映画・展覧会

2023年6月12日 (月)

役所広司さん、シュタルケル、F.P.ツィンマーマン

第76回カンヌ国際映画祭で男優賞を受賞した役所広司さんについて、6月7日の読売新聞朝刊に映画監督黒沢清さんの記事が掲載された。その中から、

『それにしても役所広司は不思議なスターです。日本映画の歴代の男性スターを思い出してみると、高倉健にしろ三船敏郎にしろ笠智衆にしろ、どんな作品でもみな演じるキャラクターは同じで、彼らはそのただ一種類の強烈な個性で際立った印象を観客に与え、それがスターの資質と呼ばれるものでした。ところが役所広司はそれを根底からひっくり返したのです。サムライから清掃員まで難なくやってのける彼の役柄の多彩さは、もちろんその並外れた演技力からくるものなのですが、それは本来バイプレーヤーの資質というべきものです。
 僕も役所さんの目つきが優しさから突然狂気に変わるところや、活力のある男が急に虚無の人へと豹変する瞬間を現場で何度も目の当たりにしていて、現代の日本人なら誰でも持つ弱さ、曖昧さ、不健全さといったものの的確な表現にいつも驚かされるのですが、そういったリアリティーはスターが演じる健全さや庶民性とは実は縁の無い要素のはずです。ところが役所さんは、複雑怪奇な人間の本性を、堂々たるスター性をもって体現することができてしまうのです。』

Img_1556

確かに、高倉健さん主演の映画を観ると、高倉さんの存在感がその映画を占めていることを強く感じる。そして、その高倉さんの魅力を他の映画でも感じたい、と思うかもしれない。

最近はあまり映画を観なくなったけれど、洋画を観ていると、しばらくしてから、この俳優はあの映画のあの役を演じていた人だ、と気付いて驚くことがある。その時とはまるで違う今回の役を見事に演じていて、ぼんやりした僕はなかなか気付かない。

Img_1564

以前、音楽プロデューサーの中野雄さんがラジオ番組でチェリスト、ヤーノシュ・シュタルケルを取り上げた時、ベートーヴェンやバッハや、様々なレパートリーを弾いても、演奏を聴くとすぐシュタルケルとわかる、と話され、印象的だった。彼独特の節回しにも言及されたと思う。
後に中野さんにお会いした際、そのラジオ番組のことを伺うと、何を演奏してもシュタルケルだとわからなければいけない、と本人が言ったことを教えてくださった。

シュタルケルに限らず、カザルス、フルニエ、トルトゥリエ、ロストロポーヴィチ、シャフラン・・・、そうした人たちの演奏を聴くと、一つのフレーズを聴くまでもなく、たった一音でその人と分かる時がある。

Img_1567

少し前にM君と話していた時、ヴァイオリンのフランク・ペーター・ツィンマーマンが、演奏家は演奏する曲によってカメレオンのように変化する必要がある、ということを言った、と教えてくれた。

演奏の仕事に携わっていると、様々な曲を演奏する。作品に触れるごとに、作曲という営みのすごさを感じ、圧倒される。
残された楽譜に対して、演奏家の個性や主張はさほど大きなことではなく、楽譜には何が書いてあるのか、どのようにしたら楽譜に書いてあることを実現できるのか、そうしたことが大切ではないか、と思うようになった。

Img_1568

2021年12月31日 (金)

12月の日経新聞から

12月をふり返ってみる。

12月1日日経朝刊から、
『政府は30日、新型コロナウィルスの新たな変異型「オミクロン型」の感染例が日本で初めて確認されたと発表した。』

12月11日日経朝刊から、
『新型コロナウィルスの新たな変異型「オミクロン型」の感染拡大でワクチンの「南北格差」が一段と深刻になってきた。南アフリカでオミクロン型が広がり、接種率の低い地域ほど変異が生まれやすい可能性が指摘されている。』

12月24日日経朝刊から、
『世界で拡大する新型コロナウィルスの変異型「オミクロン型」の特性について、各国の研究機関の分析が進んでいる。南アフリカや英国の機関は重症化や入院のリスクは低いとの研究結果を相次いで公表した。ただ、感染力は強く、感染者数が増え続ければ医療を圧迫するだけに、感染対策の必要性も訴えている。
 南アの国立伝染病研究所の報告によると、オミクロン型で入院が必要になる割合は2%台で、ほかの新型コロナ感染と比べて8割低く、重症化のリスクはデルタ型より7割低い。』

C9578b26a7ed4b2cb4eabea2c3af0557

12月24日日経朝刊から、
『中国の陝西省西安市は23日、新型コロナウィルスの拡大を受けて実質的なロックダウンを始めた。約1300万人の全市民の外出を制限する。中国は感染を完全に封じ込めようとする「ゼロコロナ政策」を敷くが、局地的な感染が止まらない。』

12月25日日経朝刊から、
『英オックスフォード大の研究者らによるデータベース「アワー・ワールド・イン・データ」の集計によると、世界の新型コロナウィルスの新規感染者数が23日、97万人を超えた。1日あたりの新規感染者数では過去最高水準となった。』

12月28日日経夕刊から、
『米東部ニューヨーク州で子どもの新型コロナウィルス感染による入院が急増している。ニューヨーク市では5日以降の3週間で18歳以下の入院件数が4倍に拡大した。ワクチン接種の遅れが影響しているほか、接種対象外の5歳未満の感染が増えている。』

12月31日日経朝刊から、
『米国で新型コロナウィルスの新規感染が加速している。米ジョンズ・ホプキンス大学によると、29日の新規感染者数は7日間の移動平均で1カ月前に比べて3.7倍の30万人超となり、過去最多を更新した。』

4a12314fb2464545a8e3ec32345495a2

12月1日日経夕刊から、
『新型コロナウィルスワクチンの3回目接種が1日、始まった。政府は2回目の接種から原則8カ月以上が経過していることを基準に、追加接種の対象を医療従事者から高齢者へ順次広げていく方針だ。』

12月9日日経朝刊から、
『首相官邸は8日、新型コロナウィルスワクチンを1回以上接種した人が1億1521人になったとの集計を公表した。全人口に占める割合は79%に達し、2月に接種を始めてから約10カ月で世界でも上位の接種率となった。』

12月29日日経朝刊から、
『後藤茂之厚生労働相は28日、新型コロナウィルスの軽症・中等症向け飲み薬「ラゲブリオ」(一般名モルヌピラビル)」について、京都府内で国内1例目となる患者への投与があったと明らかにした。』

A5273f4a64f6457a99382f0871f57b07

12月14日日経朝刊から、
『塩野義製薬が開発を急ぐ新型コロナウィルスの飲み薬に思わぬ壁が立ちはだかる。国内の新型コロナ感染者が急減し、最終段階の臨床試験の対象者集めに苦労している。』

12月28日日経朝刊から、
『塩野義製薬は27日、開発中の新型コロナウィルスワクチンについて、ベトナムで最終段階の臨床試験を始めたと発表した。・・・取得したデータを基に、2022年3月末までの実用化を目指す。』

12月9日日経夕刊から、
『米ファイザーは8日、同社製の新型コロナウィルスワクチンの3回目の接種が、感染力の高い変異型「オミクロン型」に対しても高い予防効果を持つとの初期調査の結果を発表した。』

12月21日日経朝刊から、
『米バイオ企業モデルナは20日、同社の新型コロナウィルスワクチンについて、3回目接種をした場合に新たな変異型「オミクロン型」に対応する体内の抗体が大幅に増えたとする臨床研究の結果を発表した。』

F66460e40b704634a751c371aa720943

12月23日日経夕刊から、
『世界保健機関(WHO)のテドロス事務局長は22日、先進国であらゆる人を対象に新型コロナウィルス(原文のまま)の追加接種が広がっている現状を警告した。・・・
 WHOによると、現在投与されているワクチンの約2割は追加接種に充てられている。テドロス氏は記者会見で「入院患者や死者の多くはワクチン接種をしていない人で、追加接種をしていない人ではない」と指摘。「全面的な追加接種はパンデミックを終わらせるどころか、長引かせる可能性がある」と述べた。

12月22日日経夕刊から、
『新型コロナウィルスの感染の有無を迅速に調べられる抗原検査について、過度な依存を戒める分析をベルギーの研究者らがまとめた。呼気中のウィルス濃度は感染後の2日間に増えるが、抗原検査では捕捉しにくいという。』

F8b3e6ba8f1b4c599f861fa447834f65

12月4日日経朝刊から、
『北京冬季五輪まで4日で2カ月となった。新型コロナウィルスの変異型「オミクロン型」が世界で猛威をふるうなか、中国政府は感染対策の徹底を強調し、予定通り開催する方針だ。』

12月2日日経朝刊から、
『東京都がまとめた11月1日時点の推計人口は1401万9665人で、前月比で8924人減った。今春の就職・進学による転入で増えた後、6カ月連続で減少となった。』

77929d38669040f0b25e562a6d6f24bd

12月10日日経朝刊から、
『2021年の9月までの死亡数が前年同期より約6万人増え、東日本大震災があり戦後最多の増加となった11年を上回っていることが分かった。新型コロナウィルスだけでなく、心疾患や自殺などによる死亡も前年より急増。コロナ禍の余波で平年を大きく上回る「超過死亡」が生じている。』

12月23日日経夕刊から、
『米疾病対策センター(CDC)は22日、米国の2020年の平均寿命が新型コロナウィルスの感染拡大などで、19年より1.8年短くなったとの確報値を発表した。第2次世界大戦以来、最大のマイナス幅となった。』

12月15日日経夕刊に掲載された東京大特任教授、中川恵一さんの記事から、
『昨年12月1日から先月末までにコロナで亡くなったのは約1万6000人で、1日あたりの平均は約44人です。
 一方、がんによる死亡は年間およそ38万人。一日あたりでは1040人にも上りますから、ケタが違います。
 ・・・
 がんはコロナとは比べられないほど、大きなリスクです。そして、がん検診の自粛によって、進行がんが増えるなど、がんリスクの巨大化が避けられない状況です。』

12月15日日経夕刊から、
『ノロウィルスなどが原因の感染性胃腸炎や、子どもがかかりやすい手足口病などの患者が2020年を上回るペースで増加している。新型コロナウィルスにはアルコール消毒が有効だが、ノロウィルスへの効果は低く、予防の盲点になりやすい。・・・専門家はこまめな手洗いの励行を呼びかけている。』

54d7d503967e4709b7d22955246ec443

12月25日日経朝刊から、
『スポーツ庁は24日、全国の小学5年と中学2年の男女を対象に実施した2021年度の全国体力テストの結果を公表した。新型コロナウィルスの感染拡大前と比べて体力は一様に低下しており、男子では全8種目の合計点の平均値が小中とも調査開始以来で最低となった。』

12月29日日経朝刊から、
『英キリスト教系慈善団体「クリスチャンエイド」が27日発表した報告書によると、2021年に世界で発生した自然災害の被害額で上位10件の合計は1703億ドル(約19兆5000億円)に達した。前年比で17%増えた。ハリケーン、洪水などの被害が大きかった。世界経済が直面する気候変動のリスクが一段と深刻になった。』

12月28日日経朝刊から、
『新型コロナウィルスの感染拡大の影響で、世界の富裕層と貧困層の格差が広がったことがわかった。フランスの経済学者トマ・ピケティ氏らが運営する「世界不平等研究所」(本部・パリ)が発表した。世界の上位1%の超富裕層の資産は2021年、世界全体の個人資産の37.8%を占め、下位50%の資産は全体の2%にとどまった。』

1026c6019df64ca78f4aaee9c80f532b

12月9日日経夕刊から、
『米ニューヨークに本部を置く民間団体、ジャーナリスト保護委員会は9日、当局によって投獄されている世界各地のジャーナリストが今月1日時点で少なくとも293人に上ったと発表した。統計を開始した1992年以降で最多となり、6年連続の最多更新。中国が3年連続ワーストの50人だった。』

12月4日日経夕刊から、
『2020年の個人寄付者のうち、新型コロナウィルス関連で寄付行為をした人は国内で約860万人と推定されることが、NPO法人「日本ファンドレイジング協会」の調べで分かった。寄付者全体(約4350万人)の2割にあたるという。』

16d186687bcb47f1829135711706fdc3

12月18日日経朝刊から、
『JR各社は17日、2022年春のダイヤ改正を発表した。新型コロナウィルス禍で鉄道需要が低迷しているのを受け、都市部の在来線などの運行本数を大幅に減らす。JR東日本とJR西日本の削減幅は1987年の民営化以来、最大規模となる。』

12月8日日経朝刊から、
『ソニーグループは7日、道の物体でも適度な力でつかんで持ちあげられるロボットを開発したと発表した。物に触れると同時にセンサーで重さや表面の滑り度合いを把握し、瞬時にはさむ力を制御する。花やケーキなどの軟らかい物でも形を維持したままつかめる。』

610da023876f447ab76b346b09c09b95

12月8日日経朝刊から、
『米首都ワシントンで6日、気候変動の研究で2021年のノーベル物理学賞に選ばれた真鍋淑郎・米プリンストン大学上席研究員にメダルと賞状が授与された。同氏は気候変動対策について「我々が今やっていることはおそらく十分というにはほど遠い」と警告し、各国の指導者らに対応強化を呼びかけた。
 ・・・
 真鍋氏は式典に先立つイベントで「気候変動は大きな船のキャプテンのようだ。曲がりたい一方で船は真っすぐに進んでいく」と例えた。』

12月27日日経夕刊に掲載された字幕翻訳家、戸田奈津子さんの記事から、
『私の英語は別に上手ではない。ただ通じるだけ。でも一生懸命やっているのは伝わるんですよね。一番いけないのは相手をあがめてしまうこと。嫌がられますね。だから私はもう開けっ広げ。そうなると向こうもざっくばらんになってくれます。普通の人間関係でもそうでしょ。相手によって態度を変える人が私は一番嫌いです。スターでも鼻が高くなってしまう人は大抵早く消えていきましたね。』

93d4a6451895484ebe8ad96334e8cdc9

12月16日日経夕刊に掲載されたピアニスト、上原彩子さんの記事から、
『「ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番はオーケストラの分厚い響きが特徴です。ピアノはオーケストラがよく鳴るように下から支えていく。いかにうまく支えるかが鍵ですね」』

2020年1月10日 (金)

ソール・ライター

Bunkamuraで始まったばかりの「永遠のソール・ライター」展へ。https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/20_saulleiter/
前回3年前の展示は素晴らしく、忘れられないものになった。今回もいくつか同じ写真が展示してある。でも、いいものは何度見てもいい。ソール・ライターの写真や絵に、どうして心を動かされるのだろう。会場には静かに写真に見入る人たちがたくさんいた。
彼の印象的な言葉がいくつもあった。

・・・・・

I think that mysterious things happen in familiar places.We don't always need to run to the other end of the world.
神秘的なことは馴染み深い場所で起こる。なにも世界の裏側まで行く必要はない。

I see this world simply.It is a source of endless delight.
私は世界をシンプルに見ている。そのことが尽きない喜びの泉だ。

If I had to choose between being successful and not having someone or having someone,I'd prefer to have someone who I cared about,who cared about me.
成功者になれる人生か、大事な人に出会える人生か、選ばなくてはならないとしたら、大事な人と出会える人生を選ぶね、人と心を寄せあえる人生を。

・・・・・

ソール・ライターの写真を見ると、東京にも雪や雨が降り、人々は色とりどりの傘をさし、様々な色の車が走り・・・、そうした様子を結露した窓から眺めてみたくなる。Bunkamuraを出て、代官山まで歩いた。気持ちだけはすっかりソール・ライターになって写真を撮ってみたけれど・・・。

E63d944e7c2c4e84a503821a2f3d99f2

2019年9月18日 (水)

虫展

先月、六本木の2121デザインサイトで開かれている「虫展」へ。www.2121designsight.jp>insects

子供の頃は虫取りをした。最近はセミに触るのもおそるおそるで、虫展にも多少ためらいがあったけれど、日経新聞に養老孟司さんの記事が掲載され(本展の企画監修は養老さん)、とても興味深かったので出かけることにした。

Dcb6688a6ce64aca9530cbf4fca9caea

会場に入ってすぐ、虫の美しい標本があり、目を奪われる。想像もしなかったような様々な形、色、大きさの虫たち。
大きな部屋ではゾウムシを、工業製品のように、設計図のようにしてモニターに現していた。2センチに満たない小さなゾウムシを拡大して見たとき、人間はこれまでこんなに精緻な、動くものを作ることはできただろうか、と思った。僕は飛行機が好きで、様々な乗り物や機械、構造物に興味がある。でも目の前に示されたゾウムシはそうしたものよりずっと、バランスが取れていて美しく、機能的に見えた。素晴らしい色や形、しかもこの小さな生き物たちは意図してそれらを身につけてきたのではない。

4b173722520a4c2588b1ced08107632b

虫展には養老さんの言葉もたくさんある。その中から。

『生きものは三十億年の間に、ありとあらゆる問題に直面しつつ、それを解いて生き延びてきた。その解答が目の前にある。私はそう思うんですね。見ているのは問題集の答えだけです。では問題は何だったのか。そんなふうに思いながら虫を見てもらえると嬉しい。』

トンボの羽をとても大きくした展示もある。軽く強く、という要求を見事に満たした構造なのだろう、と思う。
様々な虫の跳び上がる瞬間、飛び立つ瞬間だけをスロー再生する映像があり、しばらく見入った。その後にブレイクダンスをする人間の映像があり、もちろん展示の主旨はそこにないのだけれど、大きな人間は自分の体をあまりうまくコントロールできないように見えた。(こんな書き方をしてごめんなさい)
例えば猫が高い塀を上ったり、狭い隙間を通り抜けたりするのを見て、人間は到底及ばないと思う。頭が大きくなり知能を持つようになったことと引き換えに、人間は動物のような身体能力を失ったのだろうか。

C36b212128bf474d909afd84e865d36f

東京に住んでいると、自然は生活から排除され、物理的にも心理的にもほとんど人間の作り出したものの中だけで生きることになる。人間の作り出したものが全て、と思い込んでいるかもしれない。
養老さんの「唯脳論」の最初にこんな文章がある。

『現代とは、要するに脳の時代である。・・・
 都会とは、要するに脳の産物である。あらゆる人工物は、脳機能の表出、つまり脳の産物に他ならない。都会では、人工物以外のものを見かけることは困難である。そこでは自然、すなわち植物や地面ですら、人為的に、すなわち脳によって、配置される。われわれの遠い祖先は、自然の洞窟に住んでいた。まさしく「自然の中に」住んでいたわけだが、現代人はいわば脳の中に住む。』

養老さんがこの本を書いたとき、スマートフォンは存在していなかった。とりつかれたようにスマートフォンの小さな画面を見る、それはまさに脳の中に生きている、ということだろうか。

4cec468a820d43569376c94019222990

東京でも秋には虫の声が聞こえる。夜散歩をしながら耳を澄ませると、日々虫の声が変化していくことを感じる。コンクリートとアスファルトに覆われたこの街で、人間の思惑と関係なく、小さな生き物たちが生きていることに少し安心する。
虫の美しい標本から、マタイ伝の中の言葉を思い出した。

『又なにゆゑ衣のことを思い煩ふや。野の百合は如何にして育つかを思へ、労せず、紡がざるなり。然れど我なんぢらに告ぐ、栄華を極めたるソロモンだに、その服装この花の一つにも及かざりき。・・・』

2019年9月 8日 (日)

各駅停車の旅 その4

学生の頃、よく名古屋と東京を行き来していた時、何度も青春18切符を使った。
東京から東海道線で名古屋に向かうと、だいたい熱海まで1時間半、さらに2時間半くらいで浜松。そのあたりが辛さのピークで、しかも在来線と新幹線が交わるところがあり、信じられないようなスピードで新幹線に追い越されると、次はあれに・・・、と弱気にならずにはいられなかった。でも、浜名湖を過ぎると景色に変化も出てきて、名古屋まであと少し、という気になる。
最近、筋金入りの鉄道ファンであるYさんと18切符の話しをしていたら、東海道線の熱海、浜松間は彼でも辛く、寝るかクロスワードをするようにしている、とのことだった。各駅停車に乗るといつも一番前の車両の、運転台の後ろに立つようなYさんでもそうなんですね、と驚いた。こんなことを書くと静岡の人たちに怒られそうだけれど、あの区間は平坦でまっすぐで、景色の変化が少ない(ごめんなさい)。

107b22de9bab4899ae7306b9bb189b6f

5回使えるこの夏の18切符、あと1回分残っていた。名古屋まで新幹線で行き、実家に泊まった翌日、東海道線で西に向かった。いつもと勝手が違うのは父と一緒、ということ。大垣、米原で乗り継ぎ、滋賀県の草津駅で降り、さらにバスに乗って琵琶湖博物館へ。(http://www.biwahaku.jp)

3f4a7c1b196e4169820653db8557f159

86320ce3bd3c4a6b8580d978212f63d1

素晴らしくて驚いた。広く充実した展示。生きている魚やほ乳類の水槽展示はもちろん、琵琶湖の歴史を扱った部分も同じくらいおもしろかった。琵琶湖や、さらに日本海の成り立ちを地質学的な時間でさかのぼったり、人間の歴史では様々な生活、平清盛の時代から、敦賀から琵琶湖まで運河を掘る計画のあったこと・・・。縮尺1万分の1の巨大な地図がフロアいっぱいに展開され、日本海から琵琶湖、大阪湾までの広がりや狭さを体感できる。そして念願のカヤネズミ(ピンポン球くらいの大きさ)も見ることができた。

A99e9efcdb2e46308a979edfd3e16557

残念ながら時間切れで全ては見られず帰路についた。空の広い琵琶湖湖畔を通り米原を過ぎると急な上りになる。関ヶ原に近づくにつれ、山の感じが険しくなり狭くなり、関ヶ原を過ぎるとまた開けてきて、ほんの2駅で大垣駅に着く頃にはすっかり穏やかな場所になる。そうした景色の移り変わりを見ると、まさにここが向こうとこちらを分ける要衝で、確かに天下分け目の戦があったのだろう、と感じた。

F5d9ad54cbca49df9022049d09885194

翌日、久しぶりにこだまで帰京。安倍川の手前で、Yさんが教えてくれたとおり、海側の座席から富士山が見えた。こだまの景色の流れ方は心地いい。のぞみは速くて素晴らしいけれど、あっという間に着くからうかうか寝ていられないもの。時々車窓から海が見える。8月のような青い海と青い空が美しかった。

2019年8月22日 (木)

各駅停車の旅 その1

8月18日
いつもより少しだけ早起きして、中央線と小海線を乗り継ぎ清里へ。さてタクシーに、と思ったら駅前にいない。タクシー会社に電話してもらちがあかず、ようやく来た一台に、やはり待っていて目的地が同じ親子と一緒に乗ることにした。清里フォトアートミュージアムの「ロバート・フランク展 もう一度、写真の話をしないか。」(kmopa.com/?cat=6)

8dc63ebf72604b0b8ac13a6bed2fd4ad

東京の熱気は嘘のように、甘くさわやかな空気がここにはある。木々の間を通ってくる光、鳥の澄んだ声、降り始めた雨が葉に当たる音・・・。ここは10年ほど前まで、ホテルも併設されていたそうだ。夜も過ごせたらどんなにいいだろう、と思う。ロバート・フランクの写真は言うまでもなく素晴らしい。彼がその時どのように世界を見ていたのか、彼の目と一緒になろうとした。

ゆっくり見て、さて再びタクシーだ。美術館に着いた時、運転手と帰りの話しをしておいた。予定の電車の時間を伝え、そして4時過ぎに電話すること。電話をして待っていると美術館の電話が鳴り、タクシーは今小淵沢にいて、間に合わないからキャンセルさせてほしい、とのことだった。なんとまぁ。タクシー会社の抱えている車が極端に少ないらしい。
幸い助け船を出して下さる方がいて(本当にありがとうございました)、3人は無事清里駅に着いた。彼女たちも青春18切符を使っていて、でも大月あたりから特急に乗ってしまうかも、と言っていた。確かに一つの区間が2時間を越えると辛くなるもの(高尾~小淵沢間が2時間半くらい)。雨足が強くなる中、僕は小海線に2時間乗り、小諸へ。清里より先に行くのは初めてだった。

65d893bab67f492ebf8cd18a76bee872

小諸駅からホテルまでの道のりを甘く見ていた。軽く1キロちょっと、と思っていたら、ひたすら登り続ける1キロだった。東京も坂の街だけれど、こんなに登ることはない。参りました。


8月19日
起きると頭が重い。今朝は小諸駅までひたすら下る。昨晩は暗くてわからなかったけれど、どこからか水の音のする、風情のある町だ。しなの鉄道で篠ノ井、篠ノ井線で松本、松本にちょっと寄ってから大糸線で信濃大町へ。
どこでもそうなのかもしれないけれど、長野県内を鉄道で移動すると、山あいに線路が敷かれていることがよくわかる。少なくとも片側、多くの場合両側に山が見え、その表情は沿線によって異なり、どこも魅力的。住むなら信州、と思う。見晴らしのいい小屋、中に薪ストーブがあったら、もう言うことなしだ。

A81aab4a88e14a309a2bf5fe46b38177

大町でゆっくり昼を食べ、町を少し歩く。

18d957ee23ba420ba54ca2ae7c664d1e

75e58ac67a52467b9d294c89f050fb49

さらに大糸線で稲尾へ。木崎湖の湖面が美しい。風が強くなり、残念ながら予報通り雨も強くなり、駅舎に避難する。雨足が強くなった分、湖は幻想的な雰囲気になった。

A9aaa94c05ea43aba19af70a8f9b468d

さらに2駅乗って簗場下車。雨が強く、しばらく駅で様子を見る。駅から中綱湖を通り、簗場のスキー場に通じる目の前の道は、40年近く前スキーに来て、大雪で閉じ込められた時、宿から国鉄の駅まで情報を求めて何度も通った、雪しか見えなかったあの道だろうか。

A8dcb167b829425a9296b143788ae62d

小降りになった頃を見計らって中綱湖へ。ここの水の感じはやはり好きだ。雨のせいか、そこら中で蛙がはねる。こんな雨の中でも釣りをしている人たちがいる。

82b7c42ad27a42a69a0092480fc37306

夕方の大糸線でさらに先へ。白馬より向こうは行ったことがない。南小谷で糸魚川行きに乗り換え。凍りつくくらい空調の効いた車両だった。暗くなってほとんど見えないけれど、かなり険しいところを走っているらしい。南小谷から糸魚川までの途中駅で降りたのはたった一人、女の子が街灯もないようなさみしい駅で降りていった。

4dac6be8400b4adb830b8014b77d3e20

糸魚川駅前の食堂に入る。ものすごく感じの良い店だった。1日よく歩き、しっかり濡れた身には嬉しかった。そう、昨日小諸で入ったラーメン屋も、とても感じが良かった。

2019年4月30日 (火)

「希望の灯り」

少し前に観たのが映画「希望の灯り」(原題'In the Aisles')kibou-akari.ayapro.ne.jp
すごい二枚目も絶世の美女も登場せず(こういうことを言うのははなはだ主観的だけれど)、舞台は時代に取り残されたような大型スーパー、画面に映るのはその大きな通路、陳列棚、フォークリフト、休憩所、幹線道路、街灯、バス、夜明けの空、・・・、昔の東ヨーロッパを思い出させる寒々とした光景ばかり。でもこの映画は美しい。見事だと思った。監督のトーマス・ステューバーは1981年生まれ、僕は30代半ばの時に世界をこう見ることはできなかった。彼は何が美しいのか、よく知っているのだと思う。美しいか美しくないか、は物によるのではない。
「希望の灯り」の冒頭は、スーパーの見上げるように高い棚の間をフォークリフトが動いていく映像で始まる(確か、僕の曖昧な記憶によれば)。その時にかかる音楽が「美しき青きドナウ」。それはS.キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」を強く思い起こさせる。宇宙船が漆黒の宇宙をゆっくりと動いていくシーンに使われた音楽だ。
帰宅して久しぶりに「2001年宇宙の旅」を少し見たら、素晴らしくて驚いた。CGというものなどない時代。公開は1968年、アポロ計画が月着陸を果たす前だ。2019年現在、有人宇宙船は木星はもちろん、火星にだって到達していないけれど、あの映画で重要な役割を果たすコンピュータ「HAL」は今のAIを予言しているようだ。

09cb5c3620f14762a5771699d54f91d6

「希望の灯り」を観た週、都響は東京、大阪で公演があった。プログラムの前半はグリークのピアノ協奏曲。ソリストはニコライ・ルガンスキー。
この曲を弾いていると海が見える、波の音が聞こえてくるようだ。(「希望の灯り」の基調の色は青、隠れた主題は海だったと思う。)特に好きなのは第2楽章、主題が始まった瞬間に心動かされる。後半いきなり調性が明るくなってチェロが旋律を弾く時は、解き放たれるようだ。
ルガンスキーは2公演とも、アンコールでメンデルスゾーンの無言歌を弾いた。大阪で弾いたop67-2「失われた幻影」は良かった。たとえ大きなドラマはなくても、音楽は本当にいいな、と思う。フェスティバルホールは舞台も客席もバックステージも広大だ(時々自転車か、キックボードが欲しくなる)。笑顔で拍手をして下さる聴衆を見て、心温まる思いだった。

2019年2月28日 (木)

2月

上映が終わってしまう、と思って、今月初めにあわてて観に行ったのが映画「私は、マリア・カラス」。(https://gaga.ne.jp/maria-callas/)
全編マリア・カラスの映像、あるいは彼女の書いた手紙の朗読(誰が読んでいたのだろう)。有名なオペラの有名なアリアを歌うシーンはもちろん素晴らしく、あぁこういうものか、と思った。同時に、音楽家の優れたドキュメンタリーがそうであるように、大スターだったマリア・カラスも、体には血が流れ、きっと涙を流すことがあり、同じように傷つくことのある一人の人間だった、そのことを知り、心動かされた。
ル・シネマでの上映は混雑していて驚いたけれど、引き続き他の映画館で上映されているそう。これだけの映画、あの短い期間だけではもったいないもの。

今月は新国立劇場で仕事があり、その期間に出かけたのが隣、東京オペラシティ アートギャラリーで開かれている写真展「石川直樹 この星の光の地図を写す」(http://www.operacity.jp/ag/exh217/)
初期の写真(といっても石川さんは若い)から現在まで、変化に富んだ展示は見応え十分だった。会場のところどころには石川さんの言葉がある。世界中で撮られた写真を見終わり、出口近くで目に入ってきた文章が印象的だった。

『家の玄関を出て見上げた先にある曇った空こそがすべての空であり、家から駅に向かう途中に感じるかすかな風のなかに、もしかしたら世界のすべてが、そして未知の世界にいたる通路が、かくれているのかもしれません。』

何かを表現する時に、うまく言えないけれど、足が地に着いている、ということはとても大切なのだな、と思った。ひたすら頭の中で何かを考えたり生み出そうとしたりすることはできるのかもしれない、でもきっとそうではなく・・・。

8197ac635bf34d96b56ba8860106409d

その写真展の翌日に出かけたのが、森美術館の「新・北斎展」(https://hokusai2019.jp)
平日昼間だったのに、六本木に着く直前に調べたら入場は60分待ち、との情報だった。せっかちで人混みの嫌いな僕は帰ろうか、と思ったけれど、あれこれ用事を作り、済ませ、夕方の美術館に入った。地に足がついていない、というのか、この地上50何階かにある美術館はどうも苦手、と最初思いながら、たくさんある作品にすっかり見入ってしまった。同じ日本でも今は2019年である、ということは抜け落ちてしまうようだった。
北斎のことは詳しく知らないけれど、ひたすら画を描いた生涯だったのだろうと思う。芸術、なんて意識はあったのだろうか。会場に多く展示されていたのは様々な木版画、それらは思ったよりはるかに小さく、緻密で、精確だった。木を彫って版木を作る、正確に美しく、しかも大量に速く。原画を描いた北斎だけでなく、版木を彫る職人、紙に摺る職人、・・・、名前の残っていない腕利きの職人たちが、おそらくたくさんいたのだろう、そんなことに思いをはせ、心打たれた。当時のできあがったばかりの版画をもし見ることができたら、それは思わず引きこまれてしまうような美しさだっただろう、と思う。
展示の最後には晩年の肉筆画がいくつかある。僕はひまわりの絵が好きだった。太い線で、何と言ったらよいのだろう、まっすぐ描いてある。この絵は縦長だけれど、ゴッホのひまわりを連想した。

昨日読み終わったのは山内一也著「ウィルスの意味論」。十分に理解した、とはとても言えない、でも楽しく、どの章も眼を開かれる思いで読んだ。ウィルスとはいったい何か、19世紀初めの驚くべき種痘プロジェクトなど、様々な事柄から最近よく報道される豚コレラまで。世界を見る目が変わるようだった。

2019年1月18日 (金)

「ひたむきな」

先週は国立科学博物館の「日本を変えた千の技術博」(meiji150.exhn.jp)へ、今週は2121デザインサイトの「民藝 Another Kind of Art 展」(www.2121designsight.jp/program/mingei/)へ。
どちらもさっと見て出るつもりが、見始めたら楽しくなり、ゆっくり見てしまった。科学博物館の展示の中に、昔の研究者の小さなノートがある。そこには実験のデータが丁寧に手書きで記され、研究に臨む姿がありありと感じられた。また、2121では様々な生活用具はもちろん、職人や流通にかかわる人の映像も素晴らしく、また柳宗悦さん、深澤直人さんの印象的な言葉があった。その中から。

『私は「どうしたら、美しいものが見えるようになれるか、とよく聞かれる。別に秘密はない。初めて「今見る」想いでみることである。うぶな心で受取ることである。これでものは鮮やかに、眼の鏡に映る。だから何時見るとも、今見る想いで見るならば、何ものも姿をかくしはしない。たとえ昨日見た品でも、今日見なければいけない。眼と心が何時も新しく働かねば、美しさはその真実の姿を現してはくれぬ。』 柳宗悦

『芸術家でも職人でもない人の無我な手から生み出されたものには、得も言われぬ魅力が潜んでいる。「私があの子どもたちの年齢のときには、ラファエロと同じように素描できた。けれどもあの子どもたちのように素描することを覚えるのに、私は一生かかった」と語ったパブロ・ピカソ。これは柳宗悦に同じく、ひたむきな心が創作に与える純粋性を評した言葉だ。』 深澤直人

E7666489f9984a44bd194767d0504a78

二つの展示に共通するのは、もともと誰かに見せることを考えていなかったものが、展示されていたことだ、と思う。会場を出るときに清々しい気持ちになっていたのは、そうした理由によるのだろうか。普段目にする様々な展示は、見られることが前提になっている。見られる、見てほしいと思う、そのような心の持ち方は、作ることとは別の何かを含んでいるのかもしれない。誰かに見てほしい、注目されたい、自分はこんなに素晴らしいことをしている、この心の叫びを・・・。そうしたものは表現の原動力なのかもしれないし、かえってその表現が人に伝わるのを邪魔しているのかもしれない。あるいはもしかして、表現すべきものですらないのかもしれない。

オランダ人の、ゴッホの専門家が来日した時、ゴッホは世界一幸せな画家でした、なぜなら自分の描きたいように描いたからです、と言っていた。生前ほとんど絵は売れず、ほとんど注文されず、おそらく注目もされず、弟テオに支えられながら絵を描いた、そういう人生だったのだろうか。今や多くの人の心を打ち、市場に出れば騒ぎとなる絵、そのことと、それを描いたゴッホの人生との間の開きを考える。

2018年10月31日 (水)

リー・キット展、前橋汀子さん

原美術館で開かれているリー・キット「僕らはもっと繊細だった。」展へ。www.haramuseum.or.jp/jp/hara/exhibition/243/
久しぶりの原美術館、久しぶりの現代美術、楽しかった。今回の展示、モノとして価値のあるものはあまりなく、がっかりする人もいるかもしれない。美術品があると思って入ると、空っぽな感じがするかもしれない。もとは私邸だった美術館のそれぞれの部屋には光がゆらぎ、ゆったりとした時間が流れ、心地よかった。今回のインスタレーションは外から差し込む光が大きな要素になっている。僕が行ったのはよく晴れた午前中だったけれど、例えば曇っていたり、日が落ちてからだったりすると、きっと印象が異なると思う。
(この数年現代美術がつまらなく感じられるようになり、展示から足が遠のいていた。たいして通った訳でも詳しい訳でも、もちろんないけれど、現代美術にお金が流れ込むようになったことや、アートっぽいものがもてはやされる今の風潮が関係しているのではないか、と僕はにらんでいる。ところで先日、ある絵がオークションで落札された直後に、内蔵されたシュレッダーで裁断される、ということがあった。作者はこうした状況を揶揄したかったのだろうか、と想像する。https://youtu.be/vxkwRNIZgdY)

2018_1031_11565600

今月の日経新聞連載「私の履歴書」は前橋汀子さん、毎日楽しく読んだ。10月6日の記事から、
『私の人生を変えたともいえるコンサートがある。55年2月に初来日したソ連の世界的なバイオリニスト、ダヴィッド・オイストラフの公演だ。日比谷公会堂の客席に陣取った私は小学5年生だった。
 あんなバイオリンの演奏は聴いたことがなかった。大きな体と楽器が一体となった、ふくよかな響き。「楽器が体の一部みたい。バイオリンでこんな音が出せるんだ」。まさに衝撃だった。
 「ソ連で勉強すればオイストラフのように弾けるようになるかしら」。私の心に大きな火がともった瞬間だった。』

10月29日の記事から、
『大学で教える一方、自分が生徒になった時期もある。62歳から1年間、都立大泉高校の定時制課程に通ったのだ。当時、本格的にスラブ民族史を学びたくなり、どの大学で講義が受けられるか調べてみたのだが、自分が高校を中退してソ連に留学したことに気づき、まずは高卒の資格を取ろうと思い立ったのである。
 夜学の生徒の大半は昼間に働く10代の若者。「前橋さん」「はい」と出席を取るところから始まり、彼らと同じように授業を受けた。生物や化学の面白さに目覚め、参考書や科学雑誌を買って読みふけった。・・・
 期末テストは一夜漬けで頑張った。初めて答案用紙に名前を書く時は鉛筆を持つ手が震えたのを覚えている。
 15分遅刻すると欠席扱いになる。自転車で猛ダッシュして滑り込みセーフの日もあった。・・・』

より以前の記事一覧