書籍・雑誌

2017年11月20日 (月)

雑誌「MONKEY」


本屋で雑誌「MONKEY」vol.13を立ち読みしていたら、ボブ・ディランのノーベル賞受賞講演が掲載されていてとても興味深かった。http://www.switch-store.net/smp/item/MO0013.html
ボブ・ディランを聴きたくなり、昨日「The very best of Bob Dylan」というCDを求め、聴いている。(本屋ではさんざん迷った結果、村上春樹さんと川上未映子さんの対談が掲載されている「MONKEY」vol.7を買いました。こちらも大変興味深かったのです、すみません)

先月仙川に散髪に行った時、学生時代から担当してくれているKさんが、「長谷部くんは小説とか読む?カズオ・イシグロって知ってる?」と尋ねるので、読んだことがある(「日の名残り」は読んだことがあった)と答えたら、「本当?二百人以上のお客さんに聞いたけど初めて」と驚いていた。Kさんはノーベル文学賞のニュースの後、カズオ・イシグロさんのことを知らなかったので、慌てて最新作を読んだそうだ。せっかく読んだのに、彼のことを知っている客はなかなか現れず、ということだったらしい。僕もその話の後、「忘れられた巨人」を読んだ。今はずっと村上春樹さんの長編を読んでいる。

2017年11月16日 (木)

新聞が好き。コーヒーを飲みながらゆっくり新聞をめくる時間のある朝は幸せだ。晴れていればもっといい。休刊日や夕刊のない祝日は手持ち無沙汰でちょっとつまらないし、もともと朝に強くない僕はそんな日はなかなか調子が上がらない。広い紙面から宝物のような記事を見つけるのは楽しく、そうした記事は古風に切り抜いてとってある。僕が読んでいるのは日経新聞、でも大事にしまってある記事は経済面や社会面より、スポーツ面が多かったりする。あとはエッセイ。今年前半に掲載された多和田葉子さんの文章は毎週本当に楽しみだった。(日経新聞が今月から値上がりしたのは残念ですけれど)
11月14日の朝刊に掲載された為末大さんの文章から、

『心理学の実験で、難しい課題に取り組ませて、あきらめやすい人間の特性を調べたものがある。結果へのリアクションが大きい人ほど諦めやすい傾向にあった。
 リアクションの大きさは期待の裏返しだ。もう何回もやったからそろそろ成功させたい。そんな期待をしすぎる人は過去を振り返り、未来を見すぎる。だから失敗するたびに落胆し、諦めやすくなるのではないだろうか。
 不条理耐性がある人は、今ここを生きることができるのだと思う。物事は思い通りには進まない。いちいちショックを受けていてはやってられない。臨機応変に対応するには、目の前の瞬間に集中することが必要だ。
 スポーツ選手の多くが成功より失敗から学んだというのは、この不条理耐性を得られるからではないだろうか。』

2017年11月14日 (火)

日経新聞連載、「読書日記」は10月19日からヴァイオリンの庄司紗矢香さん。当日の記事は池澤夏樹さんの小説「スティル・ライフ」に関してだった。ちょうどその頃僕も「スティル・ライフ」を読んだばかりだった。庄司さんの文章から、

『・・・山の写真を撮るのが趣味の男性が、大きく広げたシーツにプロジェクターで次々と写真を映し出し、主人公に見せるシーンがある。
 「ただの山の写真だ。だから見方にちょっとこつがある。」と男性はささやく。「なるべくものを考えない。意味を追ってはいけない」
 すごくわかる気がした。なんだか、演奏するときの心境に似ている。演奏会に向けて音楽家は何百時間も練習を重ねる。作品の歴史はもちろん、ありとあらゆることを勉強し尽くす。そのうえで実際に観客の前に立ったら、一旦、リセットする。なぜなら、音楽はすべて意味を説明できるものではないから。説明できないものを表現するところに神髄がある。本番でどこまで無心になれるかが勝負なのだ。』

11月9日の記事から、
『じつは演奏を「仕事」だと思ったことがない。誤解をおそれずに言えば「趣味」のひとつ。もちろん打ち込んできた時間はほかの趣味に比べて圧倒的に多いが、あくまで楽しんで弾いている。』

2017年9月 3日 (日)

9月1日、日経新聞に掲載された三浦和良さんの連載「サッカー人として」から。

『不思議なもんでね。それが大観衆の国立のピッチに立つと、スッと心が落ち着いていく。移動の車中や控え室での方が「勝たなきゃいけない」「ゴールをどう取るんだ」「負けたらどうしよう」と色々考えて。ところが通路を渡りピッチへと踏み出せば、理由は分からずとも自信が湧いてくる。大歓声を、自分の力として受け止めることができる。』
『巡り巡る大勝負で求められるのは何か。「ノン・テン・セグレード」とブラジルの人は言う。体と心をいい状態に、いい準備をする。特別な秘訣(セグレード)などはない。そう心からスッと思えるなら、少なくとも乗り越える準備はできているんだ。』

2017_utsukushigahara


2017年7月 9日 (日)

須賀敦子さんの本、続けて「トリエステの坂道」を読んだ。以前は文章の心地良さを読んでいたところがある、今は身に沁みる。

登場する様々な人たち、豊かな境遇にあるとは言えない多くの人たち、裕福な、名の通った人たちも、同じように共感を持って描かれている。この須賀さんの視点にすっと心をつかまれるのかもしれない。生きることはどの人にとっても決して軽くない、ということに心動かされる。

同書でもナタリア・ギンズブルグの「ある家族の会話」が言及される。もしかして「トリエステの坂道」は須賀さんにとっての「ある家族の会話」ではないか、と思った。「ふるえる手」から。

『しがみつくようにして私がナタリアの本を読んでいるのを見て、夫は笑った。わかってたよ。彼はいった。書店にこの本が配達されたとき、ぱらぱらとページをめくってすぐに、これはきみの本だって思った。
こうして、「ある家族の会話」は、いつかは自分も書けるようになる日への指標として、遠いところにかがやきつづけることになった。イタリア語で書くか、日本語で書くかは、たぶん、そのときになればわかるはずだった。』

007_2


2017年6月30日 (金)

今年最初の読書は南方熊楠著「十二支考」。密度が高く、読み進むのに少々骨が折れたけれど、ページを開ける度、熊楠さんの自由さに触れることができ、まるで清涼剤のようだった。
その後は太平記。ゆっくりゆっくり読んでいて、今ようやく岩波文庫版の第5冊に取りかかったところ。ふぅ。いったんその言葉のリズムに入ることができれば、進めるのだけれど、戦いに次ぐ戦いの描写に疲れてくると、脱線して他の本を開く。ずいぶんたくさん脱線してきた。

ある本を読んでいたらその中にイタリア、オリヴェッティ社のタイプライターが大切な役割を持って登場し、さらにオリヴェッティ社と作家ナタリア・ギンズブルグとの関係も語られた。名前は知っていたナタリア・ギンズブルグの著作を読んでみようと思った。

2017_0601_09415400

「ある家族の会話」、続いて「モンテフェルモの丘の家」もあっという間に読んでしまった。あっという間に読んでしまったのは、もちろんギンズブルグの書くものが素晴らしいのだけれど、須賀敦子さんの訳によるところも大きいのだと思う。僕にギンズブルグの原文を読むことはできない、でもきっとギンズブルグの文章と須賀さんの訳文は見事に一体となっている。

須賀敦子さんの本は10年以上前によく読んだ。ギンズブルグの名前を知ったのも須賀さんの文章からだった。彼女がローマのギンズブルグを訪ねていく文章がどこかにあったはず、と本棚を探した。(「霧のむこうに住みたい」という本の中の「私のなかのナタリア・ギンズブルグ」) この本もあっという間に再読し、今は「コルシア書店の仲間たち」。読書の喜びここにあり、という感じがする。

ギンズブルグと須賀さんの著作を読んで共通していることに一つ気付いた。自分のことを声高に語らない。間違いなく大変なことでも、まるで他人事のようにごく短く書く。彼女たちのこの強さは一体どこから来ているのだろうか。

2017年5月 3日 (水)

Bunkamuraで開かれている「写真家 ソール・ライター展」へ。http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_saulleiter/
彼のドキュメンタリー映画は見ていて、素晴らしい写真だな、とは思っていたけれど、実際に大きなプリントの前に立つと時間を忘れて見入った。カラー写真の美しさと言ったら・・・。

ソール・ライターの言葉から
『重要なのは、どこである、何である、ではなく、どのようにそれを見るかということだ。 It is not where it is or what it is that matters but how you see it.』

Dsc_0540

5月2日日経新聞夕刊に掲載された沼野充義さんの記事から
『同語反復的だが、「世界文学とは何かと考えることが世界文学である」というのが今の状況だ。文学の道を極めた偉い先生が「これを読めば大事なことは大体わかるから読んでおきなさい」というものをありがたがるのではなく、読み手一人ひとりが自分にとって切実な作品を手にしながら、自分だけの地図を作っていくことが大切だと思う。
世界文学について考える際に大きな問題となるのが翻訳だ。翻訳という営為の本質は、容易にはわかり合えない二つの文明圏をつなぐこと。「うまいか下手か」という技術の話ではない。
仮にテロリストと呼ばれる人間の気持ちを我々が理解するためには、翻訳が必要だ。だがそれがないままに「あいつらは敵」というプロパガンダばかりが声高に叫ばれ、世界各地で血が流れている。「文明の衝突」とは翻訳の拒否、あるいは巨大な誤訳によって生じる事態なのではないか。
・・・・・・
文学作品を読むとは、冒険のような具体的な「経験」だと私は考えている。読み終えて、内容をすっかり忘れてしまったとしても、その経験は必ず心に痕跡を残す。そして読む前と読んだ後とで、自分の中の何かが確かに変わっている。
文学は旅に似ている。目的地へ急ぐより、ゆっくり行く方が面白い。だから文学作品もできるだけゆっくり読んで、細部を楽しむべきだ。およそ功利的でなく、この時代において全く反時代的なことだけれども。』

2017年3月27日 (月)

新聞とラジオが好きなのは年寄り、というようなことを誰かがラジオで言っていた。でも好きなものは好きだもの。前より新聞を丁寧に読んでいる気がする。楽しみにしている連載は、今の日経新聞だと例えば月曜夕刊、多和田葉子さんの文章。先週は夕刊が休みで実に残念だった。

020_2

3月21、22日日経夕刊に掲載されたベンチプレス、児玉大紀さんの記事から。
『発想力でしょうね。スポーツで成功する人は普通の人が「こいつ何言うてんねん」と思うようなことを考える。我が道を行って、ぶっ飛んでいるヤツがチャンピオンになれる』
『強かった自分はもうどこにもいてへんのです。そこを受け入れないと駄目。今の弱い自分を受け入れて、一歩ずつ強くしていくしかないですから』
『人間の個体差なんて5パーセントもないはず。僕の筋肉だけ特別に一本一本が強いわけじゃない。大事なのは、それをロスなく全部使えるかどうか』

2017年3月22日 (水)

雑誌「Number」922号、三浦和良選手の特集記事から。

『出場が10試合以下になったら、ゴールができなかったから、という理由では引退しないと思います。毎日の練習がきちんとできていたら、引退はしません。いまは練習のレベルがちゃんと水準に達している実感があるし、手応えもあります。自分自身に情熱があって、練習でいいプレーができている限りは続けていきたい。・・・・・
大事なのは、50歳だからすごいとか、これまでの実績や、何試合出たということよりも、いま、毎日、何ができているのか、どういう生活をしているのか、あるいは、どういう気持ちでサッカーをやっているのか、情熱を持ってトレーニングができているのか、何をどう続けられているかです。もちろん、プロとして数字は求めなければいけませんが、根底にある大事なことは、そういう気持ちだと思ってやっています』

019_2

『僕は人生の中で、絶対に大切にしなきゃいけないものがあると思うんです。簡単に手放してはいけないもの。お金をたくさん積まれても、譲ってはいけないもの。かけがえのない自分の人生を賭けてやってきた、一番得意なもの。僕にとってそれはサッカーだったから、ただただ続けてきた。たったひとつのことを続けることって尊いことだと思うんです。もちろん、わからないですよ、もしかしたら、僕だって違うことをやったほうがよかったかもしれない。でも、僕は、幸せなことに続けられる環境の中にいたから、迷わず続けることができた。』

2017年3月18日 (土)

アクロス福岡での公演が終わり、夜の新幹線で移動。景色があまり見えないのでさすがに退屈してくる。

039

今日の日経新聞に載った写真家鈴木理策さんの文章から。
『その人、前田英樹さんは、僕が直感的に感じることを論理的に言語化してくれた。対談ですっかり意気投合し、彼が主宰する剣術の会に誘われた。時代劇は好きだし面白そう、と気楽に参加したのが大間違い。型を身につけるため、ひたすら同じ事を繰り返すのだ。
当時の僕は故郷の和歌山県熊野や青森県恐山に分け入り、心に従い景色を撮って並べる紙芝居的な作品を手がけていた。意図的に見せ場を作ったらわざとらしい写真が嫌だったからだ。彼と共鳴したのは、こうした物事へのスタンスだろう。剣術は無意識に型を表現できるまで鍛える。僕も無意識で捉えるものの中に美をさぐってきた。』


より以前の記事一覧

その他のカテゴリー