2019年8月23日 (金)

各駅停車の旅 その2

8月20日
泊まった部屋はエレベータの真裏にあり、昨晩は意外に静か、と思っていたけれど、今朝は6時過ぎからごっとんごっとん活発な音がして起こされた。やれやれ。このホテルは仕事で利用している人が多いらしく、朝が早い。チェックアウトして海を見に行く。

A5c5590abac546749d888be9237b4227

薄緑色の美しい海だ。東京からはるばる分水嶺を越えて来たのだ。海の際は国道で、山側の住宅地はすぐ小高くなっている。これは昔からの地形なのだろうか。駅に向かう途中、雪を避けるためらしい、ひさしのある通りを歩いた。古い通りが断続的にある。どのくらいの広さが数年前の火事で失われたのだろう。

3eee819cc0664e869c27cc8386fe3e40

糸魚川から西は富山まで、東は直江津まで、JR線ではない。新幹線網が張りめぐらされた結果、重複する区間の経営が変わったのだと思う。当然18切符は使えない。昨日のしなの鉄道もそう。思いの外、制約があった。
日本海ひすいラインで有間川へ。途中、トンネルの中に駅があった。トンネルの外にはどんな景色が広がるのか、見てみたくなる。港で写真を撮っていると雨が強くなり、いったん建物の中に入ったけれど、弱まる気配がないので有間川駅に戻る。駅に上る道を間違えて、その分濡れてしまった。

78a1fb80db48442e918f7d0a47003820

直江津からは信越本線に。できるだけ濡れずに海の写真を撮れる場所を、と考え、青海川で降りる。雨が強くて水平線があいまいになり、どこからが空なのか海なのかわからなくなりそうだ。

37b9d3733fca4b51b0ff3a5d1185e043

刻々と表情を変える海を眺め、波の音を聞き、弱まる雨の気配に耳を澄ませていたら、すぐ次の電車が来た。長岡へ。久しぶりの長岡駅は洒落た感じになっていた。ゆっくり昼を食べ、今日最後の電車に乗る。上越線が長岡を出る頃、ほとんど雨は上がっていた。でも水上の先は大雨で止まっているらしい。車窓には水田が広がり、あぁ新潟だ、と思う。もう一つ、家々の屋根の急な角度を見ると、豪雪地帯なのだな、と思う。長岡からはひたすら緩やかな上り。

列車が六日町を過ぎるとアナウンスが入り、この先、今日の豪雨のため、安全確認をしながら徐行運転、とのことだった。少し遅れて石打駅着。迎えに来てくれた宿のご主人にその話しをすると、もう少し降ると電車は止まるよ、と言われた。宿の予約をした時、電話口でおかみさんに、うちはただの湯治場で何にもないけど、いいですか?、と言われた。そんなことを言われたのは初めて。泊まってみようと思った。
僕の部屋は六畳間、鍵はなく、窓からは山の緑が見え、虫の声が聞こえる。着いた時はまだ蝉がみんみん鳴き、ヒグラシは遠くに聞こえていた。日が暮れるにつれて鳴く虫が変わるのがわかる。夜になり、静かな虫の声と川の音ばかりになった。本当に素晴らしい。テレビもインターネットもいらない。

2019年8月22日 (木)

各駅停車の旅 その1

8月18日
いつもより少しだけ早起きして、中央線と小海線を乗り継ぎ清里へ。さてタクシーに、と思ったら駅前にいない。タクシー会社に電話してもらちがあかず、ようやく来た一台に、やはり待っていて目的地が同じ親子と一緒に乗ることにした。清里フォトアートミュージアムの「ロバート・フランク展 もう一度、写真の話をしないか。」(kmopa.com/?cat=6)

8dc63ebf72604b0b8ac13a6bed2fd4ad

東京の熱気は嘘のように、甘くさわやかな空気がここにはある。木々の間を通ってくる光、鳥の澄んだ声、降り始めた雨が葉に当たる音・・・。ここは10年ほど前まで、ホテルも併設されていたそうだ。夜も過ごせたらどんなにいいだろう、と思う。ロバート・フランクの写真は言うまでもなく素晴らしい。彼がその時どのように世界を見ていたのか、彼の目と一緒になろうとした。

ゆっくり見て、さて再びタクシーだ。美術館に着いた時、運転手と帰りの話しをしておいた。予定の電車の時間を伝え、そして4時過ぎに電話すること。電話をして待っていると美術館の電話が鳴り、タクシーは今小淵沢にいて、間に合わないからキャンセルさせてほしい、とのことだった。なんとまぁ。タクシー会社の抱えている車が極端に少ないらしい。
幸い助け船を出して下さる方がいて(本当にありがとうございました)、3人は無事清里駅に着いた。彼女たちも青春18切符を使っていて、でも大月あたりから特急に乗ってしまうかも、と言っていた。確かに一つの区間が2時間を越えると辛くなるもの(高尾~小淵沢間が2時間半くらい)。雨足が強くなる中、僕は小海線に2時間乗り、小諸へ。清里より先に行くのは初めてだった。

65d893bab67f492ebf8cd18a76bee872

小諸駅からホテルまでの道のりを甘く見ていた。軽く1キロちょっと、と思っていたら、ひたすら登り続ける1キロだった。東京も坂の街だけれど、こんなに登ることはない。参りました。


8月19日
起きると頭が重い。今朝は小諸駅までひたすら下る。昨晩は暗くてわからなかったけれど、どこからか水の音のする、風情のある町だ。しなの鉄道で篠ノ井、篠ノ井線で松本、松本にちょっと寄ってから大糸線で信濃大町へ。
どこでもそうなのかもしれないけれど、長野県内を鉄道で移動すると、山あいに線路が敷かれていることがよくわかる。少なくとも片側、多くの場合両側に山が見え、その表情は沿線によって異なり、どこも魅力的。住むなら信州、と思う。見晴らしのいい小屋、中に薪ストーブがあったら、もう言うことなしだ。

A81aab4a88e14a309a2bf5fe46b38177

大町でゆっくり昼を食べ、町を少し歩く。

18d957ee23ba420ba54ca2ae7c664d1e

75e58ac67a52467b9d294c89f050fb49

さらに大糸線で稲尾へ。木崎湖の湖面が美しい。風が強くなり、残念ながら予報通り雨も強くなり、駅舎に避難する。雨足が強くなった分、湖は幻想的な雰囲気になった。

A9aaa94c05ea43aba19af70a8f9b468d

さらに2駅乗って簗場下車。雨が強く、しばらく駅で様子を見る。駅から中綱湖を通り、簗場のスキー場に通じる目の前の道は、40年近く前スキーに来て、大雪で閉じ込められた時、宿から国鉄の駅まで情報を求めて何度も通った、雪しか見えなかったあの道だろうか。

A8dcb167b829425a9296b143788ae62d

小降りになった頃を見計らって中綱湖へ。ここの水の感じはやはり好きだ。雨のせいか、そこら中で蛙がはねる。こんな雨の中でも釣りをしている人たちがいる。

82b7c42ad27a42a69a0092480fc37306

夕方の大糸線でさらに先へ。白馬より向こうは行ったことがない。南小谷で糸魚川行きに乗り換え。凍りつくくらい空調の効いた車両だった。暗くなってほとんど見えないけれど、かなり険しいところを走っているらしい。南小谷から糸魚川までの途中駅で降りたのはたった一人、女の子が街灯もないようなさみしい駅で降りていった。

4dac6be8400b4adb830b8014b77d3e20

糸魚川駅前の食堂に入る。ものすごく感じの良い店だった。1日よく歩き、しっかり濡れた身には嬉しかった。そう、昨日小諸で入ったラーメン屋も、とても感じが良かった。

2019年6月28日 (金)

6月14日

6月14日
ホテルのベッドで目覚めた時、東京の自宅にいる気がした。荷造りをすませ朝食をとり、もう一度名残を惜しんで周辺を散歩する。最終日、あたたかく素晴らしい天気だ。お家の玄関に入るまでが旅行です、と気を引き締める。
ホテルで呼んでもらったタクシーがなかなか来ない。来たら小柄な東洋人の運転手だ。思わず前回7年前のことを思い出した。やはり呼んでもらった運転手は小柄で、車内はちらかり、シートベルトはできなかった。さて。車に乗り込むと、中国人か?と聞かれた後、フランス語と英語のまざった滅茶苦茶な会話が始まる。総合するとどうやら、高速道路で事故があり、迂回する、一時間で着くだろう、ということらしい。確かに来た時とは違うルートを取っていることがわかる。運転手はしきりに電話で話し、どうやら渋滞情報を同僚やタクシー会社に聞いているらしい。そんなところに若い女性らしい声で、「ご飯に連れてって」という電話がきたら「今忙しいから後にしてくれ」と切ったようだ。ふむ。
かなりの渋滞。ようやく中心部を抜けて高速に入ると、時々流れて、また止まる。まさか途中で降りる訳にもいかないし、観念して座席でじっとする。途中で最近起きたらしい別の事故を見る。皆があんなに積極的に運転したらそれはぶつかるでしょ、と思う。空港の看板が出てもじりじりとしか進まない。ようやく空港の敷地に入っても、ただでさえ狭いスペースに出る車と入る車が拮抗して収拾がつかないのに、手前の路上で人を降ろす車がいて、クラクションの応酬だ。結局一時間半かかって到着。とても丁寧な運転のタクシーだった。人を見かけで判断してはいけない。
飛行の2時間半前に航空会社のカウンターに行くと、混雑というより混乱だった。さぁ、もうひと頑張り。チェックイン自体は昨日すませてある。またあの自動券売機のような機械に行く。何台もあるそれは全て行列しているか、故障しているか。空いている機械を探し、手続きをすませ、荷物預けの列に並ぶと、成田行きはここじゃなくて端の10番だ、と言われ、急ぎ移動する。確かに日本人をほとんどみなかったものね。空港もスーパーマーケットのセルフレジのようになっている。自分で荷物を無人のカウンターのベルトに乗せ計量し、タグのバーコードを読むと、ベルトが勝手に動いて荷物はするするとあちらに行ってしまった。あらま。シャルル・ド・ゴール空港は荷物がなくなることで有名なところなのだけれど。

053d5b681b784992b25fa6491c408196

パスポートコントロールを過ぎ、珍しく免税で買い物をし、ほっとしてカフェに入る。パリの空港の、しかもエアフランスのカウンターがこんなに混雑しているとは。日本ではあまりない状況だと思う。2024年のパリオリンピックの時は大変なことになりそうだ。
乗り込んだ飛行機はほぼ満席。アナウンスがあり、直前で搭乗をやめた乗客の荷物を降ろすからしばらく待って、とのことだった。あのたくさんのコンテナから一つ二つの荷物を降ろすのか、僕の荷物は降ろさないように、と願った。
長い機中、今回の旅を思い返す。最大の収穫は、生き生きと生きている人たちに接したことだった。それに尽きる。写真を撮っていてこんなにわくわくし続けることは久しぶりだったし、美しい景色、物、素晴らしい天気、空気・・・。でもそんなことは全部二の次と言っていい。やっぱり人間はこうして生きることができるんだと思った。もう死んだように生きるのはやめよう。
そして、これほど英語が通じるようになっているとは思わなかった。7年前、ひどいフランス語でも口にすると皆、嬉しそうにフランス語で(しかも猛烈なスピードで)返してくれた。四半世紀前はまったく英語なんか喋ってくれなかった。それは本当に喋れないのか、嫌がらせか、勘ぐりたくなるくらいだった。今回、よちよちのフランス語で話しかけると、ほとんど英語で返ってきた。それはそれで傷つくし、その便利さは残念な感じがした。

5ef2d87d3f464436ab6a085e17911286

飛行機が成田に着き、無事出てきた荷物を拾い上げる。雨に煙る田んぼの間を列車が進んでいく。この湿潤な国も美しいと思った。そして梅雨寒の今日、駅のそば屋で食べたかき揚げ天そばの味は、なんとも月並みだけれど、しみた。

2019年6月22日 (土)

6月13日

6月13日

モンパルナス駅からシャルトル行きの列車に乗る。列車の切符の買い方は昨日、インターネットで調べておいた。本当に便利な時代になったものだ。自動券売機は日本より少しだけ手続きが多く、知らないとまごまごしそうだった。シャルトル大聖堂のステンドグラスは『晴れた日に訪れ、たっぷり時間をかけて』、と「地球の歩き方」に書いてある。しかし今日はどんよりとした曇りで寒い。まぁとにかく行ってみる。

Ebec48ae79db421eb0ceb2339bff84be

シャルトルまで1時間と少し。途中名前も知らない、おそらく決して降りることのないだろう駅をいくつも通り過ぎる。そうした小さな駅で乗り降りする人々や町を見て、そこにはどんな生活があり、どんな人生があるのだろう、と思った。シャルトルが近づくと車窓に大聖堂が見えてくる。ずっと来たいと思っていた。7年前もそう思っていたのだけれど、結局歩いても歩いても歩きつくせないパリ市内で、一週間の旅は終わってしまった

8c3b0e334a1f4320917c9e7ab08b62dd

シャルトル駅では若い女性がキャリーバッグを二つ引いていて、階段に差し掛かるとすぐ、若い黒人男性が重そうな方のキャリーを上まで持ち上げ、女性の'Merci beaucoup!'を聞くと、じゃあね、という感じでいなくなった。当地にいる間、なんだか生き馬の目を抜くような雰囲気を感じることもある一方、こういうさらりとした優しさもあるんだな、と思った。
駅からノートルダム大聖堂までは歩いて間もなく。ツーリストオフィスに行き、町の地図をもらう。若い女性が英語で丁寧に説明してくれた。宿泊すると夜の美しいライトアップが見られるそうだ。大聖堂に入ると、この町にこんなに人がいたのか、と驚くくらいの人がいた。ステンドグラスを丁寧に見てまわる。幸い少し陽が射してきた。

A8d92f2da81c41e5b6b770a1ef9fc793

いったん教会を出て、町を少し歩く。もらった地図を見ながら歩くのだけれど、初めての場所に加えてどの道も曲がりくねっていて非常にわかりにくい。そして老眼が進み、いちいち眼鏡を外さないと地図に書いてある通り名が読めない・・・。(7年前は平気だったなぁ)。サンテニャン教会を見て、迷いながら中心部に戻り、目星をつけていた店に入ろうとしたら、ランチメニューの看板が下げられていた。まだ昼の1時を回ったばかりなのに。

Fbb2458ea75d4513840c5fa34cdd4c78

仕方なくまたうろうろして大聖堂前のカフェに入る。入ったらここでもランチは終わった、と言われがっかりするも、気を取り直して注文した料理は素晴らしかった。ゆっくり食べた後、坂を降りて川沿いに歩く。道が曲がっていてアップダウンが多く、常に景色が大きく変わる、イタリアのシエナのようだ。川沿いはすごく静かで、丁寧に育てられているらしい花や草の澄んだ甘い匂いがする。
今度はシャルトルに2晩くらい泊まり、この小さな町を満喫し、そしてまた鉄道でどこかの小さな町へ行き、また2泊くらい、・・・、そんな旅がしてみたいと思った。東京は、日本の中でかなり特殊な場所だと思う。それ以上にパリはフランスの中で特殊な所なのだと思う。世界中から観光客が集まってくる。人であふれるパリから1時間と少しで、こんなに静かでゆったりとした時間があるとは。そして、シャルトルで気付いたことは子供や若者が多く活気があり、ツーリストオフィスやカフェで若者たちがきびきびと動き回るのをみるのはとても心地よかった。(年をとったな、と思う)

8d99904df7a74f15aa210b3027434d11

川沿いを歩き、教会跡らしい建物で写真展を見て、公園を通りノートルダム大聖堂に戻り、外周を丁寧にみて、もう一度中に入る。パリ市内にもたくさん教会があり、いくつか入った。外がどんなに騒がしくても、一歩入るとそこは隔絶された空間で、敬虔な祈りの場であることがわかる。そんな場所が街のあちらこちらにある。

7091c57a24304954ac92f0c4d3266b5c

1421c9e2fcfd4b4db3782010dd7bbcf5

シャルトルでも、多くの観光客と、信仰を持つ人たちがいた。シエナの白と黒の石が交互につまれた美しいドゥオモ(聖堂)が見たくなった。今見たらどんなことを感じるだろう。

A1c9b25f94aa436ebbbaf0d92ceb2eba

5cb07b4dd7fa4552837ef997b18e2260

午後遅くなるとすっかり晴れて暖かくなってきた。パリに戻る。

Bcb9d9fc92034477a6f7b4159794d697

一時間と少し電車に乗り、再びパリの雑踏へ。ホテルの最寄り駅で降りると、気持ちよく晴れた陽の光が入る夕方のカフェは、楽しそうに過ごす人々であふれていた。いっせいに花が咲いたようだ。まさに花の都と思う。途中甘いクレープを食べ、満ち足りる。実は一昨日モンパルナス通り近くの、小柄なおじちゃんが切り盛りするいい感じのクレープ屋で、ガレットを頼んだら驚くほどしっかりとした量があり(東京の小洒落たガレット屋で出てくる量と全然違う。これはいったいどういうことだ?)、とてもデザートのクレープを食べることができなかった。それを残念に思っていた。
ホテルに戻り荷物をまとめ、名残を惜しんで、もう一度エッフェル塔を見に行く。今回の旅行では外国にいる緊張感と同時に、日本にいるよりずっとほっとしている部分もあった。明日はこの国を出る。

94c6cb122fb84340ac9d1e9ea608e987

2019年6月20日 (木)

6月12日

6月12日

今朝は体が重い。ロダン美術館の横を通ってオルセー美術館へ。オルセーの手前、ちょうど人の流れが狭くなるところに女の子たちがいて、観光客にアンケートを求めている。あれだ。一昨日オルセーとルーヴルの間の橋で写真を撮っていた時、降ってわいたように女の子たちが現れ、'Do you speak English?'と言いながら画板を強引に差し出して、僕のショルダーバッグを見えなくした。すぐ振り払い、被害はなかった。同じ日、ノートルダムの裏手でも女の子たちは観光客のいるところで騒ぎを起こしていた。

今日は近寄られる前に離れる。美術館の入り口に着く頃、悲鳴があがっていた。(驚くほど積極的に、素早く近づいてきます。もしセーヌ川沿いを歩くことがあったら、どうぞ気をつけて下さい)

4d4c1fe0148f40f3b1c47c30a1eb837f

オルセー美術館へ。印象派の作品は日本でもたくさん見られるけれど、ここにあるのは特に素晴らしく、状態も良いもの、と感じた。また、人々がどのように絵に接しているのか、それを見るのも楽しかった。文字による説明がほとんどないことも好きだ。(日本の美術館では最初の挨拶に始まり、趣旨説明、年表などに加えて、さらに文字の作品解説が山のようにあり、それらをじーっと読んだ後、作品はちらりと見て終わり、という人が多いような気がする)

Da0fe5bd4b4b4730ba600af9d9a8b0bc

953c8c5afbd547b0b0d844707d629bf5

Bb4d9e2edd704a4ca954af4ca76df5ee

ただ、その印象派の絵が多く、人も多く、疲れてきて、一体それがマネなのかモネなのか、だんだんわからくなり・・・。僕は様々な時代や場所の作品があるルーヴルの方が好きかもしれない。

60d346d0a0c7472eb7dc5fb6b8953060

地上階には顔だけでなく身体の動きでも見事に感情の動きを表現した彫刻がある。その濃密な苦悩や恍惚を現している彫像の横で、2019年の人間がごく普通にふるまっているのを見るのはおかしかった。

B4cfd29951814282896735da8736f0d6

289a69d0195541ddbc29a2a0f220e8dc

599076fe597c4c82a5e3d66521426ee6

美術館5階のカフェで昼食をとった。隣の席に、どこの国の人だろう、中年男性が一人でいた。ビールをお代わりし、ゆっくり食べ、デザートも頼み、その間他の何かをするわけでもなく、もちろんスマートフォンを触ることもなく。丁寧に食事をする姿が印象的だった。

A99c2ee3dc4f42269f4e7eeda14d53cb

オルセーを出て地下鉄に乗る。前回7年前に来た時(2012年6月の日記をご覧下さい。http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/527-5a77.html)に余った地下鉄の回数券を一応、持ってきた。改札に入れたら、無事通った。ほう。そうして乗った車両の端には、暗幕を張り人形劇をする人がいた。なんとまぁ。ローマの地下鉄に乗った時、ドラムセットを入れたバンドがどんつくどんつくやっていたけれど、人形劇とは。パリの中心部、地上には華やかな世界があり、地下では人々の生活が見えると感じた。

Af4f7f0233de480898b693c4238fe758

A5586b465b314eeeb1210eb064207363

F20e3574e68c41ebb05f4c379fecd629

今回の旅にもし目的があったとすれば、それは弓の製作者の工房を訪れることだった。一昨年注文し、納期が大幅に延び、一日千秋の思いで待った弓は昨年秋に届いた。はたしてどんな弓が、とほんの少しの不安はあったけれど、使い勝手は最初から問題なし、気になった倍音の少なさは半年たってずいぶん開いてきた。ほとんど毎日使っている。今日は風が吹いて寒い。6月半ばなのにセーターを着て、その上にパーカーだ。地下鉄の駅を出ると雨も強く降ってきた。迷いながら、一本裏の通りにある工房に着いた。

長身の彼はにこやかに迎えてくれた。弓は重くなく固くなく、しかし十分な強さを持ち、弓先まで感覚が通る。ヘッドは小さく、個性的。そんな弓を作る彼が弾くのはギターで、弓の弦楽器ではないところが不思議だ。「様々な演奏者の弾き方を見てきて、その演奏者がどんな弓を必要としているのかを考える」と言っていた。実際に材料を手に持って、どのようにその材料の特性を感じるか、ということも示してくれた。

オペラのオーケストラで弾くチェリストのための、ほぼできあがったスワンヘッドの美しい弓や、僕の弓を作るときに用意した予備の材料(実際に木を削り始めて、もし不具合が見つかった場合のためらしい)を見せてくれた。毛箱が弓と接する部分に金属のプレートを入れない理由を教えてくれたり、フェルナンブコを目の前で削って、表面と少し削った時ではどのように色が違うか見せてくれたり、また削ったフェルナンブコを水につけて色が出てくる様子を見せてくれたりした。フェルナンブコ(弓の材料)はもともと赤い色を取るための染料、ということは知識としては知っていた。水につけるとあっという間に色が出てくることに驚き、そのことを言うと、彼の従兄弟(やはり弓の製作者)はこれで髪の毛を染めようとしたんだけど、あまり染まらなかった、と笑っていた。

6ed8c324d653407bbc3382c95722c98a

整頓された工房はこじんまりしていて、男3人が仕事しているのに狭い感じはせず、明るい雰囲気だった。そして自分の仕事の仕方を包み隠さず伝える。こんなところにも良い仕事ができる理由があるのかもしれない、と思った。別の職人が、見たことのない明るい材料(見かけに反して、密度が高く、強いらしい)でヴァイオリンの弓を作っていた。彼らもこれがどんな弓になるのか、初めて体験しているところだ、と言っていた。

仕事の邪魔をしてはいけない、と30~40分ほどで失礼する。工房から出て歩いているうちに陽が射し、少し暖かくなってきた。パンテオンに着く頃には晴れ間が見え、三色旗が青空に映えて美しい。

Ae84b2c35e6340ac88b80f1b7cfd8a9a

2019年6月19日 (水)

6月11日

6月11日
今日は少し遅い出だし。昨日が休みだった、ということがよくわかる車の多さと騒がしさだ。バビロンヌ通りを歩いていたら、壁一面にランボーの詩、「酔いどれ船」が書かれていた。このあたりで発表されたらしい。

859113ecfbde4f588b85b32526390364

7192a5ce26de4004baf04ba68875e6c9

サンジェルマン市場へ。ユニクロがある一方、昔ながらの市場もあって安心した。市場の中には食事のできるところもある。こういうところで食べたらきっと美味しいだろうな、と思う。

3bbaaa6001d9458e8046c52ba1004f99

サン・シュルピス教会に入った後、教会前で絵画や版画の青空市が開かれていたので、そちらにも入る。開放的で明るく、中の人たちが楽しそうに話しをしているのを見て、絵がどのように生活と関係しているのか見えるようだった。(先日東京都心で現代美術の展示を見た時、皆不思議な格好をして、なんだか業界っぽく、なんだか訳知りっぽく、しかもなぜかお金のにおいがして胡散臭かった、あれはなんだったのだろう)

7b96615f3e1b448b91a6cd39e436cf55

B5ae96d1a9574137a5a812f82a04ab65

リュクサンブール公園へ。何度来てもここは素晴らしい。

3d5565461c164671bd8cc101055c8bad

モンパルナス大通り(ジャコメッティの本によく出てくるカフェ、ラ・クーポールを気付かず素通りしてしまったのは残念)のノートルダム・ドゥ・シャン教会に入り、

D73a62bfc5914fbd96dc195428cd30e7

モンパルナス墓地へ。クララ・ハスキルの墓があるというので探す。探すのがあんなに大変とは思わなかった。墓地の区画はほぼない感じだった。どういうことになっているのだろう。

2738fe02ec284157bf52c0605008e9cb

ホテルまで歩いて帰り、今日は早寝。パリの街は以前ほどゴミが落ちていない気がするし、時々踏んづけていたような記憶のある犬のう○こも、今回さほど見かけない気がする。

9f7fc7239fda4b44b48c547ae97b463a

228631ae641048d884d326fa7356db03

Ecb027da1ea641caa6d499d37856a033

2019年6月18日 (火)

6月10日

6月10日
ホテルから外に出る時は、いつも驚きがある。雨上がりの朝、陽の光の美しさは例えようがない。

7fc4d98f3a5f47f3a9e941c3619a4a58

セーヌ川沿いを歩く。今日は祝日、老若男女問わず多くの人が川沿いを走っている。皆かなり本気だ。走るだけでなく、様々に体を動かしている。

F48f04ac39c840abbe93520216aca829

川の際を歩いたり、上の道路に出たり、橋に上がったりしながらノートルダム寺院を目指す。

F3b2d7f73ea448d8ac71b95bbba9d734

241c73fb9c6e467d8757773d7b1d8bef

前回来たとき目にした自転車タクシーはほとんどおらず、電動キックボードが全盛だった。セグウェイどころか、サドルのない電動一輪車も見かけた(乗るにはちょっとコツが要りそう)。

8d4fe2a318f047618c234f54c0c04bd1

川沿いを離れ、冷たい小雨の下パッサージュ、ギャラリー・ヴェロ・ドダを探したら、休みで入れなかった。まぁこういうこともある。

C7f6f2806292431d9b545cd5fb08367f

それからノートルダムに。すっかり柵で囲われ警備されていた。後ろ側から見ると特に、火事で失われたものの大きさを感じる。

A48f86d6542247c8973b1c4792c0629a

サン・ジェルマン・デ・プレ教会の近くにある老舗カフェへ。ドゥ・マゴは渋谷にもあるし、とカフェ・ド・フロールに入った。通りに面した席に座ると、店は行列ができるほど混雑し始めた。ギャルソンたちのきびきびした動きや、彼らの客に対する接し方を見ているのは楽しかった。隣の席に明らかに裕福な、常連らしい女性と二人の子供たちが来て、彼女たちが実に楽しそうに話をしている姿に、なるほどこう過ごすのね、と思った。一方、ここは物乞いも通る。

E886c929c5d340aaae2b44fdd1435e69

後ろ側の席には、あまり行儀の良いとは言えない人たちがいて、彼らの連れが、今度は僕の前側の席が空いた時に座ろうとしたら、行列に並んでいた女性が来てはっきりとした英語で、ここは並んだ人が座るところであなたたちではない、と感情を交えずに言った。男はあっさり謝り、一件落着。お見事。
混雑するカフェ・ド・フロール、2階に上がるとがらがらだった。ボーヴォワールやサルトルもここに座ったのだろうか。

800960e6f2b3490d9be52a8d8a182bc7

624d31bded694f41b44a24ec21a03dd0

ドラゴン通りを通ってボンマルシェ(百貨店)へ。自然光の入る館内は、感心するほど美しい服や雑貨の並べ方だった。食品売り場も同じ、すべての物がとても美味しそうに見える。ここで買った青リンゴ、美味しかったな。

Dcfdc44b484e478382e5553c409d9fc8

B2be7092e6fb4979bf7c8e634cb656b1

48caf6d67ae143879c805714e8cfc331

夕食後、少しだけ散歩する。

D4f9aac8634f4236bf8f86064d44bbc5

2019年6月17日 (月)

西へ

昼前に空港に向かう。電車の向かいの席では、抱きかかえられ、斜め後ろ向きにかぶった野球帽のよく似合う小さな男の子が、小さな指で熱心に鼻をほじろうとし、母親はそれを一生懸命阻止しようとしていた。
何度も使ってきた羽田空港で国際線に乗るのは初めて。航空会社のチェックインはパスポートをスキャンし、何かを少しすると終了、パスポートコントロールも同じようにスキャンし、機械が人間の顔をチェックする。狐につままれたような出国手続きだった。中に入り、フードコートの隣席ではフランス語を話すカップルがうどんを食べていた。すすらないと、うどんは食べるのにこんなに時間がかかるものとは知らなかった。彼と彼女が一本づつ静かに食べていく間に、うどんはどんどんのびて柔らかく、太くなり、冷め、・・・。すする音は、きっと彼らには不快だろう、と思いながら僕は梅わかめうどんを食べた。

Bb9aaf7704c24812aeed39aa7c88f6d4

この期間、旅行に行ける、と前から思っていた。ずいぶんぐずぐずし、ようやく腰を上げようとしたらパスポートが失効していた。やれやれ。すぐ動き、新しいパスポートが来たのが5月末。ほぼ10日後に出発する旅行会社のパッケージツァーをあれこれ調べ、組み合わせ、オンラインで申し込み手続きをしようとしたら、何度トライしてもなぜか最後でうまくいかない。そもそも海外旅行なんてかなり前から準備するものなんだし、と夜中の1時に匙を投げた。翌日仕事をしながら、やっぱり行きたいと思い、飛行機とホテルを別々に手配した。なんだ、やればできる。全て自分で手配するのは本当に久しぶりのことだった。
思い立った時にふらりと外国に行く、いつかそんな旅をしてみたいと思っていた。行けることは前からわかっていた、手配は直前だった。結果的には理想の旅に半分ほど近かったのかもしれない。

F4de5172009a441aaf2727eed542b7d0

飛行機が高空に上昇し、窓から見える空の青はいつも美しい。僕はよく雲の写真を撮るけれど、それは下から見る雲だということに気付いた。頭の中では時々、前日の演奏会で弾いたペトルーシュカが鳴っている。
定刻より少し早くパリ、シャルル・ド・ゴール空港着。しかし地上職員が到着していない、とのことでしばらく飛行機から降りられなかった。なんとまぁ。客室乗務員もこんなことは初めて、と言っていた。
ほとんど誰もいなくなってがらんとしたターンテーブルで荷物を受け取り、タクシーに乗った。ホテル名と住所を告げると、何人かよくわからない運転手はスマートフォンのカーナビゲーションに入力して猛然と走り始めた。運転の荒さに外国に来たと実感する。いつものことではある。動物的な勘を十二分に発揮し手足のように車を操っているのか、単に短気で乱暴なだけなのか・・・。ロンドンタクシーの運転手ならナビなど使わず、通りの名前を聞いただけで頭の中で最適な道順をぱっと組み立てるのだろうか、と思った。乗ったことはないけれど。

夜の9時過ぎにホテルに着き、暮れ始めた外に出る。7年ぶりのパリだ。

44e03619dd0f46b1a89902861b4112eb

2018年10月14日 (日)

再び北へ

陸路函館へ。 到着してすぐ練習があり、夕方終わってから市電に飛び乗った。北国は思ったより日没が早く、しかも雨も降り始め、思ったように写真は撮れず、しっかり濡れ、ほうほうのていで撤収。 翌日、午前の時間をぬすんで海へ。市電の3つある終点の1つ、谷地頭まで行き、さらに歩く。石川啄木の墓所を過ぎて立待岬へ。快晴、対岸の津軽半島や下北半島までよく見える。 Dsc_0025 深々と息を吸ってからホテルに戻る。坂の多い函館の市電は風情があって楽しい。しかもスイカが使える。夜は演奏会。 今回も古いカメラを持ってきた。お供の、10年以上使ってきたデジタルの露出計(光量を計って、シャッタースピードや絞りを決めるための道具)が怪しくなってきた。ボタンを何回か押さないと動作しない。古いカメラは快調だけれど、そろそろ露出計は新調しなくてはいけないのかも、と久しぶりにカメラ屋を回った。すっかり足が遠のいていた中古カメラ屋に入ったら、ずらりと並ぶカメラの中の1台に吸い寄せられた。僕のカメラと同じ型の、信じられないくらい綺麗なのがあった。製造されてから60年たっているはずなのに、本当かな、新品のように美しい。手に取って動作を確かめる僕の耳元で、販売員が、私もこんなきれいなのは初めてですねぇ、とささやく。深く心動かされ、そんな時いつもするように、宝くじを買って帰った。もし当たったら、あのカメラをオーバーホールして、と夢をふくらませながら。 宝くじはもちろん外れ。自分のカメラを出し、こっちの方が動作は軽いし、少しくらい傷があった方が気兼ねなく使える、と言い聞かせる。 露出計は新しくした。時代に逆行するようなアナログ式のもの。それにしても表示の小さな字が見づらくなるなんて。 24df9f56bb674e10a538048eb8ff7676 翌日、再び市電で出かける。終点「函館どつく前」まで乗り、猫に会いながら外国人墓地まで歩き、海沿いを戻ってくる。函館は猫も人も穏やかな気がする。大きな船が飾ってある、と思ったら日本丸だった。やはり美しい。 Dsc_0034 昼の新幹線で帰京。北海道から東京まで陸路で4時間、というのは大変な時代になったものだと思う。九州より近い。残念なことは、これはJR東日本の新幹線、特急全般に言えることだけれど、座席に枕が付いていて頭を下向きにせねばならず、具合がどうにもよくない。東海道新幹線はずっと快適なのですが・・・。

2018年8月22日 (水)

北へ

混雑した東北新幹線に乗った。なんだか居心地悪く、先日海に行ったときの各駅停車の、ゆっくりとした進み具合が懐かしい。 この夏、久しぶりに青春18きっぷで旅をしてみようと思った。そんなことを考え始めたのはひどい暑さの頃で、目指すのはもちろん北。学生時代、何度も18きっぷで東京と名古屋を往復した。すっかりだらしなくなった今の僕に、それなりに我慢の必要な旅ができるだろうか。実際、北を目指しても、宇都宮を過ぎたあたりで満足して、あるいは嫌になって、引き返したりしないだろうか。 お盆の混雑を避け、あちらの日程を考え、こちらの日程も考え・・・。残念ながら、新幹線でまっすぐ目的地を目指すことにした。 予想外だったのは帰りの新幹線が空席なし、と出たこと。「はやぶさ」に自由席はない。がっかりして、とりあえず他の用事を済ませ、本屋で立ち読みをし、もう一度券売機の画面を見たら、あった。切符の手配も宿の手配も前日にばたばたと。 八戸で八戸線に乗り換え、鮫駅下車。蕪島を見て、歩き、バスに乗り、葦毛崎展望台へ。特徴のある形の展望台に上がると、水平線が広がりをもって目に入ってくる。こんなにはっきり見えるものだったか、と驚いた。 Dsc_0254 海沿いを歩く。植物の甘い匂いのするひんやりとした空気に包まれ、あるのは波の音と歩く自分だけ。美しい砂浜に出てからまたバスに乗り、種差海岸駅近くの民宿へ。部屋に入り窓を開けると、虫の声と波の音が聞こえ、畳の上にごろりと横になる。極楽だ。 Dsc_0256 夕食の後、真っ暗な夜の海岸に出る。目が少し慣れてくると、あまりよく知らない僕にも見える。北斗七星のひしゃくや、カシオペアのW、赤く大きく光っているのは火星だろうか。通りに人の気配はなく、車もほとんど通らず、静か。夜とはこういうものだった、と思い出した。ご飯を食べたらあとは眠るだけ。よく歩いた。 Dsc_0264 翌日も晴れ、けれど早朝の海に行く気概はなく、ぎりぎりまで布団にへばりつく。朝食の後、歩く。種差海岸から葦毛崎まで、海沿いに遊歩道が整備されていて快適だ。こんなに美しい海岸は他にあるだろうか、と思う。 Dsc_0263 ひんやりとした甘い匂い、松、岩、海、空、水平線、松、岩、海、・・・、その繰り返し。波打ち際にも降りてみる。水が透き通っていて気持ちがいい。 漁港を二つ過ぎ、白い砂浜に出る。少しの海水浴客とラグビーをする高校生、夏だなぁ。バスに乗って鮫角灯台へ。灯台には海上保安庁OBの方がいらして、遠くに見え隠れする山は八甲田山系、右手に島のように見えるのは下北半島、と教えて頂く。海を見ながらの気象の話など興味深かった。バスに乗って鮫に戻り、乗り換えまでの少しの時間を盗んで港に出た。ここには蕪島よりたくさんのうみねこがいるようだ。 再び混雑した新幹線に乗る。弁当を食べ少し眠ると、もういつもの雑踏だ。でもどこにいても、見てきた美しい海は僕の中にある。 結局今回も古いカメラと歩いた。フィルムの現像が上がってくるのが本当に待ち遠しい。

より以前の記事一覧