楽器のこと

2019年11月12日 (火)

金属や木の中で その2

今年になっていろいろな松脂の情報が入ってきた。
まず、オーストラリアのLeatherwood Bespoke Rosin。Leatherwoodという名称は、木の枠に入った松脂が皮ケースに包まれているから、と早とちりしたけれど、素晴らしい蜂蜜のとれる木のことらしい。弾き心地は極上、弓毛が弦によくなじみ、うっとりするような感じ(値段も素晴らしい)。色の濃いもの(supple)と薄いもの(crisp)と2種類あり、さらに配合率をオーダーすることもできるようだ。僕の感触では薄い色の方が、なぜか音が飛びにくい気がした。
それからAndreaのSanctus(こちらも素晴らしい値段)。もともとAndreaのSoloを使っていて、さて。ドーナッツ状の黒い外周の中に、茶色の別の種類の松脂が入っている。ハイブリッド、という訳だ。使ってみると、ここまで来たか、と感じるくらい弦をとらえる力がある。Iさんが「コントラバスは松脂で弾く」と言っていたことが、なるほど至言である、と思えるほど。
夏を過ぎてM君が紹介してくれたのがニューヨークのBella Rosin。ちょっと弾いてすぐ気に入った。バランス良く使いやすい。2種類あって、青い包みのRecitalという方が好き。ピンク色の包みのConcertoは、確かにこれくらい必要なのかもしれないけれど、くきくきとした子音の成分が多く出る。

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しばらく前に、東急ハンズの端材売り場でたまたま見つけたのがピンクアイボリーという重く、とても硬い木だった。これをストッパーに使ったらきっとおもしろい、と思った。音にはちょっと癖があるけれど、よく締まった感じ。夏の工作で、時間をかけて磨いたらツヤが出てきて楽しかった。
昨年教えてもらったのが金井製作所のKaNaDeというストッパー。composite-inshulator.p2.weblife.me/lineup.html
かなり凝った作りで、楽器の振動を床に伝えず楽器に戻す、ということらしい。床が良く鳴るチェロとかコントラバスはある。それは弾いていて気持ちが良いかもしれないけれど、本来上に飛ばしたい音が床でキャンセルされている、ということなのかもしれない。リン・ハレルが石板の上で弾いて、すごい音だった、ということを聞いたことがある(もともとすさまじい音の人ではある)。それも同じ理屈なのかもしれない。大小2種類あり、僕は小さい方が好き。かなりいいと思う。楽器の調子も整うかもしれない。
滑り止めの上で使う設定なのだけれど、ひっくり返ってしまうことが無いわけではないので、枠を作ってひもを通せるようにし、椅子の足にかけられるようにしたら、と思いついた。東急ハンズで材料を加工してもらい、細部は自分で仕上げた。子供の時以来、柔らかいホオの木を削る夏の工作は楽しかった。昔のipodのような感じになった。おもしろいのは、この枠を使った方が響きが増えること。音は不思議だ。

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少し前に刃物の研ぎ師を取り上げた番組の中で、彼が包丁をつくるにあたり、何十年も寝かせた鋼材を使う、という部分があった。このことをS君に伝えたら、それは金属の時効硬化というものですね、と返ってきた。調べると金属の中でも様々な変化が起きるらしい。
何年か前、シンバルを作る工程をやはりテレビ番組で取り上げていて、たたいておおよその形になった金属を1年寝かせる、その方が澄んだ倍音が出る、ということを思い出した。チェロで金属部品というとエンドピン、弦がまず思い浮かぶ。それらを気に入って使って、しばらくすると最初と印象が変わっていることがある。もしかして人間の側だけのことでなく、金属の中で起きていることとも関係があるのかもしれない。同じ銘柄の弦でも、製造して間もないものと、何年も前のストックでは音が違うのかも、と思う。昨日替えたヤーガーは何年も前に買って置いたもので、最初から明るい響きがして、新品特有の少しこもった感じはない気がする。気のせいかもしれない。
少なくとも、弦はくるくる曲げられねじられ、テンションのかかった状態でパッケージに入れられているから、それは伸ばして置いたほうが・・・。エンドピンは見附さんに作って頂いた鉄製のものが素晴らしく、気に入って使っているけれど、もしたたら製鉄による鉄でエンドピンを作ったらどんなものができるんだろう、と夢想する。金属の専門家で、チェロも弾く方がいたら教えを請いたいところです。

楽器や弓も変わる。本番の舞台に出て行く前と後では楽器の状態は違うとよく思う。人間の状態がかなり違うことは間違いがないけれど。弓もしばらく使っていると、あるいは使わないでいると印象が変わる。あれはいったい何だろう。木の中でも何かが起きているのかもしれない。

2019年11月11日 (月)

金属や木の中で その1

今年の夏、半分屋外のようなところで弾く機会があり、何年ぶりかでガット弦を外してスチール弦にした。空調の効き方で調弦がしょっちゅう狂うことに我慢ならなくなった、というもう一つの理由もあった。これまで何年も気にせず過ごしてきたのに、なぜだろう。
遠くない前にも一度、スピロコアを張ってみたことがある。わかってはいたけれど耳元であのじゃりじゃりした音がすることに耐えられず、1時間と経たないうちに外してしまった。
久しぶりに体験するスピロコアには様々な発見があった。一番驚いたのは、音を出す時のポイントがないこと。弓のテンションを少しかけると、いつの間にか音が出る。弓が滑っていってしまう、というのか。子供の頃から何十年も使ったのに、そんな大事なことに初めて気がついた。もう一つは、やはりあのじゃりじゃりした感じ。ものすごくたくさんの倍音が鳴るので、基音を感じることが難しい。ジャングルに踏み込んだら(入ったことはないけれど)背の低い茂みやら、草やら、落ち葉や何やらで地面がまったく見えない感じ。オーケストラを客席で聞いていると、低弦楽器の金属弦特有の倍音がよく聞こえてくる。あれがないと輪郭がぼやけて、多くの音の中からバスパートが聞こえにくいのは確か。でも基音が聞こえづらいことをいつも残念に思う。
学生の頃、Y先生門下の先輩がレッスンの時、開放弦を弾いて、少なくとも8つの音を聴くように言われた、という話しを聞き、不思議な先生だ、と思った。今はよくわかる。本当にたくさんの音が鳴っているもの。
そしてやはり不思議だったのは、あんなにうるさかった倍音が、1ヶ月くらいすると突然無くなること。11月になって気温が下がり、やかましいくらい鳴いていた虫たちの声がぐっと減ってさみしくなる、それに似た感じがした。あの倍音がなくなると、うって変わったように暗い音色の弦になる。

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下2本をスピロコアにしたのと同じ頃、上にラーセンを張ってみた。わざわざ書くことは何もない、今のスタンダードの組み合わせだと思う。でも僕にはとても新鮮だった。強く、つぶれにくい上に、ラーセンの方が響きがつながりやすい気がした。扱いやすい。都響に来る様々なソリスト、CDなどで聴く様々な演奏も、この音色で弾いているのがわかる。素晴らしいのだけれど、均質過ぎる気もしてきて、ちょっと飽きてくる。
弦メーカーはそれぞれのウェブサイトで製品の張力を発表していて、なかなか興味深い。驚いたのは同じミディアムで比べるとラーセンよりヤーガーの方が強いこと、本当だろうか。計測の条件が違うのかもしれない。

湿度の高かった8月が過ぎ、9月も終わりになって、懐かしいオイドクサに戻した。スチール弦の後で力がなくてがっかりするかな、と思ったらそんなことはない。むしろ下の倍音は伸びている気がするし、音色も豊富、そして音を出すときの点が非常に明確。ここが気持ちいいんだな、とわかる(扱いに慣れがいるから人にはあまりすすめない・・・)。そして、やはり扱いに繊細さが必要なヤーガーを張ったら、あぁ、こういう良さがあった、と感じた。直接出ている音以外のどこかで楽器が鳴る。なるほどこれか、と思う。もしかしてこちらの音の方が通るかもしれない。

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いつものセッティングに戻って落ち着き、これまで以上に特徴がわかる。でもあまり使わない弦を張っている期間も楽しく、たくさんのことを感じた。道具の優劣を判断するのではなく、使っているものの性格をよくわかって使うことが大切なのだと思う。それは楽器でも弓でも自分でもきっと同じだ。
四半世紀以上前、桐朋にアンナー・ビルスマが来てレッスンを受けたことがあった。彼が僕のチェロでロココのテーマを弾いてくれた時、自分の楽器が底までしっかり鳴っている、と驚いた。このチェロはこういう風に鳴るんだ、と思った。それは特別大きいとか、強いとか、美しい、とかそういうことではなく、楽器本来の音が出ている、という感じだった。彼は骨太で大柄、右手も左手も弦の真上から、そういう弾き方だったと思う。おそらく、裸ガットを弾くためにはそれしか方法が無いのだと思う。スチール弦はひねってもねじっても、斜めから弾いても音が出るから、便利で易しいけれど、もしかしてきちんとした弾き方を身につけるには遠回りなのかもしれない。

2019年6月20日 (木)

6月12日

6月12日

今朝は体が重い。ロダン美術館の横を通ってオルセー美術館へ。オルセーの手前、ちょうど人の流れが狭くなるところに女の子たちがいて、観光客にアンケートを求めている。あれだ。一昨日オルセーとルーヴルの間の橋で写真を撮っていた時、降ってわいたように女の子たちが現れ、'Do you speak English?'と言いながら画板を強引に差し出して、僕のショルダーバッグを見えなくした。すぐ振り払い、被害はなかった。同じ日、ノートルダムの裏手でも女の子たちは観光客のいるところで騒ぎを起こしていた。

今日は近寄られる前に離れる。美術館の入り口に着く頃、悲鳴があがっていた。(驚くほど積極的に、素早く近づいてきます。もしセーヌ川沿いを歩くことがあったら、どうぞ気をつけて下さい)

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オルセー美術館へ。印象派の作品は日本でもたくさん見られるけれど、ここにあるのは特に素晴らしく、状態も良いもの、と感じた。また、人々がどのように絵に接しているのか、それを見るのも楽しかった。文字による説明がほとんどないことも好きだ。(日本の美術館では最初の挨拶に始まり、趣旨説明、年表などに加えて、さらに文字の作品解説が山のようにあり、それらをじーっと読んだ後、作品はちらりと見て終わり、という人が多いような気がする)

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ただ、その印象派の絵が多く、人も多く、疲れてきて、一体それがマネなのかモネなのか、だんだんわからくなり・・・。僕は様々な時代や場所の作品があるルーヴルの方が好きかもしれない。

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地上階には顔だけでなく身体の動きでも見事に感情の動きを表現した彫刻がある。その濃密な苦悩や恍惚を現している彫像の横で、2019年の人間がごく普通にふるまっているのを見るのはおかしかった。

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美術館5階のカフェで昼食をとった。隣の席に、どこの国の人だろう、中年男性が一人でいた。ビールをお代わりし、ゆっくり食べ、デザートも頼み、その間他の何かをするわけでもなく、もちろんスマートフォンを触ることもなく。丁寧に食事をする姿が印象的だった。

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オルセーを出て地下鉄に乗る。前回7年前に来た時(2012年6月の日記をご覧下さい。http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/527-5a77.html)に余った地下鉄の回数券を一応、持ってきた。改札に入れたら、無事通った。ほう。そうして乗った車両の端には、暗幕を張り人形劇をする人がいた。なんとまぁ。ローマの地下鉄に乗った時、ドラムセットを入れたバンドがどんつくどんつくやっていたけれど、人形劇とは。パリの中心部、地上には華やかな世界があり、地下では人々の生活が見えると感じた。

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今回の旅にもし目的があったとすれば、それは弓の製作者の工房を訪れることだった。一昨年注文し、納期が大幅に延び、一日千秋の思いで待った弓は昨年秋に届いた。はたしてどんな弓が、とほんの少しの不安はあったけれど、使い勝手は最初から問題なし、気になった倍音の少なさは半年たってずいぶん開いてきた。ほとんど毎日使っている。今日は風が吹いて寒い。6月半ばなのにセーターを着て、その上にパーカーだ。地下鉄の駅を出ると雨も強く降ってきた。迷いながら、一本裏の通りにある工房に着いた。

長身の彼はにこやかに迎えてくれた。弓は重くなく固くなく、しかし十分な強さを持ち、弓先まで感覚が通る。ヘッドは小さく、個性的。そんな弓を作る彼が弾くのはギターで、弓の弦楽器ではないところが不思議だ。「様々な演奏者の弾き方を見てきて、その演奏者がどんな弓を必要としているのかを考える」と言っていた。実際に材料を手に持って、どのようにその材料の特性を感じるか、ということも示してくれた。

オペラのオーケストラで弾くチェリストのための、ほぼできあがったスワンヘッドの美しい弓や、僕の弓を作るときに用意した予備の材料(実際に木を削り始めて、もし不具合が見つかった場合のためらしい)を見せてくれた。毛箱が弓と接する部分に金属のプレートを入れない理由を教えてくれたり、フェルナンブコを目の前で削って、表面と少し削った時ではどのように色が違うか見せてくれたり、また削ったフェルナンブコを水につけて色が出てくる様子を見せてくれたりした。フェルナンブコ(弓の材料)はもともと赤い色を取るための染料、ということは知識としては知っていた。水につけるとあっという間に色が出てくることに驚き、そのことを言うと、彼の従兄弟(やはり弓の製作者)はこれで髪の毛を染めようとしたんだけど、あまり染まらなかった、と笑っていた。

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整頓された工房はこじんまりしていて、男3人が仕事しているのに狭い感じはせず、明るい雰囲気だった。そして自分の仕事の仕方を包み隠さず伝える。こんなところにも良い仕事ができる理由があるのかもしれない、と思った。別の職人が、見たことのない明るい材料(見かけに反して、密度が高く、強いらしい)でヴァイオリンの弓を作っていた。彼らもこれがどんな弓になるのか、初めて体験しているところだ、と言っていた。

仕事の邪魔をしてはいけない、と30~40分ほどで失礼する。工房から出て歩いているうちに陽が射し、少し暖かくなってきた。パンテオンに着く頃には晴れ間が見え、三色旗が青空に映えて美しい。

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2019年3月27日 (水)

強く燃え立たせる

3月23日は都響福岡公演、24日名古屋公演、昨日26日は東京文化会館での定期演奏会だった。

名古屋で休憩時間にソリストのガブリエル・リプキンと少し話をした。そもそも「ロココの主題による変奏曲」の第3変奏をハイポジションで終えた後、しっかり松脂のついた指でそのまま第4変奏を始めるのは平気なの?という他愛もない質問を投げたのだけれど、すぐ弾き方のことになり、楽しかった。彼は僕の左肘を支えて腕を真上にして、この重さを使いたい、弾くときに腕の重さを100パーセント使うんだ、それは右も左も同じ、と言っていた。大柄な彼が低い椅子に座り、湾曲したエンドピンでチェロの角度を低くして弾く姿勢は、それを実現した状況になっている。いつも体と弦との接触を保っているよね?と尋ねたら、そう、左手だけでなく弓も同じで、それは例えば声を出している時に突然息を止めることをしないように、音が持続するように、ということだった。(僕のまったくひどい英語で、こう理解したのだけれど・・・)
湾曲したエンドピンを使っているのは、知る限り、彼だけだと思う。トルトゥリエやロストロポーヴィチは短いエンドピンでチェロを寝かすために、一カ所で曲がったものを使っていた。僕はエンドピンがしっかりした支えになるよう、太い10ミリ径のものを使っている。彼はきっとエンドピンの弾力を生かしているんだろうと思った。柔軟な体勢の楽器を弾く、思いもしなかったことだけれど、なるほどその発想は良いかもしれない。
僕の場所から見えるリプキンの弓は、見事にまっすぐな軌跡を描いていた。ロココの第4変奏の32分音符はすべて弓毛が弦に噛んでいて、一つ一つの弓の返しの度に、「くくくく・・・」という音が聞こえた。楽譜には書いてあるけれどほぼ誰もしない第2変奏のスラースタッカート(しかも下げ弓)、多彩なヴィブラート、トリル(とても速いトリルを遅くしていき、それをターンに自然につなげるところは見事だった)、第3変奏の最後のその高いミの音にしっかりヴィブラートをかけること、・・・。常識にとらわれず様々なことに向き合っていることがよくわかった。sempliceと書いてある主題をなんだか凝った感じで弾くことや、第3変奏の大変ゆっくりなテンポ(ドのピチカートが延々続くこちらは気絶しそうになる)には同意できなかったけれど。彼は自分に正直な人なのだなと思った。

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昨日の定期演奏会はロココではなく、ブロッホのシェロモ。本番の舞台でのリプキンは素晴らしい集中だった。ブロッホの音楽の何かに彼の心を濃く強く燃え立たせるものがあるようだった。その何かは指揮のインバルも感じていて、明らかに二人は音楽の核となるものを共有しているようだった。残念ながら、僕はその強いものを傍観するばかりだった。あの火のみなもとはいったい何なのだろう。

インバルの指揮するショスタコーヴィチの5番は、よく進む、テンポの速い演奏だった。83歳、他の誰よりも生命力にあふれ、よく通る声、笑顔、即断即決の指揮官型、指揮台にしっかりと立ち、素晴らしい肩の可動域(この人の辞書に四十肩とか五十肩という言葉はなかったのだろう)、暗譜で。年を取ることの見本のような人だと思った。
僕の持っているショスタコーヴィチの5番は、バーンスタインがニューヨークフィルを指揮したもの。40年前の東京文化会館でのライヴ録音だ。ショスタコーヴィチは世を去っていたけれど、鉄のカーテンがあった時代の、その厳しさを感じさせる素晴らしい演奏だ。彼と、当時の人々に思いを馳せながら弾いた。

3月、年度末。思いがけない方と共演でき、そして様々な出会いと別れがあった。

2018年12月23日 (日)

目の前に

そんなことより、どんな弾き方をして、どのように音楽を感じ、そしてどのように生きているか、こうしたことの方がはるかに大切と思うけれど、確かに、楽器のセッティングは興味深いことではある。

僕は上の2本にヤーガーのミディアム(クラシック)、下2本がオイドクサ、という弦の組み合わせを何年も使ってきた。学生時代に北九州の音楽祭で一緒に弾かせてもらったロバート・コーエンというイギリスのチェリストの組み合わせだ。彼が使っていたのは、スクロールが人の顔になっているテクラー、あの美しく個性的なチェロは今どこにあるのだろう。
夏前にどうもa線の突っ張る感じが気になるようになった。硬い。下に張っているオイドクサの張力がかなり低いので(この古典的で素晴らしい弦の製造が続くことをピラストロ社に願わずにはいられない。いったい、世界で何人がこの弦を使っているのか)、1番線がより硬い感じになるのかもしれない、と思った。各社のHPを見て、ヤーガーのミディアムより張力の低い弦を探した。基本的に新しい弦ほど張力が高く、残念ながら僕の選択肢は少ない。
そんな頃、O君がワーシャルの知らない弦を使っていて、聞いたらアンバー、という。久しぶりにワーシャル社のHP(warchal.com)を見てみたらおもしろかった。様々なアイデアにあふれている。アンバーのa線は、おそらく音が裏返るのを防ぐために、駒に当たる辺りがゆるやかな螺旋状(!)になっている。その弦も試し、結局プロトタイプAという新しい製品を使っている。ヤーガーより緩く、音色の変化も自由だ。

ワーシャルのHPでは松脂の厳密なテストも公開されている。早速、その中で良いとされているアンドレア・ソロを使ってみたら、確かによかった。パワフル。アメリカで仕事をしていたヴァイオリニストに聞くと、彼の地ではオーディションに通るために欠かせないアイテム、ということになっているそうだ。今はその松脂も使うし、ある方から頂いたドイツの弓製作家によるものも使っている。こちらの方が自然な感じがする。

ガット弦に関して、以前は4ヶ月くらいで交換していた。でもそのくらいではたいして劣化した感じはなく、もったいないので半年使うようになった。伸びたガットの感触もなかなかいい。
半年使うようになって、交換の時期をこう考えるようになった。まだ熱帯になってはいないけれど、1年を乾期と雨期に分け、秋の長雨が終わり紅葉が始まる頃、空気が乾燥し始めたら新しいガットに換える。東京の冬は乾いた晴天が続く。5月くらいまで気持ちの良い季節だ。空気がじめじめし始めたらまた交換し、梅雨、夏、台風、秋の長雨まで使い・・・。交換の前には一月ほどかけてゆっくり伸ばしておく。弓もこのタイミングで毛替えしたらどうかな、と思っている。
スチール弦はある時点で急激に倍音の成分が減り音が平板になるので、基本的には新しいものの方がいいと思う。

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先月久しぶりにマリオ・ブルネロの演奏を聴いた。久しぶりに見て聴いて、20代の後半、毎夏シエナに出かけて習っていたのに、大切なことを受け取っていなかった、とようやく気付いた。背中から肩、肩から腕、腕から指、指から弓や楽器へ、その一連が流れるように見事につながっている。それは毎日何時間も見ていたのに・・・。大切なことはすでに目の前にあった。

小学校を卒業する時に、当時の校長先生の方針で、6年生は全員決められた3つの詩を先生の前で暗誦しなくてはならなかった。どうして?とは思ったし、親も、どうして?という感じだったと思う。詩の意味や、なぜ暗誦するのか、という説明はなかった。万葉集から山部赤人の長歌と反歌、カール・ブッセの「山のあなた」(上田敏訳)と記憶している。「山のあなた」は長くなく、今もなんとなく覚えている。ただその言葉は小学生の僕には不思議な感じがした。”山のあなた、って一体誰なんだろう?”
校長先生がどんな思いをもって暗誦させたのか、今となっては知る方法もない。でも、人に何かを教えるとはこういうことかもしれない、と思う。30年以上たち、今は少し腑に落ちる。


カール・ブッセ「山のあなた」 上田敏訳

山のあなたの空遠く
「幸」住むと人のいふ。
ああ、われひとととめゆきて、
涙さしぐみ、かへりきぬ。
山のあなたになほ遠く
「幸」住むと人のいふ。


2017年12月31日 (日)

まじりけなく

以前この日記に少しだけ書いた新しいエンドピンのストッパー、こんな理屈による。エンドピンは垂直ではなく、ある角度をもって床に接する。だからチェロの表板と裏板には異なる方向の力がかかるのではないか。ではエンドピンが常に床面と垂直な関係になるようにしたらどうだろう。父にこのアイデアを話したら、仮想的にエンドピンは点で床と接するから角度は関係ないのでは、と言われた。なるほど確かに。

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ハンズで材料(15ミリ厚のサクラ材)を加工してもらい、組み立てた。弾いてみると、明らかに響きが多い。角度の問題なのか、床から浮いた充分な厚さの板がうまく共鳴しているのかはわからないけれど。

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何年も左右非対称のテールピースを使ってきた。それは低い弦がよく鳴るように、という願いから。半年前、重野さんの息子さんが九州産の柘植で作ったテールピースを見て、是非これにしようと思った。材料の密度と加工の素晴らしさはほれぼれするようだ。実際代えてみて、低音は前より出るようだし、音色もはっきりしている。
彼はヴァイオリン、ヴィオラの柘植のあご当てと、さらにそれを楽器に固定するための金属部品も作っている。通常クロムメッキの真鍮製のその部品を、チタンの削り出しで作ったら音がよいそうだ。テールピースを削り出す前の材料を見せてもらったけれど、あの硬さの塊から形を作るのも、チタンの棒から部品を削り出すのも、大変な技術と根気だと思う。

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エンドピンは鉄のエンドピンと、時々真鍮のエンドピンを使ってきた。鉄の音はまっすぐでよく飛ぶけれど、音が平らになったり響きがほしくなったりすると真鍮にし、また鉄に戻し、そんなことを繰り返してきた。以前8ミリ径のエンドピンで鉄を芯にして周りが真鍮、というものを使っていたことを思い出し、それの10ミリ径を見附さんにお願いした。まだ広いところで試せていないのだけれど、響きも多く、低音もよく出ているようだ。

楽器のどこかに少し手を入れても、弓を変えても、エンドピンを変えても、弦を変えても音は変わる。それは本人にとって割と大きな問題ではある。はたして実際に音楽をする際にはどうなのだろう。今の僕は楽器や弓から教えてもらうことが多い。いったいこの楽器は、この弓はどんな音がするのだろう、と感じながら弾くようにしている。

僕のあこがれるあるチェリストは、太く存在感のある低音が魅力的だ。でも彼がそのチェロを手に入れた時のことを知る人から、当時鳴らない印象だったという話を聞き、意外な気がした。低音が出るように、と思って弾き続けた結果その音になったらしい。
もう一人僕のあこがれるチェリストは、いぶし銀の音だ。派手さはないけれど、あぁその音はどんな音なんだろう、もっと聴いてみたい、と思わせる力がある。

本当に大切なことは音楽と心と楽器と体が調和していることだと思う。言葉で書くほど易しくない。できることなら音楽と心と楽器と体の間に何もまじりけなくいたいと思う。

2017年4月20日 (木)

昨日は楽しみにしていた原美樹子写真展「Change」へ。http://www.nikon-image.com/activity/salon/exhibition/2017/04_shinjyuku.html#02
素晴らしかった。ただ、それを言葉にすることはとても難しい。特別なことが写っている訳でも決定的瞬間が写っている訳でもない気がするし、もしかして直接写っているものはさほど重要でないような気さえする。でも写真なのだから写っているものが・・・。
あぁこんな世界がある、と思った。アサヒカメラ誌4月号別冊に掲載された原さんのインタビューから

『ピントは目測なので適当にピントを合わせて、ファインダーも曖昧なのであまりのぞかない。目の前を通り過ぎていく風景であったり人であったりを、なるべく静かにすくい上げたいと思っています。目の前のものに対して感情、言葉が湧き上がってくる一歩手前が気になっているのかな。見てくださったそれぞれの方の記憶の断片に触れるような、そんな写真であればいいなと思います。』

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アルキメデスではないけれど、僕も風呂に入っていて思い付いた。楽器にかかる力を考えたエンドピンのストッパー。東急ハンズで材料を加工してもらい、早速組み立てた。さて。

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2016年11月23日 (水)

自由研究

わかったようなことを書いたのだけれど(8月11日の日記をご覧ください http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2016/08/post-7515.html )、その後、名古屋の古い友人と楽器のことでメールのやりとりをしていて見附さんの新しいエンドピンを教えてもらい、もうエンドピン探しは止めたつもりだったのに、問い合わせてサンプルを送って頂いた。

結局その新製品ではなく、同時に試した芯にカーボンの入った真鍮のエンドピンを注文した。不思議なのは長さの問題。試したエンドピンは50センチ、実際に僕が頼んだのは45センチ、この5センチが意外と音に関係している気がする。持ち運びもあるから少しでも軽く、と僕にしては必要十分な長さなのだけれど、そう単純ではないらしい。これまでの鉄製のエンドピンに戻したり、新しいものにしてみたり。

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弦はドルチェのスペシャルを気に入って使っていたのが、ある日楽器が閉じていることに気付き、昔ながらのミディアムに戻した。明るくてよく鳴るけど、芯が無い感じで心もとない。思い付いてエンドピンをカーボンの入った真鍮にしたら落ち着いた。軽い弦に重いエンドピンという組み合わせは良いのかもしれない。

最近はエンドピンのストッパーに様々な構造のものがあることを教えてもらった。長いこと固い木のストッパーが良いと思っていたのだけれど、ストッパー内を中空にして楽器の振動を地面から自由にする、あるいはストッパー自体を響くようにする、こんなアイデアに基づいているらしい。学生時代、調律師のKさんが固い桜の木を削り出して、アーチ状のストッパーを作ってくださったことを思い出した。
自分で作っても、と思い、東急ハンズの素材売り場をうろうろもしたのだけれど、たまたま入った楽器店に台湾製のものがあったので入手した。試すとよく音が伸びていい感じだ。特に高い音が楽に伸びる。そして楽器の鳴り方も変わる。つまっていた感じは開かれる。広い場所で試してみると、それほどの差はない気もするし、地に足が着いていない気もする。一長一短かな。
オーディオ用に磁石の反発を利用して浮かせるインシュレーターがある。あれをストッパーに応用したらどんなだろう。

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最近読んだのは大崎茂芳著「クモの糸でバイオリン」。とても興味深い内容。実際にクモの糸で弦を作りヴァイオリンに張って、倍音の出方を計測し、金属弦やガット弦と比較する。クモの糸は様々な成分の倍音が多く出る、どんな音だろう。ヴァイオリンのd線での比較で、金属弦は高い成分の倍音が出、ガットは1オクターブ上の倍音が多く出てその他はあまり出ない。これはとても納得できる結果だ。金属弦のしゃりしゃりと高い倍音が出て、特にチェロの低い音ではそれでようやく輪郭がはっきりする感じ、ガットの太いけれどちょっと暗い感じ。既存の弦の構造の電子顕微鏡写真もあった。

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2016年8月11日 (木)

スペシャルのドルチェ

何年か前まではわりと熱心に、新しい弦が出れば試していた。その他にもあのエンドピンこのエンドピン、あの部品この部品、あの松脂この松脂、・・・・・。もう少し前は誰か素晴らしいチェリストがいると、どんな楽器を使って、どんな弦を張って、どんな部品を使って、ということにとても興味を持っていた。
今はあまり気にしない。目に見えていることはそんなには重要でない、と気づきはじめたのだと思う。

自分の楽器や弓のセッティングに細かく気を使っていた時期は長かった。今は、もちろん大切に扱うけれど、楽器や自分や音楽が自然に整っていくような弾き方ができたら、と思っている。このところ楽器に手を入れることはあまりないし、弦も古典的なものを使い、松脂は以前ご好意で頂いた缶入りのベルナルデルを家宝のようにしている。弦を変えたくないのは、別のものを使い始めるとスペアも新しく用意しなくてはならないし、最初は良くても使っていくうちに楽器が鳴らなくなる、という残念な経験をしたことにもよる。

あまり道具を気にせず、身一つでさっと演奏に入れるようになったら本当に素晴らしいなと思う。

こんなふうに考えるようになったのは、年末に放送された沢木耕太郎さんのラジオを聞いたことが大きい。毎年1回、深夜のj-waveで放送される番組を僕は楽しみにしていて、昨年とても印象的だったのは、より深い自由を、という話だった。それは沢木さんが贈られた腕時計の話に始まり、結局今は安価なものを使っている、ということから自由とは、とつながっていったと記憶している。沢木さんは直接そういう言葉を使っていなかったけれど、僕は放送の後しばらくして、こだわらない、こだわることからの自由、ということなのかな、と思った。

もう一つ、昨年のツール・ド・フランスで。確かドイツ人の選手だったと思う、その日調子良かったのに自転車にトラブルが起き、途中で同僚から差し出された、必ずしも彼にはフィットしていないはずの自転車に乗り換えた。結局最後まで見事な走りをみせ、ステージ優勝をとげた。この大きな自転車レースでは連日200キロ近い距離を走るのに、大差で勝負がつくことはあまりない。だから道具がフィットしているかどうかはきっと切実な問題だと思うのだけれど。毎年ツール・ド・フランスを見てしまうのは、様々なことを超えていく人間の力の強さを感じる時があるからだ。

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何かが定まったのか、あるいは無関心になっただけなのか、この1、2年楽器や弓に関しては何も変化がなく、落ち着いた気持ちでいたのだけれど、最近a線の硬く薄い感じが気になるようになった。ヤーガーの短所が目立つようになってしまった。思ったより歌わないし踏み込める奥行きもほとんど無い。僕の乏しい能力のせいだけではないような気がした。

ヤーガーのa線d線の最大の長所は倍音の素晴らしい伸びだ。だから僕は新製品が次々に出てきても、結局この古典的な弦に戻ってきた。ただ、その倍音の伸びは神経質な性格と表裏の関係にある。
ラーセンが出た時は衝撃的だった。無理がきくし、強く踏み込んでも音がつぶれない。こんなに素晴らしい弦があるのかと思った。だから上2本をラーセン・下2本をスピロコア、あるいは4本ともにラーセンという組み合わせは今のスタンダードになっているし、実際素晴らしいと思う。(もし一つ難点を挙げるなら、ラーセンとスピロコアを組み合わせた時、その境となるd線とg線の五度音程が、なぜかとても合いにくくなる)
不思議なのは、その穏やかで力強いラーセンを張っていると、いつの間にか楽器がこもる感じになる。これは楽器によるのかもしれない。そんな時ヤーガーを張ると潤いが戻ってほっとする。こんな揺れ動きを数年の長い周期で繰り返してきた。

今回はラーセンにする気は起きず、ヤーガーのスペシャル、その中のドルチェ(張力が低い)に思い至った。
以前ヤーガーのスペシャルが出た時、早速試して素晴らしいと思った(フォルテの強さにミディアムの倍音の伸びをあわせ持つ)のだけれど、張りが強すぎるのか、やがて低音が鳴らなくなった。弦は難しい。

ヤーガー社のホームページにはそれぞれの弦の太さと張力が公開されている。
http://www.jargar-strings.com/products/cello/
おもしろいことにクラシック、ミディアムのa線d線とスペシャルのドルチェのそれは太さが一緒だ。スペシャルのドルチェ、なんてちょっと屈折した感じがするけれど、張って2週間ほど使った感触はとてもいい。深く落ち着いた音色でよく歌う。

そうして弦を変えた頃、松脂に関して新しいことがあった。さんざん松脂を試した僕は結論として、いざと言うときは宝物のような缶入りのベルナルデルを使い、普段は重野さん特製の黒い松脂を使っている。
ある方がニーマンの松脂を教えてくださった。コントラバス用のものが知られているようだけれど、そうではなくヴァイオリン用。弓の毛と弦が経験しなかったほど密接につながり、何年も使ってきた弓の印象が変わった。毛と弦が親密になり過ぎて、ヴァイオリンではぐぎぐぎの音になってしまうのでは、と要らぬ心配をしてしまう。思いの外影響が大きくて、使う弓も弾き方も変わってしまった。まさか松脂が弾き方へのヒントになるとは。

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いつの頃からか、演奏会のプログラムやCDのライナーノーツには演奏者の使用楽器が記されるようになり、楽器の市場には様々な資金が入って、名器と呼ばれるものはほぼ、個人の手の届くものではなくなってしまった。僕はできることなら、弘法筆を選ばず、という人間になりたいと思っている。でも今回のことは大きく僕を進ませてくれた。
今はこんな風に考える。その楽器や弓の金額や市場価値の多寡に関係なく、その人にとってかけがえの無い存在になったとき、きっと何かが始まるのだと思う。

2016年4月 2日 (土)

弦を伸ばす 6

弦伸ばし器で3週間ほど伸ばしたオイドクサは果たして、期待通りの状態になっていた。初期伸びは2日で落ち着き、音も初めから明るい。僕の使っているチェロは、G線の第4ポジションのミの音にウルフが出る。オイドクサを張るとその傾向がより顕著に出やすい。そのミやファあたりが凸凹とした感じになる。それが伸ばしておいた弦では、反応が全てのポジションで一定になり、扱いやすい。

ところで、先日ヤーガーの弦を買ったらパッケージが変わっていて驚いた。しかもこれまでなかった「CLASSIC」なんていう記載までされている。specialやsuperiorとの違いをはっきりするためだろうけれど、classicなんて言われてしまうと、確かに僕は古いものが好きで、写真もフィルムで撮るのが楽しいし・・・。
長いこと馴染んだ(もしかして30年くらいになるのかも)古いパッケージが懐かしい。

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