音楽

2023年8月18日 (金)

耳を開く

教えている大学オーケストラのチェロパート(いま夏休み中で、しばらくすると合宿があります)に向けて書いた文章を下記に。少し手を加えてあります。


・・・・・・・


チェロの皆様


今回は少し専門的なことを書いてみたいと思います。興味の持てるところまで読んで頂けたら幸いです。

ご存じの通り、管弦楽作品には多くの楽器が使われ、多くの音があります。
同時に多くの音が鳴っている時、その多くの音をどうとらえて、どう聴いているのか、きっと人によって驚くほど、違うと思います。
ピアノの経験がある人は、より多くの音を同時に聴けているのではないか、と思います。あるいは、たくさんの楽器の中で1本の旋律線だけ、好きな楽器の音だけ、自分の楽器の音だけ、聴いているかもしれません。

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音楽はどのように聴いても自由ですが、オーケストラの中でチェロを弾く時には、周りで起きていることをできるだけ正確に把握し、それに対して適確にふるまうことが大切と思います。
急にはできませんが、時間をかけてこつこつ続けると、少しずつ同時に耳に入る楽器の数が増え、同じ曲が違って聞こえてくるのではないか、と思います。是非それを経験して頂きたいです。

最初から耳だけで多くの音を聴き分けるのは難しいので、目の働きを借り、スコアを開いてみましょう。
楽器が多すぎず、少なすぎず、構成の見えやすい曲、例えばベートーヴェンの交響曲第5番(「運命」と呼ばれます)、ブラームスの1~4番、ドヴォルザークの8、9番、チャイコフスキーの5番などが良いのでは、と思います。
図書館などで借りるか、それほど高価なものではないので、好きな曲を見つけて買ってもよいかもしれません。知っているつもりの曲は、数年たってもう1度触れると、まるで違った顔で現れます。1冊のスコアは長い時間、輝きを保ち続けます。

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交響曲1曲の中には本当に多くの音が書かれています。1度に全部を見るのはなかなか大変なので、まず一つの楽章を読んでみましょう。できるだけ丁寧に、時間をかけて。頭ではなく体に取り込むように。1日に一つのパートで充分かもしれません。
広く浅く、多くのことに触れるより、一つのことを徹底して身につける方が、結局早いと思います。

音を聴きながら、スコアを眺め、まず耳に入ってくる主要な動きを追いましょう。第1ヴァイオリンやオーボエ、フルート、といった楽器が担っていることが多いです。その主要な動き(旋律)は様々な楽器に移り変わっていきます。

その曲の外観を眺めたら、次は5部の弦楽器を見ましょう。
オーケストラは4つの楽器群、弦、木管、金管、打楽器に分かれていますね。人数の多い弦楽器は、オーケストラの母体を形成しています。まず弦楽器の中で主要な動きを担っているパートを追いましょう。根気と時間のある人は第1ヴァイオリンから順に、全てのパートを追うと、きっと様々な発見をするのでは、思います。

第1ヴァイオリンは何と言っても花形です。第2ヴァイオリンとヴィオラは旋律の3度音程下で支えたり、ハーモニーを構成したり、リズムを作ったり、フレーズの変わり目で次への橋渡しをしたり、目立ちませんが、とても興味深いパートです。作曲家の考えに触れられる気がします。
チェロを聴く時は同時に、コントラバスの動きも追いましょう。コントラバスと同じ動き(ユニゾン)の時は、オーケストラ全体のバス(低音)を担っています。その時はコントラバスの響きの中に入り、オーケストラを支えるイメージを持ちましょう。そうでない時は輝かしい高音で旋律を弾いたり、対旋律を弾いたり、ヴィオラのように中声部を担当したりしています。ドヴォルザークの「新世界より」ではコントラバスとチェロの役割が逆転しているフレーズがあります(珍しいケースと思います)。全体の中の、自分の立ち位置を把握してみましょう。

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次は木管楽器を。
オーボエ、フルート、クラリネット、ファゴットの4つの楽器があります。音域で言うと、オーボエとフルートはヴァイオリン、クラリネットはヴィオラ、ファゴットはチェロに重なります。
弦楽器群と木管楽器群は似た使い方をされることも、違う使い方をされることもあります。同じ高音楽器のオーボエとフルートが、音色によってどう使い分けされているのか。ピッコロフルート、Esクラリネット、バスクラリネット、コントラファゴットといった高音、低音楽器がどのように使われているのか(重要な部分を強調しているかもしれません)も聴いてみましょう。

西洋音楽の重要な要素の一つに和音があります。
和音は3つ以上の音から構成されますが、基本となる三和音も、さらに一つの音を重ねて、4つの音で鳴らすと(例えば、ド・ミ・ソをド・ミ・ソ・ドに)、充実して安定した響きになります。
弦楽四重奏、混声四部合唱、4種類の木管楽器、ホルンも4本のことが多いです。

ホルンを聴いてみましょう。
4本の場合、この楽器の中でハーモニーが完結することがあるかもしれません。旋律や対旋律など重要な役割を担うことも多く、またチェロとユニゾンのこともあります。

トランペット、オーケストラの花形です。1番トランペットはよく聞こえます。2番3番が重要な働きをしていることがあります。注意深く聴いてみましょう。

トロンボーン、オーケストラで最も音の大きな楽器の一つと思います。大音量は自然と聞こえてきますが、例えばドヴォルザーク8番の冒頭のように、中声部で美しいハーモニーを作っていることもあります。表に出ていない時にも着目してみましょう。

ファゴット、ホルン、トロンボーンはチェロと音域が重なる楽器です。チェロと同じ動きをしているのか、違うのか、違う時はどう違うのか、そうしたことに興味を持って聴いても、楽しいかもしれません。

チューバ、ここぞという時に使われる印象があります。もちろん、静かな場面でも効果的に使われます。
例えば、「新世界より」では、静かな第2楽章にだけ、出番があります。また、ブラームスの2番の第1楽章、ヴァイオリンの主題で音楽が動き始める直前に、トロンボーン、バストロンボーン、チューバ、チェロで和音を構成します。その時のそれぞれの楽器の使われ方はとても興味深いです。

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打楽器、ティンパニを始め、様々な楽器がありますね。
ティンパニが使われるのは、曲の鍵となる場面が多いです。大音量の時はもちろん、小さい音で使われている時にも着目しましょう。作曲家がその音楽をどうとらえているのか、骨組みが見えるようです。

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例えばブラームスの4番ではトライアングルが絶妙な感じで使われます。作曲家の音のイメージが見えるようです。
「新世界より」やブルックナーの7番では、全曲中で1回だけシンバルの出番があります(版にもよります。ブルックナー8番では2回)。ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番では、終楽章のシンバルの使われ方が印象的です。
打楽器の一音がオーケストラ全体の雰囲気を一変させることがあります。(チェロにはなかなかできないことです)

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ハープが使われている時は、もちろん注意を向ける必要があります。

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多くの人が参加し、多くの楽器から音が出るオーケストラでは、お互いの音をよく聴き、できるだけ速く、柔軟に反応することが必要と思います。
オーケストラを自動車に例えてみます。良い自動車とは何でしょうか。多くの部品で構成されていますが、全体が調和し、スムースに快適に動くものではないか、と思います。

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他の楽器の人には怒られるかもしれませんが、チェロをエンジンに見立ててみましょう。自分の技術を磨き上手になることは、エンジンを高性能にすることに似ています。でもそのエンジンが周囲と調和していなければ迷惑にもなります。
雨や雪の日は、エンジンのパワーはゆっくり慎重に上げなくてはなりません。難しいカーブを曲がる時も、アクセルの繊細な操作はきっと重要です。一方、リスクを背負い先頭に立ち、全力でオーケストラを引っ張らなくてはならないときもあります。
チェロ、という楽器からの視点ではなく、離れたところからオーケストラ全体を見ると、今自分が何をしなくてはならないのか、見えやすくなると思います。

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おそらく授業で習ったのでは、と思いますが、西洋音楽にはソナタ形式、という形式があります(乱暴に言うと起承転結のようなものです)。このことを理解しておくと、長大な交響曲でも、自分の現在位置がよりつかみやすくなります。

長くなりました、その話はまた別の機会にしましょう。

2023年7月 9日 (日)

3月の日経新聞から

3月を振りかえってみる。

3月21日日経朝刊から、
『国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)が20日公表した報告書は、各国の温暖化対策の遅れに危機感をにじませた。産業革命前に比べた世界の気温上昇は2030年代初めにも抑制目標の1.5度に達すると予測した。温暖化が進むほど水不足なども深刻になる。』

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3月1日日経朝刊から、
『厚生労働省が28日に公表した人口動態統計(速報)では、2022年の国内の死亡数、前年比の死亡増加数共に戦後最多となった。新型コロナウィルスによる死亡に加え、心不全などで亡くなる高齢者が急増している。
 22年の国内の死亡数は158万2033人で、前年より12万9744人(8.9%)増えた。』
『厚生労働省は28日、2022年の出生数が外国人を含む速報値で前年比5.1%減の79万9728人だったと発表した。80万人割れは比較可能な1899年以降で初めて。』

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3月21日日経朝刊から、
『新型コロナウィルスの抗体保有率が全国で42.3%に上ることが、厚生労働省の調査で分かった。2月19~27日にかけて実施し、献血した人のうち一定の条件を満たした全国1万3121人から協力を得た。2022年11月に実施した調査から13ポイントほど上昇した。
 ・・・・・
 都道府県で結果に差がみられた。最も高かったのは福岡県で59.4%。沖縄県が58.0%で続いた。最も低かったのは岩手県で27.4%だった。』

3月26日日経朝刊から、
『米マッキンゼー・アンド・カンパニーは新型コロナウィルスによって2022年に米国の労働力が0.8~2.6%損なわれたとの試算をまとめた。』

3月30日日経朝刊から、
『会計検査院によると、新型コロナウィルスのワクチンの国内の接種実績は2023年1月時点で約3億7900万回分に上った。
 一方、有効期限切れによる廃棄や、需要減によるキャンセルも相次いだ。・・・21年度までに確保した8億8200万回分の3割が使われなかったことが判明している。』

3月6日日経朝刊に掲載された、モデルナ、ムーア最高科学責任者の記事から、
『人が感染しうるウィルスとして特定されているのは225あるが、ワクチンの開発されたのは25にとどまる。我々は全てのウィルスに対しワクチンを開発していきたい』

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3月11日日経夕刊から、
『気象庁は11日までに、東日本大震災の余震域で、昨年3月11日から今年2月28日までの約1年間に震度1以上の有感地震が計510回あったと明らかにした。マグニチュード4.0以上は計240回だった。
 ともに直近2年よりも増えたが、気象庁は全体としては減少傾向とみている。』

3月11日日経朝刊から、
『東京電力福島第1原子力発電所の事故処理費用が膨張を続けている。会計検査院によると2021年度までに約12兆円が賠償や除染、廃炉作業などに措置された。賠償や除染などの費用は22年度までに年1兆円規模となった。東日本大震災から11日で12年を迎えるが、廃炉や除染の道筋はなお見通せない。』
『東京電力は核燃料が溶けて固まった溶融燃料(デブリ)について、23年度後半に福島第1原発2号機からの取り出しに着手する。・・・
 東電などによると、事故で燃料が溶けた1~3号機全体でデブリは推計880トンある。』

3月17日日経朝刊から、
『ドイツが4月に「脱原発」の目標を達成する見通しになった。ショルツ首相は日本経済新聞の取材で、国内に残る原子力発電所3基の稼働を完全停止する方針を示した。「延長の選択肢はない」と明言し、脱炭素社会の実現に向けて風力などの再生可能エネルギーで国内電力を賄うと強調した。』

3月27日日経朝刊から、
『環境省は日本海溝・千島海溝沿いで想定されるマグニチュード9級の巨大地震に伴う住宅がれきなどの災害ごみは最大で2717万トンに達すると推計した。処理完了に3年かかった東日本大震災の約2千万トンを上回る。』

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3月3日日経朝刊から、
『政府による通信遮断や検閲によってインターネットの世界が分断する「スプリンターネット」が深刻になっている。米人権団体のフリーダムハウスが2022年にまとめた報告書によると、世界のインターネットの自由度は12年連続で悪化した。』

3月29日日経夕刊から、
『米国務省のパテル副報道官は28日の記者会見で、ロシアとの核軍縮条約に基づく一部の情報提供を停止すると明らかにした。ロシアが条約の履行を停止し、米国も対抗措置をとる。』

3月17日日経朝刊に掲載されたUSナショナル・エディター、エドワード・ルースさんの記事から、
『少し頭の体操をしたい。もし台湾が存在しなかったとしても米国と中国は対立していただろうか。筆者の直感では「イエス」だ。覇権国と新興勢力が対立するのは人類の歴史の一部と言っていいからだ。』

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3月29日日経夕刊から、
『名古屋大などのチームは、石川、三重、鳥取の3県の海で青紫色に発光するゴカイを新たに3種発見したと29日付英科学誌に発表した。青紫に光る生物は世界的にも珍しいといい、名古屋大の自見直人助教(分類学)は「発光のメカニズムを明らかにしたい」としている。』

3月5日日経朝刊から、
『日本で将来のノーベル賞候補となる先端研究人材が減っている。世界で注目される論文数はピークから2割近く減り国別順位で12位と2000年代前半の4位から後退した。』

3月25日日経朝刊プラス1に掲載された、デジタル認知障害の記事から、
『専門家が注目する原因の一つは01年にワシントン大学のマーカス・レイクル博士が発表した研究成果だ。レイクル博士は脳の活動を画像化する研究で、脳は「ぼんやり」しているときも相当なエネルギーを使っていることを解明。このとき脳は何もしていないのではなく、入力された情報を整理し、最適な答えを出したり重要なことだけを記憶したりする。これを「デフォルト・モード・ネットワーク」と名づけた。
 常にスマホを使っていると脳の中を整理する時間がなくなり「脳の中がゴミ屋敷のよう」になる。認知障害だけでなく「興味のないことには意欲がわかない」新タイプの「うつ」の原因にもなっているという。』

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3月10日日経夕刊に掲載された、オリックス山本由伸投手の記事から、
『不安を感じる中で個人的にトレーナーに師事。ウエートトレーニングに頼らず、ブリッジに様々な動きを組み入れた体操や、やり投げのような器具を使った遠投を練習メニューに採り入れた。体の深部から鍛え、全身の筋肉や骨の連動性を高めるトレーニングを継続してきたことが、今の飛躍につながっている。』

3月30日日経朝刊から、
『慶應義塾大学先端生命科学研究所の福田真嗣特任教授らによる研究チームが、箱根駅伝などで活躍する青学大陸上競技部(長距離ブロック)の男子学生48人と同年代の一般男性10人の腸内フローラの比較調査を行ったところ、学生たちには「Bacteroides uniformis(バクテロイデス・ユニフォルミス)」という細菌が一般男性に比べ、約10倍多く生息していることが明らかになった。学生のうち25人の3000メートルの記録を比べると、上位者ほどこの細菌数が多くなる傾向も分かった。』

3月29日日経夕刊から、
『ギターを弾く際に重要なのが、利き手で弦をはじく動作の「ピッキング」。この軌道や良しあしについて、腕時計のような形の装置を使ってパソコン画面上に表示する方法を、東京都在住のロックギタリスト、加茂フミヨシさんが考案した。「これまで説明困難だった『暗黙知』の技術を可視化でき、演奏習得の効率化につながる」と説明。ギターレッスンなどに活用したい考えだ。』

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3月23日日経夕刊に掲載された宮大工、小川三夫さんの記事から、
『「未踏に挑むからこそ、そこに知恵が生まれます。力のある人は力で物を動かそうとするので、力以上の物を動かすことはできません。力のない人はそこで知恵を働かせ、工夫をするから力以上のものを動かすことができるようになります。私はそのことの方が大切だと思います。飛鳥時代には材木を山から切り出して、現場まで運ぶだけでも大変なことで、多くの知恵を働かせなければできませんでした。」』

2023年6月12日 (月)

役所広司さん、シュタルケル、F.P.ツィンマーマン

第76回カンヌ国際映画祭で男優賞を受賞した役所広司さんについて、6月7日の読売新聞朝刊に映画監督黒沢清さんの記事が掲載された。その中から、

『それにしても役所広司は不思議なスターです。日本映画の歴代の男性スターを思い出してみると、高倉健にしろ三船敏郎にしろ笠智衆にしろ、どんな作品でもみな演じるキャラクターは同じで、彼らはそのただ一種類の強烈な個性で際立った印象を観客に与え、それがスターの資質と呼ばれるものでした。ところが役所広司はそれを根底からひっくり返したのです。サムライから清掃員まで難なくやってのける彼の役柄の多彩さは、もちろんその並外れた演技力からくるものなのですが、それは本来バイプレーヤーの資質というべきものです。
 僕も役所さんの目つきが優しさから突然狂気に変わるところや、活力のある男が急に虚無の人へと豹変する瞬間を現場で何度も目の当たりにしていて、現代の日本人なら誰でも持つ弱さ、曖昧さ、不健全さといったものの的確な表現にいつも驚かされるのですが、そういったリアリティーはスターが演じる健全さや庶民性とは実は縁の無い要素のはずです。ところが役所さんは、複雑怪奇な人間の本性を、堂々たるスター性をもって体現することができてしまうのです。』

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確かに、高倉健さん主演の映画を観ると、高倉さんの存在感がその映画を占めていることを強く感じる。そして、その高倉さんの魅力を他の映画でも感じたい、と思うかもしれない。

最近はあまり映画を観なくなったけれど、洋画を観ていると、しばらくしてから、この俳優はあの映画のあの役を演じていた人だ、と気付いて驚くことがある。その時とはまるで違う今回の役を見事に演じていて、ぼんやりした僕はなかなか気付かない。

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以前、音楽プロデューサーの中野雄さんがラジオ番組でチェリスト、ヤーノシュ・シュタルケルを取り上げた時、ベートーヴェンやバッハや、様々なレパートリーを弾いても、演奏を聴くとすぐシュタルケルとわかる、と話され、印象的だった。彼独特の節回しにも言及されたと思う。
後に中野さんにお会いした際、そのラジオ番組のことを伺うと、何を演奏してもシュタルケルだとわからなければいけない、と本人が言ったことを教えてくださった。

シュタルケルに限らず、カザルス、フルニエ、トルトゥリエ、ロストロポーヴィチ、シャフラン・・・、そうした人たちの演奏を聴くと、一つのフレーズを聴くまでもなく、たった一音でその人と分かる時がある。

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少し前にM君と話していた時、ヴァイオリンのフランク・ペーター・ツィンマーマンが、演奏家は演奏する曲によってカメレオンのように変化する必要がある、ということを言った、と教えてくれた。

演奏の仕事に携わっていると、様々な曲を演奏する。作品に触れるごとに、作曲という営みのすごさを感じ、圧倒される。
残された楽譜に対して、演奏家の個性や主張はさほど大きなことではなく、楽譜には何が書いてあるのか、どのようにしたら楽譜に書いてあることを実現できるのか、そうしたことが大切ではないか、と思うようになった。

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2023年6月 8日 (木)

プロフィール写真を

時の過ぎるのは驚くほど早く、そろそろ替えなくては、と思っていたプロフィール写真をようやく撮ってもらいました。

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前まで使っていた写真は2006年のもの。若い頃、先輩の演奏家が古いプロフィール写真を使い続けているのを不思議に思っていましたが、いつの間にか、自分がそうなっていました。

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2023年5月14日 (日)

ありがとうございました

5月6日プリモ芸術工房での演奏会、多くの方々にお越し頂き、また、配信でも多くの方々にお聴き頂き、本当にありがとうございました。

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この1年も本当に多くの、主にオーケストラのレパートリーですが、曲を演奏しました。どの曲も高くそびえる山や、分け入っても分け入ってもまだ入り口でしかない深い森のようで、作曲という仕事のすごさに嘆息するばかりです。
作曲家はいったい何を書こうとしたのか、スコアを開き、足りない頭を使って、読み解こうとしてきました。

マーラー、ブルックナー、シェーンベルク、マデトヤ、シベリウス、シューマン、シュミット、ショーソン、ベルリオーズ、サン・サーンス、リャードフ、ストラヴィンスキー、バルトーク、ラヴェル、ドビュッシー、リゲティ、ブラームス、ルトスワフスキ、エルガー、・・・、様々な作品が自分の体を通り抜けた後、今年の4月久しぶりにメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲や交響曲第3番「スコットランド」を弾いた時、こんなに素晴らしい曲だった、と驚きました。
一つのフレーズを弾く度、一つの音から次の音へ移る度に、動きやその音の持つ強さ、必然性を感じ、メンデルスゾーンさん、まさにこれが音楽ですね、と心動かされました。
知っていたつもりの曲の素晴らしさに改めて気付く、演奏の仕事をしていて、本当に良かったと感じる瞬間です。

5月6日のプログラムも全て、過去に弾いたことがあり、どの作品にもその奥深さを初めて知るような感覚を持ちました。

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どれほど入念にその曲を準備しても、本番で弾いてみないとわからないことがあります。何十年もつきあってきた自分の体と心は、舞台の上でいったいどう振る舞うのか、実際に足を踏み出してみないとわからず、本当に興味深いです。

オーケストラの仕事をしていると、多くの演奏家の音に接します。その人の立ち居振る舞いと同じように、音にもその人そのものが現れます。楽器や体格も左右しますが、その人の体の使い方や使い方の癖(くせ)のようなものが音やフレージングに大きく影響している、と感じるようになりました。自分に対しても同様です。

演奏会の前、久しぶりにまとまった時間、自分が弾くということに真正面から向き合いました。
僕のチェロはストラディヴァリウスやゴフリラのような銘器ではないし、僕自身ももちろん超人的な演奏家ではない。重要なことは自分の中で体と心がどうつながっているのか、自分自身に耳を澄ませ、どう体と心を使えば、その音楽の表現にかなうのか、ということだと思います。

ちょっとした自分の癖があり、それが表現に大きく影響していることがある。癖、というのは無意識にしていることで本人は気付いていない。その気付いていないことが意図していない音を出す、表現をしている。思ったように弾けていない、上手くいっていない、漠然とは感じているのだけれど、原因がわからない。うまくいっていないことが習慣化し、癖が強化されてしまう。
一つの癖が他のことに影響することもあります。自分ではなぜそうなるのかわからず、頑張ってしまうとさらに悪くなる。
癖に気付き、癖だから変えるのは大変なのだけれど、気付くことによって一つ結び目をほどくことができる。すると次の結び目が見えてきて・・・、という時間を過ごしました。長い年月をかけて複雑に絡み合ってしまった糸を、辛抱強く丹念にほどいていくように。

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楽器を弾いてきて良かったことの一つは、自分の体と心が意識の表面で考えるようには動かない、と身にしみて知ることだと思います。(100メートルを10秒で走りたい、とどんなに強く念じても、それはほぼ不可能なことを考えて頂いたらよいでしょうか。)
その思い通りにならない体と心に、いったいどうやったらアクセスできるのか。今、初心者のような心持ちで、チェロを弾くことが楽しいです。

5月6日の公演、お聴き苦しいところがあったと思います。でもあの場を経ることで少し前に進むことができました。本当にありがとうございました。

2023年4月14日 (金)

5月6日の演奏会

今年も洗足にあるプリモ芸術工房で、ピアノの長尾洋史さんとの演奏会をさせて頂くことになりました。5月6日15時開演、プログラムは

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ベートーヴェン:チェロ・ソナタ第2番
メシアン:イエスの永遠性への賛歌
ブラームス:チェロ・ソナタ第2番

です。


フォスのカプリッチョは30年以上前、今はパリに住んでいる酒井淳君が弾くのを聴き、魅せられた曲です。
名前の通り、気まぐれに走り回る一方、教科書通りの和声進行があったり、ミニマルミュージックのようだったり、と予想を裏切る仕掛けがそこここにあります。
この作品の持つジャズやポップスに通じるグルーヴを出せたら、と思っています。

 

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今年の初め、若い二組のチェリスト、ピアニストが弾くベートーヴェンのソナタを聴く機会がありました。
恥ずかしながら最近ようやく、ピアノという楽器の素晴らしさに気付きつつある僕は、彼ら彼女たちの優れた演奏を聴きながら、ピアノと一緒にソナタを弾くとき、チェロはどのように音を出したら良いのだろう、どう発音するのがピアノにフィットするのだろう、と思いました。
アンナー・ビルスマは、ベートーヴェンの当時、ピアノよりチェロの音が大きいことが問題だった、と言っていました。今は力関係が逆転していますが、現在のピアノとチェロでいったいどのような響きをつくり出すことができるのか、様々なことを試みたいと思っています。

 

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メシアンは第2次大戦中、ドイツ軍に捉えられます。その収容所内で作曲され、初演されたのが「世の終わりのための四重奏曲」、「イエスの永遠性の賛歌」はその中の第5曲です。
極端に遅いテンポの指定があり(16分音符=44)、独特な緊張感があります。高音域のチェロで始まり、その旋律がピアノのホ長調の響きに包まれる瞬間が美しい。

 

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ブラームスの2番のソナタは学生時代、よく弾きました。当時二重奏を組んでいた健太郎と、さぁ今日は3回通してみよう、そんな練習をして、くったり疲れていたことを懐かしく思い出します。熱意だけで生きていた、そんな時代でした。
習っていた倉田澄子先生のところで、先生の師であるポール・トルトゥリエの弓使い、指使いを写した当時の楽譜は今もそのままあります。

 

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オーケストラの仕事をするようになり、ブラームスの4曲の交響曲、2曲のピアノ協奏曲、ヴァイオリン協奏曲、二重協奏曲、ハイドンヴァリエーション、悲劇的序曲、大学祝典序曲、など様々な曲を弾いた後、久しぶりにチェロソナタの楽譜に戻ると、以前弾いた時とはかなり違う曲のように見えました。トルトゥリエの弓・指使いはそのままとっておいて、新しい楽譜で始めることにしました。
つい先日、ブラームスのドイツレクイエムを弾いたのは、素晴らしい経験でした。器楽曲や交響曲には見られないブラームスの素晴らしい世界がある。今年は7月にブラームス後期の名曲、クラリネット三重奏も弾きます。
知っていたはずの作品が、まるで別の曲のように、はるかに大きく素晴らしい姿で現れ、驚くことがあります。この後期のソナタをまるで初めて弾くように、その素晴らしさを少しでも実現できるように演奏したい、と思っています。

 

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連休の後半、お忙しいと思いますが、プリモ芸術工房までお越し頂けたらとても嬉しく思います。
詳細はこちらをご覧下さい。https://primoart.jp/event/event-124572/

 

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2023年4月11日 (火)

マーラーの7番

バーンスタインが指揮したウィーンフィルのマーラー5番をあまりによく聴いて、僕は曲とこの演奏が不可分になってしまった。音色、リズム、そして何より、腐る寸前まで熟した果物や肉のような濃厚な何かがあり、本当に素晴らしいと思う。

でも実際に演奏をする時には、たとえどれほど素晴らしくても、一つの演奏に縛られない方がいい、と思うようになった。今は大きなレパートリーに取り組む時は、できるだけ複数の演奏に接するようにしている。

マーラーの交響曲第7番は、もともとバーンスタインの全集で持っているのだけれど、見通しが良いとは言い難く、図書館やストリーミングサービスで様々な演奏を聴いた。

クリーブランド管弦楽団、と言えばジョージ・セルの指揮を連想する。ブーレーズの指揮で最近のこのオーケストラの音(1994年録音)を聴き、力で押し切るのではなく、品があって、改めて素晴らしい団体と感じた。バーンスタインの演奏からすると、客観的過ぎると感じるかもしれない。
(ジョージ・セルが指揮した録音は、どれも磨き抜かれた演奏だけれど、ある録音は、ある楽器の奏者の演奏が明らかに不調のまま入っていて、オーケストラ弾きとして聴いていて辛くなる。指揮者はとても厳しい人だったのだろうか・・・。)

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学生時代、前述のように5番の交響曲は聴いていて、では7番でも聴いてみよう、と求めたのがクルト・マズア指揮ゲヴァントハウスのCD。聴いてはみたものの、5番とはまるで別の曲で、ぼんやりした僕にはとらえどころがなく、30年くらい棚で眠っていた。
つい先日聴き、驚いた。1982、83年、ドイツが東西に分かれていた時代の録音。見事に引き締まったオーケストラの音で、それぞれの楽器のソロも素晴らしい。ホルンはヴィブラートがかかり、旧ソビエト連邦のオーケストラを彷彿とさせる。バーンスタイン&ウィーンのマーラーが官能的なのに対して、こちらはショスタコーヴィチのような厳しさがある。
僕は83年と85年の2回、当時の東ドイツに行った。壁の向こうの国は、日本にいては想像もできない世界だった。(「37年前の演奏旅行」をご覧下さい。)
また、オイストラフについてのドキュメンタリーの中で、ロストロポーヴィチが、当時の体制の中で、音楽だけが太陽に向かって開かれた窓だった、その気持ちは西側の人にはわからないだろう、と語ったことを思い出す。
壁があった時代、ライプチヒの音楽家たちが、このように素晴らしいマーラーを演奏していたことに、心動かされる。

現代のオーケストラの素晴らしさを堪能できるのは、マリス・ヤンソンス指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の2016年の録音。
高級スポーツカーに乗っているよう(乗ったことはないけれど)。高性能で、奥行きがあり、官能的で豪華、どこにも不快なところがない。聞こうとしたらできたのに、マリス・ヤンソンスの演奏を実際に聞かなかったことをとても残念に思う。

 

5番はよく聴いたけれど、7番は馴染めない、とこぼす親に書いたのが下記の私流聴き方ガイドのようなものです。読み飛ばして頂けたら、と思います。言及しているCDや分数はヤンソンス&コンセルトヘボウの演奏です。
終楽章の説明の中で、空耳できらきら星変奏曲が聞こえる、と書いていますが、今日のリハーサルで大野さんは、その部分はオッフェンバックの引用、と仰っていました。


・・・・・・


マーラー:交響曲第7番「夜の歌」
5つの楽章から構成され、第1楽章の規模が最も大きく、真ん中に速い3拍子の第3楽章、その第3楽章を挟むように「夜の歌」と名付けられた第2、4楽章が置かれています。終楽章はロンド形式、主題が形を変えて幾度も現れます。


第1楽章
付点音符のリズムに乗って現れるのが、「テナーホルン」によって奏されるゆっくりとした旋律、すぐ木管楽器、チェロ、トランペットと次々に受け継がれます。この流れを追いましょう。
だんだんテンポが速くなり、お送りしたCDで3分45秒頃に主部に入ります。チェロが弾くモチーフが重要です。このモチーフをよく覚えておいて、様々な楽器、拍子に変化して現れるのを追っていくことが鍵になると思います。


第2楽章「夜の歌」
4拍子、2つのホルンが1つの旋律をかけ合います。この旋律が他の楽器、木管、弦楽器、金管楽器に受け継がれます。この流れを追いましょう。時々ヴィオラのソロがあります。
途中、鈴(カウベル)が鳴ります。これは家畜の群れを模しています。弦楽器のコル・レーニョ奏法(弓の、木の部分で弾く)の叩くような音が聞こえます。
中間部は暗い響きになり(7分40秒頃)、まずオーボエが旋律をとり、その後2本のチェロが加わります。物憂げで、美しい。


第3楽章スケルツォ
速いテンポで目まぐるしく動きます。一つながりの旋律線に聞こえますが、細かく様々な楽器が受け継いで行きます。実際の演奏を目にすると、きっとそのことがよくわかると思います。オーケストラの能力が問われる部分です。
2回、コントラバスとチューバが絡むソロがあります。低音楽器のソロは、とても個性的です。


第4楽章「夜の歌」
ゆったりとした2拍子、独奏ヴァイオリンのオクターヴの跳躍で始まり、ギターとマンドリンが加わる大変珍しい編成です。それまでの大規模なオーケストラが急にこぢんまりとして、親密な感じになります。こうしたコントラストのつけ方がマーラーの巧みなところと思います。
ヴァイオリンソロの旋律はチェロソロやヴァイオリンtuttiの形でも現れます。

第4、5楽章の特徴として、同じ音程で構成されるモチーフがよく現れます。このモチーフを追うことも、作品後半の鍵になると思います。


第5楽章ロンド
ティンパニで勇ましく始まり、華やかな旋律がトランペットに、さらに弦楽器に受け継がれ、オーケストラ全体の強い音楽になります。この時ヴァイオリンの旋律の裏で、木管楽器が演奏する名人芸的な16分音符の細かい動きも、重要なモチーフです。
ハ長調の響きに、遠い変イ長調の和音がかぶせられ(1分38秒)、曲は次の部分へ進みます。
ロンド、同じ旋律が幾度も回るように現れる形式です。最初の旋律が様々に形を変えて(楽器を変え、拍子を変え)現れるのを追いましょう。
弦楽器の力技が求められるのが、7分35秒頃と11分7秒頃から始まるフレーズです。特にそれぞれ7分52秒頃と11分30秒頃からの八分音符の連続はとても技巧的です。弦楽器セクションの力量が問われます。

本筋ではありませんが、12分53秒頃からの、同じ音のモチーフが続くフレーズは、きらきら星変奏曲の主題のようにも聞こえます。

曲の最後はハ長調(ド・ミ・ソ)の輝かしい響きに包まれます。ただ、最後から2小節目だけ、ソが半音上がり、配置も変えられて(ソ#・ド・ミ)、一瞬不思議な響きがします。見事なひねりの加えられた着地と思います。

2023年2月 1日 (水)

ミュート、松脂、メトロノーム

軽い、という理由で使っていたミュートが、経年変化で硬くなり、溝の幅と駒の厚みとの関係もあって、弾いている時に外れるようになった。
浄夜や新世界など、音量が増えた先でミュートを外す曲の場合、それで都合の良い時もあるのだけれど、新しくした。

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驚いたのは一つ穴のミュートを久しぶりに付けてみた時のこと。ミュートを使わず、テールピースの上で弦にかかっている状態で、これまで使っていたものと、明らかに音が違う。
これまでのものは軽く、演奏中にテールピースの上で踊ることがあった。一つ穴のものは、バランスの問題なのか、重さの問題なのか、僕のチェロでは共振することなく、同じ姿勢でじっとしている。

ウルフキラーを駒とテールピースの間に固定して使うのだから、このセクションに一定の重さのものを乗せれば、音が変わるのは当然のことだろうか。
ミュートには一つ穴、二つ穴、金属製のもの、これまで使っていた軽くて裏面に磁石が付いているもの、など様々ある。楽器によってきっと相性があり、少し気にするとよいことなのかもしれない。

 

オーケストラの同僚に教えてもらって使うようになったのが、アルゼンチン製のジュンバ(Yumba)という松脂。
松脂はすでに沢山持っていて、もう増やさないと決めていたのだけれど、試させてもらったら大きい音がするので、買いに行った。

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ヴァイオリン用、チェロ用に分かれ、さらにオリーヴァ、ビー、タンゴの3種類ある。
僕の印象ではオリーヴァがかたくて子音が出やすい、ビーは一番ひっかかりがあり、タンゴは濃くて、固まる前のアスファルトを踏んでしまった時のような(踏んだことはないけれど)ぬるっとした感じがある。音が飛ぶのは、もしかしてタンゴかもしれない。

角の立ちにくい弓にはオリーヴァ、ビーが中庸な性格で(それでもかなり強い気がする)、子音が多く出る弓にはタンゴを使っている。

小さい頃、テーブルの上に置いてあった松脂を弓に塗ったら、見ていた祖母が、それはそういうものか、飴だと思って口に入れるところだった、と言ったことを思い出す。
(祖母はおそらく、音楽の教育をあまり受けてこなかった人だけれど、子供が楽器を弾く姿はじっと見ていて、練習が嫌だったり、何かができなくて僕がかんしゃくを起こすと、よくたしなめられた。)

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松脂と弓の相性はあり、それによって弓は変わる。弓と楽器の相性ももちろんあり、そこに弾く人間も入るから、多くの要素が絡み合い、影響し合い、様々に変化する。同じ弓でも、どうしてこんなに音が変わるのだろう、と毎日思う。
最近、4年以上使ってきた弓について、あぁこう使うんだ、と思う時があった。自分の不明を恥じるばかり、これまでその弓を十分に生かせてこなかったということだ。製作者の穏やかな表情を思い出し、あらためて、あなたはどんなノウハウを弓の製作にこめたのですか?と尋ねてみたくなる。

 

昨年末にメトロノームを新しくした。ずっと電子式のものを使ってきたのだけれど、音が平らで硬く、長く使うと耳が疲れてくる。
昔ながらのゼンマイを巻き上げる機械式メトロノーム、水平な場所に置かないとリズムが偏るかな、と心配したのだけれど、意外に大丈夫で、立体的な音が心地よい。唯一の問題は、テンポ表示の数字が小さくて見づらいこと。

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モーツァルト弾きとして高名だったピアニストが、日本のオーケストラと共演するために来日した時、ずっとメトロノームを使って練習していた、と聞いたことがある。
彼女ももしかして、このメトロノームを使っていたのだろうか。

 

ところで、乾燥する季節に使うダンピット、しばらく入荷していないそう。使わない方がいい、と言う人もいるけれど、お使いの方は手持ちのダンピットを大切に使った方が良さそうです。

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2023年1月 6日 (金)

指揮者の言葉

昨年12月の日経新聞連載「私の履歴書」はリッカルド・ムーティさん。毎朝、新聞を手に取ることが楽しみだった。とても興味深かった言葉を下記に。日付は掲載日です。

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『私はというと次第に音楽に魅せられ、楽器の関心もヴァイオリンからピアノに移っていった。なぜピアノが面白いと感じたかというと、ピアノの場合、右と左でメロディーと伴奏両方を弾けるからで、子供心にはこちらの方がより完璧な楽器と思えた。』(12/7)

 

『ヴィターレ先生の教えはこうだった。楽譜の要点はフレーズにあり、フレーズには自然な決まりを含んでいるので、速度記号を参考にしながらどこに頂点があるのかを見いださなければならない。自分はこう感じるからと勝手に解釈し演奏することは御法度だった。』(12/9)

 

『偉大な指揮者アルトゥーロ・トスカニーニは「腕は頭脳の延長である」と言った。指揮者ミトロプーロスは、右腕はリズムをコントロールし左腕は「心」を表現する、つまり2本の腕が自立することが求められると語った。
 指揮者はどうあるべきか、これは難しい問題だ。・・・体を大きく使って激しく感情豊かで情熱的に表現する指揮が素晴らしいと思われることがある。
 私の場合、腕の振り方は最初から自然にできた。それより指揮者としての基礎をつくるうえで最も重要なのは作曲の勉強ではないだろうか。作曲家の視点からスコアを分析することにつながるからだ。』(12/9)

(音色、という言葉があるけれど、ムーティさんの指揮は色が見えるようだった。体の前で2本の腕が動いているだけなのに、どうして色が見えたのだろう。)

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『ヴェルディ音楽院で師事することになったヴォット先生はよそよそしく、冷たい感じがした。・・・

 ヴォットは、4分の4拍子はこのように振り、・・・と振り方の基礎を教えてくれた。そして笑いながら「これで授業はおしまいだ」と言った。「例えばブラームスの交響曲第4番のように、有名な出だしをどのように振ったらいいのか、どんな音色でどんな意味を持たせるのかなどは教えることはできない。自分で見つけ出さなければならないものだ」。
 ヴォットの貴重な教えは指揮ではオーケストラに「対抗」してはならないということだ。指揮者はしっかりと稽古をして演奏準備をしたら、音楽の流れに逆らうような見直しはしてはいけないというのだ。』(12/10)

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『フィレンツェでの演奏会を機に友人となったリヒテルは、私がヴォット先生の影響を受けて暗譜で指揮するのを見て「なぜ暗譜するのだい。目は使わないのか」と言ったことがある。この一言で私は必ずスコアを譜面台において演奏するようになった。スコアは何年読み続けていても本番に新たな発見をもたらしてくれることがある。』(12/13)

 

『ここでもう一人、指揮者の思い出を記そう。カルロス・クライバー。私の真の友人である。・・・私は彼ほど音楽に関する広い知識を持った指揮者を知らない。一度、彼はこう嘆いたことがある。「楽譜に書かれているものを音にすると、何か魔法が失われるような気がするね」。』(12/20)

 

『古典作品でも現代曲でも初めてスコアを開くのは、ラヴェンナの書斎にある長年愛用してきたシンメルのピアノの前だ。スコアを開くと新しい恋人にでも出会ったかのようにドキドキする。・・・冷静に曲の構造、ハーモニーなどをじっくり分析し、解釈が生まれる。それまでに通常数カ月はかかる。
 次はオーケストラの前でそのアイデアを伝えるべく努める。テンポなどが正しいかチェックし、場合によっては変えるべきかどうかを判断する。同じ曲でも5年経つと解釈が変わるときもある。それは私という人間自身が変わっているからだ。』(12/25)

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『・・・、フィラデルフィアにいた私に電話がかかってきた。
「マエストロ、私を探していると聞いたのですが」。その不思議な魅力を持つ声にしばし返事ができないでいると、「マリア・カラスです」。続けて「私のことを考えてくださってうれしいです」。さらにあの「ラ・トラヴィアータ(椿姫)」のヴィオレッタのセリフそのままに「でも、もう遅いです」と言った・あの声音は今でも鮮明に耳に残っている。
 彼女については多くが語られているが、私が強調したいのは歌手としての姿勢だ。彼女はオペラのリハーサル全てに立ち会ったという。自分の出番がないときでも劇場に顔を出し、オーケストラだけの練習も聴きに来ていた。スター性のある歌手は多忙のあまり、自分が歌うシーンがない稽古には来ない人が多い。』(12/26)

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『オーケストラの奏者ほど練習、忍耐、献身と犠牲を求められる職業はないだろう。オーケストラというのは一つの社会であり、団員は互いに尊敬し合わなければ美しいハーモニーは生まれない。指揮者は絶えずそのことを念頭に置かなければならない。』(12/28)

 

『コレペティトールは伴奏者ではない。優秀なピアニストであるのみならず、全ての役柄と台本の言葉を理解し、歌手が指揮者の意図する表現で歌えるように準備をするのが仕事である。
・・・オペラの場合は音楽より先に言葉があり、単に発音が正しければいいというわけではない。台本の意味を奥深く理解し、指揮者として歌手とともに音楽にすることが大事なのだ。歌手と一緒にフレーズ作りをし、呼吸のメカニズムを勉強していくことが要求される。』(12/29)

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『日本人演奏家はすでにベルリン、ウィーン、シカゴなどでめざましい活躍をしている。春祭オーケストラの奏者は皆、繊細な精神の持ち主で、私の言うことを真剣に聴き、理解するように努力しているのがわかる。かれらはドイツやフランス、イタリアの伝統を学ぶ必要もあるが、コピーではなく、彼らの道を見つけるべきなのだ。何より日本人の「詩的な世界」を大事にしてほしい。心からそう思っている。』(12/30)

 

『私の今までの人生は勉強の連続だった。毎日数時間はピアノに向かい、譜読みを繰り返してきた。知識を広めるための読書も欠かせない。・・・
 22年も残りわずか。ウクライナ侵攻はますます深刻さを増している。新型コロナもいまだに収束していない。この困難な時期に心の拠り所となるのが芸術だ。私はこれからも自分が納得いくまで勉強し続けるつもりだ。』(12/31)

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2022年12月30日 (金)

世界はどのように 2

映画「This is it」は、マイケル・ジャクソンが世界ツアーに出る前に行った、リハーサルの記録。(https://www.sonypictures.jp/he/933764)
プロのダンサーが多く参加しているのに、どうしても彼一人の動きに目が行ってしまう。驚異的な身体能力だ。
そしてリハーサルの経過を見ていて、この人には広い舞台の上で自分がどう見えているのか、自分や周囲の人たちがどう動いたら効果的に見えるのか、冷静に俯瞰できているのでは、と思うようになった。
(マイケル・ジャクソンについては様々なことが伝えられるけれど、このツァーが実現しなかったことを、僕は残念に思う。)

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以前、体操の内村航平さんを取り上げたテレビ番組が放映され、興味深かった。
鉄棒の、回転にひねりが加わった演技をする際、彼の額に小型カメラを取り付け、そこからの映像が画面に映し出された。それは猛烈なスピードで過ぎ去っていく光景で、僕には何のことかまったくわからなかった。
内村さんはその映像を見て、実際そう見えるし、その時の身体の状態もわかる、とのことだった。比較に別の体操選手で同じことをすると、彼は映像を見ても、何が起きているのかわからない、と言っていた。
空中で回った後、着地をぴたりと決めるためには、猛烈な速さで複雑な動きをする自分の身体を、常に的確に把握していることが大切なのだろうか。

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プールに行く。僕がするのは水浴びみたいなのものだけれど、時々上手に泳ぐ人がいて、見とれる。波がたたず、水しぶきも少なく、滑るようにスムースに、速く進んでいく。一方、パワフルだけれど、大きな水音をたて、水しぶきを上げ、あまり進まない人もいる。いったい何が違うのだろう。
生まれつきの体型はきっとある。滑るように泳ぐ人は敏感に水を感じ取っていて、水の抵抗の少ない姿勢で、効率よく水を掴んでいるのだろうか。

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今年、3人のクラリネット奏者の演奏を続けて聴く機会があった。音色はかなり違い、暗くこもった音色の人、明るく薄い音の人、その中間の人がいた。

てっきりその違いは楽器や、楽器の調整の問題だろうと思い、その場にいた他の複数のクラリネット奏者に尋ねると(チェロなら多分、楽器の性格や調整、弦の選択などでそうした変化が生まれる)皆、その人の持っている音、と言った。
マウスピースやリードが演奏者に直に接して、顔や頭に響き、「その人の音」がするのだろうか。自分の顔や頭蓋骨の形、大きさは選べないから、もしかして本人が意図しない音が出てしまっている、ということがあるかもしれない。

自分の声を録音して聴き、「こんな声!?」と驚く経験は、多くの人がすると思う。同じように、自分の演奏を録音して、驚く人も多いと思う。
どうしたら自分のことを正確に把握することができるだろうか。

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手で何かを握るとき、親指と、親指の対面にある4本の指のうちどれが中心になりますか?、と二人のチェリストに聞いた。一人は小指、もう一人は中指や薬指だった。僕は人差し指が基準になる。
その人にとって自然な感覚は、特に意識することも、わざわざ表明することもないけれど、握るという感覚一つとってもこれほど違う。
チェロを弾くときの右手と左手の動きは、握るという動作に近いものもある。どのように弓を持つか(持たないか)、どのように指板にアプローチするか、ということを誰かに教えるとき、教える側と教えられる側の感覚が同じなら、おそらくスムースに進む。感覚が異なると、教える側には飲みこみの悪い生徒に見え、教わる側には、この人の言うことはなんだかよくわからない、ということになるかもしれない。
(映像を再確認した訳ではないけれど、ジャン・ギャン・ケラスさんは低いポジションから高いポジションに移動するとき、まず左手の人差し指でシフトし、それから中指や薬指で押さえていた、と記憶する。彼は人差し指が基準になっているのだろうか。)

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自分のことばかり、一方的にしゃべる人がいる。あるいは、周囲に会話に関係ない人がいても、大きな声でしゃべる人がいる。どちらも素敵な話し相手、とは言えないかもしれない。

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何かをするときに、どのようにするか、はよく問題にされる。
日経新聞に時々ゴルフの記事が載り、読むと、その人がどのようにするか、してきたか、彼の観点からの読者へのアドバイスなどが書かれている。
僕は長いこと、どうチェロを弾くか、ということにばかり注力してきた。僕が受けてきた教育もおおむねそうした面から行われていたと思う。オーケストラの同僚とも、どう弾くか、どういう姿勢で、どのように楽器を構え、どのように弓を持ち、どのような指使いで、ということを時々話題にする。

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でもそれと同じくらい、周囲の環境をどのように、どのくらい正確に感じているか、そして自分の起こした行動が周囲にどのような影響を与えているか、どれだけ的確に把握し、いかに次の行動にフィードバックできるか、そうしたことが重要だと思う。

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毎日よちよちピアノを練習している。弾き始める時、楽譜を見、鍵盤を見、指を所定の場所に置く。あるとき盲目のピアニストはどうやって弾いているのだろう、と思い、鍵盤を見ないようにした。見ると、聴くことが留守になりやすい。
チェロを弾いていても、何かの動作に気を取られると、その間演奏の流れが失われたりする。

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(電車に乗ると、多くの人がスマートフォンの小さな画面に釘付けになっているのを見る。今や当たり前になった光景だけれど、それはほんのここ十数年のことだ。五感、あるいはそれ以上の感覚が人間にはあるのに、多くの人が視覚ばかりで生きているように見える。世界はこれからどうなるのだろう、と時々思う。)

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優れた演奏をする人は自分とどう違うのか、そのことに興味を持って過ごしてきた。彼ら彼女たちは、どのような感覚でいるのだろうか。あるとき、そうした人たちにきっと世界は違って見えているのだろう、と思うようになった。

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良い演奏をしたい。
それは単に上手に楽器を操る、ということではなく、どのように音楽全体をとらえ、聞き、認識し、その音楽にフィットするように次の行動をする、ということではないか、と思う。
良い演奏のためには様々な準備や、練習が必要となる。それだけでなく、どのように音楽と向き合っているのか、そして音楽から離れている時でも、どのような心と体の姿勢でいて、どのように周囲の世界を感じ、どのように心と体を使っているか。つまり、普段どのように生きているか、そのことがきっと大切なのだろう、と思う。

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