉大なプロコフィエフの作品だった。音楽には静かで旋律的な流れがあり、いつものような皮肉っぽい展開はまったく見られない。続いて天から降ってでもきたような美しい第二主題が現れた。この気高い旋律線は、どんなにまずいヴァイオリニストも損なうことはできまい。私は興奮し、感動し、プロコフィエフに囁いた。
「ブラームスが書いたといっても通りますよ!まるでブラームスだ!」
セルゲイは歯をすっかりむき出して満面に笑みを浮かべた。
「そう、そう、ブラームスには学ぶところが大きかった!」』

リヒテルは若い頃、オデッサでルービンシュタインのリサイタルを聴き、ピアニストを志した。戦後リヒテルのアメリカ公演が実現し、数日後二人は夕食会で親しく話すことになる。ベートーヴェンのテンポについて口論となり、
『それを聞くと私はジャンプして、私のアダージョ、アンダンテ、アレグレット、アレグロを彼の前で踊ってみせた。そしてプレストに至ってどっと椅子に倒れ込んだ。それが床の上でなくて幸いだった。二人のピアニストが互いに意見を交わし合った素晴らしい出会いの夜として、このときのことはよく憶えている。
 翌日、私は生涯のうちでも最悪の二日酔いのひとつを経験した。医者を呼ばねばならないほど重症だった。症状を和らげる薬をもらい、ドアまで送っていくと医者はちょっと立ち止まり、にやりとして言った。
「おかしな偶然ですね。今朝もう一人ピアニストから呼ばれたんですよ ― リヒテルという名前ですが」』

数々の武勇伝もある。秀逸なものを。
『チリの首都サンチアゴで短く楽しい滞在をしてから、私は小さくてのろい飛行機でペルーのリマへ行った。到着した翌日の夜に、私はベートーヴェンのト長調、ショパンのヘ短調、チャイコフスキーの変ロ長調の協奏曲を、無名の指揮者の下でオーケストラと協演しなければならなかった。ひどい飛行機で七時間も揺られたので、リマに着いたときは半ば死んだようになっていた。
 ・・・私は半ば昏睡状態でベートーヴェンのト長調を弾き始め、なんとか奇蹟的に息を合わせて終えることができた。
「休憩にしますか?」
指揮者が訊いた。
「いや。いま休みをとると、眠り込んでしまって誰にも起こせなくなるでしょう。ですからどうかすぐにショパンを弾かせて下さい」
と私は言った。オーケストラがトゥッティを奏し始めると、私は跳び上がった。演奏しているのはホ短調の協奏曲で、予定されたヘ短調ではない。
「協奏曲が違うじゃありませんか」
私は指揮者に怒鳴った。しかしこの奇妙な男は指揮棒を振り続け、音楽を止めもしないで落ち着き払って答えた。
「ヘ短調の楽譜がなかったので、これにしました」
私はがっくり腰を下ろすと、長いトゥッティのあいだ中ぽかんと口をあけて聴いていた。そして自分の出だしにさしかかると、機械じかけのように手が動き、なんとこのいまいましい協奏曲を終わりまで弾き通したのである。この類いまれな大手柄のあとで、大きくて重たいチャイコフスキーは子供の演奏のようになってしまった。リハーサルが終わると、私は人手を借りて車に乗り、ホテルの部屋まで運ばれた。そしてベッドにもぐり込むと何も食べずに十二時間以上眠り通したのである。コンサートではヒナギクのように爽やかな気分で演奏した。』

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また、
『・・・ステージに上がる十分前に電報を手渡された。
<病気で入院しています。急いでお金を送って下さい ― ネラ>
 私は雷にうたれたように坐り込んだ。考えられる限りの悪い病気を思い浮かべた。耐えがたい不安に襲われた。一分後にはショパンのロ短調ソナタを弾かなければならなかったが、ここでも私の根強いプロ精神が勝ち、私はかつてないほど感情をこめてソナタを弾いた。
 強い感情は、それが愛する者の病や死、耐えがたいほどの嫉妬、絶望的な孤独、悲劇的な出来事のいずれによるものでも、私に良い演奏をさせた。演奏することは、私にとって精神的な救命具(ライフジャケット)だった。コンサートのあいだ中私は全霊を注いで演奏した。二度もアンコールを受けた。しかし控え室で電報を手に坐ると、その場でドレスデンへ発つことに決めた。・・・』

功成り名を遂げた後のこのような述懐に心打たれる。
『夜は私のものだった。家中が寝仕度にかかると、私は馬小屋まで歩いて行き、閉じこもって奇妙な音楽生活に入る。これは私にとって、まったく新しい生活だった。ある意味で、これは意外な新発見だった。単純な事実として私は練習の楽しみを知ったのである。
 読者はご存じだろうが、私の子供時代の練習は、ごまかしとまやかしだった。私は右手と左手で交互に馬鹿げた音を出して、実際はチョコレートや、季節には桜んぼを食べながら小説を楽しんでいた。その後、私は生まれつきの器用さで協奏曲、ソナタ、小品などをすぐに憶えてコンサートで弾いてみせたが、技術的に難しい楽節はペダルを上手く使ったり、激しい強弱をつけた表現で平然とカバーしたので、何も知らない聴衆には私が完璧に弾いていると思われていた。
 数多くの作品を、数多くのコンサートで何度も繰り返し弾いたので、とくに努力しなくても弾くたびに上手になっていった。皮肉なことに、私がピアニストになった当初からマスコミの厳しい批評は、ベートーヴェンに深みが足りないとか、シューマンのアプローチに詩的な要素が不充分であるとか、ショパンの扱い方に無味乾燥なところがあるといったことに終始し、決して、一度たりとも私の技術的完成度に疑問が投げかけられたことはなかったのである!というわけで、私のピアノテクニックのみじめな状況をしっているのは自分しかいない、と認識せざるを得ない時点にきていたのだ。
 サン・ニコラで過ごした夜の時間は、私の芸術に対するアプローチの転換期になった。私はショパンの三度のエチュードをペダルを使わずに明確にきちんと弾いて、しかもあまり疲労を感じなかったときには、突如として、強烈な肉体的満足感を覚えた。私は、これまで忌み嫌っていた左手の指の練習を真剣に始めた。全部の音が明確に聴こえ、ぐずな第四指がしっかりキーを押さえるのを自分の耳で確かめながら弾いた。私は情けない左手にひたすら尊敬と自信を勝ちとるために、つまらない楽節を延々と繰り返し、第四指が生命を持ち、自立していくのを感じとった。
 私は自分のレパートリーから最もよく弾く曲を次から次へとひっぱり出し、長い間無視してきたすべての小節に最大の注意を払った。ときには朝の二時、三時まで続けながら、こういった作業を何夜か行ううちに、夜ごと五、六人の人が馬小屋の周りに、静かに坐り込むようになった。私の単調な練習でも音楽に聴こえているという事実は、自信さえ与えてくれた。』

ルービンシュタインを縦糸にして、再度20世紀史を見るようだった。世界はまるで違って見える。はなやかな人付き合い(大変もてたそう)、輝かしいキャリア、家族、一方で戦争や不景気、政治など抗しがたい世界の大きな動きとの関わりも描かれる。恵まれたほんの一握りの人しか経験できないような世界を垣間見られることだけでなく、一人の人間がこれ以上ないほど生き生きと自分の人生を生きた、そのことに深く魅せられるのだと思う。
本書は多くの分量があり、しかもそれはルービンシュタインの記憶による(驚くべき記憶力だ)。彼の中をくぐり、きっと様々な人々にも語られたエピソードは多分おそらく、脚色されている。だからいっそう目の前で繰り広げられているような臨場感があるのだろう。

ところで、21世紀に生きている僕は充分に生きているだろうか。自分の人生の10分の1も生きていない気がする。もう少し勇気を出して、まずこの10分の1を生きてみよう。

2018年3月11日 (日)

「本当の幸せ」

日経新聞に掲載された若松英輔さんの「本当の幸せ」という文章から。

『今日で、東日本大震災から丸七年になる。この出来事は、私たちからさまざまなものを奪った。ある人にとっては今も、奪われつつある状態が続いている。
 世の中は、「復興」という言葉のもとに再建可能なものを新しく作ることに躍起になった。しかし、私たちが考えなくてはならないのは、再建できるものを探すことだけでなく、再建できないものを見つめ直すことではないだろうか。
 失望を深めるためではない。真の意味で新生するため、それは本当に失われたのか、見失ったのかを、しっかり感じ分けるためである。
 失われた、そう感じるものの一つが「生きがい」ではなかったか。『生きがいについて』で神谷(美恵子)は、生きがいは作りだすものであるよりも、すでにあって発見すべき何かだという。苦悩や悲痛を経験すると人は、生きがいを奪われたと思う。だが、神谷はこの本で、誰も奪い尽くすことのできない、真の生きがいが存在すると語っている。そのことを彼女は、岡山県にあるハンセン病療養施設長島愛生園の人々との交わりのなかで見出していた。
 求めているものとの出会いは、かねて予想したように現れるとは限らない。むしろ、それを大きく裏切るようなかたちで人生を横切ることがある。
 自分の小さな人生を顧みても、幸福を告げ知らせる経験は、歓喜のうちに現れるとは限らず、悲痛をともなう出来事のなかで、その深みを知ることもあるように思われる。本当の悲しみは、時間と共に癒えていく、というものではないだろう。その傷は、いつもありありと存在する。だが、その出来事が扉になって、私たちはまったく予想しない世界に導かれることもあるのではないだろうか。』

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2018年2月16日 (金)

素晴らしいジャンプを

平昌オリンピックの男子ノーマルヒル決勝、日付が変わる頃テレビをつけた。風が強く吹く中、選手はスタート位置については戻り、位置については戻りを繰り返していた。深夜の寒い中で何度も待て、を繰り返す状況をライヴで見ていて、本当にすごいなと思った。おそらく10分くらい待った後で彼は(待ちきれない様子だった)見事なジャンプをした。スイスのシモン・アマン。そして後続のロベルト・ヨハンソン(髭の人です)も素晴らしいジャンプで銅メダル。驚くほかない。この人たちはいったい何だろう、と思った。凍える寒さの中で、その上自分の思い通りにならないタイミングを待つ、でも素晴らしいジャンプをする。

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2月16日の日経新聞に掲載された三浦知良さんの記事はやはりオリンピックに触れていた。その中から

『・・・例えばスキージャンプ。4年に1度、何秒間かの踏み切りや飛躍に全てをかける。それでいて、その一瞬が必ずしもいい環境に恵まれない。気まぐれな風。寒さ。悪条件。過酷というか、不条理にさえ思えてくる。
 色々な条件がピタリとかみ合わないと、自分のパフォーマンスを出し切れないときは僕にもある。・・・』
『考えてみればストリート育ちのブラジル選手は、どんな条件でサッカーをさせてもうまい。いい芝生、硬い地面、ぬかるみ。様々な状況でやってきて、本当の意味で使える技術を持っている。僕自身もブラジルに渡った10代にはあらゆる悪条件でサッカーをした。「こういう場でもプレーできなければ、本物じゃない」と言い聞かせながら。
 経験とは、いろんな条件の下で戦い、生きてきた幅のことだ。そして生き残るということは、状況に順応できるということ。理想の条件ばかりは望めない。言ってみれば、僕らには泥沼しか与えられない。それでも合わせていく。それを「力」とも言い換えられるのだろうね。』

2018年1月15日 (月)

1月14日、日経新聞に掲載された大田弘子さんの記事から

『鹿児島の伝統校、鶴丸高校には知識よりも知性を育む校風があり、学んだことは「ずしんと染みついている」。特に記憶に残るのは、化学の先生の「教養とは、はにかむことである」という言葉だ。半可通がとうとうと正論を述べ、知識をひけらかすのは慎まねばならないと諭された。』

2018年1月13日 (土)

レイモンド・チャンドラー

雑誌「MONKEY」vol.7掲載の対談の中で村上春樹さんが

『僕は比喩に関しては、だいたいレイモンド・チャンドラーに学びました。チャンドラーってもうなにしろ、比喩の天才ですから。たまに外してるものもあるけど、良いものはめっぽう良い。』

と語っているのを目にして、なるほどそうだったのか、と膝を打ちたくなった。確か「ロング・グッドバイ」の中にあった僕の大好きな比喩を思い出した。サンドイッチの中の乾いてぱさぱさになったレタスをたとえに使っていたような。続けて村上さんは

『比喩っていうのは、意味性を浮き彫りにするための落差であると。だからその落差のあるべき幅を、自分の中で感覚的にいったん設定しちゃえば、ここにこれがあってここから落差を逆算していって、だいたいこのへんだなあっていうのが、目分量でわかります。逆算するのがコツなんです。ここですとんとうまく落差を与えておけば、読者ははっとして目が覚めるだろうと。読者を眠らせるわけにはいきませんから。そろそろ読者の目を覚まさせようと思ったら、そこに適当な比喩を持ってくるわけ。文章にはある程度そういうサプライズが必要なんです。』
 ー ここに落差入れようっていうのは、学んで、書いているうちにここだなとだいたい目星がついてくると。そこに入れる比喩は自然に思いつく。
『自然に思いつきます。さっきも言ったように、比喩みたいなのは自然に出てこないと意味ないと思っているから。』

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この対談を読む前にいくつも村上春樹さんの長編を読んでいて(一度読んだものが多かったけれど夢中になって、電車を乗り過ごしたりした)、彼の比喩はいつも楽しかった。物語の大きな流れには関係のない、実に気の利いた箸休めのようだった。この対談を読んだ後、久しぶりにチャンドラーを読んでみようと思った。それで年末に読んだのが村上さん訳の「大いなる眠り」。巻末の解説も訳者によるもので、この文章がまるで仕事を離れたかのように生き生きしている。その中から

『この作品の映画化にあたったハワード・ホークスが、原作者チャンドラーに電報を打って、「スターンウッド家のお抱え運転手を殺した犯人は、いったい誰なのですか?」と尋ねた逸話はあまりにも有名だが(「私は知らない」というのが著者の返した電文だった)、そのように思わず著者に真相を問いただしてみたくなる部分は、この本の中に何カ所かある。『キャッチャー・イン・ザ・ライ』の主人公ホールデン・コールフィールド君は「本を読み終えて、その著者に電話をかけたくなるような本は素晴らしい本だよ」みたいな意見を述べているが、そういう意味では(ちょっと意味合いは違うけれど)『大いなる眠り』も「素晴らしい本」のひとつに数えられるかもしれない。
 しかし「すべてはロジカルに解決されているけれど、話としてはそんなに面白くない」小説よりは、「うまく筋の通らない部分も散見されるものの、話としてはなにはともあれやたら面白い」小説の方が、言うまでもなく読者にとっては遙かに魅力的であるわけで、もちろんチャンドラーの小説は後者の範疇にある。というか逆に、多少「わけがわからん」というファジーな部分があるくらいの方が、小説としての奥行きが出てくるのではないか、と断言したくなってくるくらいだ。』

年が明けて1月4日と5日の日経新聞にチャンドラーの長編7作の翻訳を終えた村上さんの文章が載り、ふむふむと読んだ。今読んでいるのは「高い窓」。僕が感じるチャンドラー作品の魅力はやはり、主人公フィリップ・マーロウだ。

2017年12月29日 (金)

「出発の地に」

12月28日、日経新聞夕刊に掲載された森田真生さんの「偶然の散歩」という文章から

『気づけばあれから半年が経ち、この連載もついに最終回を迎える。最後の原稿に取りかかる前に、またあの公園に出かけたいと思った。「すべて私たちの旅の終わりは、出発の地に辿り着くこと」 ー エリオットの詩の一節が、僕の頭にはあった。』
 ・・・・・
「すべて私たちの旅の終わりは、出発の地に辿り着くこと、そしてその地を初めて知るのだ」。エリオットの詩の続きを、僕は心の中で聴いた。』

今年の新聞記事切り抜きを整頓した。それまで知らず、だからいっそう毎週新鮮で素晴らしい発想を頂いたのが独立研究者、森田真生さんの文章だった。やはり知らなかったけれど、言語学者、黒田龍之助さんの文章も楽しかった。切り抜いて取っておかなかったのが悔やまれるのが、パスタのゆで具合(アルデンテ)についての文章。僕のあやふやな記憶でものすごく乱暴に要約すると、好きなゆで具合で食べればいいじゃないか、という痛快なものだった。この夕刊のエッセイは、何度も書いた多和田葉子さんは言うに及ばず、ジェーン・スーさんも素敵だった。
スポーツではベンチプレス、児玉大紀さんの記事が強烈だった。信じられない思いで読んだ。他には三浦知良さん、為末大さんの切り抜きが多かった。音楽ではなんと言っても庄司紗矢香さんの読書日記がよかった。大切な示唆だった。そう、夏限定で読む信濃毎日新聞にも毎年素晴らしい記事がある。
心引かれて切り抜いた記事に共通するのは、とらわれない発想、アイデア、気持ちの持ち方、そうしたものだった。貴重なことを学ばせて頂いた。

昨年の夕刊のコラムで、切り抜いておかなかったことを残念に思うのが漆間巌さん。肩書きからはすぐには想像できない音楽の話が何度も出てきて楽しかった。子供の頃、オイストラフの演奏を体育館で聴いてヴァイオリンの虜になったこと、ソ連駐在中にチャイコフスキー・コンクールを予選から聴いたこと、など。オイストラフの音、どんなだったのだろう。

ところで、今日29日から夕刊は休み。あぁ実につまらない。

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2017年11月29日 (水)

11月28日の日経新聞に掲載された元サッカー日本代表、北澤豪さんの記事から、

『日本ではスポーツのステータスが低いといわれることがある。なくなっても困らないもの、と考えている人もいるような気がする。
 いや、なくてはダメですよ。世の中でテクノロジー化が進み、何でもオートマチックに行われるような味気ない時代を迎えたら、人の感情を動かすもの、心を揺さぶるものがますます必要になる。
 ・・・・・
 サッカー界(スポーツ界)はその構造をピラミッド型にして描く。優れた選手にピラミッドの頂点を目指して縦に動かしていく。しかし、違う捉え方もあると感じている。サッカー界をいわば平面で捉え、網の目の構造で考えてもいいのではないか。
 それぞれの網の目(地域)の中にプロサッカーも子どものサッカーもシニアサッカーも障がい者サッカーもある。その小さな網の目の中でそれぞれが交流し、選手や指導者が行き来し、つながっている感覚をつくる。そういう横の関係を築いていくと、互いに心を動かされ、相手を称賛する文化が育まれる。
 子どものサッカーでもシニアサッカーでも障がい者サッカーでも、すごいと思う瞬間がある。底辺にいる選手であろうが、そのすごさをしっかり評価し、称賛してあげたい。そういう価値観を確立していくことでスポーツ界は変わっていくだろう。』

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2017年11月20日 (月)

雑誌「MONKEY」


本屋で雑誌「MONKEY」vol.13を立ち読みしていたら、ボブ・ディランのノーベル賞受賞講演が掲載されていてとても興味深かった。http://www.switch-store.net/smp/item/MO0013.html
ボブ・ディランを聴きたくなり、昨日「The very best of Bob Dylan」というCDを求め、聴いている。(本屋ではさんざん迷った結果、村上春樹さんと川上未映子さんの対談が掲載されている「MONKEY」vol.7を買いました。こちらも大変興味深かったのです、すみません)

先月仙川に散髪に行った時、学生時代から担当してくれているKさんが、「長谷部くんは小説とか読む?カズオ・イシグロって知ってる?」と尋ねるので、読んだことがある(「日の名残り」は読んだことがあった)と答えたら、「本当?二百人以上のお客さんに聞いたけど初めて」と驚いていた。Kさんはノーベル文学賞のニュースの後、カズオ・イシグロさんのことを知らなかったので、慌てて最新作を読んだそうだ。せっかく読んだのに、彼のことを知っている客はなかなか現れず、ということだったらしい。僕もその話の後、「忘れられた巨人」を読んだ。今はずっと村上春樹さんの長編を読んでいる。

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