ゆるやかに
少し前、楽器職人のS君が、この日記を読んで下さった方(ありがとうございます)からエンドピンについて尋ねられた、と教えてくれた。そして楽器のセッティングは一つに決めるのではなく、二つ三つ選択肢を持っている方が良いのでは、という話しになった。
僕は何本か弓を持っていて、どの弓も個性的だ。軽く固く、ふわっと倍音が伸びるもの、少しこもった音が魅力的なもの、散るように音が広がるもの、どっしりとしているもの、・・・。
人間と同じように、楽器も日によって違い、その時フィットする弓も違う。どうしてそうなるのか、いつも不思議なのだけれど、その弓と楽器の蜜月は大体4,5日で過ぎ、短所が目立つようになり、他の弓の登場となる。
その弓の個性に少しずつ楽器が引っ張られていくのだろうか。例えば低音が出やすい弓をしばらく使っていると音が暗い方に変化していき、そんな時に軽く音が出る弓を使うと、魅力的に感じられる。
弦の種類を変えると、弓との相性は違うものになってしまうことも興味深い。他にも気候など、様々なことが影響する。そして、楽器の調子に加え、自分の体と心の変化にも耳を澄ませておくことも大切と思う。
(もし高価なエンドピンを使うなら、エンドピンの接する床やストッパーも気にした方が、と思う。様々な材質や構造のものを試してきた。硬く、密度の高い材料ならどれでも良い、とはならず、音は本当におもしろいと思う。)
最近一緒に弾かせて頂いた優れた奏者の中に2人、長い期間弓も楽器も同じもので、という方がいた。早い段階で素晴らしいものに出会い、それを使い続けている、ということだろうか。
常に変化する状況の中で、良い選択を探し続けている僕にはとても新鮮に感じられた。
ヴァイオリンもチェロも、実用的な音域は4オクターヴ程と思う。(もちろんさらに高い音を出すことはできる)チェロの特徴は、Ⅳ番線の低音と、Ⅰ番線のハイポジションで出る高音は、まったく性質が違うことと思う。
低音は和声のバスを充分に支えることのできる低さで、音の指向性は少なく周囲に広がりやすい。Ⅱ、Ⅲ番線の中音域はくぐもった魅力があり、一方高音は多くの倍音を含み、直進性があり、輝かしい。
一つの楽器でこの幅を充分に実現するのは、100m走とマラソンのように相反する要素を両立させる難しさがあるかもしれない。
今使っているチェロとは30年以上の付き合いで、ほぼ全てのことに手を入れてきたけれど、結局どこかを変えても楽器の基本的な性格は変わらない気がする。何かをいじるより、その楽器を(そして自分を)理解し、長所を生かすように使うことが大切と思う。
多くの優れた奏者に接してきて、楽器を扱う上で最も大切なことの一つは、体の柔らかさではないか、と思うようになった。
火事場の馬鹿力、と呼ばれるように、人間はとっさの時に大きな力が出るようにできている。あるいはお化け屋敷でおどかされた時、手は握りしめてしまうと思う。一方、楽器を扱う時に体が硬くなると、音はきつくなり、飛ばなくなる。
本番の緊張の下で、良い演奏をするためには、普段からどう体と心を使ったら良いのか、今そのことに興味がある。個人差があると思うけれど、緊張すると体はかたくなりやすく、指は開きにくくなり、ふわっとした柔らかいアプローチは失われやすい。緊張したときに自分の体がどのように、どのくらい変化するのか、知っておくことが大切と思う。
恥ずかしながら長い間、かたい心と体で楽器に接してきた。かたくアプローチするか、やわらかくアプローチするかは、異なる結果をもたらす。そもそも心が強張っているか、しなやかであるかで世界の見え方、音楽の感じ方は大きく異なると思う。
ある時そのことの重要性に気付き、それまで充分に弓や楽器を使えていなかったことに思い至った。一つの弓や楽器から教わることは本当にたくさんある。
先月の都響公演(4/19名古屋、20大阪、22東京)、前半にショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第1番があった。
最初の名古屋公演、第3楽章の長大なカデンツァを弾いている時にソリストのアリョーナ・バーエワさんは弦を切り、すかさずコンサートマスターの楽器を借りて、ほぼ中断なく最後まで弾ききった。
最後のサントリーホール公演では、(この曲のテンポ表示は可能と不可能のぎりぎりの線上にあるのだけれど)彼女の方から終楽章のテンポをさらに速く、という要求があり、本番は見事な緊張感があった。ライヴ演奏の魅力にあふれた舞台だった。
この協奏曲を準備するにあたり、いくつも録音を聴き、改めて素晴らしさに圧倒されたのはダヴィッド・オイストラフの演奏だった。
これほど奏者の負担が大きく、緊張感の高い曲でも、力まず悠然と進んでいく彼の音楽に、目を開かされるようだった。
以前にもこの日記で紹介したかもしれないけれど、フリッツ・クライスラーがオイストラフを評した言葉がある。
「オイストラフは、すべてのヴァイオリニストの中で、もっとも大切なものをもっている。それは、彼がゆるやかに演奏することだ。このすべてがスピード時代に生きているわれわれにとって、これは非常に稀であり、かつ貴重なことだ。」























































