書籍・雑誌

2017年9月 3日 (日)

9月1日、日経新聞に掲載された三浦和良さんの連載「サッカー人として」から。

『不思議なもんでね。それが大観衆の国立のピッチに立つと、スッと心が落ち着いていく。移動の車中や控え室での方が「勝たなきゃいけない」「ゴールをどう取るんだ」「負けたらどうしよう」と色々考えて。ところが通路を渡りピッチへと踏み出せば、理由は分からずとも自信が湧いてくる。大歓声を、自分の力として受け止めることができる。』
『巡り巡る大勝負で求められるのは何か。「ノン・テン・セグレード」とブラジルの人は言う。体と心をいい状態に、いい準備をする。特別な秘訣(セグレード)などはない。そう心からスッと思えるなら、少なくとも乗り越える準備はできているんだ。』

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2017年7月 9日 (日)

須賀敦子さんの本、続けて「トリエステの坂道」を読んだ。以前は文章の心地良さを読んでいたところがある、今は身に沁みる。

登場する様々な人たち、豊かな境遇にあるとは言えない多くの人たち、裕福な、名の通った人たちも、同じように共感を持って描かれている。この須賀さんの視点にすっと心をつかまれるのかもしれない。生きることはどの人にとっても決して軽くない、ということに心動かされる。

同書でもナタリア・ギンズブルグの「ある家族の会話」が言及される。もしかして「トリエステの坂道」は須賀さんにとっての「ある家族の会話」ではないか、と思った。「ふるえる手」から。

『しがみつくようにして私がナタリアの本を読んでいるのを見て、夫は笑った。わかってたよ。彼はいった。書店にこの本が配達されたとき、ぱらぱらとページをめくってすぐに、これはきみの本だって思った。
こうして、「ある家族の会話」は、いつかは自分も書けるようになる日への指標として、遠いところにかがやきつづけることになった。イタリア語で書くか、日本語で書くかは、たぶん、そのときになればわかるはずだった。』

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2017年6月30日 (金)

今年最初の読書は南方熊楠著「十二支考」。密度が高く、読み進むのに少々骨が折れたけれど、ページを開ける度、熊楠さんの自由さに触れることができ、まるで清涼剤のようだった。
その後は太平記。ゆっくりゆっくり読んでいて、今ようやく岩波文庫版の第5冊に取りかかったところ。ふぅ。いったんその言葉のリズムに入ることができれば、進めるのだけれど、戦いに次ぐ戦いの描写に疲れてくると、脱線して他の本を開く。ずいぶんたくさん脱線してきた。

ある本を読んでいたらその中にイタリア、オリヴェッティ社のタイプライターが大切な役割を持って登場し、さらにオリヴェッティ社と作家ナタリア・ギンズブルグとの関係も語られた。名前は知っていたナタリア・ギンズブルグの著作を読んでみようと思った。

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「ある家族の会話」、続いて「モンテフェルモの丘の家」もあっという間に読んでしまった。あっという間に読んでしまったのは、もちろんギンズブルグの書くものが素晴らしいのだけれど、須賀敦子さんの訳によるところも大きいのだと思う。僕にギンズブルグの原文を読むことはできない、でもきっとギンズブルグの文章と須賀さんの訳文は見事に一体となっている。

須賀敦子さんの本は10年以上前によく読んだ。ギンズブルグの名前を知ったのも須賀さんの文章からだった。彼女がローマのギンズブルグを訪ねていく文章がどこかにあったはず、と本棚を探した。(「霧のむこうに住みたい」という本の中の「私のなかのナタリア・ギンズブルグ」) この本もあっという間に再読し、今は「コルシア書店の仲間たち」。読書の喜びここにあり、という感じがする。

ギンズブルグと須賀さんの著作を読んで共通していることに一つ気付いた。自分のことを声高に語らない。間違いなく大変なことでも、まるで他人事のようにごく短く書く。彼女たちのこの強さは一体どこから来ているのだろうか。

2017年5月 3日 (水)

Bunkamuraで開かれている「写真家 ソール・ライター展」へ。http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_saulleiter/
彼のドキュメンタリー映画は見ていて、素晴らしい写真だな、とは思っていたけれど、実際に大きなプリントの前に立つと時間を忘れて見入った。カラー写真の美しさと言ったら・・・。

ソール・ライターの言葉から
『重要なのは、どこである、何である、ではなく、どのようにそれを見るかということだ。 It is not where it is or what it is that matters but how you see it.』

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5月2日日経新聞夕刊に掲載された沼野充義さんの記事から
『同語反復的だが、「世界文学とは何かと考えることが世界文学である」というのが今の状況だ。文学の道を極めた偉い先生が「これを読めば大事なことは大体わかるから読んでおきなさい」というものをありがたがるのではなく、読み手一人ひとりが自分にとって切実な作品を手にしながら、自分だけの地図を作っていくことが大切だと思う。
世界文学について考える際に大きな問題となるのが翻訳だ。翻訳という営為の本質は、容易にはわかり合えない二つの文明圏をつなぐこと。「うまいか下手か」という技術の話ではない。
仮にテロリストと呼ばれる人間の気持ちを我々が理解するためには、翻訳が必要だ。だがそれがないままに「あいつらは敵」というプロパガンダばかりが声高に叫ばれ、世界各地で血が流れている。「文明の衝突」とは翻訳の拒否、あるいは巨大な誤訳によって生じる事態なのではないか。
・・・・・・
文学作品を読むとは、冒険のような具体的な「経験」だと私は考えている。読み終えて、内容をすっかり忘れてしまったとしても、その経験は必ず心に痕跡を残す。そして読む前と読んだ後とで、自分の中の何かが確かに変わっている。
文学は旅に似ている。目的地へ急ぐより、ゆっくり行く方が面白い。だから文学作品もできるだけゆっくり読んで、細部を楽しむべきだ。およそ功利的でなく、この時代において全く反時代的なことだけれども。』

2017年3月27日 (月)

新聞とラジオが好きなのは年寄り、というようなことを誰かがラジオで言っていた。でも好きなものは好きだもの。前より新聞を丁寧に読んでいる気がする。楽しみにしている連載は、今の日経新聞だと例えば月曜夕刊、多和田葉子さんの文章。先週は夕刊が休みで実に残念だった。

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3月21、22日日経夕刊に掲載されたベンチプレス、児玉大紀さんの記事から。
『発想力でしょうね。スポーツで成功する人は普通の人が「こいつ何言うてんねん」と思うようなことを考える。我が道を行って、ぶっ飛んでいるヤツがチャンピオンになれる』
『強かった自分はもうどこにもいてへんのです。そこを受け入れないと駄目。今の弱い自分を受け入れて、一歩ずつ強くしていくしかないですから』
『人間の個体差なんて5パーセントもないはず。僕の筋肉だけ特別に一本一本が強いわけじゃない。大事なのは、それをロスなく全部使えるかどうか』

2017年3月22日 (水)

雑誌「Number」922号、三浦和良選手の特集記事から。

『出場が10試合以下になったら、ゴールができなかったから、という理由では引退しないと思います。毎日の練習がきちんとできていたら、引退はしません。いまは練習のレベルがちゃんと水準に達している実感があるし、手応えもあります。自分自身に情熱があって、練習でいいプレーができている限りは続けていきたい。・・・・・
大事なのは、50歳だからすごいとか、これまでの実績や、何試合出たということよりも、いま、毎日、何ができているのか、どういう生活をしているのか、あるいは、どういう気持ちでサッカーをやっているのか、情熱を持ってトレーニングができているのか、何をどう続けられているかです。もちろん、プロとして数字は求めなければいけませんが、根底にある大事なことは、そういう気持ちだと思ってやっています』

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『僕は人生の中で、絶対に大切にしなきゃいけないものがあると思うんです。簡単に手放してはいけないもの。お金をたくさん積まれても、譲ってはいけないもの。かけがえのない自分の人生を賭けてやってきた、一番得意なもの。僕にとってそれはサッカーだったから、ただただ続けてきた。たったひとつのことを続けることって尊いことだと思うんです。もちろん、わからないですよ、もしかしたら、僕だって違うことをやったほうがよかったかもしれない。でも、僕は、幸せなことに続けられる環境の中にいたから、迷わず続けることができた。』

2017年3月18日 (土)

アクロス福岡での公演が終わり、夜の新幹線で移動。景色があまり見えないのでさすがに退屈してくる。

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今日の日経新聞に載った写真家鈴木理策さんの文章から。
『その人、前田英樹さんは、僕が直感的に感じることを論理的に言語化してくれた。対談ですっかり意気投合し、彼が主宰する剣術の会に誘われた。時代劇は好きだし面白そう、と気楽に参加したのが大間違い。型を身につけるため、ひたすら同じ事を繰り返すのだ。
当時の僕は故郷の和歌山県熊野や青森県恐山に分け入り、心に従い景色を撮って並べる紙芝居的な作品を手がけていた。意図的に見せ場を作ったらわざとらしい写真が嫌だったからだ。彼と共鳴したのは、こうした物事へのスタンスだろう。剣術は無意識に型を表現できるまで鍛える。僕も無意識で捉えるものの中に美をさぐってきた。』


2017年3月17日 (金)

午前中の新幹線で博多へ。ホテルの部屋に荷物を置き、うーんまだ電車に乗るのか、と思いながら筑肥線に。

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一時間ほど乗ると今朝までいた東京とは別世界の静かな海が広がっていた。波の音と鳥の声しか聞こえない。

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ホテルに戻って開いた朝日新聞に永六輔さんの言葉が載っていた。
『生きていることは誰かに借りをつくること。生きているということは、その借りを返していくということ』

2017年3月12日 (日)

2月3日の日経新聞に掲載されたサッカー、三浦和良選手の記事から。

『心技体、ベテランになるほど1つといわず全部大事になってくる。すべてそろわずとも、できてしまうのが若さ。僕らは1つでも欠ければその分、パフォーマンスは落ちる。あのやり方も取り入れたい、この要素もやっておかなきゃ・・・時間が足りないくらいだよ。
練習法や技術が進展し、様々なことが「いい」と説明付けられるようになった。そこには"言葉の誘惑"もあってね。「それは必ずしも必要ないよ」「負荷をそこまできつくしなくていいよ」。それら理屈が間違っているとは思わない。
でも個人的見解としては「苦しまない先には何もない」といつも思っている。効率も追求できるし、理論的に正しい"楽"ならいかようにもできる。ただそこに成長もない気がしてね。
できるなら毎日倒れるまで走りたい。きつい練習で汗にまみれたい。シュート練習なら100本打ちたい。それじゃ体が壊れるから、集中して20本、くらいで折り合うのだけど。50歳も間近でなぜ現役でいられるか、訳を僕は知らない。そんな理由より意欲が尽きないんです。もっと自分を良くする何かがどこかにある、と思えてならない。苦労でさえ、したい。』

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2017年3月 5日 (日)

『魚ときのこ以外では』

昨日放送されたブラタモリは奄美大島。番組の大きな軸は蘇鉄で、とても興味深かった。奄美の人々が江戸時代や戦後の食糧難を蘇鉄の実を食べて(実の毒を抜いてデンプン質を摂る)生き抜いたことを知り、驚いた。

雑誌「図書」3月号に掲載された加藤真さんの「森と水田が織りなす自然と食」という文章から。

『・・・日本列島では約3000年にわたって米を主食にしてきたと考えられているが、米が渡来する以前には、シイやクリやトチといった堅果に強く依存する生活があったと考えられる。・・・
われわれが普段食べているものの中で、この列島に自生していたものは、魚ときのこ以外ではほとんどない。主要作物の起源地を考えると、米は中国南部からインドシナ半島、コムギとオオムギはメソポタミア、アワとキビは中央アジア、トウモロコシはメキシコ、ソバは中国の雲南、サトイモは東南アジア、サツマイモは中南米、ジャガイモはアンデス山脈である。日本列島を起源とする栽培植物は、ヤマノイモとワサビ、ヤマモモくらいしかないのである(ヒエは日本が起源の可能性はあるが)。それに対して、シイやクリを含む多様などんぐりや、トチ、カヤ、オニグルミなどは日本列島にもともと自生していたものである。水田農耕よりも、焼畑農耕よりも以前に、照葉樹林とそれに隣接する落葉広葉樹林で、堅果に依存する生活が長く続いていたことは、三内丸山遺跡の出土品とも呼応している。』

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蕎麦やうどんはもちろん、米の飯も、もともと日本列島にあったものではない、ということか。普段口にする農産物の多くは、人間の手で日本列島に持ち込まれたものとは知らなかった。

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