2019年9月26日 (木)

ラグビーワールドカップ

20年前のこの時期、コンクールを受けにフランス、トゥールーズに行き、ホームステイさせてもらっていた。素敵なホストファミリーのご主人Fさんはエンジニア(トゥールーズはエアバス社など航空宇宙産業がさかん)で、アマチュアのヴァイオリニスト。
1日遠出をしよう、というのでアルビまで出かけた。アルビはトゥールーズ・ロートレックの出身地であり、もう一つ、異端とされるアルビジョワ派の討伐後に建設された大聖堂がある。その中には細かな装飾がたくさんある一方、茶色のレンガでできた外側はのっぺりとしてマッシヴ、圧倒的な大きさからは異様な感じすら受けた。
Fさん夫妻と街にいると、あの建物のあの部分は何世紀のいつ頃の様式、ここはいつ頃の様式・・・、と僕には同じように見える建物の見方を教えてくれた。トゥールーズの大きな見本市会場での骨董家具の展示にも連れて行ってくれた。3つのブースに分かれていて、一つは誰が見ても文句のない一級品のブース、もう一つには(おそらく)頑張れば手の届きそうな家具、最後の一つには何だかよくわからないもの、例えば、傷みが激しく、ほとんどすだれのようになった絨毯とか、蛇口あるいはドアの取っ手だけが集めて置かれ、そんな中にフレンチブルドッグが寝そべっていたりした。
Fさんは、自宅にあるあの家具は何世紀のいつ頃のものだから、それに合う別の家具を探しているんだ、と言っていた。日本にいては到底知ることのできない、ヨーロッパの人たちの世界の見え方を教えてくれていたのだ、と思う。ご主人の仕事のことももっと聞いておけばよかった。
そう、トゥールーズと言えば、サン=テグジュペリが定期航路のパイロットとして飛んでいたところだ。彼の書いた「人間の大地」の、定期路線にデビューする箇所は好きな文章の一つ。

『・・・僕は雨に光る歩道で小さなトランクに腰を下ろし、空港行きの路面電車を待っていた。とうとう僕の出番だった。ぼくより先に、どれだけ多くの僚友がこの神聖な一日を迎えたことだろう。いったいどれだけ多くの僚友が、いくらか胸を締め付けられる思いで、こんなふうにして路面電車を待ったことだろう。・・・
・・・トゥールーズのでこぼこの敷石の上を走るこの電車は、何だか哀れな荷馬車みたいだった。定期路線のパイロットもここでは乗客の中に埋もれてしまって、隣席の役人とほとんど見分けがつかない。少なくとも、最初のうちはそうだ。だが、立ち並ぶ街灯が後方に流れ去り、空港が近づくと、がたがた揺れる路面電車が灰色のさなぎの繭に化けるのだ。そこから、じきに蝶に変わった男が飛び出してくるだろう。
 僕の僚友の誰もが皆、一度はこんな朝を迎えたのだ。そのとき、彼らはまだ横柄な監督の指揮下にある無力な下っ端に過ぎなかったはずだが、それでも彼らは、スペインとアフリカの定期路線を背負って立つ男が自分の内部に生まれつつあるのを感じたのだ。・・・』

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ある日、一人でトゥールーズの街を歩いていたら、スポーツバーのような店からすさまじい歓声が聞こえてきて驚いたことがあった。Fさんに尋ねると、ラグビーワールドカップでフランス代表がニュージーランドに勝った、しかもフランス代表にはトゥールーズのチームから何人も入っているんだ、と教えてくれた。その時はただ、ふーんと聞いたのだけれど、今月日本でワールドカップが始まり、その熱狂が少しわかるような気がする。ルールをよく知らない僕でさえ、大きな人たちが俊敏に動き回る迫力にすっかり魅せられるもの。
調べてみた。1999年の第4回大会、準決勝でフランスはニュージーランドを破り決勝に進出。10月31日のことだ。

2019年9月13日 (金)

乾電池を使うラジオ

8月の旅、石打の宿で小さな携帯ラジオのダイヤルを回していたら不思議なことがあった。夜、NHK第一放送を探したのだけれど、近い放送局の電波をうまくつかまえられず、周期的な雑音の隙間から聞こえてきたのは中国地方のニュースだった。新潟県の山あいで広島放送局の電波を受信した、ということだろうか。NHKの電波より、外国の放送局の方がよく聞こえていた。その一つが中国、北京の日本語放送。日本のある政党の議員団が北京を訪問した、というニュースを伝えていた。夜は遠方の放送を聞くことができる。名古屋にいた小学生の頃、やはり夜にラジオのダイヤルを回していたらモスクワの日本語放送が流れてきたことを思い出した。

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9月1日に放送されたNHKスペシャルは停電を扱ったものだった。昨年北海道で起きた大規模な停電は首都圏でも起こり得る、もし起きたら、という内容だった。先日の台風15号が過ぎた後、なかなか復旧しない停電の報道に接して、その放送の内容を思い出さずにいられなかった。
充電環境の必要なスマートフォンや、そのための基地局など、当たり前と思っている情報にあふれた生活は、実はもろい基盤の上に立っていると思った。残念ながら台風は毎年やってくる。乾電池を使う昔ながらのラジオは、長い時間聞くことができ、おそらく全ての放送局が駄目になることはなく、たとえ大規模な停電が起きても情報を手に入れることができる。
もしお持ちでなかったら、家に一台置いてみてはいかがでしょう。

2019年9月 8日 (日)

各駅停車の旅 その4

学生の頃、よく名古屋と東京を行き来していた時、何度も青春18切符を使った。
東京から東海道線で名古屋に向かうと、だいたい熱海まで1時間半、さらに2時間半くらいで浜松。そのあたりが辛さのピークで、しかも在来線と新幹線が交わるところがあり、信じられないようなスピードで新幹線に追い越されると、次はあれに・・・、と弱気にならずにはいられなかった。でも、浜名湖を過ぎると景色に変化も出てきて、名古屋まであと少し、という気になる。
最近、筋金入りの鉄道ファンであるYさんと18切符の話しをしていたら、東海道線の熱海、浜松間は彼でも辛く、寝るかクロスワードをするようにしている、とのことだった。各駅停車に乗るといつも一番前の車両の、運転台の後ろに立つようなYさんでもそうなんですね、と驚いた。こんなことを書くと静岡の人たちに怒られそうだけれど、あの区間は平坦でまっすぐで、景色の変化が少ない(ごめんなさい)。

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5回使えるこの夏の18切符、あと1回分残っていた。名古屋まで新幹線で行き、実家に泊まった翌日、東海道線で西に向かった。いつもと勝手が違うのは父と一緒、ということ。大垣、米原で乗り継ぎ、滋賀県の草津駅で降り、さらにバスに乗って琵琶湖博物館へ。(http://www.biwahaku.jp)

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素晴らしくて驚いた。広く充実した展示。生きている魚やほ乳類の水槽展示はもちろん、琵琶湖の歴史を扱った部分も同じくらいおもしろかった。琵琶湖や、さらに日本海の成り立ちを地質学的な時間でさかのぼったり、人間の歴史では様々な生活、平清盛の時代から、敦賀から琵琶湖まで運河を掘る計画のあったこと・・・。縮尺1万分の1の巨大な地図がフロアいっぱいに展開され、日本海から琵琶湖、大阪湾までの広がりや狭さを体感できる。そして念願のカヤネズミ(ピンポン球くらいの大きさ)も見ることができた。

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残念ながら時間切れで全ては見られず帰路についた。空の広い琵琶湖湖畔を通り米原を過ぎると急な上りになる。関ヶ原に近づくにつれ、山の感じが険しくなり狭くなり、関ヶ原を過ぎるとまた開けてきて、ほんの2駅で大垣駅に着く頃にはすっかり穏やかな場所になる。そうした景色の移り変わりを見ると、まさにここが向こうとこちらを分ける要衝で、確かに天下分け目の戦があったのだろう、と感じた。

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翌日、久しぶりにこだまで帰京。安倍川の手前で、Yさんが教えてくれたとおり、海側の座席から富士山が見えた。こだまの景色の流れ方は心地いい。のぞみは速くて素晴らしいけれど、あっという間に着くからうかうか寝ていられないもの。時々車窓から海が見える。8月のような青い海と青い空が美しかった。

2019年8月24日 (土)

各駅停車の旅 その3

8月21日
昨晩、宿のおかみさんに、朝食の時間は7時半くらいにしてほしい、とお願いしておいた(本当は7時)。温泉のせいか、虫の鳴き声のせいか、ぐっすり眠り、7時に目覚ましが鳴っても五里霧中、正体不明のまま。もう5分あと5分、と思っていたら、階段を上がってくる足音が聞こえた次の瞬間には戸が開き、今日は晴れましたね、と言いながら、おかみさんが朝食のお膳を持ってずいずいっと部屋に入ってきた。郷に入っては郷に従え、ということか。

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今回、石打に宿を探したのは県境の手前で泊まりたいと思っていたから。新幹線で新潟方面に行く度、山を越えた越後湯沢あたりから、景色が変わることを感じていた。緑の感じが違う。この景色の中で過ごしてみたいと思った。青空、虫の声は昼のものになっている。草むらからはスィーー、ッチョンが聞こえ、窓のすぐ横には蝉がとまり鳴き始めた。ものすごい音量だ、命の限り鳴いている。宿の近くを歩いてみると、虫や蛙がたくさんいる。大きなヤンマをこんなに見るのは初めてかもしれない。

宿帳に記入し宿代を払うと、おかみさんに、学生さん?と言われた。冗談を言うような人には見えなかったのだけれど。

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今日は旅の最終日、ひたすら電車に乗る日だ。各駅停車の旅は、その土地の風土や、それが場所によって変化していくことを感じられる、そういう旅だと思う。飛行機や新幹線の旅は、カプセルに入れられてA地点からB地点に、一散に移動するようだ。

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毎日ひたすら移動し、車窓を流れていく景色をずっと見ていると、まさにこの瞬間が旅、と思う。各駅停車でも充分速い。目的地を目指すのでも、何か特別なものを見るわけでも、豪華なものを食べるわけでもない、ただその場所を感じ、移動していく。これまで点として知っていた町を、ゆるやかに線でつなぎ、点から点への変化を感じていく。

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トンネルを越えて群馬県側に入り、名前は知らない二つの川の合流点が見えた。片方は昨日の大雨の影響で強く濁り、もう片方は澄んでいる、その二つの流れは合流してもなかなか混じらず、しばらく平行して流れていた。以前テレビで見たアマゾン川の映像を思い出した。
4時間以上かけて都心に。コンクリートやアスファルトで覆われ、地面がほとんど見えないここに戻ってきた。まずラボテイクにフィルムを出しに行く。雨の降る中、カメラやレンズを濡らさないよう撮った3本は宝物だ。現像の上がるのが待ち遠しい。もちろん晴れていた方が快適だし、写真も撮りやすい。でも雨の日に撮れる写真がある。昨日まで毎日、雨が降り始める時を感じていた。その時、いつも光に独特のきらめきがあることを知った。雨上がりの美しさは言うまでもない。

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2019年8月23日 (金)

各駅停車の旅 その2

8月20日
泊まった部屋はエレベータの真裏にあり、昨晩は意外に静か、と思っていたけれど、今朝は6時過ぎからごっとんごっとん活発な音がして起こされた。やれやれ。このホテルは仕事で利用している人が多いらしく、朝が早い。チェックアウトして海を見に行く。

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薄緑色の美しい海だ。東京からはるばる分水嶺を越えて来たのだ。海の際は国道で、山側の住宅地はすぐ小高くなっている。これは昔からの地形なのだろうか。駅に向かう途中、雪を避けるためらしい、ひさしのある通りを歩いた。古い通りが断続的にある。どのくらいの広さが数年前の火事で失われたのだろう。

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糸魚川から西は富山まで、東は直江津まで、JR線ではない。新幹線網が張りめぐらされた結果、重複する区間の経営が変わったのだと思う。当然18切符は使えない。昨日のしなの鉄道もそう。思いの外、制約があった。
日本海ひすいラインで有間川へ。途中、トンネルの中に駅があった。トンネルの外にはどんな景色が広がるのか、見てみたくなる。港で写真を撮っていると雨が強くなり、いったん建物の中に入ったけれど、弱まる気配がないので有間川駅に戻る。駅に上る道を間違えて、その分濡れてしまった。

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直江津からは信越本線に。できるだけ濡れずに海の写真を撮れる場所を、と考え、青海川で降りる。雨が強くて水平線があいまいになり、どこからが空なのか海なのかわからなくなりそうだ。

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刻々と表情を変える海を眺め、波の音を聞き、弱まる雨の気配に耳を澄ませていたら、すぐ次の電車が来た。長岡へ。久しぶりの長岡駅は洒落た感じになっていた。ゆっくり昼を食べ、今日最後の電車に乗る。上越線が長岡を出る頃、ほとんど雨は上がっていた。でも水上の先は大雨で止まっているらしい。車窓には水田が広がり、あぁ新潟だ、と思う。もう一つ、家々の屋根の急な角度を見ると、豪雪地帯なのだな、と思う。長岡からはひたすら緩やかな上り。

列車が六日町を過ぎるとアナウンスが入り、この先、今日の豪雨のため、安全確認をしながら徐行運転、とのことだった。少し遅れて石打駅着。迎えに来てくれた宿のご主人にその話しをすると、もう少し降ると電車は止まるよ、と言われた。宿の予約をした時、電話口でおかみさんに、うちはただの湯治場で何にもないけど、いいですか?、と言われた。そんなことを言われたのは初めて。泊まってみようと思った。
僕の部屋は六畳間、鍵はなく、窓からは山の緑が見え、虫の声が聞こえる。着いた時はまだ蝉がみんみん鳴き、ヒグラシは遠くに聞こえていた。日が暮れるにつれて鳴く虫が変わるのがわかる。夜になり、静かな虫の声と川の音ばかりになった。本当に素晴らしい。テレビもインターネットもいらない。

2019年8月22日 (木)

各駅停車の旅 その1

8月18日
いつもより少しだけ早起きして、中央線と小海線を乗り継ぎ清里へ。さてタクシーに、と思ったら駅前にいない。タクシー会社に電話してもらちがあかず、ようやく来た一台に、やはり待っていて目的地が同じ親子と一緒に乗ることにした。清里フォトアートミュージアムの「ロバート・フランク展 もう一度、写真の話をしないか。」(kmopa.com/?cat=6)

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東京の熱気は嘘のように、甘くさわやかな空気がここにはある。木々の間を通ってくる光、鳥の澄んだ声、降り始めた雨が葉に当たる音・・・。ここは10年ほど前まで、ホテルも併設されていたそうだ。夜も過ごせたらどんなにいいだろう、と思う。ロバート・フランクの写真は言うまでもなく素晴らしい。彼がその時どのように世界を見ていたのか、彼の目と一緒になろうとした。

ゆっくり見て、さて再びタクシーだ。美術館に着いた時、運転手と帰りの話しをしておいた。予定の電車の時間を伝え、そして4時過ぎに電話すること。電話をして待っていると美術館の電話が鳴り、タクシーは今小淵沢にいて、間に合わないからキャンセルさせてほしい、とのことだった。なんとまぁ。タクシー会社の抱えている車が極端に少ないらしい。
幸い助け船を出して下さる方がいて(本当にありがとうございました)、3人は無事清里駅に着いた。彼女たちも青春18切符を使っていて、でも大月あたりから特急に乗ってしまうかも、と言っていた。確かに一つの区間が2時間を越えると辛くなるもの(高尾~小淵沢間が2時間半くらい)。雨足が強くなる中、僕は小海線に2時間乗り、小諸へ。清里より先に行くのは初めてだった。

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小諸駅からホテルまでの道のりを甘く見ていた。軽く1キロちょっと、と思っていたら、ひたすら登り続ける1キロだった。東京も坂の街だけれど、こんなに登ることはない。参りました。


8月19日
起きると頭が重い。今朝は小諸駅までひたすら下る。昨晩は暗くてわからなかったけれど、どこからか水の音のする、風情のある町だ。しなの鉄道で篠ノ井、篠ノ井線で松本、松本にちょっと寄ってから大糸線で信濃大町へ。
どこでもそうなのかもしれないけれど、長野県内を鉄道で移動すると、山あいに線路が敷かれていることがよくわかる。少なくとも片側、多くの場合両側に山が見え、その表情は沿線によって異なり、どこも魅力的。住むなら信州、と思う。見晴らしのいい小屋、中に薪ストーブがあったら、もう言うことなしだ。

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大町でゆっくり昼を食べ、町を少し歩く。

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さらに大糸線で稲尾へ。木崎湖の湖面が美しい。風が強くなり、残念ながら予報通り雨も強くなり、駅舎に避難する。雨足が強くなった分、湖は幻想的な雰囲気になった。

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さらに2駅乗って簗場下車。雨が強く、しばらく駅で様子を見る。駅から中綱湖を通り、簗場のスキー場に通じる目の前の道は、40年近く前スキーに来て、大雪で閉じ込められた時、宿から国鉄の駅まで情報を求めて何度も通った、雪しか見えなかったあの道だろうか。

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小降りになった頃を見計らって中綱湖へ。ここの水の感じはやはり好きだ。雨のせいか、そこら中で蛙がはねる。こんな雨の中でも釣りをしている人たちがいる。

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夕方の大糸線でさらに先へ。白馬より向こうは行ったことがない。南小谷で糸魚川行きに乗り換え。凍りつくくらい空調の効いた車両だった。暗くなってほとんど見えないけれど、かなり険しいところを走っているらしい。南小谷から糸魚川までの途中駅で降りたのはたった一人、女の子が街灯もないようなさみしい駅で降りていった。

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糸魚川駅前の食堂に入る。ものすごく感じの良い店だった。1日よく歩き、しっかり濡れた身には嬉しかった。そう、昨日小諸で入ったラーメン屋も、とても感じが良かった。

2019年6月28日 (金)

6月14日

6月14日
ホテルのベッドで目覚めた時、東京の自宅にいる気がした。荷造りをすませ朝食をとり、もう一度名残を惜しんで周辺を散歩する。最終日、あたたかく素晴らしい天気だ。お家の玄関に入るまでが旅行です、と気を引き締める。
ホテルで呼んでもらったタクシーがなかなか来ない。来たら小柄な東洋人の運転手だ。思わず前回7年前のことを思い出した。やはり呼んでもらった運転手は小柄で、車内はちらかり、シートベルトはできなかった。さて。車に乗り込むと、中国人か?と聞かれた後、フランス語と英語のまざった滅茶苦茶な会話が始まる。総合するとどうやら、高速道路で事故があり、迂回する、一時間で着くだろう、ということらしい。確かに来た時とは違うルートを取っていることがわかる。運転手はしきりに電話で話し、どうやら渋滞情報を同僚やタクシー会社に聞いているらしい。そんなところに若い女性らしい声で、「ご飯に連れてって」という電話がきたら「今忙しいから後にしてくれ」と切ったようだ。ふむ。
かなりの渋滞。ようやく中心部を抜けて高速に入ると、時々流れて、また止まる。まさか途中で降りる訳にもいかないし、観念して座席でじっとする。途中で最近起きたらしい別の事故を見る。皆があんなに積極的に運転したらそれはぶつかるでしょ、と思う。空港の看板が出てもじりじりとしか進まない。ようやく空港の敷地に入っても、ただでさえ狭いスペースに出る車と入る車が拮抗して収拾がつかないのに、手前の路上で人を降ろす車がいて、クラクションの応酬だ。結局一時間半かかって到着。とても丁寧な運転のタクシーだった。人を見かけで判断してはいけない。
飛行の2時間半前に航空会社のカウンターに行くと、混雑というより混乱だった。さぁ、もうひと頑張り。チェックイン自体は昨日すませてある。またあの自動券売機のような機械に行く。何台もあるそれは全て行列しているか、故障しているか。空いている機械を探し、手続きをすませ、荷物預けの列に並ぶと、成田行きはここじゃなくて端の10番だ、と言われ、急ぎ移動する。確かに日本人をほとんどみなかったものね。空港もスーパーマーケットのセルフレジのようになっている。自分で荷物を無人のカウンターのベルトに乗せ計量し、タグのバーコードを読むと、ベルトが勝手に動いて荷物はするするとあちらに行ってしまった。あらま。シャルル・ド・ゴール空港は荷物がなくなることで有名なところなのだけれど。

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パスポートコントロールを過ぎ、珍しく免税で買い物をし、ほっとしてカフェに入る。パリの空港の、しかもエアフランスのカウンターがこんなに混雑しているとは。日本ではあまりない状況だと思う。2024年のパリオリンピックの時は大変なことになりそうだ。
乗り込んだ飛行機はほぼ満席。アナウンスがあり、直前で搭乗をやめた乗客の荷物を降ろすからしばらく待って、とのことだった。あのたくさんのコンテナから一つ二つの荷物を降ろすのか、僕の荷物は降ろさないように、と願った。
長い機中、今回の旅を思い返す。最大の収穫は、生き生きと生きている人たちに接したことだった。それに尽きる。写真を撮っていてこんなにわくわくし続けることは久しぶりだったし、美しい景色、物、素晴らしい天気、空気・・・。でもそんなことは全部二の次と言っていい。やっぱり人間はこうして生きることができるんだと思った。もう死んだように生きるのはやめよう。
そして、これほど英語が通じるようになっているとは思わなかった。7年前、ひどいフランス語でも口にすると皆、嬉しそうにフランス語で(しかも猛烈なスピードで)返してくれた。四半世紀前はまったく英語なんか喋ってくれなかった。それは本当に喋れないのか、嫌がらせか、勘ぐりたくなるくらいだった。今回、よちよちのフランス語で話しかけると、ほとんど英語で返ってきた。それはそれで傷つくし、その便利さは残念な感じがした。

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飛行機が成田に着き、無事出てきた荷物を拾い上げる。雨に煙る田んぼの間を列車が進んでいく。この湿潤な国も美しいと思った。そして梅雨寒の今日、駅のそば屋で食べたかき揚げ天そばの味は、なんとも月並みだけれど、しみた。

2019年6月22日 (土)

6月13日

6月13日

モンパルナス駅からシャルトル行きの列車に乗る。列車の切符の買い方は昨日、インターネットで調べておいた。本当に便利な時代になったものだ。自動券売機は日本より少しだけ手続きが多く、知らないとまごまごしそうだった。シャルトル大聖堂のステンドグラスは『晴れた日に訪れ、たっぷり時間をかけて』、と「地球の歩き方」に書いてある。しかし今日はどんよりとした曇りで寒い。まぁとにかく行ってみる。

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シャルトルまで1時間と少し。途中名前も知らない、おそらく決して降りることのないだろう駅をいくつも通り過ぎる。そうした小さな駅で乗り降りする人々や町を見て、そこにはどんな生活があり、どんな人生があるのだろう、と思った。シャルトルが近づくと車窓に大聖堂が見えてくる。ずっと来たいと思っていた。7年前もそう思っていたのだけれど、結局歩いても歩いても歩きつくせないパリ市内で、一週間の旅は終わってしまった

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シャルトル駅では若い女性がキャリーバッグを二つ引いていて、階段に差し掛かるとすぐ、若い黒人男性が重そうな方のキャリーを上まで持ち上げ、女性の'Merci beaucoup!'を聞くと、じゃあね、という感じでいなくなった。当地にいる間、なんだか生き馬の目を抜くような雰囲気を感じることもある一方、こういうさらりとした優しさもあるんだな、と思った。
駅からノートルダム大聖堂までは歩いて間もなく。ツーリストオフィスに行き、町の地図をもらう。若い女性が英語で丁寧に説明してくれた。宿泊すると夜の美しいライトアップが見られるそうだ。大聖堂に入ると、この町にこんなに人がいたのか、と驚くくらいの人がいた。ステンドグラスを丁寧に見てまわる。幸い少し陽が射してきた。

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いったん教会を出て、町を少し歩く。もらった地図を見ながら歩くのだけれど、初めての場所に加えてどの道も曲がりくねっていて非常にわかりにくい。そして老眼が進み、いちいち眼鏡を外さないと地図に書いてある通り名が読めない・・・。(7年前は平気だったなぁ)。サンテニャン教会を見て、迷いながら中心部に戻り、目星をつけていた店に入ろうとしたら、ランチメニューの看板が下げられていた。まだ昼の1時を回ったばかりなのに。

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仕方なくまたうろうろして大聖堂前のカフェに入る。入ったらここでもランチは終わった、と言われがっかりするも、気を取り直して注文した料理は素晴らしかった。ゆっくり食べた後、坂を降りて川沿いに歩く。道が曲がっていてアップダウンが多く、常に景色が大きく変わる、イタリアのシエナのようだ。川沿いはすごく静かで、丁寧に育てられているらしい花や草の澄んだ甘い匂いがする。
今度はシャルトルに2晩くらい泊まり、この小さな町を満喫し、そしてまた鉄道でどこかの小さな町へ行き、また2泊くらい、・・・、そんな旅がしてみたいと思った。東京は、日本の中でかなり特殊な場所だと思う。それ以上にパリはフランスの中で特殊な所なのだと思う。世界中から観光客が集まってくる。人であふれるパリから1時間と少しで、こんなに静かでゆったりとした時間があるとは。そして、シャルトルで気付いたことは子供や若者が多く活気があり、ツーリストオフィスやカフェで若者たちがきびきびと動き回るのをみるのはとても心地よかった。(年をとったな、と思う)

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川沿いを歩き、教会跡らしい建物で写真展を見て、公園を通りノートルダム大聖堂に戻り、外周を丁寧にみて、もう一度中に入る。パリ市内にもたくさん教会があり、いくつか入った。外がどんなに騒がしくても、一歩入るとそこは隔絶された空間で、敬虔な祈りの場であることがわかる。そんな場所が街のあちらこちらにある。

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シャルトルでも、多くの観光客と、信仰を持つ人たちがいた。シエナの白と黒の石が交互につまれた美しいドゥオモ(聖堂)が見たくなった。今見たらどんなことを感じるだろう。

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午後遅くなるとすっかり晴れて暖かくなってきた。パリに戻る。

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一時間と少し電車に乗り、再びパリの雑踏へ。ホテルの最寄り駅で降りると、気持ちよく晴れた陽の光が入る夕方のカフェは、楽しそうに過ごす人々であふれていた。いっせいに花が咲いたようだ。まさに花の都と思う。途中甘いクレープを食べ、満ち足りる。実は一昨日モンパルナス通り近くの、小柄なおじちゃんが切り盛りするいい感じのクレープ屋で、ガレットを頼んだら驚くほどしっかりとした量があり(東京の小洒落たガレット屋で出てくる量と全然違う。これはいったいどういうことだ?)、とてもデザートのクレープを食べることができなかった。それを残念に思っていた。
ホテルに戻り荷物をまとめ、名残を惜しんで、もう一度エッフェル塔を見に行く。今回の旅行では外国にいる緊張感と同時に、日本にいるよりずっとほっとしている部分もあった。明日はこの国を出る。

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2019年6月20日 (木)

6月12日

6月12日

今朝は体が重い。ロダン美術館の横を通ってオルセー美術館へ。オルセーの手前、ちょうど人の流れが狭くなるところに女の子たちがいて、観光客にアンケートを求めている。あれだ。一昨日オルセーとルーヴルの間の橋で写真を撮っていた時、降ってわいたように女の子たちが現れ、'Do you speak English?'と言いながら画板を強引に差し出して、僕のショルダーバッグを見えなくした。すぐ振り払い、被害はなかった。同じ日、ノートルダムの裏手でも女の子たちは観光客のいるところで騒ぎを起こしていた。

今日は近寄られる前に離れる。美術館の入り口に着く頃、悲鳴があがっていた。(驚くほど積極的に、素早く近づいてきます。もしセーヌ川沿いを歩くことがあったら、どうぞ気をつけて下さい)

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オルセー美術館へ。印象派の作品は日本でもたくさん見られるけれど、ここにあるのは特に素晴らしく、状態も良いもの、と感じた。また、人々がどのように絵に接しているのか、それを見るのも楽しかった。文字による説明がほとんどないことも好きだ。(日本の美術館では最初の挨拶に始まり、趣旨説明、年表などに加えて、さらに文字の作品解説が山のようにあり、それらをじーっと読んだ後、作品はちらりと見て終わり、という人が多いような気がする)

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ただ、その印象派の絵が多く、人も多く、疲れてきて、一体それがマネなのかモネなのか、だんだんわからくなり・・・。僕は様々な時代や場所の作品があるルーヴルの方が好きかもしれない。

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地上階には顔だけでなく身体の動きでも見事に感情の動きを表現した彫刻がある。その濃密な苦悩や恍惚を現している彫像の横で、2019年の人間がごく普通にふるまっているのを見るのはおかしかった。

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美術館5階のカフェで昼食をとった。隣の席に、どこの国の人だろう、中年男性が一人でいた。ビールをお代わりし、ゆっくり食べ、デザートも頼み、その間他の何かをするわけでもなく、もちろんスマートフォンを触ることもなく。丁寧に食事をする姿が印象的だった。

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オルセーを出て地下鉄に乗る。前回7年前に来た時(2012年6月の日記をご覧下さい。http://ichirocello.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/527-5a77.html)に余った地下鉄の回数券を一応、持ってきた。改札に入れたら、無事通った。ほう。そうして乗った車両の端には、暗幕を張り人形劇をする人がいた。なんとまぁ。ローマの地下鉄に乗った時、ドラムセットを入れたバンドがどんつくどんつくやっていたけれど、人形劇とは。パリの中心部、地上には華やかな世界があり、地下では人々の生活が見えると感じた。

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今回の旅にもし目的があったとすれば、それは弓の製作者の工房を訪れることだった。一昨年注文し、納期が大幅に延び、一日千秋の思いで待った弓は昨年秋に届いた。はたしてどんな弓が、とほんの少しの不安はあったけれど、使い勝手は最初から問題なし、気になった倍音の少なさは半年たってずいぶん開いてきた。ほとんど毎日使っている。今日は風が吹いて寒い。6月半ばなのにセーターを着て、その上にパーカーだ。地下鉄の駅を出ると雨も強く降ってきた。迷いながら、一本裏の通りにある工房に着いた。

長身の彼はにこやかに迎えてくれた。弓は重くなく固くなく、しかし十分な強さを持ち、弓先まで感覚が通る。ヘッドは小さく、個性的。そんな弓を作る彼が弾くのはギターで、弓の弦楽器ではないところが不思議だ。「様々な演奏者の弾き方を見てきて、その演奏者がどんな弓を必要としているのかを考える」と言っていた。実際に材料を手に持って、どのようにその材料の特性を感じるか、ということも示してくれた。

オペラのオーケストラで弾くチェリストのための、ほぼできあがったスワンヘッドの美しい弓や、僕の弓を作るときに用意した予備の材料(実際に木を削り始めて、もし不具合が見つかった場合のためらしい)を見せてくれた。毛箱が弓と接する部分に金属のプレートを入れない理由を教えてくれたり、フェルナンブコを目の前で削って、表面と少し削った時ではどのように色が違うか見せてくれたり、また削ったフェルナンブコを水につけて色が出てくる様子を見せてくれたりした。フェルナンブコ(弓の材料)はもともと赤い色を取るための染料、ということは知識としては知っていた。水につけるとあっという間に色が出てくることに驚き、そのことを言うと、彼の従兄弟(やはり弓の製作者)はこれで髪の毛を染めようとしたんだけど、あまり染まらなかった、と笑っていた。

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整頓された工房はこじんまりしていて、男3人が仕事しているのに狭い感じはせず、明るい雰囲気だった。そして自分の仕事の仕方を包み隠さず伝える。こんなところにも良い仕事ができる理由があるのかもしれない、と思った。別の職人が、見たことのない明るい材料(見かけに反して、密度が高く、強いらしい)でヴァイオリンの弓を作っていた。彼らもこれがどんな弓になるのか、初めて体験しているところだ、と言っていた。

仕事の邪魔をしてはいけない、と30~40分ほどで失礼する。工房から出て歩いているうちに陽が射し、少し暖かくなってきた。パンテオンに着く頃には晴れ間が見え、三色旗が青空に映えて美しい。

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2019年6月19日 (水)

6月11日

6月11日
今日は少し遅い出だし。昨日が休みだった、ということがよくわかる車の多さと騒がしさだ。バビロンヌ通りを歩いていたら、壁一面にランボーの詩、「酔いどれ船」が書かれていた。このあたりで発表されたらしい。

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サンジェルマン市場へ。ユニクロがある一方、昔ながらの市場もあって安心した。市場の中には食事のできるところもある。こういうところで食べたらきっと美味しいだろうな、と思う。

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サン・シュルピス教会に入った後、教会前で絵画や版画の青空市が開かれていたので、そちらにも入る。開放的で明るく、中の人たちが楽しそうに話しをしているのを見て、絵がどのように生活と関係しているのか見えるようだった。(先日東京都心で現代美術の展示を見た時、皆不思議な格好をして、なんだか業界っぽく、なんだか訳知りっぽく、しかもなぜかお金のにおいがして胡散臭かった、あれはなんだったのだろう)

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リュクサンブール公園へ。何度来てもここは素晴らしい。

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モンパルナス大通り(ジャコメッティの本によく出てくるカフェ、ラ・クーポールを気付かず素通りしてしまったのは残念)のノートルダム・ドゥ・シャン教会に入り、

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モンパルナス墓地へ。クララ・ハスキルの墓があるというので探す。探すのがあんなに大変とは思わなかった。墓地の区画はほぼない感じだった。どういうことになっているのだろう。

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ホテルまで歩いて帰り、今日は早寝。パリの街は以前ほどゴミが落ちていない気がするし、時々踏んづけていたような記憶のある犬のう○こも、今回さほど見かけない気がする。

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