書籍・雑誌

2017年5月 3日 (水)

Bunkamuraで開かれている「写真家 ソール・ライター展」へ。http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_saulleiter/
彼のドキュメンタリー映画は見ていて、素晴らしい写真だな、とは思っていたけれど、実際に大きなプリントの前に立つと時間を忘れて見入った。カラー写真の美しさと言ったら・・・。

ソール・ライターの言葉から
『重要なのは、どこである、何である、ではなく、どのようにそれを見るかということだ。 It is not where it is or what it is that matters but how you see it.』

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5月2日日経新聞夕刊に掲載された沼野充義さんの記事から
『同語反復的だが、「世界文学とは何かと考えることが世界文学である」というのが今の状況だ。文学の道を極めた偉い先生が「これを読めば大事なことは大体わかるから読んでおきなさい」というものをありがたがるのではなく、読み手一人ひとりが自分にとって切実な作品を手にしながら、自分だけの地図を作っていくことが大切だと思う。
世界文学について考える際に大きな問題となるのが翻訳だ。翻訳という営為の本質は、容易にはわかり合えない二つの文明圏をつなぐこと。「うまいか下手か」という技術の話ではない。
仮にテロリストと呼ばれる人間の気持ちを我々が理解するためには、翻訳が必要だ。だがそれがないままに「あいつらは敵」というプロパガンダばかりが声高に叫ばれ、世界各地で血が流れている。「文明の衝突」とは翻訳の拒否、あるいは巨大な誤訳によって生じる事態なのではないか。
・・・・・・
文学作品を読むとは、冒険のような具体的な「経験」だと私は考えている。読み終えて、内容をすっかり忘れてしまったとしても、その経験は必ず心に痕跡を残す。そして読む前と読んだ後とで、自分の中の何かが確かに変わっている。
文学は旅に似ている。目的地へ急ぐより、ゆっくり行く方が面白い。だから文学作品もできるだけゆっくり読んで、細部を楽しむべきだ。およそ功利的でなく、この時代において全く反時代的なことだけれども。』

2017年3月27日 (月)

新聞とラジオが好きなのは年寄り、というようなことを誰かがラジオで言っていた。でも好きなものは好きだもの。前より新聞を丁寧に読んでいる気がする。楽しみにしている連載は、今の日経新聞だと例えば月曜夕刊、多和田葉子さんの文章。先週は夕刊が休みで実に残念だった。

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3月21、22日日経夕刊に掲載されたベンチプレス、児玉大紀さんの記事から。
『発想力でしょうね。スポーツで成功する人は普通の人が「こいつ何言うてんねん」と思うようなことを考える。我が道を行って、ぶっ飛んでいるヤツがチャンピオンになれる』
『強かった自分はもうどこにもいてへんのです。そこを受け入れないと駄目。今の弱い自分を受け入れて、一歩ずつ強くしていくしかないですから』
『人間の個体差なんて5パーセントもないはず。僕の筋肉だけ特別に一本一本が強いわけじゃない。大事なのは、それをロスなく全部使えるかどうか』

2017年3月22日 (水)

雑誌「Number」922号、三浦和良選手の特集記事から。

『出場が10試合以下になったら、ゴールができなかったから、という理由では引退しないと思います。毎日の練習がきちんとできていたら、引退はしません。いまは練習のレベルがちゃんと水準に達している実感があるし、手応えもあります。自分自身に情熱があって、練習でいいプレーができている限りは続けていきたい。・・・・・
大事なのは、50歳だからすごいとか、これまでの実績や、何試合出たということよりも、いま、毎日、何ができているのか、どういう生活をしているのか、あるいは、どういう気持ちでサッカーをやっているのか、情熱を持ってトレーニングができているのか、何をどう続けられているかです。もちろん、プロとして数字は求めなければいけませんが、根底にある大事なことは、そういう気持ちだと思ってやっています』

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『僕は人生の中で、絶対に大切にしなきゃいけないものがあると思うんです。簡単に手放してはいけないもの。お金をたくさん積まれても、譲ってはいけないもの。かけがえのない自分の人生を賭けてやってきた、一番得意なもの。僕にとってそれはサッカーだったから、ただただ続けてきた。たったひとつのことを続けることって尊いことだと思うんです。もちろん、わからないですよ、もしかしたら、僕だって違うことをやったほうがよかったかもしれない。でも、僕は、幸せなことに続けられる環境の中にいたから、迷わず続けることができた。』

2017年3月18日 (土)

アクロス福岡での公演が終わり、夜の新幹線で移動。景色があまり見えないのでさすがに退屈してくる。

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今日の日経新聞に載った写真家鈴木理策さんの文章から。
『その人、前田英樹さんは、僕が直感的に感じることを論理的に言語化してくれた。対談ですっかり意気投合し、彼が主宰する剣術の会に誘われた。時代劇は好きだし面白そう、と気楽に参加したのが大間違い。型を身につけるため、ひたすら同じ事を繰り返すのだ。
当時の僕は故郷の和歌山県熊野や青森県恐山に分け入り、心に従い景色を撮って並べる紙芝居的な作品を手がけていた。意図的に見せ場を作ったらわざとらしい写真が嫌だったからだ。彼と共鳴したのは、こうした物事へのスタンスだろう。剣術は無意識に型を表現できるまで鍛える。僕も無意識で捉えるものの中に美をさぐってきた。』


2017年3月17日 (金)

午前中の新幹線で博多へ。ホテルの部屋に荷物を置き、うーんまだ電車に乗るのか、と思いながら筑肥線に。

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一時間ほど乗ると今朝までいた東京とは別世界の静かな海が広がっていた。波の音と鳥の声しか聞こえない。

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ホテルに戻って開いた朝日新聞に永六輔さんの言葉が載っていた。
『生きていることは誰かに借りをつくること。生きているということは、その借りを返していくということ』

2017年3月12日 (日)

2月3日の日経新聞に掲載されたサッカー、三浦和良選手の記事から。

『心技体、ベテランになるほど1つといわず全部大事になってくる。すべてそろわずとも、できてしまうのが若さ。僕らは1つでも欠ければその分、パフォーマンスは落ちる。あのやり方も取り入れたい、この要素もやっておかなきゃ・・・時間が足りないくらいだよ。
練習法や技術が進展し、様々なことが「いい」と説明付けられるようになった。そこには"言葉の誘惑"もあってね。「それは必ずしも必要ないよ」「負荷をそこまできつくしなくていいよ」。それら理屈が間違っているとは思わない。
でも個人的見解としては「苦しまない先には何もない」といつも思っている。効率も追求できるし、理論的に正しい"楽"ならいかようにもできる。ただそこに成長もない気がしてね。
できるなら毎日倒れるまで走りたい。きつい練習で汗にまみれたい。シュート練習なら100本打ちたい。それじゃ体が壊れるから、集中して20本、くらいで折り合うのだけど。50歳も間近でなぜ現役でいられるか、訳を僕は知らない。そんな理由より意欲が尽きないんです。もっと自分を良くする何かがどこかにある、と思えてならない。苦労でさえ、したい。』

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2017年3月 5日 (日)

『魚ときのこ以外では』

昨日放送されたブラタモリは奄美大島。番組の大きな軸は蘇鉄で、とても興味深かった。奄美の人々が江戸時代や戦後の食糧難を蘇鉄の実を食べて(実の毒を抜いてデンプン質を摂る)生き抜いたことを知り、驚いた。

雑誌「図書」3月号に掲載された加藤真さんの「森と水田が織りなす自然と食」という文章から。

『・・・日本列島では約3000年にわたって米を主食にしてきたと考えられているが、米が渡来する以前には、シイやクリやトチといった堅果に強く依存する生活があったと考えられる。・・・
われわれが普段食べているものの中で、この列島に自生していたものは、魚ときのこ以外ではほとんどない。主要作物の起源地を考えると、米は中国南部からインドシナ半島、コムギとオオムギはメソポタミア、アワとキビは中央アジア、トウモロコシはメキシコ、ソバは中国の雲南、サトイモは東南アジア、サツマイモは中南米、ジャガイモはアンデス山脈である。日本列島を起源とする栽培植物は、ヤマノイモとワサビ、ヤマモモくらいしかないのである(ヒエは日本が起源の可能性はあるが)。それに対して、シイやクリを含む多様などんぐりや、トチ、カヤ、オニグルミなどは日本列島にもともと自生していたものである。水田農耕よりも、焼畑農耕よりも以前に、照葉樹林とそれに隣接する落葉広葉樹林で、堅果に依存する生活が長く続いていたことは、三内丸山遺跡の出土品とも呼応している。』

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蕎麦やうどんはもちろん、米の飯も、もともと日本列島にあったものではない、ということか。普段口にする農産物の多くは、人間の手で日本列島に持ち込まれたものとは知らなかった。

2017年1月13日 (金)

昨日は写真の日。ギャラリー冬青で開かれている渡部さとるさんの写真展「demain 2017」へ。楽しみにしていた。http://www.tosei-sha.jp/TOSEI-NEW-HP/html/EXHIBITIONS/j_1701_watanabe.html
渡部さんご本人がギャラリーにいて、アルバムのような写真集を作りたかった、と伺った。様々な場所、時間が混在していて、ものすごく特別なことは写っていないのかもしれないのだけれど、それらの写真に引き込まれる、そんな感じだった。

その後、ブックスアンドモダンへ。ハービー山口さんの写真展「and STILLNESS ─ あの日のプラハ、ワルシャワ、ブダペスト……東ヨーロッパ1985−1996」http://booksandmodern.com/gallery/
1985年の西ベルリンと、壁が崩れた1989年の東ヨーロッパが写っている。僕が東ドイツ(当時)に演奏旅行に行ったのが83年と85年。どうしてもこの頃の東ヨーロッパには強く関心を持って見入ってしまう。画面にはモノであふれる前の国々が写っている。ベルリンの壁が崩れた時、あぁこれで世界は融和に向かう、と本当に嬉しく思ったのに。

二つの写真展を見てから映画「こころに剣士を」(原題The Fencer)に。http://kokoronikenshi.jp/
ソ連占領下のエストニアを舞台とした映画。台詞はエストニア語なのだろうか。淡い光で包まれた画面も音楽も美しかった。

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1月8日の日経新聞にはイギリス秘密情報部(MI6)前長官、ジョン・サワーズさんの大きな記事が掲載された。最後には映画007シリーズにまでウィットたっぷりに言及して興味深かった。その中から。

『世界は再び、大国が主な役割を演じる局面に移ろうとしている。ロシアはウクライナとシリア、中国は南シナ海や東シナ海で軍事力を使い、西側諸国の影響力を排除しようとしている。これが、私たちが適応していかなければならない世界の現実だ。むろん、米中に並び、欧州と日本、インドも経済面では大国だ。この5か国・地域が世界経済を運営し、開かれた貿易システムを維持すべきだ。その上で、世界の安定を保つため、(米中ロという)3つの軍事パワーが均衡を保っていく。今後10年から15年の世界のあるべき姿とは、このような構図になるだろう』


2017年1月 8日 (日)

日経新聞連載「私の履歴書」、今月はカルロス・ゴーンさん。1月3日の記事から。

『母方の家族では、祖母がとてもパワフルな人だったと記憶している。しつけに厳しい人で、私は当時、彼女が好きではなかった。よくあることだが、嫌いだった人には「ああ、こんなに重要な人だったのだ」と後で気づかされることが多い。嫌いということの背景には何か重要なことが隠されている。それは後になってわかる。』

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昨年秋からまたフィルムで写真を撮ることが楽しくなり、今、写真への熱がある。ただしフィルムはとても高価なものとなり、例えば36枚撮りのトライXは1本千円近くする。以前のほぼ3倍だ。貴重なフィルムを大切に思って撮ると、それは結局いい写真につながる気はするけれど。
フィルム写真は、残念ながらLPレコードのようには復活しないのだろうと思っていたら、コダック社から嬉しい発表があった。リバーサルフィルム、エクタクロームの販売を再開するそうだ。
http://www.kodakalaris.com/en-us/about/press-releases/2016/kodak-alaris-reintroduces-iconic-ektachrome-still-film
夢をもう少し広げて、コダクロームが再び使えるようになったら、と思う。あの渋くて深い色の世界を懐かしく思う。

2016年11月20日 (日)

人間の持つ素晴らしい可能性を

一昨日仙川へ。散髪の前に学生時代から通うとんかつ屋に入り、置いてある読売新聞夕刊を開いたら、荘子の言葉が飛び込んできた。荘子は最近読み返したのに、その言葉はまったく記憶になかった。やれやれ。紹介されていたのは王帝王篇の中から。

『至人の心を用うることは鏡のごとし。将(送)らず迎えず、応じて蔵せず。故に能く物にたえて傷なわず。』

以前読み返した時、強く印象に残ったのは大宗師篇、坐忘の章といわれる部分。

『・・・復た見えて曰く、回は益せりと。曰く、何の謂いぞやと。曰く、回は坐忘せりと。仲尼しゅくぜんとして曰く、何をか坐忘と謂うと。顔回曰く、枝体を堕ち聡明をしりぞけ、形を離れ知を去りて、大通に同ず、此れを坐忘と謂うと。』

高校生の時、背伸びをしていろいろな本を読んだ。結局その時は?、という感じで読んでいたのだと思う。今になってそれらの言葉が生き生きと迫ってくる。昔の人たちは本当にすごいと思う。僕がじたばたすることは何もない。

そして、一昨日のとんかつ屋ではとてもうれしいことがあった。

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昨日の都響定期演奏会のソリストは庄司紗矢香さんでデュティーユのヴァイオリン協奏曲「夢の樹」。この曲を書いたデュティーユにも、演奏した庄司さんにも、人間の持つ素晴らしい可能性を感じた。

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