映画・展覧会

2018年3月23日 (金)

アイデアについて

ルービンシュタイン自伝の後は、「ゾウの時間 ネズミの時間 - サイズの生物学」の著者、本川達夫さんが書いた「ウニはすごい バッタもすごい - デザインの生物学」を読んだ。ハチはどうしてあんなに速く羽ばたくことができるのか、アサリはどうして殻をしっかりと閉じ続けられるのか、ヒトデはどうして五角形なのか、バラの花弁はどうして5枚なのか、・・・。僕の頭できちんと理解できたかどうかははなはだ怪しいけれど、楽しかった。生き物たちがどうしてその形なのか、構造なのか、気にもしなかったことを考えてみることには大きな発見がある。動いたり、力がかかったりするもの、例えば自動車、飛行機、ロボット、楽器、レコードプレーヤー、家具、・・・、そうしたもののデザインを考える時、きっと多くのことに応用できるヒントがこの本の中にはある、と思った。

先日、東京ステーションギャラリーで開かれている「くまのもの 隈研吾とささやく物質、かたる物質」へ。(www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201803_kengo.html)
しばらく前の日経新聞日曜の別冊に隈さんの特集があり、興味を持っていた。建築に特別関心があった訳ではないけれど、素材ごとに分けられた展示にはすっかり見入ってしまった。それぞれの素材に対する、時間をかけて考えられた考えがあり、そこから様々なアイデアが生み出されていったことに心動かされた。
隈研吾著「小さな建築」の冒頭にこんな文章がある。

『建築をゼロから考え直してみようと思った。
 きっかけは東日本大震災である。あらためて歴史を振り返ると、今まで気がつかなかった、重要なことに気がついた。大きな災害が建築の世界を転換させてきたという事実である。・・・
 幸福なときの人間は、過去の行動を繰り返しているだけで先に進もうとしないが、災害に遭ったとき、悲劇にうちのめされたとき、人間は過去の自分を捨てて前へと歩き始める。』

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以前は7時のニュースを見ながら夕食をとっていた。今は国の内も外もひどい有様で、本当にうんざりする。だからもうテレビは消してしまった。いつからそうしているのか、この世界はいったいどうなっているのか。
久しぶりにブコウスキーを読んだ。最近ちくま文庫に入った「ブコウスキーの酔いどれ紀行」。その中から。

『・・・人は頂上まで上りつめると、後はもっと金を集めて、もっと権力を手に入れることぐらいしかやることがなくなってしまう。酒を飲んで、食べて、・・・』
『みんなが感心したりすることにわたしはまったく感心できず、ひとり取り残されてしまったりするのだ。例を挙げていってみると、次のようなことが含まれる。社交ダンス、ジェット・コースターに乗ること、動物園に行くこと、ピクニック、・・・
 ほとんどどんなことにも興味を引かれない人間が、どうしてものを書くことができるのか?どっこい、わたしは書いている。わたしは取り残されたものについて書いて書いて書きまくっている。通りをうろつく野良犬、・・・。』
『・・・、わたしたちと一緒にハイデルベルク城に出かけた。行く途中、わたしの著書がほとんど揃っている書店に連れていかれた。しかしその場に足を運んで、自分の本を見つめてみると、うれしいというよりも気恥しい気持ちのほうが先に立った。そんなことをしたいがために書いたわけではない。もちろん工場勤めから抜け出せてよかったが、そういうことは一人で、とりわけ朝ひどい気分で目が覚めた時などに、ベッドの中でひっそりと祝うものだ。』
『魚は彼の手に吊り下げられ、死んでわたしたちの前にその姿をさらしている。長くてぬめぬめとした元殺し屋は、死んでもなお見事で、見まがうことは決してなく、余分な脂肪もまったくついていず、まやかしとも無縁で、完璧な姿だ。突き進み、激しく動きまわり、あたりをきょろきょろと見回し、泳ぎ回る、ほとばしる生命の塊。道徳もなければ、信仰もなく、友だちもいない。』


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2018年1月31日 (水)

皆既月食

15分ごとにタイマーをセットして、皆既月食を見ている。だいぶ欠けてきた。昔の人は本当に驚いただろうと思う。

シャネルネクサスホールで「フランク ホーヴァット写真展」(chanelnexushall.jp/program/2018/un-moment-dune-femme)を見てから銀座メゾンエルメスへ。「グリーンランド/中谷芙二子+宇吉郎展」。ちょうど霧のインスタレーションが稼働している時に会場に入ったので、ほとんど何も見えなかった。(www.maisonhermes.jp/ginza/le-forum/arvhives/405275/)

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この霧のために、建物の最上階の床を上げ(おそらく防水を施して)、部屋の隅には溝を設けて水を循環させるシステムをつくっている。なんとまぁ。(世界に名だたるブランドの建物にお邪魔しましたが、僕は何もそうしたものを身につけていません。すみません)

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その後はヤマハへ楽譜を買いに。

2017年12月17日 (日)

オットー・ネーベル展

日曜日の渋谷へ、しかも12月に行くなんてあまり気が進まなかったけれど仕方ない、寝坊せず頑張って起きて、今日が最終日のオットー・ネーベル展へ。http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_nebel/
僕のまったく知らなかったオットー・ネーベルという人が、彼の作品からだけでなく、クレーやカンディンスキーとの親交からも浮かび上がってくる展示だった。ネーベルの日記に書かれたクレー、グッゲンハイムにネーベルを推薦するカンディンスキーの文章など、クレーやカンディンスキーもどんな人たちだったのか、浮かび上がってくるようだった。ネーベルの日記には気付かされる文章がいくつもあり、もし出版されているのなら読んでみたいと思った。
ネーベルの作風は時代によって大きく変化し、一人の人の様々な局面を見るようで興味深かった。ネーベルもクレーも同時期にスイスのベルンで暮らしている。昔、まだベルンに新しいクレーの美術館ができる前、僕はベルンの近代美術館にクレーの素晴らしいコレクションを2度ほど見に行った。繊細で綺麗な作品が最晩年の強く深い絵に変わっていくのは、何度見ても心動かされる経験だった。今思えば、あの美術館にはきっとネーベルの作品も展示してあったのだろうと思う。

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94年にミュンヘンのコンクールを受けに行った。ミュンヘンに着いて手続きをしに事務局に行き、自分の順番を探すとなかなかない。なんと初日の一番に名前があり、理由を尋ねると、今年はアルファベットのHから始める、ということだった。ミュンヘンまで来て悪い冗談にしか思えなかったけれど、状況は悲惨であればあるほど昔話としてはおもしろい。とにかく弾いて、当日の午後には午前中の結果が貼り出される。見事に予選落ちし、結局それから毎日1次予選、2次、3次、本選と全ての演奏を聴いた。(予選の期間中に自分の演奏の講評を審査員のウォルフガング・ベッチャーさんに伺ったら、ちょっと待って、とメモを取り出して、君の演奏はここが良くてここが良くなかった、と的確にとても丁寧に話してくださった。)
本選には3人が残り、結果は1位ハンス・ペーター・マインツ、2位タチアナ・ヴァシリエヴァ、3位ターニャ・テツラフ。3人とも活躍しているから、レベルの高いコンクールだったのだな、と思う。実際素晴らしかったもの。本選のオーケストラはバイエルン放送響。ARDのコンクール本選はバカンス明けの仕事だそうで、うーんこれがあの有名な・・・、という感じだった。
初日に予選落ちして、聴く以外は時間があったので、有名なドイツ博物館とノイエ・ピナコテーク、レンバッハハウス美術館に足を運んだ。当時アルテ・ピナコテークは改修工事で閉まっていたと思う。レンバッハハウスにはカンディンスキーをはじめとして「青騎士」のコレクションがあり、それらを見たことを、今日のBunkamuraの展示を見ながら思い出した。クレー、カンディンスキー、ネーベル、彼らがなぜ素晴らしいのか、様々な国や時代に思いをはせる時間だった。

2017年11月30日 (木)

「シャガール 三次元の世界」

昨日は東京ステーションギャラリーで開かれている「シャガール 三次元の世界」展へ。http://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/201709_chagall.html
絵だけでなくシャガールの彫刻も、という企画だった。なるほどあの感じは立体にするとこうなる、彫刻でも絵のようにまぎれもなくシャガールだ、と思って見始めた。展示が進むにつれて彫刻の世界に魅了されていった。素材の石の形を生かし、大きく削ることなく平面的に彫られた人物からは、不思議なことに、見た瞬間にあたたかさが伝わり包まれるようだった。絵も言うまでもなく素晴らしい。いつも思うけれど、青、赤、緑、黄が印象に残る。よく知っているはずの色がとても美しい。展示を見ながら静かに満たされていく、それはきっと彼の人生が幸せだったのだろうと思う。いくつかの作品にはルオーやマティス、ピカソと共通する何かがあるような気がした。素人考えかなぁ。
(展示は12月3日まで)

2017年11月11日 (土)

新宿ニコンで開かれている田沼武能写真展「子どもは時代の鏡」へ。http://www.nikon-image.com/activity/exhibition/thegallery/events/201706/20171031.html
子供たちの目に吸い込まれるようだった。ほんの50~60年前の都心にあのような光景が広がっていたなんてちょっと信じがたい。残念ながら、今の便利になった日本は大切なものを失っていると思った。

2017年10月26日 (木)

映画「パターソン」へ。http://paterson-movie.com
久しぶりの映画は楽しかった。
後半、永瀬正敏さんが出てくる印象的なシーンがある。彼が現れることで画面の空気感はまったく変わってしまう。俳優ってすごい、と思ったし、映画はおもしろい、と思った。ジム・ジャームッシュ監督が出演を依頼したそうだ、なるほど、確かに。

永瀬正敏さんと言えば先日、河瀬直美監督の「あん」を観た。劇場に出かけるつもりが果たせず、衛星放送で観た。すっかり打ちのめされ、観終わった時は呆然としていた。

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2017年7月30日 (日)

先日出かけたのは「AMBIENT 深澤直人がデザインする生活の周囲展」https://panasonic.co.jp/es/museum/exhibition/17/170708/index.html
興味深く見て、それから深澤さんの著作「デザインの輪郭」も読んだ。うまく言えないけれど、単に製品の外観を作るのではなく、何かのアイデアを目に見える形にして、使うことのできるものにすることなのかな、と思った。それまでなかった何かを世の中に現す、ということだろうか。こういう仕事はきっとおもしろいだろうなぁ。

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こんなことを考える。日本の軽自動車という規格、車幅を広くしてエンジンも少し大きくする。すると安定性、安全性、快適さ、どれもぐっと増すような気がする。(現実は、こんなことを言い出したら大変なことになるだろうけれど)
運転はしないけれど、車に限らず、乗り物が好き。それにしても、たまに昭和の時代の車を見ると(個性的なデザインにひかれる)、今の車が大きくなっていることに驚く。車の長さが、例えば50センチずつ短くなったら、渋滞の緩和にはつながらないのだろうか。誰かそんなことを研究していないかなぁ。

2017年5月 3日 (水)

Bunkamuraで開かれている「写真家 ソール・ライター展」へ。http://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/17_saulleiter/
彼のドキュメンタリー映画は見ていて、素晴らしい写真だな、とは思っていたけれど、実際に大きなプリントの前に立つと時間を忘れて見入った。カラー写真の美しさと言ったら・・・。

ソール・ライターの言葉から
『重要なのは、どこである、何である、ではなく、どのようにそれを見るかということだ。 It is not where it is or what it is that matters but how you see it.』

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5月2日日経新聞夕刊に掲載された沼野充義さんの記事から
『同語反復的だが、「世界文学とは何かと考えることが世界文学である」というのが今の状況だ。文学の道を極めた偉い先生が「これを読めば大事なことは大体わかるから読んでおきなさい」というものをありがたがるのではなく、読み手一人ひとりが自分にとって切実な作品を手にしながら、自分だけの地図を作っていくことが大切だと思う。
世界文学について考える際に大きな問題となるのが翻訳だ。翻訳という営為の本質は、容易にはわかり合えない二つの文明圏をつなぐこと。「うまいか下手か」という技術の話ではない。
仮にテロリストと呼ばれる人間の気持ちを我々が理解するためには、翻訳が必要だ。だがそれがないままに「あいつらは敵」というプロパガンダばかりが声高に叫ばれ、世界各地で血が流れている。「文明の衝突」とは翻訳の拒否、あるいは巨大な誤訳によって生じる事態なのではないか。
・・・・・・
文学作品を読むとは、冒険のような具体的な「経験」だと私は考えている。読み終えて、内容をすっかり忘れてしまったとしても、その経験は必ず心に痕跡を残す。そして読む前と読んだ後とで、自分の中の何かが確かに変わっている。
文学は旅に似ている。目的地へ急ぐより、ゆっくり行く方が面白い。だから文学作品もできるだけゆっくり読んで、細部を楽しむべきだ。およそ功利的でなく、この時代において全く反時代的なことだけれども。』

2017年4月20日 (木)

昨日は楽しみにしていた原美樹子写真展「Change」へ。http://www.nikon-image.com/activity/salon/exhibition/2017/04_shinjyuku.html#02
素晴らしかった。ただ、それを言葉にすることはとても難しい。特別なことが写っている訳でも決定的瞬間が写っている訳でもない気がするし、もしかして直接写っているものはさほど重要でないような気さえする。でも写真なのだから写っているものが・・・。
あぁこんな世界がある、と思った。アサヒカメラ誌4月号別冊に掲載された原さんのインタビューから

『ピントは目測なので適当にピントを合わせて、ファインダーも曖昧なのであまりのぞかない。目の前を通り過ぎていく風景であったり人であったりを、なるべく静かにすくい上げたいと思っています。目の前のものに対して感情、言葉が湧き上がってくる一歩手前が気になっているのかな。見てくださったそれぞれの方の記憶の断片に触れるような、そんな写真であればいいなと思います。』

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アルキメデスではないけれど、僕も風呂に入っていて思い付いた。楽器にかかる力を考えたエンドピンのストッパー。東急ハンズで材料を加工してもらい、早速組み立てた。さて。

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2017年4月 5日 (水)

「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」

昨日は映画「ヨーヨー・マと旅するシルクロード」へ。http://yoyomasilkroad.com
スターたちのすごい演奏がたくさん、ではなく、なぜどうして、何のために音楽をするのか、が大きなテーマなのだと感じた。素晴らしかった。
ヨーヨー・マはいつも笑顔のスーパーチェリスト、と思っていたけれど、彼が自分の気持ちを語ると、やはり生身の人間だということがよくわかった。意外だったし、励まされた。いくつも印象的な言葉があり、今も考えさせられている。伝統は創造を伴っていないと縮小する、という意味のことを誰かが言っていた。そして皆生き生きと音楽をしている。そのことこそが音楽なのだと強く思った。
ヨーヨー・マがボビー・マクファーリンと共演したり、ピアソラ、ブラジル音楽、古楽器を用いたバロック音楽、フィドル音楽との融合(アパラチア・ワルツは僕のお気に入りだ)、日本で録音したバッハ、そしてシルクロード・アンサンブルなど、多様なことに挑戦してきた理由が、少しだけわかる気がした。

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銀座の映画館、残念なことに午前の回はがらがらだった。もうすぐ終わってしまう(シネスイッチは4月7日まで、ル・シネマは14日まで)。

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