音楽

2025年8月14日 (木)

"See you soon !"

8月前半はシュロモ・ミンツさんとの3つの演奏会があった。
(8/3都響プロムナードコンサート、8/9・8/11「ヴィヴァルディ&ピアソラ 2つの四季」)

8月3日のサントリーホール公演はミンツさんの弾き振りによるメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲で始まり、アンコールにハイドンのヴァイオリン協奏曲から第2楽章、マーラーの交響曲第5番よりアダージェット、ベートーヴェンの交響曲第5番。

言うまでもなく、メンデルスゾーンの協奏曲はよく演奏されるレパートリーだけれど、今回は指揮者がいないので、オーケストラが互いの音に耳を澄ませていることがいつも以上に求められ、普段の演奏習慣も見直される所が多かった。
ミンツさんはこの曲に関して、可能性のあるあらゆる箇所での、あらゆるテンポ変化の可能性(ルバートや速く、遅くなど)を試してきたけれど、今はテンポ通りに、と仰ったことが興味深かった。
アンコールのハイドンは、短い緩徐楽章を小編成の弦楽器の伴奏で。特別美しい旋律、特別感情的な何かがある訳ではない、でもミンツさんの音が出た瞬間どうしてあれほど心が動いたのだろう。

後半に演奏されたマーラーのアダージェットにはスムースな流れがあり、「運命」も良かった。指揮者の音楽に、皆が無心になって集まったからなのかもしれない。

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オーケストラ公演から数日おいて、ミンツさんと、9人の都響弦楽器奏者、チェンバロ大井駿さん、で2つの四季のリハーサルが始まった。
曲を始めて、何かがあるとミンツさんが止める。その何かに対するミンツさんの感度はものすごく高かった。音楽の流れが滞ったり、何かがうまくいっていなかったりすることに、とても敏感だった。ぼんやりした僕などには意識に上がってくるかこないか、くらいの違和感でも、すぐに止める。
それぞれのフレーズが持つテンポ感、フレーズの中のテンポの伸び縮み、そのフレーズの中の一つ一つの音にはどのような長さがふさわしいのか、・・・。リハーサルは2日あり、帰宅すると録音を聴き、その音の出し方はその場にフィットしているのかいないのか、毎日答え合わせをするようだった。翌日は、少しでも違う自分で出掛けられるように心がけた。

8月9日公演は東京文化会館小ホール、11日は小田原三の丸ホール。
本番の舞台でミンツさんは僕の眼前にいらして、一挙手一投足その全てから大切な何かを教わる時間だった。
音楽には核となる、要(かなめ)のような何かがある。それをしっかりと捉えていること。それをつかんでさえいれば、美しいとか、流麗なとか、まして演奏の巧拙など、些細なことのように思えた。

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以前見たドキュメンタリーで、指揮者セルジュ・チェリビダッケが、
音楽は美しい、という考えはとうの昔に捨ててしまった、
と言っていたことを思い出す。
また、以前に参加した沖縄ムーンビーチのミュージックキャンプで、ヴァイオリンのイヴリー・ギトリスさんとメンデルスゾーンの八重奏を一緒に弾かせて頂いた時、彼の奔放なアゴーギグ(テンポの伸び縮み)に皆振り回されたのだけれど、ある時チェロの岩崎洸先生と、(8小節などの)フレーズ全体の寸法で見た時、もしかして彼は正確なテンポ感を持っているのかもしれませんね、と話したことも思い出す。

ヴィヴァルディの四季は、遠くから絵を見るように、とミンツさんは仰った。大きな音に人は動かされるのではない、とも仰った。
ピアソラの四季のリハーサルをする際は、皆に(男女2人で踊る)アルゼンチンタンゴの映像を見せ、男が支えとなって、女性は自由に踊ることができる。男は確実なテンポを刻みながら、でも常に女性にいつも合わせながら。演奏もこのように、と仰った。

場の雰囲気がほぐれてきた時、ミンツさんは"Joke"を仰ることがあった。日本語の冗談というよりは小咄に近い感じで、それなりに長く、ひねりが効いていたりもした。
昔モスクワ音楽院のナターリャ・シャホフスカヤ先生(ロストロポーヴィチの愛弟子)に習った時に、彼女が時々話してくれた逸話(アネクドート)の雰囲気を思い出した。

小田原でゲネプロが終わった時に話されたのは、ピアティゴルスキー(チェリスト、ルービンシュタインやハイフェッツと組んだピアノ三重奏でも知られる)が、演奏会前に練習するのは、死ぬ前にヨガをするのと一緒だ、と言ったというものだった。(僕は本番の舞台の直前、必ず弾いている・・・)

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小田原公演の当日は雨。ホールのすぐ近くに海があり、傘をさしながら、久しぶりに波の音を聞くことができた。

今回使った「ブエノスアイレスの四季」の楽譜は、よく演奏されるデシャントニコフの編曲ではなく、ファビアン・ベルテロによるもの。僕はこのシンプルな編曲に好感を持った。
奥田佳道さんの解説によると、「演奏順は南半球の四季、つまり秋→冬→春→夏である。」
実際、春の規模が大きく、夏で華やかに終わる。

小田原での終演後、皆で写真を撮り、ミンツさんは
"See you soon !"
と仰って、解散した。

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2025年6月21日 (土)

レパートリー

少し前、若いチェリストに向けて書いた文章を下記に。部分的に手を加えてあります。

・・・・・

先日のレパートリーの話の続きです。
もし時間があれば、そして興味があれば、お読み下さい。つまらなくて途中で止めたり、読んで下さらなくても、まったく問題ありません。

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僕は目の前の、弾かなくてはならない曲や弾きたい曲を、何十年も弾き続けてきました。ある時、クラシック音楽の世界にはいったいどんな曲があるのか、何となくでもその全体を感じておくことは大切かもしれない、と思うようになりました。

チェロのレパートリーに詳しい訳ではないのですが、主なものを挙げると、バッハの組曲、ベートーヴェンのソナタ、シューマンの小品、ブラームスのソナタ、シューベルトのアルペジョーネソナタ、もちろんボッケリーニの作品も大切ですし、デュポールやポッパーも楽器を知る上で欠かせない。コダーイの無伴奏や、ショスタコーヴィチ、ラフマニノフのソナタなど。
協奏曲ではハイドンの2曲、シューマン、ブラームス(二重協奏曲)、ドヴォルザーク、エルガー、ロココ、ドン・キホーテ、ショスタコーヴィチの2曲、・・・。チェロを弾く者にとって宝物のような名曲の数々です。

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ただ、西洋音楽のレパートリー全体を一本の大きな木に見立てた時、残念ながら、その太い幹を構成する作品の中に、チェロのレパートリーはあまり入らないのではないか、と思います。
先日ショスタコーヴィチの5番の交響曲を弾きました。チェロソナタと作曲年代も近く、様々な関連を見出すことができます。ただ、5番の交響曲が持つ音楽の深さや大きさは圧倒的なものです。
どのような曲がレパートリーの太い幹になるのでしょうか。様々な見方や考え方があり、それぞれの人がそれぞれの木を思い描けばよいと思います。

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多くの作曲家は同時に優れた鍵盤楽器奏者でもあり、おそらく作曲にも鍵盤を用いたはずです。そして大編成の管弦楽やオペラにも大きなエネルギーを注いだだろう、と想像します。
平均律を始めとするバッハの様々な鍵盤楽器作品、ロ短調ミサ、受難曲、ハイドンの様々な作品、モーツァルト、ベートーヴェンのピアノソナタ、交響曲、弦楽四重奏、シューマン、ブラームス、チャイコフスキー、ワーグナーのオペラ、それまでにない世界を表現したドビュッシーやラヴェルの作品、R,シュトラウスの管弦楽作品、マーラー、ショスタコーヴィチ、バルトーク、・・・。
オーケストラの仕事をしていると、本当に多くの曲を演奏します。そして、作曲家の仕事というものがどれほど常人ばなれしたものか、身をもって知ることになります。信じられないような能力を持つ人たちが、彼らの先人たちの仕事を受け継ぎ、さらに発展させていく。

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新しい曲に取り組む時、これまで弾いてきた曲をとらえ直す時、とても大きなエネルギーが必要ですね。レパートリーの太い幹を形作る作品はどれも、信じられないほどの何かを持っていて、その強さに普段に触れ、心動かされることが、自分の音楽を深めていく時の大きな原動力になるような気がします。

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20世紀のチェロのレパートリーを見渡す時、ロストロポーヴィチの影響を考えずにはいられません。
ロストロポーヴィチがショスタコーヴィチと録音したショスタコーヴィチのソナタ、やはり彼がベンジャミン・ブリテンと録音したアルペジョーネ・ソナタの録音は是非聴いてみて下さい。傑出した作曲家たちが、演奏家としてもどれほど優れていたのか。作曲家がこれほど生き生きとした、見事な音楽を抱いていたことに、畏怖の念を抱くほどです。

ショスタコーヴィチの演奏には見事なヴィルトゥオージティがあり、同時にアンサンブル奏者としても、優れたセンスに驚きます。
ブリテンが弾いたアルペジョーネの冒頭があまりに素晴らしく、聞き惚れたロストロポーヴィチが弾き始めるのを忘れた、というエピソードが伝記にありました。広いテンポで悠然と始まるピアノのほの暗い音色はとても魅力的です。

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ご存じのように、世界には他にも様々な素晴らしい音楽がありますね。何十年も前、ビートルズというロックバンドがあり、その若者たちが作った多くの歌が世界中の人々の心をとらえました。また、ジャズの世界には巨人と呼ばれた人たちがいて、まったく異なる感覚で、素晴らしい音楽を次々と生み出しました。

機会があったら是非触れてみて下さい。外の世界を知ると、西洋のクラシック音楽がどういう音楽なのか、よりいっそう感じられるかもしれません。

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2025年5月18日 (日)

ショスタコーヴィチの5番

2日間のサントリーホール公演(5/16定期B、5/17都響スペシャル)、多くの方々にお越し頂き、本当にありがとうございました。

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16日の開演前、この曲(ショスタコーヴィチの交響曲第5番)が好き、というスタッフと話しをしていました。読書好きでもあるその方と、言葉は使っていないけれど、交響曲は物語のようでもありますね、という話しになりました。
いくつかのモチーフや主題があり、それらは旋律やリズムなどで現されているのですが、驚くほど多彩な手法で(ショスタコーヴィチの書いた和声進行をたどっていくのは、何度経験しても、素晴らしい時間でした)展開されていく。

ショスタコーヴィチの5番は楽しい曲ではなく、もちろんハッピーエンドも訪れない。明確な言葉にはすることができない様々なことがこの音楽には書かれていて、それは作曲家の苛酷な人生が投影されたものと思いますが、それを聴いたり、演奏したりすることで通り抜けると、自分の中で何かが変化する。浄化されるのかもしれない、と感じます。そして、曲は毎回違う姿で現れる。
様々な演奏を聴き、様々な指揮者でこの曲を弾いてきました。でも今回、これまで知らなかった曲を弾くようでした。指揮はクシシュトフ・ウルバンスキさん。
2日目、17日の舞台には途切れることのない集中があり(おそらく客席もそうではなかったか、と思います)、印象深いものとなりました。

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プログラム前半はショスタコーヴィチの2番のピアノ協奏曲、演奏機会の多くないこの曲の音を出すのが待ち遠しかった。(ピアノはアンナ・ツィブレヴァさん)
5番の交響曲も、2番のピアノ協奏曲も、緩徐楽章の深い音楽に心が捉えられます。興味深いことに、どちらも3声体で始まります。なぜ作曲家は安定した響きとなる4声で書かなかったのか。もろく、はかない何かを表現したのだろうか、と僕は思います。

交響曲の第3楽章、低弦楽器が弾く運命の動機の後、ヴァイオリンのピアニシモのトレモロを伴ってオーボエがたった1人で第3主題を吹き始めます。舞台に100人近いオーケストラと、客席には2000人近くの人がいるのに。この部分に来るといつも、濃い霧がたちこめて行き先も方向も見失った人が、サーチライトを照らして手探りで進もうとしている、そんな光景が浮かびます。
このオーボエの主題はクラリネット、フルート、チェロに受け継がれ、悲痛な叫びとなって大きなクライマックスを迎えた後、再び第1、2、3主題が思い出され、最後は嬰ヘ長調の穏やかな、救われるような響きに包まれて楽章は終わります。

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5番の交響曲の3年前に書かれたチェロ・ソナタは、チェロを弾く者にとって大切なレパートリーです。同じ音程で構成される8分音符二つと4分音符一つのモチーフの使われ方や、やはり緩徐楽章が深い内容を持つことなどから、交響曲との関連を思います。
ショスタコーヴィチがロストロポーヴィチと共演した録音を久しぶりに聴いています。作曲家はピアノの名手でもあり、素晴らしい演奏に心打たれます。

2025年5月 9日 (金)

ゆるやかに

少し前、楽器職人のS君が、この日記を読んで下さった方(ありがとうございます)からエンドピンについて尋ねられた、と教えてくれた。そして楽器のセッティングは一つに決めるのではなく、二つ三つ選択肢を持っている方が良いのでは、という話しになった。

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僕は何本か弓を持っていて、どの弓も個性的だ。軽く固く、ふわっと倍音が伸びるもの、少しこもった音が魅力的なもの、散るように音が広がるもの、どっしりとしているもの、・・・。
人間と同じように、楽器も日によって違い、その時フィットする弓も違う。どうしてそうなるのか、いつも不思議なのだけれど、その弓と楽器の蜜月は大体4,5日で過ぎ、短所が目立つようになり、他の弓の登場となる。

その弓の個性に少しずつ楽器が引っ張られていくのだろうか。例えば低音が出やすい弓をしばらく使っていると音が暗い方に変化していき、そんな時に軽く音が出る弓を使うと、魅力的に感じられる。

弦の種類を変えると、弓との相性は違うものになってしまうことも興味深い。他にも気候など、様々なことが影響する。そして、楽器の調子に加え、自分の体と心の変化にも耳を澄ませておくことも大切と思う。
(もし高価なエンドピンを使うなら、エンドピンの接する床やストッパーも気にした方が、と思う。様々な材質や構造のものを試してきた。硬く、密度の高い材料ならどれでも良い、とはならず、音は本当におもしろいと思う。)

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最近一緒に弾かせて頂いた優れた奏者の中に2人、長い期間弓も楽器も同じもので、という方がいた。早い段階で素晴らしいものに出会い、それを使い続けている、ということだろうか。
常に変化する状況の中で、良い選択を探し続けている僕にはとても新鮮に感じられた。

ヴァイオリンもチェロも、実用的な音域は4オクターヴ程と思う。(もちろんさらに高い音を出すことはできる)チェロの特徴は、Ⅳ番線の低音と、Ⅰ番線のハイポジションで出る高音は、まったく性質が違うことと思う。
低音は和声のバスを充分に支えることのできる低さで、音の指向性は少なく周囲に広がりやすい。Ⅱ、Ⅲ番線の中音域はくぐもった魅力があり、一方高音は多くの倍音を含み、直進性があり、輝かしい。
一つの楽器でこの幅を充分に実現するのは、100m走とマラソンのように相反する要素を両立させる難しさがあるかもしれない。

今使っているチェロとは30年以上の付き合いで、ほぼ全てのことに手を入れてきたけれど、結局どこかを変えても楽器の基本的な性格は変わらない気がする。何かをいじるより、その楽器を(そして自分を)理解し、長所を生かすように使うことが大切と思う。

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多くの優れた奏者に接してきて、楽器を扱う上で最も大切なことの一つは、体の柔らかさではないか、と思うようになった。
火事場の馬鹿力、と呼ばれるように、人間はとっさの時に大きな力が出るようにできている。あるいはお化け屋敷でおどかされた時、手は握りしめてしまうと思う。一方、楽器を扱う時に体が硬くなると、音はきつくなり、飛ばなくなる。
本番の緊張の下で、良い演奏をするためには、普段からどう体と心を使ったら良いのか、今そのことに興味がある。個人差があると思うけれど、緊張すると体はかたくなりやすく、指は開きにくくなり、ふわっとした柔らかいアプローチは失われやすい。緊張したときに自分の体がどのように、どのくらい変化するのか、知っておくことが大切と思う。

恥ずかしながら長い間、かたい心と体で楽器に接してきた。かたくアプローチするか、やわらかくアプローチするかは、異なる結果をもたらす。そもそも心が強張っているか、しなやかであるかで世界の見え方、音楽の感じ方は大きく異なると思う。
ある時そのことの重要性に気付き、それまで充分に弓や楽器を使えていなかったことに思い至った。一つの弓や楽器から教わることは本当にたくさんある。

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先月の都響公演(4/19名古屋、20大阪、22東京)、前半にショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番があった。
最初の名古屋公演、第3楽章の長大なカデンツァを弾いている時にソリストのアリョーナ・バーエワさんは弦を切り、すかさずコンサートマスターの楽器を借りて、ほぼ中断なく最後まで弾ききった。
最後のサントリーホール公演では、(この曲のテンポ表示は可能と不可能のぎりぎりの線上にあるのだけれど)彼女の方から終楽章のテンポをさらに速く、という要求があり、本番は見事な緊張感があった。ライヴ演奏の魅力にあふれた舞台だった。

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この協奏曲を準備するにあたり、いくつも録音を聴き、改めて素晴らしさに圧倒されたのはダヴィッド・オイストラフの演奏だった。
これほど奏者の負担が大きく、緊張感の高い曲でも、力まず悠然と進んでいく彼の音楽に、目を開かされるようだった。

以前にもこの日記で紹介したかもしれないけれど、フリッツ・クライスラーがオイストラフを評した言葉がある。
「オイストラフは、すべてのヴァイオリニストの中で、もっとも大切なものをもっている。それは、彼がゆるやかに演奏することだ。このすべてがスピード時代に生きているわれわれにとって、これは非常に稀であり、かつ貴重なことだ。」

2025年4月24日 (木)

5月24日の演奏会

今年も5月にプリモ芸術工房で演奏会をさせて頂くので、そのお知らせです。

今回のプログラムはプーランクのソナタを弾いてみたい、ベートーヴェンの3番を弾きたい、という気持ちから始まっています。
いったいその曲をどう捉えるのが良いのか、どのように音を出し、そのフレーズをどう弾くことが、その音楽に適うのか、試行錯誤する毎日です。

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普段オーケストラの仕事をしていて恵まれていると感じることの一つに、同じ人間とは思えないほど高い能力を持つ人たちと日常的に接する、ということがあります。彼ら彼女たちと自分は、いったい何が違うのか、そういうことにいつも興味があります。
ご存じのように自分の体と心は、驚くほど、思うようにならないものです。例えば100mを10秒で走りたいと、どれほど強く念じ、どれほど厳しいトレーニングを積んでも、ほとんどの人には困難な道のりですね。

でもきっとどこかに自分の体と心にアクセスする場所や方法がある、そう思って毎日チェロを手にしています。自分の出す音や、その時の体や心に耳を澄ませていると、自分を司っている何かを、ほんの少し感じられるような気のするときがあります。
残念ながら僕は初めてチェロを手に持った時の記憶がなく、いつ始めたのか定かではありません。でも少なくとも50年たちました。年数のわりには、呆れるほど進歩が遅く、今でもこんなこともわかっていなかった、知らなかった、と感じることは多いです。
目の前にうずたかく積もる、こんがらがった糸の山があって、その絡み合った結び目を一つずつほどいていく。一つほどくと、次にほどくべき結び目が見え、毎日それを繰り返していると、いつの間にか山は少し低くなって、見通しのきくものになっている。楽器を練習するとはそういうことのように感じます。

昨年の演奏会ではコダーイの無伴奏ソナタを弾きました。広い部屋を借り、事前に何度も通し稽古をしました。30分を超えるこの曲を弾く度に、毎回予想もしないことが起き、いつも不思議な感じがしました。(誰もが知るアメリカの有名オーケストラに所属する方が、定期公演の度にその3回の舞台がどのようなものになるか予想するけれど、当たったことがない、と仰っていたことを思い出します)
もしかして、生まれてからこの方一度も離れたことのない自分の中にこそ、本当のフロンティアがあり、冒険するべき所があるのかもしれない、とも思います。

今年は再びピアノの長尾洋史さんにご出演頂きます。どのような演奏会になるのか楽しみです。
プリモ芸術工房は広くはありませんが、響きの良い、素敵なスペースです。予約受付は今晩4/24 21時からです。リンクを下記に。

https://primoart.jp/event/event-167015/

皆様のお越しを心よりお待ちします。

2025年4月 3日 (木)

東北旅行

リハーサルの後、東北新幹線に乗り八戸へ。3月下旬、久しぶりに都響の東北公演があった。

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翌朝、八戸駅で早い時間の八戸線に乗るとYさんの姿があり、僕もご一緒させてもらう。列車の最前部、運転席の後ろに立ち、線路の先を見る。
八戸から種差海岸までの海は美しく、以前にも訪れたことがある。(2018年8月の日記「北へ」をご覧下さいhttp://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2018/08/post-9b7d.html
今回も海沿いを歩こうと思った。種差海岸駅で降り、2駅先の金浜まで海を見ながら歩くとちょうど次の列車に間に合う、という計算だ。
季節外れのあたたかさが嬉しい。

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再び八戸線に乗り、久慈へ。
空腹を抱えとんかつ屋に入ると、A君と一緒になった。公演は夜、ゲネプロまでまだ少し時間があるので初めての町を歩く。どの通りを歩いても、どの角を曲がっても、初めての光景が眼に入る。カメラを持って歩くのが楽しい。

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この日の公演は久慈市文化会館アンバーホール、立派な会場だった。

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翌朝再び八戸線に乗り、北に向かう。前日と同じように一本早い列車に乗り、2駅分海を見ながら歩く。この日は平内から階上(はしかみ)まで。

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階上で八戸線に乗り、前方に伸びていく線路の先を見る。車窓からの景色は様々に変化していくけれど、線路はいつも先に伸びていて、無心に見ている時間は心地良かった。
八戸で東北新幹線に乗り換え、郡山へ。黄砂の影響か、遠景が霞んで見える。

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今回は、いつもと違うチェロを使った。演目は下野竜也さんの指揮でドラゴンクエストⅤ。すぎやまこういちさんのドラゴンクエスト、西洋音楽の手法で書いてあるのだけれど、いつもの曲とは少し違う。いつもと違う楽器で、どう弾くとこの音楽にフィットした音やフレーズを生み出せるのか、工夫する時間だった。

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郡山の公演日は朝から強風が吹いた。昼、地図で見つけたヴェトナム料理店に向かう。はて、店はこのあたりのはずなのに、と通り過ぎると、建物の扉が開き、店主が出てきて、今日は風が強くて看板を出していません、とのことだった。店内に入れてもらい、ほっとする。吹き飛ばされそうな凄まじい風だった。

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夜の公演を終え、新幹線で帰京するはずが、遅い時間になっても、風の影響で列車の運行は大幅に乱れている、とのことだった。人であふれるホームや、朝になれば何事もなかったように回復するだろうことを想像し、郡山にもう1泊することにした。

果たして、翌朝は穏やかだった。昼前に東京に着くと桜が咲いていた。

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午後、旅の間弾けなかったピアノをさらう。いつものようによちよちと、でも旅の前にうまくいかなかったことがスムースに進む。
それから、チェロのゆるめておいた弦を調弦し、さらう。予定より少し伸びた旅の後、いつものチェロに触れるのは新鮮だった。同時に、あれ?という感覚もあり、セッティングを少し変えた。旅に行かなければ気付かなかったことと思う。

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今回の旅は海沿いをずいぶん歩いた。前回の旅で歩いた海岸を八戸線の車窓から見たとき、思いがけず感情が動いた。すっかり忘れていた7年前の心をありありと思い出した。
東北新幹線の速さは驚くほどで、徒歩の旅とは鮮やかな対照をなす。でも、その一歩一歩は体に深く刻まれる。

旅に出、普段の生活を離れる。旅先では思いもよらないことが起こり、普段頭を占めていた様々な物事はどこかに行ってしまう。再び日常に戻ってきた時、出掛ける前とは少し違う自分になっていて、音楽は違う姿を見せ、楽器も違う感覚で弾ける。
体と頭は同じ向きに使い続けない方が良いのかもしれない。

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2025年2月 1日 (土)

" the best thing in the world "

1月14、15日の都響サントリーホール公演はスラットキンさんの指揮でラフマニノフの交響曲第2番など。

僕が名古屋にいた中学か高校生の頃、レナード・スラットキン指揮セントルイス交響楽団の演奏がFM放送で流れ、曲は忘れてしまったけれど、カセットテープに録音し(エアチェック、と言っていた)、繰り返し聞いたと思う。
当時チェロの中島顕先生から、セントルイス交響楽団のKさんご夫妻がスラットキンという素晴らしい指揮者のもとで意欲的に活動されている、と聞いたことを覚えている。

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それから40年近くたち、スラットキンさんにお会いする機会が訪れた。
都響楽員への紹介と短い挨拶の後、すぐラフマニノフのリハーサルが始まった。まずはオーケストラのお手並み拝見、だったと思う。止めずに50分近い交響曲を通した。
指揮台の上のスラットキンさんは言葉少なだった。何かを物語ることも、演奏上の説明で比喩を用いることもなく、発せられるのはいつも、端的で短い指示だった。指揮者のちょっとした振る舞い、一挙手一投足がどれほどオーケストラに影響を与えるのか、熟知されているようだった。

オーケストラの指揮者はシェフと呼ばれることがある。何人もの料理人を仕切る料理長。素材の扱いや、包丁の入れ方、火加減、塩加減、・・・、様々な手作業が積み重なって素晴らしい料理が出来上がるのだろう、と思う。
指揮者には目指す音楽があり、100人近いオーケストラを導いていく。それぞれの奏者が目の前の音符をどう弾くのか、強いのか弱いのか、他のパートとどう関係しているのか、矢面に出るのか支えに回るのか、そうしたことに迷いなく集中し、地道で精度の高い作業が積み上がった時、信じられないほど素晴らしい音楽が現れるのかもしれない。

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ラフマニノフの2番、第2楽章の中間部はオーケストラの技量を問う。弦楽器16型の大きな編成で、駆け巡る八分音符の精緻なアンサンブルを実現するのは、1人で弾くのとは別の難しさがある。スラットキンさんは互いによく聴くことを求めた。細かい指摘はせず、何度か繰り返し、機が熟するのを待っているように見えた。

リハーサル中はあまりしゃべらないけれど、終わるとよく楽員とコミュニケーションをとっていた。
2日目のリハーサルが終わった時、まったく持ち重りのしないバランスで作られたご自身の指揮棒について触れ、良い指揮棒があれば指揮はとても易しい(very easy)、と茶目っ気たっぷりに仰っていた。(決してそんなことはないと思う)

長大なラフマニノフの2番、僕は20年以上様々なオーケストラで様々な機会に弾いてきたけれど、冗長に感じられ、どうも好きになれなかった。ラフマニノフの音楽はロマンティックである、という先入観にとらわれていたのかもしれない。正直なところ、この交響曲の綿々と続く長い旋律より、同じ作曲家のチェロ・ソナタやピアノ協奏曲、晩年の交響的舞曲のそれの方がずっと魅力的だ。
スラットキンさんはその長い旋律が重くならないよう、いつも先へ先へと振った。(一つ一つのフレーズを全て歌い込むとどうにもならなくなる)その先でバス(和声を支える低音)が動く時に、初めて彼も動いた。
表面に現れている旋律ではなく、支える構造を感じられるようになると、曲は違う姿を見せ始め、今まで自分は見誤っていたことに気が付いた。豊かで見事な作品にようやく触れることができた幸せな時間だった。

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1月14,15日公演の前半にはウォルトンのヴァイオリン協奏曲があった。
ソロの金川真弓さんは、2日間のリハーサルでもパート譜を開くことなく、オーケストラとの複雑な絡みもすっかり体に入っていて、切れ味鋭い見事な演奏だった。きっとすでに何度も、と思い尋ねてみたら、そうではなく、もう一度驚いた。

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1月19日の都響鹿児島公演は秋山和慶さんが指揮される予定だった。1月初めに大きな怪我を負われ、急遽スラットキンさんが振って下さることになった。お二人はバンクーバー交響楽団時代からの知り合い、とマネージャーさんから伺った。
鹿児島公演のメインはシベリウスの交響曲第2番。長大で饒舌なラフマニノフとは対照的に、こちらは音数が少なく、しかもユニゾンが多い。何度も弾いてきたけれど、どう捉えたら良いのかわからない、という感覚はラフマニノフと同じだった。

この公演のリハーサル時間は限られていて、そんな時もスラットキンさんの采配は見事だった。
終楽章の最後、低弦にはヴァイオリンやヴィオラと音量の指示が異なる部分があり、そのことを尋ねると、すぐピアノに向かい、そこはこうなっているよね、と示して下さった。もちろん全曲にわたって緻密に把握していらっしゃるのだろう。適切なタイミングで明確な指示がある背景には、確かな裏付けがあることを思った。

スラットキンさんはラフマニノフもシベリウスも暗譜で指揮された。生き生きとした眼がいつも印象的で、音楽が変化するときに現れる表情の変化に、80歳になった時、音楽はどのように感じられるのだろう、と思った。

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ラフマニノフの2番では、50分間ひたすら下降する旋律を弾く。一方シベリウスの2番は上行音型が印象的だ。演奏会場の川商ホール(鹿児島市民文化ホール)を出るとすぐ、桜島が見える。鹿児島には鹿児島の風があり、ニ長調の明るい響きと、湧き上がるような上行音型に、初めて心動かされた。帰京する飛行機に乗っても頭の中で鳴っていて、忘れられない公演となった。

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スラットキンさんはオーケストラに何かを強いることがなかった。長大な曲の、大きなクライマックスを迎える時でさえ、強く、きつく追い込んでいくことはなかった。オーケストラの音はいつも溌剌として、鮮やかだった。
サントリーホールでのゲネプロが終わった時、音楽をすることは "the best thing in the world"、"Anyone can do." と仰った。シンプルな表現だけれど、本当にそうですね、と思った。

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数日前、秋山和慶さんの訃報に接した。まさか、と思った。
少し前、僕が教えている大学オーケストラ(音楽専攻ではない)を秋山さんが指揮された。曲はチャイコフスキーの4番で、リハーサル時にあるパートの学生がうまくできないことがあった。どうなることか、とはらはらしながら見守っていたのだけれど、秋山さんは感情や声を変化させることなく、もう一度、もう一度、とその人ができるまで繰り返し指揮された。その姿は強く印象に残っている。
音楽専攻ではない大学オーケストラを指揮される時も、職業音楽家のオーケストラを指揮される時も、何も変わらなかった。謹んでご冥福をお祈りいたします。

2024年12月30日 (月)

ショスタコーヴィチの8番

12月4、5日都響定期公演の後半はショスタコーヴィチの交響曲第8番だった。

有名な5番の交響曲のように低弦楽器が荒々しく弾く付点のリズムで始まり、ヴァイオリンが息をひそめるようにしてハ短調の主題を弾く。ドで始まった主題がソを通り、ラ♭に到着した時の響きにはっとする。この進行は、モーツァルトのハ短調のピアノ協奏曲の冒頭を思い起こさせる。

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「レニングラード」という名前のついた有名な7番の交響曲の作曲が1941年、8番は1943年。7番も何度か弾いたことがあるけれど、いつも音符が僕の手をすり抜けていった。今回、8番の準備を始めた時から曲に絡めとられるようだった。曲を知るにつれ、その緻密な作りや見事な構成、規模の大きさに驚き、わずか2カ月で書いたとはとても信じられなかった。

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マリス・ヤンソンスがピッツバーグ交響楽団を指揮した時のリハーサルを聞くことができる。
どちらも戦争中に書かれた2曲のうち、7番は戦争を描き("pictures of the war")、8番は行為ではなく、戦争に影響を受けた人間を描いている、という彼の言葉が印象的だった。
1楽章で金管楽器が担う「荒々しい行進曲」はモーツァルトのトルコ行進曲の引用だ、とも言っていた。

第1楽章の対位法的な部分を弾く時、ショスタコーヴィチがピアノのために書いた24のプレリュードとフーガを連想し、そしてその背後にあるバッハの2巻の平均律(前奏曲とフーガ)のことを思った。

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第4楽章は、第1楽章の主題の変形で始まり、その音型が9小節フレーズとなって低弦楽器に受け継がれ、11回繰り返される。低弦の定型の上に様々な楽器の、意匠を凝らした見事な変奏が繰り広げられるのだけれど、この書法を見て、例えばコレッリのフォリア、バッハのシャコンヌ、ブラームスの交響曲第4番の終楽章パッサカリアといった、古くからの様式を連想した。
ショスタコーヴィチの8番は、彼独自の見事な世界を築いている。同時に先達の残した音楽を受け継いでいることも様々な箇所で感じた。

演奏時間1時間を超えるこの曲の5つの楽章をモチーフから考えると、1と4、2と5がそれぞれ関連を持ち、真ん中に第3楽章が置かれた、言わば変則的な対称配置に見える。

都響公演を指揮したロバート・トレヴィーノさんは、5拍子は不安定さを表す、と言っていた。この曲には5拍子が多く使われ、さらに5連符や、9あるいは11、13小節フレーズ、といった奇数が多い。
[西洋音楽は(2+2)、4、8、それらを基にした16小節フレーズを定型としている。賛美歌や、日本では多くの校歌、おそらく演歌も、8や16小節のフレーズで書かれていると思う。それらは安定した感じをもたらす]

ショスタコーヴィチ8番の第3楽章に変拍子はなく、速い2拍子で書かれている。1小節に4つの4分音符が、無窮動のようにひたすら続く。
冒頭のヴィオラこそ16(8+8)小節フレーズで始まるけれど、少し進むと奇数小節のフレーズになり、手に汗を握る展開になる。予測や記憶が難しいので、舞台にいるオーケストラはひたすら小節数を数えなくてはならず(飛び出したら大変だ)、緊張感は増す。きっとそれは客席にも伝わり、生演奏ならではの臨場感につながるのではないか、と思う。

西洋音楽で緊張感を高めていくとき、フレーズを縮めていく手法(ストレット、例えば8小節フレーズを4、2、1というように短縮していくと切迫感が増す)はよく使われる。
ショスタコーヴィチの見事なところは、この第3楽章でヴァイオリンが大きなクライマックスをもたらす際に、逆の手法を用いたこと。
ヴァイオリンの無窮動が始まると、他のパートは裏打ちに回り(必死に走る馬に、容赦なく鞭を入れるよう)、そのフレーズは9、11、13小節と広がっていく。常に予想を裏切った先に次のフレーズがあるので、どこまで広がるのか不安になる。そしてクライマックスで打楽器が圧倒的な音量をもたらし、第4楽章に入る。

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この数十年の演奏技術向上は目をみはるものがあると思う。同時に、弦楽器で言えば新しい弦の登場など、技術的発展もあり、オーケストラの音はより大きく、なめらかに、耳当たりの良いものになっているのではないだろうか。
ムラヴィンスキーが指揮するレニングラード・フィルの、伝説的な演奏がある。指揮者とオーケストラの関係も変わり、現在このように強い緊張感をもった演奏は少なくなったかもしれない。
今回ショスタコーヴィチの8番を演奏するにあたり、様々な録音を聴いた。作曲家が生きていた時代の音を知る人は違和感を覚えるかもしれないけれど、現代の精度の高く、機能的なオーケストラから現れるショスタコーヴィチの音楽は、驚くほど豊潤で奥行きのあるもので、もしかしてこれまで感じられなかった世界を見ているのかもしれない、と思う。

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ハ短調で始まった8番の交響曲は、ハ長調で静かに終わる。調性だけで見ると、「運命」と呼ばれるベートーヴェンの第5交響曲のようだし、静かに終わるということでは、例えばブラームスの3番のようだ。ハ長調で書かれた終楽章をヤンソンスは、抑圧の中の小さな希望(small hope)と言っていた。

ショスタコーヴィチは4番の交響曲を書いた後、危うい立場になり、それを回復するべく5番を書いたと言われる。作品の政治的な評価を厳しく問われる、とはいったいどんな時代だったのだろう。
西側に亡命したロストロポーヴィチは、ショスタコーヴィチを連れ出さなかったことを激しく悔いたそうだけれど(2018年4月3日の日記「ショスタコーヴィチ」をご覧下さいhttp://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2018/04/post-ecdc.html)、困難な状況に置かれた作曲家の残した仕事の凄まじさは、2024年が暮れようとする今でも、あるいは今だからこそ、強く感じられる。

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24のプレリュードとフーガ作品87は、1950年にライプツィヒで開かれたバッハを祝う音楽祭、その中のコンクールで優勝したタチアナ・ニコラーエワの演奏に感銘を受けたショスタコーヴィチが作曲した、と伝えられる。すぐれたピアニストでもあった作曲家に曲を献呈される、とはいったいどんな気持ちがしたのだろう。

僕はこの曲の録音を3つ持っていて、ニコラーエワのCDを求めたのは最後だったかもしれない。
購入し、帰宅して封を開けて聴き始めると、ショスタコーヴィチでも何でもない、室内オーケストラの曲が流れてきてびっくりした。すぐ店頭で交換してもらったのだけれど、その顛末を当時僕が在籍していた新日フィルのAさんに話したら、何ともったいないことを、と怒られた。彼によると、盤面の印刷と中味が違うものはとても価値がある、とのことだった。
久しぶりにニコラーエワの演奏を聴きながら、少し前に亡くなられたAさんのことを思い出す。

この曲を聴くのは夜が多い。以前は目がさえて眠れなくなることがあった。
ハ長調で始まり、同主調のハ短調、半音上がって嬰ハ長調、嬰ハ短調と続くバッハのプレリュードとフーガより、ハ長調・イ短調、5度上のト長調・ホ短調とたどっていくショスタコーヴィチの方が、楽器を弾く身には、響きの変化をたどりやすい。
静かになった夜、この曲を聴いていると、ふと音楽と自分の境がなくなり、心の深いところに音が触れてくる感覚に満たされることがある。

2024年12月15日 (日)

シェーンベルク、長三和音、短三和音

11月20日の都響定期公演、後半はシェーンベルク:ペレアスとメリザンド作品5だった。
大編成のオーケストラ、40分を超える演奏時間、スコアにびっしりと書き込まれた無数の音符を見て、当時20代の作曲家が並々ならぬ意欲をもって書いたと想像する。
作品番号が1つ前の「浄夜」と同じように、耳当たりの良い旋律が展開されるロマンティックで官能的な作品と思う。

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ペレアスとメリザンドのリハーサルが始まる頃、翌12月に同じシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲を演奏するオーケストラのメンバーから、この(難しい)曲をどう捉えたらよいのか、と聞かれた。

僕にとっても印象深い曲だったので(2019年1月12日の日記「シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲」をご覧下さい。http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2019/01/post-6443.html)、久しぶりに聴き直してみると、冒頭が独奏ヴァイオリンとチェロの絡みで始まることは覚えていたのだけれど、他は見事に抜け落ちていた。

 

ペレアスとメリザンドからヴァイオリン協奏曲まで三十数年の月日があり、作品がこのように変化したことは興味深い。
ペレアスとメリザンド、浄夜はどちらもレの音を軸に書かれた、ある意味でわかりやすい調性音楽と思う。それが12音技法の、初めて聴くとまるでつかみどころのない音楽に変貌している。

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西洋音楽の重要な要素である和声が、制約の多いシンプルな形から、信じられないような能力を持った作曲家たちの、幾世代にもわたる音の冒険によって発展を続け、とうとう調性感をなくしてしまうところまで行き着いたのは、必然的な結果だろうか。

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1つの和音には少なくとも3つの音が必要。その和音は誰か偉い人、聖職者、学者、作曲家、・・・、そうした人たちが発明したものではなく、物理的な現象を基にしていることがおもしろいと思う。

チェロやコントラバスなどの、弦が長くて振動が見えやすいものが身近にあるとわかりやすいのだけれど、張られた弦の長さを1とした時、最初の倍音は弦長のちょうど半分、1/2のところにある。弦長が半分、振動数は倍、この音程間隔が1オクターヴ。
次の倍音は1/3のところで、基音がドだったら、5度上のソ。その次の倍音は1/4のところのド(基音から2オクターヴ上)、次は1/5でミ、次は1/6で再びソ、そして1/7のところにすごく低いシ♭(あるいはとても高いラ)が現れ、・・・。
ここまででド・ミ・ソ・シ♭が揃う。(奏法として、フラジオレット、あるいは自然ハーモニクスと言ったりする。弦をしっかり押さえずにその場所を触るだけでも、弾いたらその音が鳴る)

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このときに現れる第3音のミは1オクターヴを均等に割った音程より少し低く、第7音あるいはblue noteとも呼ばれるシ♭(またはラ)はかなり低く(高く)、同時に鳴らすと澄んだ響きになる。(純正調)
逆に言うと、一般的なピアノの調律では、弾き手の絶妙なコントロールがないと、様々な和音はきつい響きとなるかもしれない。

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振動数が倍になる音程間隔を1オクターヴとし、その次に現れる1/3の弦長の倍音が構成する5度音程を基として調性のシステムが作られていることは、本当に見事と思う。仰ぎ見るように巨大で奥深い、西洋音楽の森の秘密を垣間見るような気がする。
[ドに対してソ、ソに対してレ、レに対してラ、・・・。トニックとドミナント。
ハ長調、ト長調(♯1つ)、ニ長調(♯2つ)、・・・、♯が1つずつ増えていき、異名同音を読み替えて♭になり、♭が1つずつ減っていき、12の半音全てが現れて、ドに戻ってくる。
ド、ソ、レ、ラ、ミ、シ、ファ♯、ド♯(レ♭)、ラ♭、ミ♭、シ♭、ファ、ド。
それぞれの長調は平行調となる短調を持っているから、12×2で24の調性]
(こうした内容はL.Bermstein著"The Unanswered Question"で学んだ)

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ド・ミ・ソの和音、ハ長調の和音は明るいことになっていて、実際明るく聞こえる。ではどうして長三和音が明るく聞こえ、短三和音(例えばド・ミ♭・ソ)は暗く聞こえるのだろう。

人間の認知能力に関わる問題と思う。全ての人間が生まれつき長三和音を明るく感じるのか、あるいは文化的な背景によるのか。生まれてからまったく音楽を聞いたことがない人が、あるとき初めて長三和音を聞いたら明るいと感じるのか、それとも感じないのか・・・。

誰かに聞いてみたい。このことを研究している方はいないのだろうか。

 

前後の和声進行の兼ね合いで長三和音が明るく聞こえない時はある。でもそれなりに長く音楽に携わってきて、実は長三和音が暗く聞こえてしまうんだ・・・、という人には会ったことがない。

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和音の明るさを握るのは第3音だけれど(ド・ミ・ソだったらミが♮か♭か、その半音の違いが決定的に重要)、年の暮れの日本でよく演奏されるベートーヴェンの第九交響曲は、その第3音を欠いたラ・ミという響きで始まる。この色を持たない5度の響きだけで16小節続く冒頭は尋常ではない。

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今年の夏、ビートルズのイエスタディをチェロとピアノで弾くことがあった。この曲はFのキー(ヘ長調)で書かれていて、冒頭に"F5"というコードネームが書いてある。何だろう、と思ったら、どうやら第3音を欠くファ・ドということらしい。
これまで調性感を気にしたことはなかったけれど、

"Yesterday all my troubles seemed so far away"

と始まるこの歌は、あまり明るい感じは受けない。

明るいのか暗いのか、どちらともつかないイントロの後(ちょっと不安な気持ちになる)、メロディーは倚音のソで始まり、それに絡むEm7、A7、Dmというコード進行を見て(ポールさん、お見事です)、この歌が多くの人の心に入った理由がわかる気がした。

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毎週土曜日朝はNHK-FMのウィークエンドサンシャインという番組を聞く。この秋の放送では、ポール・マッカートニー&ウィングスのアルバム"One Hand Clapping"がひとしきり話題になった。

one hand clapping、つまり片手の拍手は、禅の公案「隻手音声」(せきしゅおんじょう)を連想させる。拍手は両手でするものだけれど、では片手の拍手はどのような音がするのか。

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時々、チェロを練習する手を止めて、隻手の声とは何だろう、白隠禅師はいったい何を問うたのだろう、と考える。

2024年11月11日 (月)

音楽のたたずまい

10月13日の都響公演、プログラム前半はイモージェン・クーパーさんをソリストに迎えてモーツァルトのピアノ協奏曲イ長調K.488が組まれていた。
前日のリハーサルに彼女が現れ、最初の音が出た時、最初のフレーズが始まった時、あっ、と思った。

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僕は毎朝のようにクララ・ハスキルの弾くモーツァルトのピアノ協奏曲を聴いていた時期がある。クーパーさんの演奏を聴いて、実際に触れることはなかったハスキルの演奏はこんなだったかもしれない、と感じた。

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どうしてそう聞こえたのか、今も考えるのだけれど、わからない。音楽のたたずまいだろうか。クーパーさんの打鍵ははっきりしている、とは思ったけれど、特別な歌い回しやルバートのようなものはなかった。
数え切れないほど聴き、何度も演奏したはずのイ長調の協奏曲は、別の姿を見せ、彫りの深さに畏怖の念を抱くほどだった。リハーサルが終わり、僕は音楽のことを何も知りませんでした・・・、と悄然とした。

Sさんとも話したのだけれど、冒頭のオーケストラが演奏するテーマの、アーティキュレーションをはっきり弾いてほしい、と彼女が言ったことにヒントがあるのかもしれない。小さなことの積み重ねが、全体の印象に大きく関わっているのかもしれない。
本番の舞台では何が感じられるのだろう、と楽しみに帰宅した。

とても残念なことに彼女は降板となり、京都市交響楽団でこの曲を演奏したばかりのアンドリュー・フォン・オーエンさんが当日朝駆けつけ、見事な演奏をしてくださった。急な手配がスムースに行われ、何事もなかったように当日の舞台が進行したことは、きっと多くの方々の的確で迅速な働きのお陰と思う。
(協奏曲を弾き終わりほっとしている夜、明日の午後、別の場所で別のオーケストラともう一度弾いてもらえませんか?と尋ねられるのはどんな気持ちだろう、と同僚と話をした)

インターネット上にはすぐれた最新の演奏動画が数多くアップロードされ、簡単に見ることができる。どの演奏も美麗で音の粒がそろい、文句のつけようのないものだけれど、クーパーさんのピアノを聴き、その現代の音楽家たちが確実に失っているものがあることを感じた。

彼女がすっかり回復され、再び都響の舞台に来て下さることを願っています。

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その公演の翌々日は兵庫県立芸術文化センター管弦楽団(PAC)に。

マリオ・ブルネロさんが来演される演奏会に参加させてもらえることは本当に嬉しかった。リハーサル前に楽屋に会いに行くと、幸い覚えていてくださり、素朴で温かな人柄は、さらに温かくなっているようだった。

マエストロ・ブルネロにはイタリア、シエナの夏の講習で90年代後半、毎年習った。情熱的であると同時に、なぜそう弾くのかという音楽的な裏付けのある姿勢は、本当に素晴らしかった。

今回彼が弾くのはドヴォルザークの協奏曲。特に第2楽章は木管楽器とのアンサンブルが繊細な作品だと思う。PACのメンバーにはこの曲を初めて演奏する人たちも多く、マエストロ・ブルネロがかなり自由に弾くので、まとまっていくのに時間がかかった。

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先生、そんなに揺らすと離れた場所に座る木管楽器の若者たちはついて行けませんよ、と思ったけれど、リハーサルを重ねるうちに、なぜそう動かすのか感じられるようだった。音楽に生き生きとした動きがなくなり、固まることを避けようとしているのかもしれない。大人数で構成されるオーケストラで、一定のテンポは大切。でもそのことで大切な何かが失われることを嫌うのだと思う。

音楽とは何だろう、と時々考える。何が音楽の魅力ですか?あるいは、どんな瞬間に心動かされますか?という問いでも良いのかもしれない。
本番の舞台には、何も背負わず、ふわっと出ていきたい。何が音楽か、という問いはそうした時の自分の核になると思う。

PACでは金、土、日曜日の3公演あった。初日のゲネプロの後、マエストロ・ブルネロに、楽器の状態に確信が持てないから、舞台で音を聞いて欲しい、と言われた。
(彼は駒までの弦長を変えられるテールピースを使っていて、とても良いとのことだった。通常、上駒と駒の間の弦を調弦するけれど、駒とテールピースの間も調弦し、倍音が出やすくなるという理屈と思う。興味はあるけれど、高価。https://demenga-sound.ch/en/produkt/tailpiece/

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今の楽器の状態や、自分がどんな音と表現を求めているのか、を弾きながら示し、僕にも弾かせてくれた。想像していたのよりずっと強く、こういう楽器を弾いて、彼はあぁいう音を出しているんだ、と感じた。自分の楽器に戻った時、ではこのチェロと自分の体でどういう表現をするべきなのか、端的に教えてもらうようだった。

20代の頃、毎夏習いながら、受け取るべき一番大切なものを受け取っていなかった、という後悔がある。2日間のリハーサルと3日間の公演、彼の情熱と、柔らかく重さを使う姿に間近に接することができ、もう一度学ばせてもらう得難い時間だった。

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