音楽

2019年2月28日 (木)

2月

上映が終わってしまう、と思って、今月初めにあわてて観に行ったのが映画「私は、マリア・カラス」。(https://gaga.ne.jp/maria-callas/)
全編マリア・カラスの映像、あるいは彼女の書いた手紙の朗読(誰が読んでいたのだろう)。有名なオペラの有名なアリアを歌うシーンはもちろん素晴らしく、あぁこういうものか、と思った。同時に、音楽家の優れたドキュメンタリーがそうであるように、大スターだったマリア・カラスも、体には血が流れ、きっと涙を流すことがあり、同じように傷つくことのある一人の人間だった、そのことを知り、心動かされた。
ル・シネマでの上映は混雑していて驚いたけれど、引き続き他の映画館で上映されているそう。これだけの映画、あの短い期間だけではもったいないもの。

今月は新国立劇場で仕事があり、その期間に出かけたのが隣、東京オペラシティ アートギャラリーで開かれている写真展「石川直樹 この星の光の地図を写す」(http://www.operacity.jp/ag/exh217/)
初期の写真(といっても石川さんは若い)から現在まで、変化に富んだ展示は見応え十分だった。会場のところどころには石川さんの言葉がある。世界中で撮られた写真を見終わり、出口近くで目に入ってきた文章が印象的だった。

『家の玄関を出て見上げた先にある曇った空こそがすべての空であり、家から駅に向かう途中に感じるかすかな風のなかに、もしかしたら世界のすべてが、そして未知の世界にいたる通路が、かくれているのかもしれません。』

何かを表現する時に、うまく言えないけれど、足が地に着いている、ということはとても大切なのだな、と思った。ひたすら頭の中で何かを考えたり生み出そうとしたりすることはできるのかもしれない、でもきっとそうではなく・・・。

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その写真展の翌日に出かけたのが、森美術館の「新・北斎展」(https://hokusai2019.jp)
平日昼間だったのに、六本木に着く直前に調べたら入場は60分待ち、との情報だった。せっかちで人混みの嫌いな僕は帰ろうか、と思ったけれど、あれこれ用事を作り、済ませ、夕方の美術館に入った。地に足がついていない、というのか、この地上50何階かにある美術館はどうも苦手、と最初思いながら、たくさんある作品にすっかり見入ってしまった。同じ日本でも今は2019年である、ということは抜け落ちてしまうようだった。
北斎のことは詳しく知らないけれど、ひたすら画を描いた生涯だったのだろうと思う。芸術、なんて意識はあったのだろうか。会場に多く展示されていたのは様々な木版画、それらは思ったよりはるかに小さく、緻密で、精確だった。木を彫って版木を作る、正確に美しく、しかも大量に速く。原画を描いた北斎だけでなく、版木を彫る職人、紙に摺る職人、・・・、名前の残っていない腕利きの職人たちが、おそらくたくさんいたのだろう、そんなことに思いをはせ、心打たれた。当時のできあがったばかりの版画をもし見ることができたら、それは思わず引きこまれてしまうような美しさだっただろう、と思う。
展示の最後には晩年の肉筆画がいくつかある。僕はひまわりの絵が好きだった。太い線で、何と言ったらよいのだろう、まっすぐ描いてある。この絵は縦長だけれど、ゴッホのひまわりを連想した。

昨日読み終わったのは山内一也著「ウィルスの意味論」。十分に理解した、とはとても言えない、でも楽しく、どの章も眼を開かれる思いで読んだ。ウィルスとはいったい何か、19世紀初めの驚くべき種痘プロジェクトなど、様々な事柄から最近よく報道される豚コレラまで。世界を見る目が変わるようだった。

2019年2月15日 (金)

ロメオとジュリエット、ウェストサイドストーリー

時々教えに行っている大学オーケストラの、今月の演目はチャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」とドヴォルザークの「新世界より」。
チェロの分奏はいつも時間が足りなくなり、曲の後半が手薄になるので、先週は「ロメオとジュリエット」の後ろの方から始めた。曲の終わり近く、調性が明るくなり、木管楽器のコラールを過ぎて、低弦から始まる弦楽器のセクションをみていた時、もしかして・・・、と思った。バスがシ、ラ、ソ♯、・・・、と同じ音型を何度も繰り返すそのフレーズは、バーンスタインが作曲したウェストサイドストーリーの音楽の中にも、同じ音型がある。第二幕の「Somewhere」、女声で歌われる美しい旋律だ。七度音程の跳躍で始まるそのフレーズは何度も繰り返され、波のように押し寄せる。
ウェストサイドストーリーはシェイクスピアの戯曲「ロメオとジュリエット」に倣っている、と聞いたことがある。もしかして、バーンスタインはチャイコフスキーの「ロメオとジュリエット」へのオマージュとして、さらにもしかして、シェイクスピアへのオマージュとしても、チャイコフスキーの序曲からその音型を引用したのかもしれない、と思った。あるいは、たまたまその音型を書いてしまったのか(バーンスタインがチャイコフスキーのこの曲を知らなかった、ということはなかったと思う)、創作の秘密がどこにあるのかはわからないのだけれど。

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動画サイトでチェリビダッケ&ミュンヘン・フィルの新世界を見た。https://youtu.be/_9RT2nHD6CQ
何度も弾いてきた曲に新しい世界が見える。チェリビダッケの指揮を見ると、あぁ確かに楽譜にそう書いてありますね、でも僕はそのことに気づいていませんでした、と思う。2019年の今日にはもう、こんなに存在感のある指揮者はいないのかもしれない。オーケストラの団員の感じも他と違う。
しても仕方のない後悔だけれど、チェリビダッケとミュンヘン・フィルの演奏を実際に聴かなかったことは悔やまれる。聴くチャンスは二度もあった。

2019年2月 7日 (木)

昨日の日経新聞から

昨日、2月5日の日経新聞夕刊には楽しい記事がたくさんあった。
一面は翻訳家の松岡和子さん、
『マラプロビズム(おかしな言い間違い)成立には条件がある。まず、それを聞いた観客に、間違いのない「正しい」言い廻しを即座に思い浮かばせなくてはならない。次に、言い間違いが「正しい」言葉の反対語になったり、文脈上見当はずれになったりする「おかしさ」が生まれねばならない。この条件は原文のみならず、マラプロビズムの翻訳にも当てはまる。・・・・・』
その例として「へびこつらう」「悲喜もごもご」「ばっくざらん」「てもちぶたさん」と続く。

二面にはウナギの産卵場所を探す塚本勝巳さんの連載が、そして最終面には落語家、桂南光さんの「こころの玉手箱」。その中から

『「本来無一物」と書かれた掛け軸は、大師匠の桂米朝師匠の形見分けでいただいた。・・・・・
 この掛け軸は薬師寺の管主だった高田好胤さんからもらったそうだ。書いたのは好胤さんの師匠の橋本凝胤さんという人で、「人間は裸で生まれて裸で死んでいくわけだから『本来無一物』を信条に生きなさい」という教えだという。米朝師匠が掛け軸を気に入って譲ってほしいと頼むと、「なんぼ米朝さんでも師匠が私のために書いてくれた宝物をあげることはできません」と断られた。
 普通はここで引き下がるところ、米朝師匠は「そうでっか。本来無一物というのを信条に生きているのに、それを手放すことはできんということですなあ」とチクり。好胤さんは「米朝さんには参った。確かにそうですな」とくれはったという。』

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朝刊には悲しいニュースがあった。ジャズ評論家、児山紀芳さんの訃報。目にしたとき、あっと声が出た。
土曜日夜のNHKFMの番組「ジャズ・トゥナイト」、児山さんの穏やかな口調の解説と共に聞くジャズは、とても心地よい時間だった。最近は他の方に代わることが多く、気にしていたのだけれど。放送で一方的にこちらから知っているだけの方、でもラジオから流れてくる声を聞くだけで、音楽への広い愛情が伝わり、素敵だなと思う、そういう方だった。
黒田恭一さんのことを思い出す。黒田さんが担当されていた日曜日午前中のFM番組の最後は「どうぞお気持ちさわやかにお過ごしくださいますよう、・・・」と結ばれ、寝坊助の僕もその言葉に動き出すきっかけを頂いていた。もう10年近くたつのか・・・。(2009年6月の日記をご覧ください。ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/post-ea77.html)

謹んでご冥福をお祈りいたします。

2019年1月12日 (土)

シェーンベルクのヴァイオリン協奏曲

1月10日の都響定期演奏会の前半はシェーンベルクのヴァイオリン協奏曲。パート譜をざっと見た時、そんなに黒くないし(細かい音符が多くないということ)きっと大丈夫、と思っていたら、僕のこれまでの音楽人生の中で(さほどのものではない)、指折り何番目かの難しさだった。ただし同僚から、そんなに難しいんですか?、とか、チェロ大変そうだね、と言われたから、パートによって印象はずいぶん違うらしい・・・。(オーケストラではよくあること)

何が難しかったのか、考えてみる。
最大の理由は定型がほとんどなかったことだと思う。リズムが似ているようにみえる時でも、毎回少しずつ違う。あるリズムが拍の前にきたり、拍の頭にきたり、アップビートが八分音符だったり十六分音符だったり、複雑に入り組んでいる。慣れてきて他のパートが耳に入るようになると、かえって惑わされる。その上、十二音技法というのか、音の予想がいつもつかない。リズムにも音にも定型がない。逆に言うと普段、身についた定型に頼っている部分がかなりあるということだ。
そのような場合は、淡々と、ただ目の前の音符を一つずつ丁寧に弾いていく、それが良い方法だったのかもしれない。実際問題、丁寧に弾く時間はほとんどなかったけれど。猛烈なスピードで動いていく現在の状況の中に身を置きながら、楽譜を読んで、その中にフィットしていくように音を出していく。以前、オーケストラ奏者は空間認識能力が高い、という話を聞いたことがある。楽譜を図形のように、地図のように素早く読む、ということだろうか。(残念ながら、僕の能力がたいしたものだとは思えない)素人考えだけれど、世界ラリー選手権に出場するようなナビゲーター(運転席の隣に座って、地図を読み、方向などの指示をドライバーに出す人)がもしオーケストラ奏者になったとしたら、非常に高い能力を発揮するかもしれない、と思う。オーケストラで弾くことが趣味の、プロのナビゲーターがもしどこかにいたら、話を伺ってみたい。

自分が間違えて飛び出した箇所を、次に通る時気をつけていると、他の人が飛び出したりして、あぁ自分だけじゃないんだ、と思う。シェーンベルクという人は人間のことをよくわかっていて、こう書くと君たちは間違えるよね、と見られているようだった。
そして、これはいつものことだけれど、記譜が、へ音記号、ハ音記号、ト音記号と目まぐるしく変わり、ピチカートとアルコの持ち替えに加えてバットゥート(弓の木の部分で弦をたたく)の指示もあり、ディヴィジの指示(パートの中でさらにパートが分かれる)であちこち目が泳ぐ。加えて追い討ちをかけるように、写譜が読みにくい。同じ小節の中で1拍にあてられるスペースが違い、あぁもう、実に読みにくい。大事な休符が隅の方に追いやられて、くしゃっと書いてあったりする。写譜屋さんは独自の美学お持ちなのかもしれないが、たとえば四拍子なら、一小節をだいたい四等分して書いて頂きたいと切に願う。

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一言で言えば、足りない頭と体ををフル回転させた演奏会だった。難しさに翻弄されて終わったけれど、曲自体はなんだかおもしろそうだった。ソリストはパトリツィア・コパチンスカヤ。リハーサルの最初から素晴らしい演奏だった。何より素晴らしいと思ったのは、超絶技巧の演目のはずなのに、いつも自然な感じでいたところだ。そこが一番大切なのかもしれない。本番の衣装ではわからなかったけれど、彼女はいつも素足でヴァイオリンを弾いていた。

僕は聴いていないけれど、この曲はヒラリー・ハーンの録音がよく知られているらしい。そのCDのカップリングはシベリウスの協奏曲で、収録順はシェーンベルク、シベリウスだそうだ。何人かのヴァイオリンの同僚と話していて、シベリウスを聴く目的でこの録音を持っている人が、その時初めてシェーンベルクも入っていることに気づいていた。収録順からすると、演奏者の意図は明らかにシェーンベルクを聴いてほしい、ということだろうけれど、進んでシェーンベルクを聴く人は多くないかもしれない。だって例えば、朝すごく早い時間に目が覚めた時、シベリウスを聴こう、とは思っても・・・。(シェーンベルクさん、ごめんなさい)

プログラムの後半はブルックナーの6番。久しぶりに弾いた6番は、バランスが取れて美しい曲だった。
大野さんの指揮は早めのテンポで、横のつながりがよく見えた。シェーンベルクとは対照的に、ブルックナーのフレーズは2、4、8、16小節の定型で書かれている。それぞれのフレーズの和音がどのように書かれているのか、どのような進行をしているのか、そして次のフレーズに移る時、前のフレーズとどういう関係なのか、そんなことを感じながら弾くのは楽しかった。ブルックナーの演奏は重厚長大になりがち、でも今回のようによく進むテンポもいい、という思いと、低弦が十分に鳴り切るにはもう少し時間がほしかった、という思いがまざった。

2018年12月31日 (月)

ひたすら

6月に、ある小さな演奏会でバッハの二つのヴァイオリンのための協奏曲を聴いた。昔から何度も弾いてきて、通奏低音のパートはすっかり覚えているくらいだけれど、その時初めて、なんて素晴らしい曲なんだろう、と思った。今年の最も大きな音楽的な出来事の一つだった。もし無人島に一枚のレコードを持って行くとしたら、僕は迷わずこの協奏曲にする。第2楽章だけでもいい。
高校生の頃、オイストラフの演奏を聴いたはず、とCDを探した。(その時聴いたのがメニューインと協演したものだったか、オイストラフ親子によるものだったか定かではないのだけれど)録音を聴いても感動はよみがえってくる。カップリングで入っているベートーヴェンのロマンスも素晴らしい。オイストラフの演奏に触れると、弦楽器はこう弾くもの、音楽はこう演奏するもの、と感じる。様々な情報にあふれ、足元が見えなくなりそうなとき、立ち戻る場所になる。

もう一つ、今年素晴らしかったな、と思うことは、年代も国も様々な5人の優れた演奏家・作曲家に会った時に受けた印象だ。接したのはいずれもリハーサルの合間だったり、終演後だったりした、そうしたタイミングもあるのかもしれない、相対した時、拍子抜けするほど彼らには邪気がなかった。握手をしようと手を出すと、こちらの手が向こうに通り抜けてしまうような気がした。子供のよう。その印象が見事に5人に共通していた。彼らの素晴らしいパフォーマンスは、そうした心の持ち方も関係しているのではないか、と思うようになった。充分に自己実現できていて、それに打ち込むことができている。

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もちろん演奏家には、ただならぬ雰囲気を漂わせたり、威圧的だったり、何かを腹に抱えていたりする人もいる。僕はといえば、様々なとらわれがある。こだわり、執着、好き嫌い、と言ってもいい。独断だけれど、演奏家の多くは人一倍執着の強い人たちだ。それは意外なほど演奏に影響しているのではないか。
演奏家として、素晴らしいことや苦いこと、様々な経験をする。そうした経験に、善し悪しだったり好き嫌いだったり、価値判断や感情的なものが結びつき、長い時間をかけて澱のように心に積もっていくことは、果たして良いことなのだろうか、と思うようになった。

体を使って何かをする、パフォーマンスをする時に、心や意識がどうあるか、というのは技術的な訓練と同じくらい大切なのではないだろうか。子供から大人になり、経験を積み、意識が大きくなり、考え事をするようになり、何もなかったところに、名誉、報酬、責任、地位・・・、こうしたことが重くまとわりつくようになる。ただ夢中でしてきたことに、意識の様々なことが入り込んでくる。
毎年のように色々なスポーツで、華々しい活躍を見せる10代の選手が現れる。しかし長く活躍し続ける選手は多くない気がする。専門的なことはわからない、肉体的な条件など様々なことがあると思う。例えば有名になり、メディアの取材を受け様々な媒体に出て・・・、そうしたことが続いた時、多くの選手の心に何かが起きているのではないか。放っておいてあげればいいのに、といつも思う。大きな大会の前は特に。メディアが騒がなかったらきっと違う活躍が、と思う選手がたくさんいる。

執着といえば、報道が続く自動車会社元会長のことを考える。彼はどうしてあんなにたくさんのお金が欲しかったのだろう。僕には想像もできないような素晴らしい使い道があったのだろうか、それともただただ、欲しかったのだろうか。

大晦日、除夜の鐘が108回撞かれる。それほど人間には煩悩があり、それらがしっかりと根を下ろす前に払ってしまいなさい、ということだろうか。来年のことを言うと鬼が笑う、というけれど、来年はできることなら、なぜ、どうして、何のために、など考えず、毎日真っ白な心で、ひたすら生きて弾いて、過ごしたい。

2018年12月23日 (日)

目の前に

そんなことより、どんな弾き方をして、どのように音楽を感じ、そしてどのように生きているか、こうしたことの方がはるかに大切と思うけれど、確かに、楽器のセッティングは興味深いことではある。

僕は上の2本にヤーガーのミディアム(クラシック)、下2本がオイドクサ、という弦の組み合わせを何年も使ってきた。学生時代に北九州の音楽祭で一緒に弾かせてもらったロバート・コーエンというイギリスのチェリストの組み合わせだ。彼が使っていたのは、スクロールが人の顔になっているテクラー、あの美しく個性的なチェロは今どこにあるのだろう。
夏前にどうもa線の突っ張る感じが気になるようになった。硬い。下に張っているオイドクサの張力がかなり低いので(この古典的で素晴らしい弦の製造が続くことをピラストロ社に願わずにはいられない。いったい、世界で何人がこの弦を使っているのか)、1番線がより硬い感じになるのかもしれない、と思った。各社のHPを見て、ヤーガーのミディアムより張力の低い弦を探した。基本的に新しい弦ほど張力が高く、残念ながら僕の選択肢は少ない。
そんな頃、O君がワーシャルの知らない弦を使っていて、聞いたらアンバー、という。久しぶりにワーシャル社のHP(warchal.com)を見てみたらおもしろかった。様々なアイデアにあふれている。アンバーのa線は、おそらく音が裏返るのを防ぐために、駒に当たる辺りがゆるやかな螺旋状(!)になっている。その弦も試し、結局プロトタイプAという新しい製品を使っている。ヤーガーより緩く、音色の変化も自由だ。

ワーシャルのHPでは松脂の厳密なテストも公開されている。早速、その中で良いとされているアンドレア・ソロを使ってみたら、確かによかった。パワフル。アメリカで仕事をしていたヴァイオリニストに聞くと、彼の地ではオーディションに通るために欠かせないアイテム、ということになっているそうだ。今はその松脂も使うし、ある方から頂いたドイツの弓製作家によるものも使っている。こちらの方が自然な感じがする。

ガット弦に関して、以前は4ヶ月くらいで交換していた。でもそのくらいではたいして劣化した感じはなく、もったいないので半年使うようになった。伸びたガットの感触もなかなかいい。
半年使うようになって、交換の時期をこう考えるようになった。まだ熱帯になってはいないけれど、1年を乾期と雨期に分け、秋の長雨が終わり紅葉が始まる頃、空気が乾燥し始めたら新しいガットに換える。東京の冬は乾いた晴天が続く。5月くらいまで気持ちの良い季節だ。空気がじめじめし始めたらまた交換し、梅雨、夏、台風、秋の長雨まで使い・・・。交換の前には一月ほどかけてゆっくり伸ばしておく。弓もこのタイミングで毛替えしたらどうかな、と思っている。
スチール弦はある時点で急激に倍音の成分が減り音が平板になるので、基本的には新しいものの方がいいと思う。

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先月久しぶりにマリオ・ブルネロの演奏を聴いた。久しぶりに見て聴いて、20代の後半、毎夏シエナに出かけて習っていたのに、大切なことを受け取っていなかった、とようやく気付いた。背中から肩、肩から腕、腕から指、指から弓や楽器へ、その一連が流れるように見事につながっている。それは毎日何時間も見ていたのに・・・。大切なことはすでに目の前にあった。

小学校を卒業する時に、当時の校長先生の方針で、6年生は全員決められた3つの詩を先生の前で暗誦しなくてはならなかった。どうして?とは思ったし、親も、どうして?という感じだったと思う。詩の意味や、なぜ暗誦するのか、という説明はなかった。万葉集から山部赤人の長歌と反歌、カール・ブッセの「山のあなた」(上田敏訳)と記憶している。「山のあなた」は長くなく、今もなんとなく覚えている。ただその言葉は小学生の僕には不思議な感じがした。”山のあなた、って一体誰なんだろう?”
校長先生がどんな思いをもって暗誦させたのか、今となっては知る方法もない。でも、人に何かを教えるとはこういうことかもしれない、と思う。30年以上たち、今は少し腑に落ちる。


カール・ブッセ「山のあなた」 上田敏訳

山のあなたの空遠く
「幸」住むと人のいふ。
ああ、われひとととめゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸」住むと人のいふ。


2018年12月 4日 (火)

5分前に

以前あるピアニストが、ヴァイオリンのアンネ=ゾフィー・ムターがこんなことを言った、と教えてくれた。理想の演奏会は、開演5分前に演奏会場に着き、楽器を出し、そのまま舞台に出ていく。
この話を聞いた当時、ものすごく意外な感じがした。今は少しわかるような気がする。何時間も前にコンサートホールに入り準備し待ち構えるのではなく、流れるようにスムースに事が進行する、ということだろうか。

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本当にこう言ったのかどうかは確かめていないのだけれど、今日初めて本人の演奏に接して、たしかにそうかもしれないと思った。いつものホールには黄色い花がたくさん飾られ、ちょっと違う感じだ。演奏会は明日。

2018年10月31日 (水)

リー・キット展、前橋汀子さん

原美術館で開かれているリー・キット「僕らはもっと繊細だった。」展へ。www.haramuseum.or.jp/jp/hara/exhibition/243/
久しぶりの原美術館、久しぶりの現代美術、楽しかった。今回の展示、モノとして価値のあるものはあまりなく、がっかりする人もいるかもしれない。美術品があると思って入ると、空っぽな感じがするかもしれない。もとは私邸だった美術館のそれぞれの部屋には光がゆらぎ、ゆったりとした時間が流れ、心地よかった。今回のインスタレーションは外から差し込む光が大きな要素になっている。僕が行ったのはよく晴れた午前中だったけれど、例えば曇っていたり、日が落ちてからだったりすると、きっと印象が異なると思う。
(この数年現代美術がつまらなく感じられるようになり、展示から足が遠のいていた。たいして通った訳でも詳しい訳でも、もちろんないけれど、現代美術にお金が流れ込むようになったことや、アートっぽいものがもてはやされる今の風潮が関係しているのではないか、と僕はにらんでいる。ところで先日、ある絵がオークションで落札された直後に、内蔵されたシュレッダーで裁断される、ということがあった。作者はこうした状況を揶揄したかったのだろうか、と想像する。https://youtu.be/vxkwRNIZgdY)

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今月の日経新聞連載「私の履歴書」は前橋汀子さん、毎日楽しく読んだ。10月6日の記事から、
『私の人生を変えたともいえるコンサートがある。55年2月に初来日したソ連の世界的なバイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフの公演だ。日比谷公会堂の客席に陣取った私は小学5年生だった。
 あんなバイオリンの演奏は聴いたことがなかった。大きな体と楽器が一体となった、ふくよかな響き。「楽器が体の一部みたい。バイオリンでこんな音が出せるんだ」。まさに衝撃だった。
 「ソ連で勉強すればオイストラフのように弾けるようになるかしら」。私の心に大きな火がともった瞬間だった。』

10月29日の記事から、
『大学で教える一方、自分が生徒になった時期もある。62歳から1年間、都立大泉高校の定時制課程に通ったのだ。当時、本格的にスラブ民族史を学びたくなり、どの大学で講義が受けられるか調べてみたのだが、自分が高校を中退してソ連に留学したことに気づき、まずは高卒の資格を取ろうと思い立ったのである。
 夜学の生徒の大半は昼間に働く10代の若者。「前橋さん」「はい」と出席を取るところから始まり、彼らと同じように授業を受けた。生物や化学の面白さに目覚め、参考書や科学雑誌を買って読みふけった。・・・
 期末テストは一夜漬けで頑張った。初めて答案用紙に名前を書く時は鉛筆を持つ手が震えたのを覚えている。
 15分遅刻すると欠席扱いになる。自転車で猛ダッシュして滑り込みセーフの日もあった。・・・』

2018年10月20日 (土)

物語

8月に放送されたラジオ番組の中で村上春樹さんが、「文章の書き方は音楽から学んだ」と言っていたことが印象的だった。
その放送からしばらくして、以前ピアノの小曽根真さんが言ったことを思い出した。何年か前、確か石巻の体育館での演奏会の時と記憶するけれど、クラシックを弾くようになって良かったことは、音楽には物語があることを知ったこと、と言っていた。村上さんと小曽根さんの言ったことは一つの環になるような気がした。先月末に小曽根さんと都響の演奏会があり、それではジャズはどういうことなんですか?と是非尋ねたいと思っていたのだけれど、聞きそびれてしまった、残念。今度きっと聞いてみよう。

もう一つ、8月に作曲、クラリネットのイェルク・ヴィトマンが来た時、プログラムノートの中で書いていたことも思い出す。
『音楽を通して思考できるようになって以来、私にとって常に重要であったのは、新しいものを創出することであり、どのような色彩の響きを作りだすか、どのように音を組み合わせるかということであった。』

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今読んでいるのはジェイムズ・ジョイス著「ダブリンの人びと」(米本義孝訳)。以前にも読んだはずなのだけれど(岩波文庫版と思う)、何が良いのかまったくわからず、かの有名なジョイスとは、はて?と思っただけだった。今はおもしろい。何かがありありと、目の前に立ち昇ってくるようだ。丁寧な訳注と解説も手伝って、すごいと思う。物語はきっとこうやって書くものなんだ、という気がする。
「ユリシーズ」も以前読んだ。訳もわからずとにかく頑張って最後まで読んだ、という感じだった(巻末の丸谷才一さんの解説は、ぽんと膝を打つような素晴らしいものだったと覚えている)。「ダブリンの人びと」を再読した後で、本箱に眠っているユリシーズを出してみる気になった。今度開いたら何かつかめるのかもしれない。

ところで、ラジオから流れてくる村上春樹さんの喋り方はけっこう驚きだった。文章を知っているから、そちらから何かを補って聞いているけれど、もし知らなかったら違う印象を持ったかもしれない。次の「村上RADIO」の放送は10月21日19時~、TOKYOFMで。www.tfm.co.jp/murakamiradio

2018年9月24日 (月)

9月22日都響定期演奏会のプログラムはオリヴァー・ナッセン:フローリッシュ・ウィズ・ファイアワークス、武満徹:オリオンとプレアデス、ホルスト:「惑星」だった。指揮はローレンス・レネス。

オリオンとプレアデスのチェロ・ソロはジャン=ギアン・ケラス。最初のリハーサルの後、会いに行き、彼がこの曲を弾くのは初めて、美しく、メシアンやデュティーユを思わせるね、そんな話をした。
学生時代、カザルスホールの主催公演をよく聴きに行った。武満徹さんの曲の演奏機会は多く、よくお見かけしたと思う。96年に初めてサイトウキネンオーケストラに参加した時も、武満さんはいらしていた。2004年の新日フィルのスペインツァー、その後に続いたサイトウキネンのヨーロッパツァー、両方ともプログラムの冒頭は武満さんの「弦楽のためのレクイエム」だった。前半のツァーは、日本のオーケストラだから、という理由でこの曲が選ばれた感じで(指揮者はスペイン人)、残念ながら深い理解は感じられず、サイトウキネンで弾くことを待ち遠しく思った。

正直なところ、僕の弾いてきた武満さんの曲の多くはゆっくりで、つかみどころがあるとは言いにくい。それらの曲に特別な輝きがある、ということに気付いたのは、恥ずかしながら最近だ。
オリオンとプレアデスを弾いていて、広い空間で様々な楽器の音が重なった時、何が起こっているのだろう、と心を奪われた。時間は音楽の大切な要素だけれど、その響きが現れると、時の進みが無くなる気がする。ずっと西洋音楽を弾いてきた、でも武満さんの曲は、もしかして僕たちが何気なく出す音で、必要なものを実現しているのかもしれない。そしてこれは前から感じていたことだけれど、外国の人たちの方が武満さんの曲に強く魅せられている気がする。

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プログラムの後半はホルストの「惑星」。浅はかな僕には、全曲にわたって隙なくこの曲が魅力的とは思えない。ルーチンワークになる時間がけっこうある。でも一つずつのフレーズを弾きながら、思いもしないような和声の進行がそこら中にあることに、ようやく気付いた。かなり斬新で、調べた訳ではないけれど、こういう書き方は惑星以外で経験しているだろうか。組曲のエッセンスは火星や水星、木星の有名な旋律より、そうした響きの中にあるのではないだろうか。そう思い至ったとき、前半に武満さん、後半に惑星というプログラミングの理由が浮かび上がってくる気がした。
今回の演奏会はもともと、作曲家でもあるオリヴァー・ナッセンが指揮するはずだった。ナッセンがどうして惑星を選んだのか、そしてどのような音楽を生み出そうとしたのか、知りたかった。

ケラスがアンコールに弾いたのはデュティーユの「ザッヒャーの名による3つのストロフ」から第1。なるほど、メシアンやデュティーユのことを言っていたものね、と思った。調弦を変えるこの曲を、事も無げに弾くケラスを見て、2年前、ブーレーズを一緒に弾かせてもらった時に彼が言っていたことが何だったのか、ようやく少しずつ僕にの体にも入ってきた気がする。(2016年6月の日記をご覧下さい。「メサージエスキス その2」www.ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2016/06/2-8fc6.html)

ナッセンの訃報は今年の7月。彼が前回都響を指揮したのは3年前だと思う。ケラスの弾くデュティーユを聴きながら、サイトウキネンがデュティーユに委嘱して彼が来日したのはもう10年も前のことだった、と思った。武満さん、デュティーユ、ナッセン、皆大きな人たちだった・・・。

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